第45章 - 4

一度虚勢を張っちまった以上あっしだって男の端くれ、貫く他はねえ。
油でもぶちまけてあるのかと思うほどに強烈に足を滑らせる氷の床に何度身を転げそうになろうとも、人間が古くに架けたらしい梯子を降り洞窟の深部に行くに連れて皮膚を撫でる冷気の鋭さが増そうとも、湿気たマッチ棒みてえなチンケな意地に火を付けて耐え忍んだ。
馬鹿でかい氷塊がごろごろと積まれた一見何も無さそうな行き止まりまで来て、ニューラ達はぴたりと立ち止まる。
一体、何をしてやがるのか。まさかあれだけ慣れた面をしておきながら、道を違えやがったのか?歩いて身に風を受けるのも辛いが、ただじっと立ち止まって冷気に晒されているのはもっと辛い。
野次でも飛ばしてやりたいがもう嘴の端が強張って言う事を聞かない。
仕方なくじっと見ていると、隊長が覆面の中から奇妙な尖った物体が紐で吊るされている首飾りのようなものを探り取り出した。
それから隊長は周囲を注意深く確認し、その首飾りについた尖った物体――緩やかに湾曲したそれは獣の牙か爪のようだ――を氷塊の一つの窪みへと差し込む。


すると、氷塊の奥から”かちり”と人工的な音が微かに聞こえ、隊長がそっと触れてやると音も無くただの氷塊だと思っていたそれは奥へと押し込まれて開いた。
「この通路を抜ければ我らが里。からくり扉を閉じますと中は暗くなります。頭など壁にぶつけぬようご注意くださいませ」
最後の方、特にあっしの方を見て発せられたように思う隊長の忠告に、余計なお世話だと胸の内で毒づいて、あっしは一団に続いた。
全員が中に入ったのを見ると、ニューラの一匹が内部の天井から吊るされた縄を引く。
音も無くからくり扉は閉まり、辺りはたちまち暗闇に包まれた。
通路の向こうに、柔らかな日の光が差し込んでいるのが見える。
あの先がこいつらニューラの里なのだろう。
あっしはようやくこの冷凍庫から解放される喜びで胸が一杯だった。


あっしは今までの寒さや疲れも忘れ、光を目指して闇雲に前へ前へと進んだ。
途中、何度も滑ってマフラー野郎と衝突したり、蹴躓いて不本意にも抱き着いたニャルマーに怒鳴られたりしながらも……次第に大きくなる白い光に期待を膨らませ、這う這うの体でどうにか出口まで辿り着く。
「じゃじゃーん!四名さまごあんなーい!ようこそ、オレたちの里へ!」
先に到着していた子ニューラが戸口に立ち、大仰に腕を振り上げながらお辞儀をする。
恐る恐る潜り抜けた先は、さんざん待ち侘びた暖かな光に満ち溢れていた。
普段なら光よりゃ闇、昼よりゃ夜の方が好ましいあっしだが、お天道さんがこんなに在り難かった事ぁねえ。
そして、目の前に現れた想像を絶する風景に、あっしは度肝を抜かれた。
洞窟の長えトンネルを抜けると雪国――いや、雪と氷の世界だった。

そこには『隠れ里』という言葉が連想させるよりも、遥かに大きな空間が広がっていた。
地面にゃ真っ白な粉雪がさらさらと積り、踏み出したあっしらの足跡がくっきりと残った。
雪原のあちらこちらに、人間が暮らしていた頃の名残と思われる、古い茅葺きの廃屋が点々と連なっている。
半ば雪に埋もれ、屋根からは太い氷柱が何本も垂れ下がり、壁や柱も氷の下に閉ざされたそれらは、どこか奇妙なオブジェにも見えた。
ここは山間の窪地でもあるのか、里の周囲をぐるりと覆うように岩肌が高く切り立ち、頂上付近は内側に傾斜して容易に上からの侵入を寄せ付けねえ、天然の防壁を形作っている。
更にその表面にゃ幾重にも分厚い氷の層が重なり、上空から差し込む光が乱反射して、キラキラと薄青色に輝いていた。
まるで、金剛石で拵えた、巨大な井戸の底にでもいるみてえな、実に神妙な心持ちだ。
あっしは思わず目を細め、この不思議にも美しい異世界にすっかり魅入っていた。
いや、あっしだけじゃねえ。
マフラー野郎も、ニャルマーでさえも、この見事な光景にゃ言葉を失っているようだった。


「どーだ糞カラス!びっくらこいただろー?」
いつの間にか近付いていた子ニューラが、へん、と得意そうにあっしの顔を覗き込んでニヤニヤしている。
「う……そ、そんなこたあねえよ!いいからさっさと先に行きやがれ!」
ハッと我に返ったあっしは、からかうように飛び跳ねる子ニューラを、翼を振って追っ払った。
そうこうしながらも、あっしらはさくさくと新雪を踏みしめ、ニューラ達に先導されて里の中央を目指し、真っ直ぐに進んだ。
やがて、緩やかな丘の上に建つ、一際大きな屋敷の前で一行は立ち止まった。
こいつは恐らく、昔ここにいた人間達の中でも、最も偉え奴が住んでいた家だったに違えねえ。
「頭領様はこの奥の間におられます。御目通りが済んだ後、匿い者達の住まう集落へと参りましょう」
「なー、たいちょー……せめて、親父の方を後回しにできねーかなー?」
あっしらを中に案内しようとする隊長に、子ニューラが甘ったれたように縋り付く。
「なりませぬ。まずは頭領様のお許しを頂かなくては。もっとも、若君は少々留め置かれるやもしれませぬが」
そう隊長にきっぱりと撥ね付けられると、子ニューラはうへえ、といった感じで渋面を作った
「はあ~……オレが直々に案内したかったのによぉ~……」
正直、こんな由緒有りげな里を束ねる偉え御方にご対面するとなりゃ、少々気後れがしねえでもなかったが、このクソガキがこってり油を搾られる様を見られるのかと思うと、あっしは踊り出したくなるほど愉快な気分になった。
だが、その時だった。
「おお、若君!ご無事でございましたか!
皺枯れた大声が横手から響いた。


見ると、腰は曲り、体毛の色もすっかり抜け落ちた、一見しただけで年寄りと分かるニューラが現れた。
そいつは何度も咳き込みながらも、意外にしっかりした足取りで子ニューラ達に近付く。
その後に、やはり黒い毛並みに白髪の混じった、御付の者らしい初老のニューラが二匹、ぴたりと付き従っている。
「げっ、ばっちゃんたち……何だってこんな時に……」
子ニューラはますます困ったような顔で、首と両手をぶんぶんと激しく横に振った。
「べ、別に何ともねーって!それよりばっちゃん、起きてきたりしていーのかよ!」
「何を仰られますやら……若君が行方知れずと聞いては、この婆は大人しゅう寝ている訳には参りませぬ」
一頻り子ニューラの無事を喜んだ後、老ニューラは隊長達の方へキッと向き直った。
「お主らが付いていながら何と言う失態じゃ!もし若君の身に万一の事があらば、亡き姫様に顔向けできぬわ!」
それまでの猫撫で声とは打って変わり、バクオングさながらのドスの効いた怒声で叱責する。
「……面目ございません」
隊長以下ニューラ達は、恐れおののく様にその場に平伏した。
だが、その卑屈な態度とは裏腹に……覆面の下から覗くその眼にゃ、一様にどこか反感を含んでいるように思えた。
「た、たいちょーたちは悪くねーよ!悪ぃのはオレだって!オレが勝手に抜け出したんだってば!」
子ニューラが慌てて取り成すと、老ニューラは只でさえ皺々の顔を更にくしゃくしゃに綻ばせた。
「おお……下々の者まで思い遣る、そのお優しい心根……やはり姫様によう似ておいでじゃ」
一体何なんだこのババア……?
余りに温度差の激しいその態度に、あっしは浮き立つ気分も忘れ、次第にムカっ腹が立ち始めた。
「……その者達は何じゃ?」
不意に、ようやくこちらに気付いたように、老ニューラは突き刺すような厳しい目をあっしらに向けた。


「ああ、俺達は……」
答えようとしたマフラー野郎を、隊長はそっと手振りで制した。
「はっ、この者達は――」
そして隊長は自ら矢面に立ち、包み隠さず事のあらましを報告する。
話を聞くにつれ、老いぼれたニューラの眉間には益々深く皺が刻まれていった。
「うぬら、若君の身を危険に晒しただけではなく、どこの馬の骨とも知らぬ余所者に恩まで着せられというのか……!」
老ニューラはわなわなと拳を震わせ、雷みてえに荒々しく喉を震わせる
「やはり、近衛の長など到底務まらぬのだ。うぬのような不出来の――」
「ばーちゃん!」
跪く隊長に庇うように抱き付き、子ニューラは叫ぶ。
老ニューラはグッと言を飲み込み、一拍置いて静かに深呼吸した。
それから忌々しげにあっしらに視線を移し、あからさまに作った物とわかる笑みを浮かべる。
「“一応”は感謝いたしますぞ、お客人。しかしながら、ここは我らの秘匿の地。
奔放な外の者には窮屈に感じましょう。長居は双方の為になりますまい……」


げほげほ、と老ニューラは思い出したように咳をしだす。
「些か外の風にあたり過ぎた様じゃ。お先に失礼させていただきましょう」
言いたい放題に胸糞の悪いケチを残して、老いぼれは側近を引き連れて引っ込んでいった。
あっしは火が付くんじゃ無いのかと思うほどに体が怒りに火照って震えた。
浮れ気分はすっかり台無しだ。
「ごめんな、たいちょー……」
心底すまなそうに子ニューラは隊長に謝る。
「いえ」
隊長は首を横に振り、子ニューラの潤む目を手で優しく拭った。
「お見苦しいところを、申し訳ございませぬ」
あっしらに向き直って隊長は詫びる。
「俺様達は随分とまあ歓迎されているみてえだなァ」
言葉にうんと棘を混ぜ込んであっしは言う。
「ご老公の言葉は必ずしも里の総意であるとは限りませぬ。……ご理解いただきたい」
屋敷の大きな門を隊のニューラに開けさせ、隊長はあっしらを改めて招いた。


門が開いた先には新雪に染められた趣のある庭園が広がり、古ぼけた石畳が敷かれた道の先には如何にもな屋敷がでんと待ち構えていた。
まるで時代劇の中にでも放り込まれたような光景に、普段のあっしでありゃ御上りさんみてえに庭の中を見回して、子ニューラの野郎は小憎らしく胸を張って自慢してやがったんだろうが、さっきのババアとの邂逅が胸焼けのように後に引き摺っていて何もかもすっかり台無しになっていた。一同は一言も口にせず、ただ黙々と石畳に足音を響かせた。
正面扉の前に立つ門番らしき二匹のニューラはあっしらが近付くと静かに礼をして両脇に避け、扉に付いた龍の頭部をあしらったらしき装飾の口から垂れ下がる鎖をぐいと引っ張った。
「ご苦労」
隊長は門番達に声掛けて屋敷へと踏み入る。
あっしとマフラー野郎にちらちらと向けられる門番からの何となく物珍しげな視線に見送られて、薄暗く雰囲気のある屋敷の中を進んでいった。
襖で仕切られた幾つもの部屋を縫うように入り組んだ廊下はまるで迷宮のようだ。
踏み出す度に年季の入った床板はぎいぎいと金切り声を上げ、点々と両脇に備え付けられている龍の首の意匠が施された燭台は見慣れぬ来訪者に火をちらつかせながら睨みを利かせている。
内部の暗みにも段々とあてられて、怒りに膨れていたはずのあっしの心はじわじわと風船みてえに萎んでいっていた。


途中、出会うニューラ達はあっしらの姿を見かけるとそそくさと道を譲り、静々と一礼した。
そこでもやはり門番と同じように、通りすがり際にニューラ達は興味深げな目をあっしとマフラー野郎に対して向けた。
「……おい、何なんだろうな、あいつらの視線」
何ともいえないむず痒さに耐えかねて、あっしは隣のニャルマーに声を潜ませて尋ねる。
「さーね。ちょうど鳥とネズミだし美味そうな獲物にでも見えてるんじゃあないのかい?」
人事のようにそっけなくニャルマーは答える。
「縁起でもねえこと言うなよな……」
「ま、精々無事に帰れることを祈ってんだね」
早々に会話を切り上げ、ニャルマーは屋敷の中をじろじろ値踏みするように見回す行為に戻る。
雄々しい二対の龍の姿が描かれた煌びやかな金箔の襖――扉、燭台と続いてまた龍だ。
本来の屋敷の主だった人間共は龍に余程魅入られていたんだろうか、そこはかとなく執着めいたものが感じられる――に遮られた部屋の前に来ると、ニューラ達は襖の前に並んで跪いた。
「無事、お連れいたしました」
隊長が襖の奥に向かって告げる。
「通せ」と、一拍間を置いて奥から声が低く響いた。
一体、どんな野郎が待ち構えてやがんのか。
隊のニューラ達が襖を開くのをあっしは固唾を呑んで見守った。
室内の中央には紗幕が張られ、その奥に片膝を立てて座しているこの里の頭領であろう者のシルエットがぼんやりと見える。
隊のニューラ達に促がされて部屋に踏み込んだ瞬間、幕越しからでもちりちりと皮膚が泡立つ様な緊張感とプレッシャーを感じた。


隊長は先んじて幕の手前で跪き、子ニューラは隠れるように隊長の背に虫みてえにぴたりと張り付いたままでいた。
そのすぐ後ろにマフラー野郎、マフラー野郎を挟んで両隣にニャルマーとあっしはおずおずと座り込む。
あっしらの背後にはニューラ達がずらりと横に並んでいて退路は完全に塞がれている。
何か狼藉でも働こうもんなら即座に叩っ斬られそうな雰囲気だ。
「あいつの姿が見えないが?」
幕の奥からの声に子ニューラはぎくりと毛を逆立てた。
隊長は「ささ」と子ニューラを自分の背から引き離し、そっと幕の前へと押し出した。
「うー……」
子ニューラは耳をぺたんと畳んでばつが悪そうにもじもじと体を揺らす。
こっちに来いと幕に映る影に手招きされて、子ニューラは渋々恐々とした様子でごそごそ幕を潜り抜けて向こう側へと行く。
いつもはクソ生意気なガキがまるで借りてきた猫のようだ。
あの怖そうな頭領サマから一体、どんな風に雷が落とされるのか。
こんな状況ながら少しわくわくして様子を見ていた。
だが、あっしのそんな邪な期待はすぐに裏切られてしまう。
幕の向こう側で、歩み寄る子ニューラを頭領は叱るでもなく飛びつく様にがばと抱き寄せた。
「の野郎ッ――心配させやがって……このっ、くのっ――」
「ちょ、恥ずかしいだろー!やめっ、くすぐったいー!うわっ、酒くさいー!」

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