第45章 - 19

「えっ……な、なな、何の事ですかっ!?」
突然、新米はぎょっとしたように目を見開き、ふと攻撃の手が鈍る。
「ま、訳アリのコブ付きだが、少なくとも今は独り身だ。幸い趣味も合いそうだし、ひとつ後釜でも狙ってみちゃどうだ?」
そう言いながら、あっしは意味有りげにちらりとマフラー野郎の方を見遣った。
自分で言うのもなんだが、この手の冷やかしに関しちゃかなりの自信がある。
(うん、そうだね、とエンペルトが深く頷く)
そういう意味じゃ、相手がこの軽率な新米だったのはラッキーだったかもしれねえ。
「ちょ、ちょちょっと、ここんな時に、み、みんなの前でい、いい、一体何なんですかあああっ!そそそそそんなんじゃないって、前にもい、いい言ったじゃないですかあああああーーーーーーっ!!」
新米は明らかに動揺し、黒い毛並みの上からでも、みるみる顔が真っ赤に染まっていくのが分かる。
あっしの予想通り、もう周知の事実なのか、近衛隊の覆面達は隊長に見られねえよう顔を見合わせてクスクス含み笑いする。
頭領も肩を震わせながら、扇子の下で忍び笑いを漏らしている。
もっとも、当の本人だけは、全く訳が分からねえ様子でキョトンとしていたが。
手が完全に止まったのを見計らい、今度はあっしが仕込み羽を放つ。
新米はハッとして我に返り、どうにかスレスレで体をかわす。
「よくも純情な乙女を騙してくれましたね!もー絶っっっ対に許さないですからっ!」
完璧に頭に血が上ったように新米は腕を振り上げ、怒りに任せて氷の礫を投げ付ける。
あっしはそれを避けながら、仕込み羽を次々と飛ばす。
「そっちこそ、ちーっとも当たらないじゃないですか!折角の”はがねのつばさ”も無駄撃ちですかぁ?!」
新米は挑発するように叫ぶが、こちとら始めから当てるつもりはねえ。その目的は別にあった。
――やがて、最後の一本を投げ終えた時、あっしは体が急激に軽くなったのを感じた。


準備は整った。後はどう目を欺いて仕掛けるか、だ。
あっしは翼の内側にそれとなく視線をやり全部投げきっちまったことを新米に勘付かせるようにわざと振る舞った。
新米はにやりと口元に薄笑いを浮かべ、雪混じりの地面を蹴って矢のような速さで向かって来る。
また飛び上がられて面倒な事になる前にさっさと仕留めちまおうってことだろう。
まんまと手の平の上で踊らされてるとも知らずにだ。
あっしは息を大きく吸い込んで、思い切り吐き出す。
喉の奥から嘴を通って勢いよく噴出される真っ黒な煙。
新米は吃驚した様子で片足でブレーキをかけ、毒ガスとでも思ったか咄嗟に口元を押さえて飛び退いた。
煙は墨が水に溶けるように空気を侵食してあっという間に辺りを黒く染めていく。
どよめく観客。
「うろたえるな、煙自体に害はねえ」
そう頭領が鎮めた。
「煙幕――?」
視界を奪われた新米は立ち止まってきょろきょろと周りを見回す。
だが、あっしの目からはそんな様子も丸見えだ。


翼をくいくいと動かしてみて具合をちょいと確かめてから、あっしは宙へと飛び上がり体勢を整える。
最早頭の中でわざわざ流れを意識する必要もなく体は自然に動いた。
磨き抜いた切り札、ドリルくちばし。あっしは新米目掛けて体を回転させながら突撃する。
ざくりと嘴に鈍い感触。ひやりと冷たい。
嘴を引き抜いた瞬間、新米に見えたそれは雪の塊と化してぱらぱらと崩れた。
「かかりましたね!」
直後、声を張り上げ、身代わりの陰から新米が飛び掛ってくる。
まんまと誘き寄せてあっしの位置をつかむことができた。
これで勝ちだ、そう確信してやがることだろう。
「ああ、かかったな」
ポツリとあっしは呟く。完全に想定内だ。
何せ頭領との手合わせでボロ負けした時とほぼ同じ局面なんだから。
当然、対策は用意してある。最後の最後の隠し球――!
あっしは翼をぐいと手前に引っ張るように動かした。
途端、新米は足に何かを引っ掛けたように体勢を崩す。
あっしは倒れ掛かってくる新米の体をひょいと避け、更に強く翼で引っ張る。
地面に刺さっていた何本かの仕込み羽が勢いよく引っこ抜けて飛び上がった。


霧が徐々に晴れ、あっしと新人の様子があっし以外の目にも晒される。
どよめく観衆達。
傍から見れば立ち上がる途中の地に片膝と片手を付いた姿勢のまま金縛りにでもあったみてえにギシギシと身じろぎしてうまく動けねえでいる新人と、その全身のあちこちに何かで固定されたようにピタリとくっ付いたままでいる仕込み羽はとても奇妙に映った事だろう。
超能力やら催眠術やらそんな大層なモンじゃあねえ。
種も仕掛けもちゃんとあるチャチな代物だ。
ちょうど谷間から広場へと日の光が差し込み、無数のか細い光の筋が新人の体の周りと、幾つか地面に深く刺さったままの仕込み羽と、あっしの翼の内側とを線で結ぶように煌く。
その光の正体は仕込み羽と同じように店主に無理言って譲ってもらった品の一つ。
アリアドスの糸だかキャタピーの糸だかメリープの羊毛だか、 詳しく覚えちゃいねえが諸々を合わせて加工した特製の糸だ。
「ま、そーだな……これも”フェザーダンス”だか、フェザータンゴだかいう名前の立派な鳥ポケモンの技の一つっつーことでここはひとつ」
緩めねえようにきりきりと糸に力をかけながらあっしは隊長に嘯いた。
新人への挑発と、ばら撒く様に次々放り投げた仕込み羽は、何もただいたずらに場を掻き乱すためだけにやっていたわけじゃあねえ。
糸を括りつけた仕込み羽を気付かれねえように張り巡らせるが為。
黒い霧は駄目押しの目眩まし。ドリルくちばしはそのまま決まれば御の字、本懐は糸を幾らか巻き戻して繰りやすいように。全てはこの瞬間への布石って奴よ。
間違いなく勝った。あっしの勝ちだ。


「下手に動くなよ。あっしがちょちょいと操りゃ、纏わり付いた刃が全身をズタズタにするぜ」
余裕綽々で言ってやると、新米は眉間に皺を寄せてギリと悔しげに地に着いたままの片手で地を引っ掻いた。
「隊長さん、いや審判!こりゃ勝負ありだろ?勝者は俺様――」
言いながら振り向きかけて、首下に何か冷やりとした物を感じる。
ぎくりとして恐る恐る目だけ下に向けてみると、地面から数本の鋭い氷が霜柱みてえに――元は地面に突き立っていた氷の礫だろうか――あっしに先端を向けて伸びていた。
「そっちこそ下手に動かない方がいいかと。私が少ーし伝える冷気を強めたら串刺しですから」
優しくそれがまた不気味な調子で新米は言った。
いつの間に……さっき悔し紛れに地面を引っ掻いたように見えた時……?
こいつもこいつで、完全に乗せられた振りしてあっしを追い詰める策を練ってやがった……?
勝ったと思ったのが一転、あっしも新米も動けねえ膠着状態だ。
「……両者、そこまでだ。技を解け」
隊長の声が響く。
言われるがままあっしは糸を解き、新米が爪を地面から抜きさると鋭い氷は崩れ落ちた。
「この勝負、引き分けとする」
勝ってたってのに、後一歩だったってのに――告げられた勝敗の結果が残酷に胸を打つ。
負けはしなかった。だが、勝てなかった。これじゃあ試験はどうなる?近衛隊入りは?
「実力の程は見せてもらった。これにて試験は終える。
合否の結果は後日、頭領様やご老公との協議の後――」
後日?協議?心臓がバクバク、口から飛び出そうなほど跳ねる。
頭の中はたったの一瞬油断した事への後悔や、不安でぐるぐるもう何が何だかわからねえ。
「待てぃ」唐突にまた入る頭領の横槍。


「はっ」言いかけた言葉を止め、隊長は頭領の方へと向き直って跪く。
視線が一斉に頭領の方へと集った。
「まずは両者の闘いぶりを讃え様じゃあねえか。いやはや、天晴れ、お見事。実に楽しませてもらった、ヒャッハッハ!」
機嫌よく広げた扇子をひらひらさせながら頭領は笑った。
「は、はいっ。お褒めいただきありがたき幸せ、です」
畏まった様子で礼をして、新人は跪く。
胸が騒ぎに騒いでどうしようもねえ中、何とか抑えてあっしもそれに倣った。
「まだまだそそっかしい新米とはいえ、過酷な訓練と厳しい試験の目を乗り越えて選りすぐられたこいつをここまで追い詰めるたぁ大したもんさ。ろくな技一つ使えなかった殆どシロウトみてえのが短期間でここまでよォ。なあ、隊長?」
閉じた扇子を顎に当て、頭領は隊長に話を振る。
一瞬だけ間を置いて、隊長は「はい」と答えた。
「今後また実戦つんで成長する事を加味すりゃ、申し分無しだろうよ。つーわけで、後日の協議なんざいらねーよ。さっさとこの場で決めちまおう」
「しかし、一応はご老公方のご意向を……」
「いらねえいらねえ。実際にこいつの実力を見ていなかった奴らと何話合えってんだ。仮にこのカラ公が新米を完膚なきまでに目の前で叩きのめしたって、何かと理由つけて首を縦に振りはしねえよ。後はおめえの納得、判断だけさ隊長。おめえが先に言い出したんだぜ。最低限足手まといにならねえで共に戦える力があると、この目でしかと見るまで入隊は決して許さねえ、ってよ。さて、如何に?意地張りと私情は抜きで正直に。おめえの目にはこいつはどう映る?」
扇子の先で頭領は隊長を指し示す。
暫しの沈黙の後に隊長は観念したように面隠しの黒幕の向こうで小さく息を吐いた。
「……荒削りではございますが。最低限の力は満たしていると言えるかと」
隊長の言を聞き、頭領は勝ち誇ったように扇子を広げて掲げる。
「んっ!というわけでカラ公……合格!」


かくしてあっしは近衛隊入りを少し異例な形ながら認められた。
任命式が執り行なわれるのは屋敷の謁見の間。
頭領は「面倒だからそれも省略」としようとしたが隊長もさすがにそこまでは譲らず、仕方なしに渋々と言った様子で式の用意をさせていた。
あっしはずっと上の空で呆けていた。試合での疲れもあったが、追い詰められて已む無しじゃあなく全力で戦った事も、大勢から注目や歓声を浴びる事なんざ初めてでどこか現実味が無かったのさ。
「――つーわけで、ヤミカラス。お前を近衛に任命する」
ずいと何かを目の前に差し出され、あっしはハッとしてそれを受け取る。
渡された物は黒い頭巾と、先の方に向かって少し湾曲した何かの歯か牙のようなものが一つ革紐に取り付けられた簡素な首飾りだ。
「――っと、へい。ありがたき幸せ」
それらを丁寧に脇に置いて、あっしは謁見の間の畳に跪く。
「何だよ、ぼうっとしてやがって。折角この俺が頭領らしく珍しく真面目に長々と口上をたれてやったってのにろくに聞いてやがらなかったな?」
頭領は閉じた扇子であっしの嘴をこつんと叩く。


「す、すいやせん」
両脇に並ぶ近衛隊達の片方、新米が居た辺りからくすくすと笑い声が聞こえた。
「本当はご老体方のそれはそれはありがたいお言葉もあるはずなんだが、来てねえしどうでもいいだろう。これにて堅っ苦しい任命式は終わり! 後の説明だの何だのの話はしっかり隊長に聞いておくように。じゃ、後頼んだ隊長」
「はっ」
応じる隊長に向かって頭領はひらひらと片手を振るい、気だるげに伸びと欠伸をしながら謁見の間を先に去っていった。
頼れる時は頼れるが、普段はのらりくらりと大雑把なひとだった。
だからこそ奇妙な魅力を感じてあってあっしも含め多くには慕われていたが、反面老いぼれ達みたいな頭が固いのにはひどく嫌われているのも頷けた。
傍で仕えていくのに退屈はしないだろうが、気苦労は常に絶えないことだろう。
その日だけで何度聞いたことかわからない隊長の小さなため息がそれを物語る。
「ひとまず場所を移す。付いて来い新入り」
「へい」と返事をして言われるままあっしは隊長と近衛隊の面々、先輩方の後にあっしは続いていった。


いつもの長く曲がりくねった薄暗い廊下を通り、辿り着いたその一室。
「ここが我々の詰め所だ」
そう隊長は言って、木の引き戸を開きあっしを通す。
先輩方がそれぞれの定位置に頭巾を外しながらぞろぞろと先に向かっていく中、あっしは入り口からざっと室内を見回す。
何だか思っていたよりも随分と地味で質素な部屋だ。近衛隊なんて大層げな響きの役職だし、ガキ共から羨望の眼差しを向けられていたもんだから、もうちょっと華やかなもんを想像していた。
あるのは畳みの上にでんと置かれた中くらいの古ぼけた机が一つと周りに座布団が幾つか。
整然と戦闘用の道具が並べられた棚と、食糧が備蓄されている戸棚や壷。
部屋の隅の方に均等に並んで敷かれた簡素な寝具が数点。必要最低限。
娯楽や飾り気なんてそこには一切無い。
「想像よりもみすぼらしくて失望でもしたか?」
ぴしゃりと木戸を閉めて、隊長はあっしに尋ねた。
「いやいや決してそんなこたぁ……」
ぎくりとしながらもあっしは首を横に振って否定する。
隊長は見透かしたように頭巾の面越しにフンと鼻を鳴らした。
「そこの新米を最初に案内した時も同じ顔をしていたものでな。
所詮我々は頭領様や若君の影として仕える身。傍からどう映るのかは知らないが、華やかさなどからは程遠いものと心得ておけ」
「……へい、どうもすいやせん」
早速のお叱りにあっしは頭を下げる。
何だかいきなり出鼻を挫かれた気分だ。とほほ、と心の中で嘆息する。


隊長によりあっしは改めて近衛の面々に紹介され、「よろしくお願いしやす」と頭を下げて粛々と挨拶をした。
「まあまあ、そんな畏まらなくてもいいってー。とりあえず座りなよ」
先輩のひとりが気さくに微笑んで座布団を勧めてくれる。
普段あの黒い頭巾と布の面で顔を覆い隠して寡黙に頭領達の傍に仕えている時の不気味で威圧的な雰囲気とはまるで正反対だ。
ちょっと気恥ずかしく礼を言いつつあっしは座布団に腰を下ろした。
あっしは座って少し気が落ち着いたついでにそっと先輩方を見回す。
隣に座る新米を除き恐らくどれも初めて見る顔ばかりだ。
頭巾姿でならどこかで何度か会ってはいるんだろうが。
隊長だけは顔を隠したまま頭巾も面も外す気配は無く、あっしに近衛隊の仕事についてを淡々と説明し始めた。
この前のような”狩り”が無い時は、陰ながら頭領や若君を見守って、何か御用に呼ばれたり何か危険が迫れば即座に飛び出すのがもっぱらの仕事。
傍で頭領達に仕えるのは数人毎に交代で、自分の番が来るまではこの部屋で仮眠なり食事なり取っていつでも万全の調子を整えておけとのことだ。
任務の内容もこの部屋を見たときの印象と同じく、聞いただけでは想像よりずっと地味で退屈そうに感じてしまった。
まあ、それはあくまで見守り仕える対象が相応の立場らしく気品と落ち着きがある者だった場合に限る話であると後から思い知る事になるんだが……。

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