第45章 - 5

込み上げてきたものを抑えきれないように頭領は子ニューラを抱き上げ、頬擦りし、べろべろと顔を舐め回すのが音と影の動きで分かった。
呆気に取られてマフラー野郎とニャルマーも目が点になっていた。
隊長は小さく溜息を吐き、ごほんと咳払いする。
「頭領様。お客人をお待たせしておりますが」
隊長の一声でハッと我に返ったのか、頭領は子ニューラからそっと手を離して、何事も無かったかのように取り繕って再び腰を下ろした。
横で子ニューラは憤慨しながらごしごし顔を拭っている。
「ああ、そうだった。その後ろに控えているのが件の恩人か」
「はっ」
隊長は素早く横に退き、あっしらに前に進み出るように手振りする。
流されるまま隊長の見よう見まねで跪くあっしらを頭領は見渡す。
「ほほう、見るほど妙な取り合わせだ。カラスに見知らぬ猫に、黄色い――んん?」
途中、頭領はまた突飛な声を上げる。注意深く覗き込むようにあっしらの方に身を乗り出し、何か興奮か驚きかで昂ぶっているのか震える手でマフラー野郎を指し示す。
「おい、お前。その黄色いのだ。ちょっと面を上げてしっかり見せてみろ」
言われるままマフラー野郎が顔を上げると、前のめりにばたばたと膝で歩いて頭領は傍まで確認に寄ってくる。
「おいおいおいおい、いやいやいやいや、飲み過ぎた幻覚かもしれねえ……!」
まだ何かを信じきれないように頭領は首を振るい、邪魔だと言わんばかりに勢いよく幕を剥ぎ取る。
そうして姿を現した頭領の正体、奥から現れたのは頭に扇みたいな形の真っ赤な鬣を生やした特異なニューラだ。
その顔面には大きなバッテン状の傷跡が刻まれていた。


そうか、こいつが……ロケット団を脅かすニューラの進化系、マニューラというポケモンか……
だが、それ以上にあっしの脳裏に閃いたのは、昨夜マフラー野郎の話に聞いた、奴の戦友――奴と共に死地を戦い抜き、身を挺して奴を助けたという黒猫――スカーの存在だった。
嫌でも目立つ顔のバッテン傷を始め、その姿も言動も、マフラー野郎の話とぴたりと当て嵌まる。
そうでなくとも、体中に刻まれた無数の古傷から、相当な修羅場を掻い潜ってきた歴戦の猛者だろうと察しがついた。
しかし、それなら何故、そんな奴が頭領の地位なんかに納まってやがる?
先程の若えニューラは、この里の頭領は代々世襲制だ、とかいうような事を言っていやがったが……
どうにも分からねえ、やっぱりただの偶然の一致なのか。そう思いながら、あっしは隣のマフラー野郎を見た。
ところが、奴は……両手を床に着け、顔を上げた中途半端な姿勢のまま、大きく目を見開いて硬直していた。
いや、よく見ると、何かを言いたげに口元だけが動いているが、まるで喉にオボンの実でも詰まらせたかのように言葉がまるで出てこねえ様子だった。
件の頭領は、あっしら一同が生温く見守るのも、ようやく目を覚ましたチビ助がジト目で睨むのも構わず、マフラー野郎の周りをぐるぐる這い回り、しきりにその体を眺めたり触ったり嗅いだりと忙しなく動き、仕舞にゃ黒いマフラーを捲り上げ、あの背中のでけえ傷を確かめるに至るや、へたりとその場に座り込んだ。
「なーなー親父、ひょっとしてこのネズミ知り合いか?……親父?おーい、親父ってば!」
放心したような頭領の肩を、訝しみながら子ニューラがちょいちょいと突く。
「……おい……ちぃーと俺のここをつねってみろ……」
呆けた表情のまま、頭領が子ニューラに自分の頬を指差す。
「え?な……何言ってんだよ?!そんな事していーのか?」
「いーからやれって」
「よーし!じゃーいくぞー!せーの!!」
子ニューラはささっと頭領の背後に回り、左右の頬を両手の爪でわしっと挟み込むと、顔面が変形する勢いで力一杯ぎりぎり捻り上げる。


「あだだだだっ……だだだだーだーだーっ!!何しやがんだこのクソ坊主!」
頭領は背負い投げの要領で子ニューラを放り上げ、クソガキは宙に一回転してビタンっと床に尻餅を搗く。
「いってー!何だよー!テメーでやれっつったんじゃねーか!この酔っ払い親父!」
「誰が全力でやれっつった!限度ってモンがあんだろーが!チクショー、おー、いってぇー……」
頭領は血の滲む頬をさすりながら蹲る。その姿にゃ、もはや威厳もへったくれもねえ。
「ククク……痛ぇってこたあ夢じゃねえ、夢じゃねえんだよな!ヒャハハハ!」
それでも素早く立ち直ると、その顔に満面の笑みを浮かべ、マフラー野郎と向かい合った。
「……ス、スカー……?」
ようやく絞り出したような震え声で、マフラー野郎が呟いた。
「おうよ……化けて出てきたってわけじゃねえよな、ネズミぃ……足、あるもんな」
「はは……それ、前にも言われたな」
マフラー野郎の驚きの表情が和らぎ、次第に笑顔へと変わっていく。
「君こそ……本当に生きて……生きてるんだな?」
「ったりめーだろ、このクソッタレが!こんな強くて凛々しくてイケメンで格好良くて理知的なナイスガイにゃ、死神すらビビッて裸足で逃げ出しやがったぜ!ヒャハハハハハ!!」
「あはは……確かに……確かに君だ、スカー……間違いない……はは……ははは……ははははは!」
二匹は顔を見合わせ、互いの腕を叩き合いながら大声で笑った。
あっしらはただただ呆気に取られ、そんな様子を見詰めるしかなかった。
実際、その間に他者が入り込める隙なんざ、どこにもありゃあしなかった。
「ヒャハハハハハ……この糞ネズミ、よく生きてやがったな……」
「良かった……本当に良かった……はははははは……」
何時しか、奴らの高らかなバカ笑いに、どこか湿ったような響きが混じり始めていた。


「……頭領様」
声色に戸惑いを混じらせたまま隊長が控えめに呼びかける。
「おー、そうだったそうだった」
ずび、と鼻を拭い、ごほん、と喉を整えて頭領は入り口に並ぶニューラ達に向き直った。
「おう、オメェら、女中達に伝えろ。客人を持て成す宴の準備だ」
「はっ」
号令を受けニューラ達は水が捌けるようにあっという間に部屋を出て行く。
「山ほど積もる話があるからなぁ。何も肴がねえわけにはいかねぇだろ」
「ああ、俺は喜んでお受けしたいところだが……」
「ちょっと、冗談じゃない。アタシはそんな長居するつもりは――」
少なくとも一晩は里での長居につき合わされそうな事の流れに、今まで黙って成り行きを見ていたニャルマーもすかさず突っかかる。
「まあま、お嬢さん。こんな風に巡り合えたのも何かの縁。一晩ぐらい酒の席に付き合っちゃくれないかい」
頭領はそっとニャルマーの手を取り、自然に顔を寄せ涼やかに微笑んむ。
何だか随分と手馴れた様子だとあっしの目でも分かった。
ニャルマーは電撃でも受けたように体をびくりと揺らし、「はい」と急にしおらしくなって小声で応じた。
「もう、なにやってんだよ!」
頬を膨らませた子ニューラがぴょんと頭領の肩へと飛び乗った。
「どわっ!てめっ、急に飛びのんなって、いつも言ってんだろが!くのっ」
頭領は子ニューラの両足を掴んで肩車したままぐるぐると振り回す。
きゃっきゃけらけらと再び戯れ出す二匹に隊長はごほんと咳払いする。
「頭領様。宴の前に客人方を匿い者達の集落へとご案内したいと思うのですが……」


「と、と。それなら、俺様が直々に案内してやるよ」
目を回し、ふらつく足取りを整えながら頭領は言った。
「しかしながら、頭領様にはこの後ご老公方との評定が控えておられるはずでは」
「いいの、いいの。あんなもんどうせ老いぼ――お義母さま方にくだらねえ嫌味でぐちぐちと突っつかれるだけだからよ。くたばったと思ってた旧友が生きて現れたってえこの時に水差されたかねえってんだ、ヒャッハッハ」
豪快に笑い飛ばして、頭領は子ニューラを肩車したまま襖を足で勢いよく押し開け、
「付いて来な」
ぐいと首であっしら招いた。
「ついて来なー」
その肩の上で子ニューラが嬉しそうに真似をする。
小さく嘆息を吐く隊長に、「いつもこんな調子?」とマフラー野郎が小声で尋ねると、隊長はそっと頷いた。
「変わってないな」
マフラー野郎は呆れたように、しかし少し嬉しそうに苦笑いした。
「何してやがんだ、置いていくぞ」
「なにしてんだ、置いてくぞー!」
急かす二匹に「わかったわかった」とマフラー野郎は続く。
あっしも仕方なく付いていこうとする中で、何かじっくりと考え込んでいる様子で動かないニャルマーに気付く。
「何してんだ?」
あっしが怪訝に思って声をかけるとニャルマーはじろりと目だけ動かしてあっしを睨み、
「なんでもないよ」と素っ気無く答えて腰を上げた。


庭から門までずらりと両脇に並ぶ女中や門番のニューラ達に大袈裟盛大に見送られながら、頭領と共にあっしらは屋敷を後にする。途中、あっしには一つ引っかかることがあった。
ニューラという種族の性別は赤い左耳の長さである程度判別できる、とどこかで聞いたことがあるが、まだガキで判別がつかねえ子ニューラとすっぽり頭巾を被っていて耳が見えねえ近衛隊は除いて、この屋敷にいたニューラは女中から門番、果てはあの屋敷に入る前に突っかかって来た老いぼれとその御付の奴までが左耳がちんまりとみじけえ、つまりはメスばかりだってことだ。
謁見の時に見せたあのニャルマーへの態度からしても、きっとあの頭領は随分な好きものなんだろう。あっしは勝手にそう解釈して、門を出る頃には沸いた疑問をさっさと片付けてしまった。

調子外れに歌いながらご機嫌の子ニューラとそれを背負う頭領を先頭に、屋敷から丘を降り少し離れた位置で身を寄せ合うように集っている廃屋の群へよあっしらは向かう。あれが件の匿われている連中のいる集落なんだろう。
近付くに連れてがやがやと活気ある喧騒が聞こえてくる。


集落へと踏み込んで、あっしらは再び度肝を抜かれることになる。
そこには多くのニューラ達と数は少ないが他種のポケモン達が行き交い、軒先で店のように品を並べて物々交換する者や、屋内で何か手作業に没頭する者、せっせと荷物を運んで周る者、畑仕事に精を出す者等、端から目に付く限りでも様々な役割に分かれて生活を営んでいた。
規模は小さいながらもその様はまるで人間の町のようだ。
「どうだ、ネズミ共よ。すげえだろ?」
「すげーだろー?」
驚き慄いて立ち竦むあっしらに二匹は振り向いて自慢げにニンマリ笑う。
「匿い者達などにより住まう者達の増加に備え、先代様と現頭領様により人間に近しい生活様式を取り入れるよう推し進められたのでございます。元は狩りのみを生きる糧としていた我らでありますが、ようやく段々とそれらしい形となってまいりました」
後ろで隊長が淡々と、しかし少し声色に誇らしさを混じらせて言った。
「まだまだ見よう見まねの未熟なままごと程度だがな。だがよォ、このままずっと長え時間をかけて仲間も増やしながら洗練していきゃあ人間共に取って代われる程のモンになるかもしれねえぞ俺達ぁ」
「はは、人間に取って代わるだなんて、世界征服でもするつもりか?」
冗談めかしてマフラー野郎が言うと、
「それもいいかもしれねえなぁ、行く行くはよォ」
頭領はニヤリと微笑んだ。


「頭領様!今日は若様とお出かけでございますか」
「よう、そうなんだよ。置いてくとコイツ愚図りやがるからなぁ」
住民達は頭領の姿に気付くと敬いながらも親しげに挨拶し、頭領もまた気さくにそれに応じる。
集落を進んでいく中であっしはまた何となくニューラ達の耳を目で追っていた。
全てを確認できたわけはなかろうが、屋外で活発に働いているニューラ達はやはり屋敷の時と同じようにメスばかりだ。
オスは全員屋内に引っ込んでるんだろうか。
あっしの心にまた同じ疑問が沸くが、なんだかずけずけ聞き辛いことにも感じて、どうする事もできなかった。
「ガキ共の面倒を見てる家はもうすぐさ。見えるだろ、あの場所だ」
「あそこだッ!」
喧騒からは少し離れた田畑を挟んだ先にそれらしい家屋は建っていた。
田園を進みながら、特に気にするものも無くあっしとニャルマーが歩む中でマフラー野郎だけは少し難しい顔をして植えられた作物や木々の様子を見回していた。
「あ、頭領様に若君、それに皆さん方もお揃いでー!」
畑の方からあっしらを呼ぶ声が聞こえた。声の方を見れば、年若いメスのニューラが満面の笑みでこちらに手を振っていた。
あっしらが気付くと、ニューラは嬉しそうにこちらへと駆け寄ってくる。
ぺこりと頭領に一礼してから、ニューラはマフラー野郎へと向き直った。
「頭領様のご友人だったなんて!やっぱりただのネズミ様ではなかったのですね」
それからやけに友好的にニューラはマフラー野郎へと寄って話しかける。


「え、えーと、君は?」
面識が無く困った様子でマフラー野郎は言った。
「やだなあ、私ですよ。私。ほら、若君をお迎えに上がった時に少しだけお話した……」
言われて、マフラー野郎は少し考えた後「ああ、あの時の」とポンと手を打った。
同じように、あっしもあの時に隊長に余計な口を聞くなと窘められていた、近衛隊のニューラの一匹だったかと思い出す。
「そうです、そうです!」
嬉しそうにはしゃぐニューラの目の前に、陰にいた隊長が踏み出て立ち塞がった。
「ひえッ、隊長!おられたのですか?」
跳ね上がりそうなほどに驚き、ニューラは冷や汗を垂らしながら後ずさる。
「私が若君のお傍を易々と離れるはずが無いだろう。一体、何用か。一介の近衛がよもや他愛の無い私事で頭領様を御止めするなど無礼千万であるぞ」
隊長の面は見えねえがすさまじい迫力を傍からも感じる。
「おう、このぐれえいいじゃねえか、オメエは相変わらずお堅いね。俺は何も気にしねえからよ」
すっかり縮こまるニューラに、見かねた頭領が取り成す。
「誠に僭越ながら……これは近衛の規律に関わる事にございます。特にこの者、未だ心構えが出来ておらぬ様子ゆえ」
「まあまあ、スカーもああ言ってるしさ。それに丁度、俺もこの子に聞きたいことがあるんだ」
マフラー野郎も言って、ようやく隊長は「むう」と渋々ながらも引き下がった。
「聞きたいんだけど、ここの畑の責任者は君?」
きょとんとするニューラにマフラー野郎はそう聞く。


「は、はい。そうですけど」
「そうか……ごめん、スカー。少し寄り道していい?」
ニューラが答えるとマフラー野郎は少し考えた後、頭領に尋ねた。
「ん?まあいいけどよ」
「悪いね。君、ちょっと来てくれるかな」
頭領の許可を得て、マフラー野郎はニューラを連れ立って畑の中に踏み入っていく。
そして、植えられた木の葉っぱに触れて、「やっぱり」と呟いた。
「こんなこといっちゃ失礼かもしれないが、この木から採れる実の質はあまり良くはないんじゃあないかな?」
「はい、恥ずかしながら……とても満足といえるものでは。何分、狩猟者たる我らニューラには栽培など経験も知識も本能にも無いことでございまして……」
「そうだよね」
納得しながらマフラー野郎は今度は根元の土をほじくり始める。
「なんだあいつ。土いじりなんて妙な趣味あったっけな?」
やりとりを見ながら頭領は不思議そうに片眉を上げる。
その後も二匹は、
肥料はどうしてる?そうですね、肥料は――を、――で……
ここの気候だと、もっと――なほにょにょにょ……を混ぜて、――もっとじめじめ……
なるほど!それならうまく行く気がします!やっぱりあなたって只者じゃない!
折角なので更にお聞きしたいのですが……
等と、どんどん盛り上がりながら畑の奥へ奥へと話の内容も深く深くなって進んでいく。
「何だかよくわからねえが、こりゃ大助かりだ。益々あいつにここに居てもらいたくなった」
頭領は一匹呟いて、ニッと口端を上げた。

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