第45章 - 15

「――う、うわあああ!」
出し切れなかった悲鳴の続きを上げて、あっしは分けも分からず飛び上がるように目覚めた。
荒れた呼吸を整えながら周りを見ると、驚いた様子で目を丸くするせんせと目が合う。
傍らの畳の上には桶が置かれ、片手には絞りかけで水が滴る手拭いが握られていた。
「はー、びっくりした。おはようございますー、カラスさん」
胸を撫で下ろして、せんせは目を細めて優しく微笑んだ。
「え、せんせ……?ここは、なんで……?」
混乱しながらあっしは尋ねる。
「無事に目覚められたようでよかったー……。女中さん達もお忙しくて手が空かないし、子ども達も若様と遊びに行ってしまったので、ちょうど手の空いていた私が介抱を引き受けたんです。気を失ったカラスさんを近衛隊の方が担いで帰って時は心配しちゃいましたー」
ああ、そうか。あっしはあのデブっちょのベロベロ野郎に舌でぶん殴られて、そのまま無様に気を失っちまったんだ。
「頭領さん達は?」
「任務の成果と、今後についての会議をされているみたいですよー。始まって結構経つから、そろそろ終わる頃じゃないかしらー?」
せんせがそう言うと、廊下の方からずかずかと足音が近付いてきて、部屋の襖が勢いよく開かれた。
「おう、目え覚ましてたか」
あっしの顔を見て、頭領は少し安心した様子で言った。


「様子ぁどうだ。頭打って記憶ぶっ飛んだり馬鹿になっちゃいねえよな?」
あっしの傍に頭領はどすんと座り込んでせんせに尋ねる。
「大丈夫そうですよー。あ、桶のお水が少し温くなってきたので換えに行って来ますねー」
「悪ぃな、そうしてくれ」
頭領に会釈してせんせは桶を抱えそっと部屋を出て行った。
ふたりだけになって、あっしは視線を気まずく泳がせる。
やっぱりあっしがヘマした事をどやしに来たんだろうか。
無理矢理連れて行かれたとはいえ足を引っ張っちまったのは事実だ。
言葉の弾を込めるように頭領が深く息を吸う。
さあ、これから一体どんなカミナリが飛んでくるのか、あっしはぐっと嘴を噛み締めて覚悟した。
「……今回はすまなかったなカラ公」
しかし、頭領の口から飛び出したのはばつが悪そうな謝罪の言葉だった。
「はえ?」
予想外すぎて、あっしは思わず素っ頓狂な声で聞き返す。
「隊長にこってり絞られちまってよぉ……ホント気が強ぇとこまでアイツに良く似てやがる――。
実力も分からぬ余所者を急に実戦に組み込むなどやはり無理があったんだってそりゃもうお冠だ。
ネズミが連れてきた奴だし、そこそこ出来そうに見えたんだが――」


はぁ、と頭領は疲れ果てた様子で溜息をつく。
「その、すいやせん……」
「オメーが謝るような事じゃあねえ。全部俺の判断ミスさ」
「あっしが倒れてから、任務の方はどうなって……?」
「ちと面倒をしたが、問題なく終わったよ。
奴らから幾らか今後の方針となるような手がかりも得られたし、オメーは何も心配しなくていいぜ。
俺ももうオメーを無理矢理連れ出すような真似はしないからよ。
そもそも隊長がそんなこと許さねえだろうしな」
よっ、と頭領は重い腰を上げる。
「オメーの怪我が大ごとじゃないのが確認できてよかった。後はまあ俺達の方で何とかするから、オメーは気にせずゆっくり養生してな」
そう優しく言い残し、頭領は部屋を去った。
しんと静まり返る部屋にあっしはひとりぽつんと取り残される。
期待を裏切っちまった、のか――。
勝手にかけられていたものとはいえ、下手に怒鳴られるよりもよっぽど胸に堪えるものがあった。


しばらく打ちひしがれて愕然とした後、途方に暮れて嘆息を漏らした。
どうすっかな、これから……。
布団に仰向けに倒れこんで、天井を眺めながら考える。
やっぱりあっしにゃあ荷が重かったじゃねえか。
だのに、あの頭領と来たらあっしに勝手に期待して、勝手にひっぱり連れて行って、挙句の果てに勝手に失望してくれやがって。
ちぇ、と掛け布団の端を悔し紛れに蹴飛ばす。
無茶な斜面降りに重荷をぶら下げての強引な飛行、仕舞いには馬鹿でけえ舌にぶん殴られるは、随分とまあ無駄におっかねえ目に合わされたもんだ。
もうあんなの、こっちからありがたく願い下げだってんだ。
……だが、人間共を追い立てた時、あのえばり腐ってた団員共があっしの姿を見て情けねえ声を上げてびびってるのを見た瞬間にわいて来た、あの妙な自信と手応え――。
トントン、と不意に襖を叩く音がした。
「は、はひ!?」
まさか頭領が何か言い忘れて戻ってきたのか、たまげたあっしは飛び起きながら素っ頓狂な声でノックに答える。
「……?どうしましたー?」
襖を開けて現れたのは、頭領じゃなく桶を抱えたせんせだった。
畏まって座るあっしの姿に怪訝な顔で首を傾げる。


「なんだ、せんせか……」
あっしはホッと胸を撫で下ろして、座る体勢を崩した。
「頭領様はもう行かれたみたいですねー。次の任務のお話だったのかしら?また色々はりきって皆さんが準備している近衛隊の方々を帰りがけに見かけましたからー」
「あ、ああ、まあ、そんなところさ」
せんせの問い掛けにあっしは目を逸らしがちに答えた。
「お怪我為されたばかりなのに、また近い内に出発だなんて、大変ですねー……」
少し心配そうにせんせは言う。
「え?いや、あっしはしばらく休んで、怪我の様子を見ておくよう言われたのさ。
全く、俺様は大丈夫だってえのによぉ。はええとこ大丈夫だって照明して、復帰しねえとな、クハハ……」
実質クビを言い渡されたみてえなもんだってのに。
何となく言い出しづらくて、強がりの嘘をべらべらと勝手に口がのたまう。
「あら、そうなんですかー」
うーん、と何か考えるようにせんせは自分の頬に手を置く。
まさか嘘だと感づかれているんだろうか。
あっしは苦しい笑顔を取り繕いながら内心冷や冷やとする。
「あのー」
「は、はい!」
びくりとあっしは返事をする。
「折角のお休みをお邪魔するみたいで申し訳ないんですけど、よろしかったらお暇な時にでも寺子屋に遊びに来て頂けませんかー?
子ども達、近衛隊のお仕事とお話に興味津々みたいなんですー。みんなカラスさんにはもう慣れているみたいだし、きっと喜ぶわー」


にっこり微笑むせんせに対して躊躇いを感じながらも、あっしは慌てて首を左右に振った。
「い、いいや……近衛隊のお仕事なんっつっても……入ったばっかでこのザマだからよぉ。あいつらに聞かせられるような話なんて、何も……何にもねえよ……」
ガキ共のあどけない笑顔を思い浮かべ、あっしは余計に罪悪感に苛まれた。
だが、あいつらの期待になんて応えられねえ。適当に取り繕っても、いずれはボロが出て失望されるのがオチだ。
「そうですかー……」
せんせは残念そうに肩を落として項垂れ、部屋中に何となく気まずい空気が流れる。
どうにも落ち着かなくなり、この場をどう乗り切ろうか考えていた時、不意にせんせが顔を上げた。
「……ひょっとしてカラスさん、気になさってるんですかー?」
「えっ?……な、な、何を?!」
不安そうに覗き込むせんせの顔がすぐ目の前まで近付き、あっしは思わずドギマギした。
「あなたが、元はロケット団のポケモンだった事です。子ども達のほとんどは、ロケット団によって連れ去られたり、親を奪われたりしてますから、それを心苦しく思っているんじゃないかと思ってー……」
幸い、せんせの心配は見当外れなもんだったが、そう言われて、あっしはハッとする思いだった。
ガキ共の無邪気な様子につい忘れそうになるが、あいつらにしてみりゃロケット団は憎むべき仇だ。
そして、理由はどうあれ、あっしは奴らの片棒担ぎをやってたみてえなもんだ。
「……あいつらも、知ってるのか?」
「ええ、ここへ来るまでの事を、ネズミさんが皆に話してましたからー」
あのお節介野郎、どうせまたいらねえ事をべらべらと……あっしは心の中で舌打ちした。
「でも、誰もあなたを悪く思ったりしませんよー。ネズミさん達が助かったのはあなたのおかげだって言うし、あなたが本当に悪い方だったら、子ども達があんな風に懐くはずありませんものー。だってカラスさん、あなた自身が望んでロケット団に居た訳ではないでしょうー?」


「ああ、そんなん当たり前じゃねえか。そうなっちまったのも、たまたま奴らの組織で生まれちまったせいだ。でなきゃ、誰が好き好んで、あんな悪党共の手先んなってコキ使われるかってんだ……!」
吐き捨てるようなあっしの言葉を、全て受け止めるようにせんせは深く頷く。
「よく分かります、その気持ち。私も、似たようなものですから……いいえ、同情なんかじゃありません。下手に同情される事がどれだけ傷付くか……私自身、よく知っていますー」
せんせは訴え掛けるような真摯な表情で、真っ直ぐにあっしと向き合った。
「……私の家族は皆、幼い頃に亡くなって、残された私も虚弱ですぐ具合が悪くなり、何度も命に関わる病を患いました。面倒を見てくれた集落の方々に迷惑を掛ける度、どうして皆みたいに普通に暮らす事ができないんだろう、どうして自分が“呪い”を受けなきゃならなかったんだろう、って……これでも、昔は随分悩んだんですよー」
確かに、ニューラしかいねえこの閉ざされた世界で、ちょっと走っただけでぶっ倒れちまうようなか弱い体を抱え、せんせがどんだけ肩身の狭え思いで生きてきたのか、想像するにゃ難くねえ。
「だから、先代様と頭領様から、救った子ども達の世話をして欲しい、と言われた時、最初はひどく戸惑いました。
非力で技もろくに使えない、ただの厄介者でしかない自分に、そんな大事が勤まる訳がない、と思いました。
でも、やはり御体の弱かった先代様から『他人の痛みの分からない者には任せる事はできない』と言われて……
それで、目からウロコが落ちたんですー。本当は自分にも、いえ、自分にしか出来ない事があるのに、
他と違うから、他より劣ってるから、って、何もせずに悲観ばかりして、諦めていただけだったんだってー」
そう一気に言い終ると、急にせんせは恐縮するように肩を竦め、ぺこりと頭を下げた。
「あ……ごめんなさい、ついどうでもいい話をしてしまってー。私の事は関係ないですねー」
「……いいや、そんな事ぁねえよ……」
お義理や世辞なんかではなく、あっしは本心からそう答えた。
せんせの話を聞くうちに、あっしの中に凝り固まっていた、擦れて捻じくれた黒い感情はいつの間にか氷解し、妙に澄み切った、素直な心持ちだけが残っていた。


一息吸って、決意を込めてあっしは立ち上がる。
「少し用事を思い出した。……ガキ共には暇見つけてその内行くって言っといてくれ」
「はい、ありがとうございます。私もその時を楽しみに待ってますねー」
少しはにかんで、せんせは言った。
「お、おう」
ぎこちなく羽を振って、あっしは部屋を後にする。
向かうべきは一つ。足に力を入れて廊下を歩む。

「――んで、使い物になるまで鍛え上げて欲しいってか?」
「……へい」
謁見の間の畳に頭を擦り付けるような格好のままあっしは答えた。
頭領は肘置きに体を預けた格好のまま片手で扇子をくるくるさせながらうーんと唸る。
ひとしきり考えた後、頭領はぱんぱんと手を鳴らし「おい」と声を上げた。
すればすぐさま隊長が天井裏から頭領の背後へと降り立ち、
「御呼びでしょうか」と跪く。
「おうよ。ちょいと相談がな――」
頭領は隊長を招き寄せて耳打ちする。


「……成る程」
「修練所の席空いてたっけな?」
「充分とは申し難いかと。異種族への指導は件の子ども一名がいるだけでも、未だ対応に追われている様子。加えて、我ら地に足を付け戦う方法は知れど、
翼は持ちあわせておりませぬ。この者を短期間で”使い物”へと導く事は修練所では困難……いえ、不可能であると断言いたします」
「だよなぁ……」
頭領は頭をぱりぱりと掻いた。
「そこをどうか、どうかお願いしやす。俺ぁ、あっしは正式に近衛隊で働かせて貰いてえんです。そのためにゃ何が何でも、泥舐める思いしたって強くなる、強くなりてえ!」
あっしは改めて頭を下げて必死に食い下がる。
せんせと約束しちまった。ガキ共に近衛隊の話をしてやるって。
その為にはついた嘘を本物にしなきゃならねえ。何が何でも死に物狂いで、嘘の自分の姿に追いつかなきゃならねえ。
「何が何でも?」
「へい!」
聞き返されて、あっしは顔上げ頭領の目を真っ直ぐに見ながら答えた。
しばらく睨みあった後、頭領は根負けしたように短く息をついてパチンと扇子を閉じる。
「わかった。そこまで言うんだったら面倒見てやろうじゃあねえか。この俺が直々によ」


「しかし、それでは――」
異議を唱えようとする隊長の口元を頭領は扇子でトンと押さえる。
「いいや、決めた。もう決めた。どうせ団員の奴らぁ、浮き足立ってしばらくはチョウジら辺じゃあ悪さできねえだろうし、警戒されちまっててこっちからも手ぇ出しにくい」
「そ、それじゃ……!ありがとうごぜえやす」
期待に胸を膨らませて礼を言うあっしを見下ろし、頭領は耳から耳へと届きそうなほどに口を半月状に大きく歪ませた。
ぞく、とあっしの体に悪寒が走り、期待は一転して不安へと変わる。
「ほとぼりが冷める間の暇つぶしをちょうど探していたんだ、クク」
くつくつと笑う頭領の後ろで、隊長は片手で頭を抱えて首を微かに振るった。

――「う、うう……」
突然ドンカラスは大きく身震いして、翼で体をさすりだした。
顔は青ざめ、冷や汗が滝のように額と頬を伝う。
「どうした急に?酔いが回りすぎたか?」
エンペルトはグラスに水を注いでそっと差し出してやる。
受け取るとドンカラスは水を流し込むように一気に飲み干し、ぜーぜーと肩を揺らした。
「大丈夫、大丈夫だ」
ふー、と一息ついて、落ち着きを取り戻した様子でドンカラスはグラスをゆっくりと置く。
「特訓ってえ名目で、今でも思い出すだけで身の毛がよだって震えちまうほど、それはそれは死ぬほどひでえ目に合わされたもんだ。
話しているうちにまたひきつけ起こしちまいそうだからその内容の全部は言えねえが――」

- 173 -
スポンサーリンク
スポンサーリンク