第45章 - 21

先輩方との質素ながらも和気藹々とした夕餉を終え、頭領への御付きの順番が巡ってきてあっしは新米と共に陰ながら頭領を見守っていた。
外からは険しい山々に守られた里、それを更に厳重に警備されている頭領が住まう屋敷、安全に安全を重ねて織ったような環境の中でそうそう異変があるわけも無く……。
大広間で食事を終えて子ニューラと一緒にゆったりと時を過ごしている頭領をあっしは隣の部屋から時折うつらうつら舟を漕ぎながら――新米の方に居たっては襖に寄りかかって寝息を立てている――眺めていた。
程なくして頭領が手をぱんぱんと二度続けて打ち鳴らし、「おい」と声を上げる。
あっしらじゃなく隊長だけを呼び出す合図だ。
それから数十秒、一分もしない内に天井裏から隊長が降り立ち頭領と幾らか言葉を交わすと、腹も一杯で眠い目を擦り始めた子ニューラの手をそっと引いて広間から連れ出していった。
ひとりになると頭領はおもむろに立ち上がって大広間を出ていき、あっしは慌てて新米を揺り起こしてその後を付かず離れずの位置で付き従っていく。
長い廊下を渡りきって頭領は調理場の前までやってくると、中の女中たちに声をかける。
御用を聞きに出てきたのはニャルマーのやつだ。
酒を入れたトックリの二、三本ばかりとオチョコが二つ欲しい。そう頭領が頼むと、ニャルマーはそれはまあ愛想よく笑顔で了承し奥へと引っ込んでいった。
あっしが仕方なく何か頼みに行った時は面倒そうに舌打ちやら悪態一つ残していく癖に。
本性を知っている身としちゃあ、おぞ気が走りそうなほど不自然な姿だ。
すぐにトックリとオチョコを入れた桶をニャルマーは咥え運んできて頭領に渡す。
そのついでとばかりに「お酌いたしましょうか?」だなんて反吐が出そうなほど甘い声でそっとほざくのを、
「折角だが、晩酌に誘う相手は今日はもう決まってんだ。すまねえな」
そっけなく頭領は断った。
「そうですか……」ざあとらしくしゅんとして見せて、ニャルマーは調理場へと引っ込んでいく。
ざまあみろ、少し胸がすく思いがした。


それにしても誘うと決めてる相手ってえのは誰の事だろう?
疑問に思いながら再び廊下を歩み出した頭領についていっていると、不意に頭領が指をパチンと鳴らしてあっしらを呼び寄せた。
すかさずあっしと新米は頭領の目の前に躍り出て、「何なりと」と跪く。
「カラ公、オメーちっと俺様の晩酌に付き合え」
ニッと笑って頭領は言った。
「え、なんであっしなんざ」
戸惑ってあっしは尋ねる。
「頭領としてオメーに祝辞は言ったが、戦い方を伝授した師匠としちゃまだだからな。パーッと勝利を――あ、引き分けだったっけ……まあ、何にせよ目的達成出来た事を祝おうや」
「でも、あっしぁまだ勤務中ですし」
「隊長の方にはもうしっかり話は通してある。四の五の言わず大人しく付き合いやがれってんだ」
「は、はあ……」
肩を掴まれあっしは半ば強引に頭領に連れていかれる。
「あのあの、私は?」
置いてけぼりにされそうな新米が申し訳無さそうに伺う。
「ああ、オメーも自由時間!隊長にも言ってある」
言いながら頭領は桶からトックリを一本取り出して新米に押し付けた。
「適当に好きに過ごしてなよ。そうそう、ガキも寝かしつけてネズ公が暇そーにしてたぜ」
「ホント?んじゃ、お言葉に甘えさせてもらって、お先に失礼しますっ!」
新米は渡されたトックリ片手にウキウキを去っていった。
「いやあ、チョロイもんだ」
呆れたように呟いて、頭領はその背を見送った。


「ま、遠慮せず上がれよ」
そう手招かれた先はさほど広くないこじんまりとした和室だ。
「俺と嫁さん――先代の自室さ。普通なら入れるのは俺と先代と愛しのガキンチョ、それから隊長くらいなもんだぜ。有り難く思いな」
「そいつぁどうも……」
恐縮しながらあっしは敷居を跨ぎ、部屋の様子を何気なく見渡す。
先代さんの趣向なんだろうか。頭領から感じる派手なのが好きそうな印象に反して、室内は余計な物や豪華な装飾が無くすっきりさっぱりしたもんで、精々あるのは小さな火鉢が一つ、床の間にちょこんと置かれている綺麗に紅葉した盆栽、そのすぐ後ろに飾られた掛け軸――そこに描かれていた者の姿に、あっしは驚きのあまり絶句する。
「おっ、それに見入るとはお目が高いね、カラ公よ。綺麗だろう、まるで生き写しだぜ。
まだ先代が元気で存命だった頃、ドーブルの爺さんに描いて貰ったのさ」
漆のように気品と艶のある毛並み、エンジュで見たあの見事な紅葉を映したような紅色の瞳――確かに初めて見たなら度肝を抜かれる程の別嬪だ。
しかし、あっしは描かれているその姿に見覚えがあった。
頭領がいつも大事に持っている扇子を片手に柔らかく微かに微笑むその顔は、あの建物で見た隊長の素顔に瓜二つだった。


こりゃ一体どうなってやがるんだ?
「失礼を承知で変なこと伺いやすが、先代さんはもう亡くなられているんでやすよね?」
恐る恐るあっしは上機嫌に桶からトックリとオチョコを取り出す頭領に伺う。
「ああ、前に言わなかったっけ?子どもを産んですぐに、な。
元々、昔から体はあまり丈夫な方じゃなかったらしいが……。
ガキンチョにとっては勿論、俺にとってもこれからって時だったのによ」
ふぅ、と頭領は憂いを帯びた溜息を漏らす。
「おっと、いけねえ。ささやかだがオメーを祝う席なんだから湿っぽい話させんじゃねえや。ほら、さっさと飲め、飲め」
頭領は酒を注いだオチョコをあっしに押し付けるように渡す。
「乾杯だ」頭領はあっしのオチョコに自分のオチョコをこつんとぶつけてから、ぐいっと仰いだ。
それに続いてあっしも飲み干す。舌の上から喉の奥まで、独特なピリピリとした感覚と熱っぽさが走った。
「ほら、もう一杯」トックリを差し出され、あっしは「ありがとうございやす」とお酌を受ける。
「ところで、近衛隊長さんはいつからああやって仕えておられるんで?」
酒を注いで貰いながらあっしはそれとなく尋ねてみる。
「ん?先代の頃からずっとだよ。ガキの頃から先代の傍で一緒に育ってきたらしい。――しかし、何でまた、藪から棒に隊長の事なんて聞きたがんだ?まさかオメー、さては……」
眉間に皺を寄せて頭領はあっしの顔を覗きこむ。
ぎくり、と心臓が揺れた。まさか何か感付かれたんだろうか。
「隊長に惹かれでもしたか?」
ごぽ、とあっしは酒を吹き出しかける。


「いやいやいや、無い無い無い無い絶対それはありやせん、恐れ多い!」
首を横に振るい全力であっしは否定した。
頭領は苦笑し、「しぃー」と指を立ててあっしに声を潜めるようにジェスチャーする。
「言い忘れてた。ちょい、声は抑え目で頼む。すぐ隣の部屋で隊長がうちのガキンチョを寝かし付けてくれてるんだったわ」
「ありゃ、すいやせん……」
一息つくように頭領は空になったトックリの一本を桶に戻す。
「ま、さっきのはほんの冗談だ。一時期、俺も近衛の一員として先代に仕えていて、隊長の下で働いてた事あるから分かるよ。口うるせえし一々手厳しいし、いっつも歌舞伎の裏方みてーなあの頭巾と面でツラ隠しているし、苦手に感じたり奇妙にゃ思ってもそうそう惚れなんてしねーわな。あれはあれで、やさしーとこもあんだがよ。色々知らねえところで庇ってくれてたみてーだし……」
へへ、と頭領はどこか懐かしむように笑った。
あっしは誤魔化すように適当に相槌を打ちながら愛想笑いする。
その陰であっしはもう一度掛け軸をそっと見やった。先代さんは変わらぬ微笑を湛えている。
頭領の話が事実であるならば先代さんと隊長は同一人物ってわけじゃあ無さそうだ。
じゃあ、なんでこんなそっくりなんだ……?
隣の部屋に隊長もいるらしいとあっちゃそれ以上は頭領に根掘り葉掘り聞くわけにもいかず、――あっしの様子を妙だと怪しまれるかもしれねえし。頭領の勘や見る目は油断できねえ――あっしは悶々としながら頭領の晩酌兼あっしの近衛隊入り祝賀会に付き合った。


――「近衛として館での下働きぁその後もしばらくは順風満帆なもんでやした。たまにヘマしてお目玉を喰らう事もありはしやしたが……ま、それも今となっちゃあ在りし日の良い思い出ってヤツだぁな」
グラスをドンカラスは少し傾けて揺らし、溶け出した水に浮かぶ氷の塊達がカラコロとぶつかり揺れるのを遠い目で見つめる。
「少し気になったんだが」
ん?とドンカラスは帽子の鍔を上げエンペルトを見やる。
「いや、大したことじゃあない。ドンのその独特な訛りと言うか喋りかたって、その頃から染み付いていたんだなあって思って」
「う……」
慣れ親しんだ者からの改まった癖の指摘に、ドンカラスは少し照れ臭そうに言葉を詰まらせた。
「包み隠さず話した通りあっしゃ生まれも育ちもロクでもねえもんで。汚ねえ地を隠して相手に敬意を払った喋り方を仕様とするとどうしても影響されちまんでさ」
「それって何の?」
「あっしの元飼い主のロケット団員の野郎がよく見ていた極道モノや時代劇のビデオだよ。レンタル料が安いんだかそういう世界に憧れていたんだかしらねえが、ヤツぁそんなんばっかり借りて見てやがった。六畳一間のボロ部屋で、娯楽といやぁそれくらい。根深く刷り込まれちまってもしかたねえでしょう?」


なるほどな、とエンペルトは頷く。
それから、今でもドンカラスはたまにどこからくすねているのか定かでは無いが、そういった類のビデオを仕入れてきては観賞に耽っているなと思い返す。
ロケット団の事は嫌悪していても、元飼い主だというその団員個人に対しては悪態をつきながらも少しばかり懐かしむような思いでもあるのだろうか。
そんな風にふとエンペルトは考えたが、口に出すのはやめておいた。
「逃げ出したきりあの野郎のツラを二度と拝むこたぁ無かったが、今でもあの小汚ねえ部屋で相変わらず萎びた生活してやがんのかねぇ。それともロケット団が解散した時のゴタゴタでサツにでもとっ捕まって塀の中か……。ま、うだつの上がらねえヤツだったから碌でもねえ目にあってるのは間違いねえな、クカカ」――

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