第45章 - 20

――「んじゃ、次はそっちの鉤縄の手入れよろしくですー」
あっしは返事もせず小さく舌打ちして渋々言われた通りに取り掛かる。
慣れるまでの間、隊長の取り計らいであっしには先輩がひとり教育係として常に二人一組行動してくれる事となった。
初め聞いた時は一体どのお姉さまが手取り足取り教えてくれんのかとほんの少しばかり期待に胸を膨らませたもんだが……。
「返事は?し・ん・い・り君」
ひとりだけ先に休憩の茶を啜りながらヤツは言う。
あっしは無視しながら足の爪と翼と嘴とを駆使してほつれ掛けた縄を直していく。
「おやぁ、良いんですか?あんまり反抗的だと隊長に言いつけちゃいますよ。あなたの教育係として、新入り君」
あっしはギリと嘴を噛み鳴らし耐える。
「……へいへい、了解してます。新米――先輩さんよ」
「あー、何度聞いてもいい響きですー……」
うっとりとして新米は言葉を噛み締めるように頷く。
教育係として任命されてからという物ずっとこの調子だ。
何でよりにもよってこいつなのか。隊長曰く、教える立場にも立たせる事によってこの新米をより成長させる為みたいなこと言っていたが、面倒なのに面倒なのを押し付けただけに思えてならねえ。


「ほらほら、早く終わらせないと護衛の交代の時間が来ちゃいますよ」
「だったらオメーも、いや、先輩さんもちったぁ手伝ってくれたらどうですかねえ」
イライラとあっしは言う。
「雑用は一番新入りのお仕事ですよー。それに今から少しでも多くこなした方が早く慣れられますよ、きっと」
鼻歌混じりに爪の手入れをしながら新米は答える。
そういや試験の前にこいつが八百長を持ちかけてきた時、『後輩が出来たら私への負担が減って得』だとか何とか言ってやがったっけ。
こういうことかとあっしは思い出す。
扱き使われて、これじゃあロケット団のとこにいた時とやってることはさしてかわらねえ。
ただまあ少し違うとすれば、孵化してすぐに何の選択の余地も無くそう生きざるをえなかったわけじゃあなく自らで選んでこの道に入ったってのと、
「終わったぜ、先輩さんよ」
「ご苦労様。はい、労いに先輩がお茶とお菓子を奢っちゃいますよ」
「何が奢りだよ、隊の全員に支給されてるもんだろーが」
奴隷や道具のようにじゃあなく一応は対等な仲間の一員として扱ってもらえるって所か。


――「交代だよ、お疲れさん。食事の時間まで、しばらく好きに過ごしてきな」
午後を過ぎた頃、引き継ぎでやってきた先輩にそう労われ、長かった勤務時間がようやく終わった。
「はーい。あー、疲れたー」
新米は大げさにコキコキと肩を鳴らし、うーん、と大きく伸びをする。
まったく……雑用はほとんどあっしに押っ付けて、自分じゃ何もしてねえくせに……
「さーて、リフレッシュしに行きますか!あ、新入り君はどうします?」
どうせこいつは、ウキウキと畑作業?にでも行くつもりなんだろう。
「もし集落の方に行くんなら、一緒に連れて行ってあげてもいいですよ?何か、先生から聞いた話じゃ、子ども達があんたの来るのを楽しみにしてるみたいだし」
そう言われてグッと心が動いたが、まだ皆に大層な話ができる段階じゃねえ。
どうしようかと思いあぐねていた時、隊長が足早に庭を横切り、裏口から外へ出ていくのが見えた。
「ん?隊長も休憩か?にしても、あんな急いでどうしたってんだ?」
「ああ、それはきっと……」
言い掛けて、新米ははっと口を噤み、
「い、いえ、私にはさっぱり!じゃあ、また後でー!」
と急に慌てふためいた様子で、そそくさと走り去っていってしまった。
んだよ、気になるじゃねえか……それに、あのお役目第一の堅物が、一体どこ行くってんだ?
ふと興味にかられ、あっしは隊長の後を付けようと空に飛び上がった。
ぎりぎりまで高度を上げると、隊長の姿が真っ白い雪原に落ちた黒い点のように見え、それが物凄いスピードで移動しているのが分かる。
だが、いくら相手が精鋭中の精鋭とはいえ、所詮は地を這う生きモンに過ぎねえ。
上から見りゃ行先は一目瞭然だ。


屋敷を出た隊長は集落とはほぼ反対側、ほとんど人気のねえ北西方向へと進んで行く。
それを追っているうちに、あっしは何やら嫌な胸騒ぎがした。
その予感は的中し、案の定、隊長が向かっていたのは――あの、不気味な雰囲気の漂う、寺院のような建物だった。
あそこへ近付くのにゃどうも気が進まず、躊躇したが、ここまで来て引き返すのもシャクだ。
あっしはお化け屋敷にでも踏み込むような心持ちで、建物の屋根に舞い降りた。

隊長が呼び鈴を鳴らすと、覗き窓から管理者らしきニューラが顔を出し、内側から扉を開いた。
何故かそいつは、人間でいうところのマスクみてえに、口元を白い布で覆っている。
隊長はその管理者に連れられて外廊下を渡り、奥の一室に入っていった。
幸い、その部屋の天井付近に明かり取りの天窓があり、あっしはそこから恐る恐る中を覗き込む。
そして――今思や、本当に申し訳ねえ話だが――あっしは体中の羽毛が逆立つ程にゾッとした。
そこには、まだ子どもらしき小柄なニューラが一匹、布団の上に横たわっていた。
いや、それだけならどうというこたあねえが、尋常じゃねえのはその子の容姿だ。
重い病気に掛かっているというのは一目で分かった。
ミイラみてえに干乾びて骨と皮ばかりに痩せこけた体。地肌が見えるぐれえに薄く艶のねえ体毛。
げっそりと肉の削げた顔の中で眼だけが異様に大きく見え、薄暗い部屋の中でぎょろぎょろ光っていた。
しかもその子は、他のニューラに比べて赤い片耳が長かった。
つまり、それは……あっしがこの里に来て最初に目にした、オスのニューラの姿だった。


部屋へ入ると隊長は子どもに二言三言声を掛け、傍へ座って徐に覆面を取った。
その時、あっしは初めて隊長の素顔を目撃し、腰が抜けそうなほど驚いた。
――こ、こりゃあ……すげえ別嬪じゃねえか……!
ニューラ族自体、見た目じゃポケモンの中でも上位に入る種族だが、その中でも恐らく別格だろう。
異種族のあっしから見ても、その容貌が際立っているのがよく分かる。
普段なら思わず浮き足立っちまうところだが、そん時は到底そんな気分にゃなれなかった。
薄暗い室内で寄り添う、美女と異様な子どもの取り合せが、いかにも奇妙に見えた。
だが、始めに受けた衝撃が薄らいでいくにつれ、あっしはそんな風に思っちまった自分に後悔した。
恐らく見舞いの品だろうか、隊長は木の実や菓子などを取り出して枕元に並べた。
子どもは甘えるように隊長の膝に縋り付き、隊長はそっとその頭を撫でる。
その優しげな笑顔は、あの杓子定規なガチガチの石頭だとはとても信じられねえ。
部下は勿論、頭領にも、いや、あの子ニューラにすらも見せねえような細やかな態度だった。
それがあっしには、何故だかどうにも遣り切れねえもんに感じられ、胸が詰まるような思いがした。
二匹はそうやってしばらく語り合っていたが、やがて、管理者がやってきて何やら声を掛ける。
途端に隊長は悲しそうに溜息を吐き、子どもをそっと抱き締めながら宥めるように何か囁いた。
やがて隊長は思い切るように立ち上がり、再び覆面を巻くと、目を伏せたまま表へ出る。
その後を追うように子どもは寝床から這い出し、壁に掴まりながらよろよろと立ち上がった。
去っていく隊長の後ろ姿を見送り、手を振りながら、子どもはその背中に声を掛ける。
それはか細い、掠れた声だったが、その子は確かにこう言った。


は――?あっしは一瞬耳を疑う。
同時、少し身を思わず乗り出しちまった拍子に積もり固まった雪が屋根から地面に砕け落ち、ぼたぼたと物音を立てる。
しまった――あっしは天窓から素早く顔を離し、言葉の意味を考える暇もねえまま一目散にその建物から飛び去って逃げた。
驚きやら何やら、見ちゃいけねえもんを見たような気がして逃げずにゃあいられなかった。

息を切らして詰め所まで帰ってきたあっしに先に戻っていた新米は不思議そうな顔をした。
「どうしたんです、そんな慌てて。まだ時間にはぎりぎりってわけでも無いですけど」
尋ねる新米にあっしは何でもねえと首を振るう。
「ははん、さては盗み食いか……それとも覗きでも?」
どきり、と心臓が跳ねる。
あっしはそれを表情に出さないよう大きく呆れる風を装って一息吐き、
「オメーさんじゃあるまいしするかよ、んなこと。ちょっとばかし訓練がてら空を飛び回ってきただけだよ」
そんな風に誤魔化した。
「ふうん、真面目ですこと」
新米は退屈そうに納得して、座布団に座り込んだ。
とりあえず一息ついたのも束の間、背後の扉が勢いよく開けられた。
ひ、とあっしは微かに息を呑み、恐る恐る扉の方へと振り返る。
そこには危惧したとおり、いつもの頭巾姿の隊長が立っていた。


覗いていたのがバレて追ってきたんだろうか。
どんな表情をしているのか口の形も目の色も顔にかかった黒い幕越しじゃ一切わからねえ。
ただただ立ち竦んで隊長の次の行動を待った。
「ご苦労」
ただそう一言労って、隊長はあっしの横を何の気なしと言った様子で通り過ぎた。
へ?拍子抜けして、あっしはその背中を目で追う。
「あ、隊長おかえりなさい」
新米に手馴れた様子で座布団を差し出され、「うむ」と隊長は座った。
「おい、お前」
そう隊長に声をかけられ、再びあっしは緊張の糸をびんと引っ張られる。
「へ、へい」
おっかなびっくり返事をして、あっしは隊長の方に振り向く。
「何をそこで突っ立っている?こっちへ来て座ればどうだ」
言われるまま、あっしは覚悟して隊長の向かい側へと座る。
やはりなにかお咎めを?ハラハラと少し目線を下に様子をちらちら窺った。
隊長は依然として頭巾も黒幕の布面すらずっと取らないままただ黙ってじっと正座している。
新米はそんな隊長の様子を不審がるでも緊張するでもなく、普段通りに爪を弄ったり毛並みを整えたり脱いだ自分の頭巾に付いた塵をパタパタ払ったりと適当に過ごし、あっしだけが表に出さないようにしつつ内心は気が気じゃねえ状態で時が平穏無事に過ぎるのを待っていた。


「新入り」
「は、はひ!」
不意にまた隊長に呼ばれ、素っ頓狂な声であっしは応じる。
「どうした、そんなに声を裏返らせて」
「い、いやぁ。何かしでかしまってお叱りでもあんのかなー、と……」
怪訝そうに首を少し傾げる隊長に、あくまで直接触れないように遠回しにあっしは言った。
「別に、叱るつもりも必要も無い。寧ろその逆だ」
「へ?」
「入ったばかりのわりには、お前はうまく務めをこなしている。と、言いたかった」
お叱りとは真逆、予想外の突然なお褒めらしき言葉に、あっしは豆鉄砲でも食らったみてえに口を半開きのまま思考と動きが止まった。
「……それとも何か後ろ暗い事でも?」
「いやいや、そんな滅相もねえ。まだまだ慣れてねえもんだから、知らない内に何か粗相でもしちまったかななんて思っただけでやして、へへ」
慌てて首を横に振って、あっしはそう言い繕った。
「ならばいい」
そう言って、隊長は何事も無かったようにそれきり黙る。
覗いていたのは悟られずにすんでいた……のか?
まだ少し半信半疑ながらひとまずあっしは胸を撫で下ろした。


「時間だな」
隊長はぽつりと呟くとすっくと立ち上がり、部屋をひとり出て行こうとする。
「ありゃ、そろそろ隊の皆さんで食事の時間じゃあ無いんで?」
疑問に思ってあっしが聞くと、隊長は振り向きもせずに言う。
「若君の御付きに行かねばならない。気にせず食事は先に済ませておけ。私は後で別にとる」
そっと扉を閉め、隊長は部屋を去っていった。
「……なあ、隊長っていっつもあんな感じなのか」
しばらく間を置いてから、あっしはすっかりだらけきって座布団を枕に寝転がる新米に尋ねた。
「そーですよ。何か変でした?」
「いや、休憩に来たみてえなのにずぅっと頭巾取らねえしよ。何かあるのかと思って」
よっこいしょと新米は起き上がり、
「やっぱり気になります?」
ずいと机に身を乗り出しニッと口元を歪めてあっしに聞き返してきた。
「お、おう」
少し引き気味にあっしは頷く。
新米はおもむろに立ち上がり、部屋の外を静かに見回してからいそいそと再び席に戻ってきた。
「私はもうすっかり慣れちゃいましたけど新入り君は不思議に思っちゃいますよね、隊長が頭巾全然取らないの。あの通り休憩中も外さないし、いつも食事も水浴びも別で、取った姿は私も見たこと無いんですよ」


「……何でそんな頑なに人前で取ろうとしねえんだ?」
「さあ?そんなの私が知りたいくらいですー。先輩達や女中さん達を探ってみても殆どみんな知らないし、失礼でしょって怒られるし……」
他の館の者達にまで素顔は見せていないのか……。余程の理由がありそうだ。
「やっぱり何かひとに見せられないような傷があるとかですかね?それともとっても変なお顔とか、逆にすごい美形とかー?だったら隠してる意味わかんないしなー……」
あれこれと考えを述べる新米を他所に、あっしはあの寺院みたいな建物での出来事を思い出していた。
光の殆ど差さない薄暗い中、それも真正面から堂々見ることが出来たわけじゃねえとはいえ、隊長の面に別に隠したいような目立った傷なんてあるようには見えなかった。
造りだって不細工どころか、どこに晒したって恥ずかしかねえ美形だ。
「ちょっとー。自分から話題をふっておいて何黙り込んでいるんですかー」
「え、ああ、いやなんでもねえよ。いい加減腹が減ってボーっとしてきただけだ」
咄嗟にあっしは誤魔化して言う。
「あー、それもそうですねー。先輩達もそろそろ戻ってくると思うんですけど」
どんな事情があるかまではわからなかったが、一介の近衛隊新入りでしかねえ上に元は余所者のあっしが、隊長の素顔や寺院での事――同僚達にすらひた隠す隊長が唯一顔を晒していたあの奇妙な子ども――を見たのを知られたり大っぴらに言っちゃ面倒な事になりそうだとは少なくとも感じ取れた。

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