第45章 - 12

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「何て身勝手な奴だ!そんな酷い話ってあるか!オスの純情を一体何だと思ってるポチャ!!」
思わずいきり立ち、エンペルトはダン!と叩き付けるように杯を置いた。
「おっとっと、テーブルまで壊さねえで下せえよ。だから、そういう事の出来る奴だと言ったでやしょ。ま、おめえさんなら、当然そう言うんじゃねえかと思ったけどな」
どうどう、と宥めるドンカラスに対し、気を落ち着かせるようにエンペルトは大きく息を吐いた。
「……ドンがあの女を近付けたがらない理由が、ようやく分かった。そんな邪な魂胆でここに潜り込み、色仕掛けでボスに取り入って、のうのうと甘い汁を吸おうとするのを警戒しているんだな?」
さも穢らわしげにエンペルトは眉を顰め、吐き捨てるように言った。
「ああ、理由の一つはその通りでさぁ」
それを受けて、ドンカラスは承知したように頷く。
「だがまあ、ボスがソッチ方面にゃとんと興味がねえ方で良かったと思いやすぜ。けどよ、ボスはそれで良くとも、他の連中に関しちゃ油断はできねえ。あのアマにとっちゃあ、ビッパみてえなお調子モンを乗せるなんざ訳ねえし、あの鳥公や虫トカゲ野郎みてえに弱みに付け込むような真似もしやがる。だが、一番危ねえのは、おめえさんのように普段は真面目な堅物、って奴なんだぜ?」
ドンカラスに釘を刺され、エンペルトはグッと嘴を引き締めた。
「……コリンクの坊主が、正にその典型みてえなもんだった。本当に真面目で、健気で、一途な奴でやした。同じ年頃のクソネコや寺子屋のガキ共がじゃれ合って遊んでるって時分に、泥まみれの傷だらけんなって、投げ飛ばされても叩き付けられても懸命に立ち上がってってよ。傍から見てて痛々しいぐれえだったぜ」
どこか懐かしそうに目を細めながら、ドンカラスは溜息を吐いた。


「それも元はと言や、自分がニャルマーを守れなかった、ってな後悔が負い目になってたようなもんだった。群れから離れてひとりぼっちだった自分に優しくしてくれた、いつも傍にいて支えてくれた彼女の為にも、強くなりてえ、いや、ならなきゃいけねえ、って……自分が利用されてるとも知らねえでよぉ」
次第に蘇ってくる怒りの記憶に、ドンカラスは瘧のように体を震わせる。
「だのに、そんな切ねえ思いを、あの性悪女は容赦なく踏み躙り、あっさりと見捨てやがった。いや、そんだけならまだいい……あのクソアマはてめえが招いた災いまで、何の罪もねえあいつに押し付けやがった。裏切られてもなお信じようとしてたあいつを、てめえの身の可愛さに、燃え盛る地獄に突き落としやがった!ちっぽけな蛹がでっけえ蝶になったかもしれねえ未来ってやつを、奴は捻り潰しやがったんだ!!」
燃えるような憤りにドンカラスは立ち上がり、バアン!と翼でテーブルを叩いた。
「ド、ドン、落ち着いて、落ち着いてくれ!」
今度はエンペルトの方がドンカラスを抑え、宥めるように背中を摩った。
ドンカラスはぜいぜいと肩で息をしながら、ドサッと椅子に凭れ掛かった。
「……ひょんな事からシンオウに辿り着いた時、あっしはあいつの家族――レントラーの群れを探そうとしやした。せめて、あいつの親父さんに会って一言詫びてえ、おめえさんの倅は最後まで立派だった、と伝えてえ……そう思ってな」


「それで、彼らには会えたのか?」
「いや……見知らぬ土地じゃ見当すら付かねえし、あっし自身が生きるに精一杯でよ、そんな余裕はありゃしなかった。どうにか一角の地位を得てから、随分と行方を追ってはみたが……何せかなり昔の話だ、全く手掛かりが掴めねえ。
あの里みてえな隠れた場所に今でも居んのか、どっか別の土地に移っていっちまったのか、それとも……ひょっとしたら、とっくの昔に滅んじまったのかもしれねえ……」
力無く呟くドンカラスに、エンペルトは慰めるように言った。
「ドンが彼に同情する気持ちはよく分かるよ。子どもだったとはいえ、同じオスとして当然の事だ。だけど、原因はあの女なんだろう?ドンがそんなに責任を感じる事はないじゃないか」
だがドンカラスは目を伏せ、左右に首を振る。
「いいや、誰が何と言おうと、責任の一端はあっしにもあるんでさぁ。もしあん時、あっしが戸惑ったりしてなけりゃ……最悪の事態は避けられたかもしれねえんだ」
自分の不甲斐なさを責めるように、ドンカラスは苦い杯を飲み干した――


あのアマが去った後もあっしはしばらくその場から動けねえでいた。
気にいらねえがあいつに言われたあっしの置かれている立場って奴はまったくもってぐうの音も出ねえ程のドンピシャだ。
内側からチクチクと感じていたものを外からも思い切りぶっ刺され、風船が割れるみてえに気力がすっかり吹き飛ばされちまった。
吐いた溜め息が嘲笑うようにゆらゆらと白い軌跡を残して消えていく。
さみぃな……。身に触れる空気の冷たさに体がぶるりと震える。
チビ助探しで飛びまわっていたせいか、腹が小さくぎゅうと鳴った。
全く情けねえ。木偶の坊みてえに役に多々ねえこの身でも、しっかりといっちょ前に生きる為の要求をしやがる。
とりあえず屋敷ん中に戻っていよう。あっしは覚束無い足取りでもと来た道を辿った。
屋敷に帰ると掃除を終えたのか女中とニャルマー達の姿は既に無かった。
あのアマに顔を合わさずにすんで少しばかりホッとしている自分がまた惨めだ。
玄関広間には布団に寝かされて変わらずのんきに寝息を立てているチビ助と、その傍らで寝顔を見守っているマフラー野郎の姿があった。
「やあ、おかえり」
あっしに気付いたマフラー野郎は片手を挙げていつもの笑顔で声を掛けてくる。
「オメーも帰ってきてたのか……」
「ああ。畑仕事はとりあえず一段落ついたからね。先生達に話は聞いたよ。寺子屋から脱走したこいつを君が見つけてくれたんだって?ありがとう。面倒をかけてすまなかったね」


「いーよ、別に」
あっしは上の空で応える。チビ助を押し付けられた怒りや文句なんて意気と一緒にさっぱり失せ切っていた。
こいつはいいよな。腕っ節は勿論、畑いじりなんて特技まであって。
なのに、あっしゃ……。比べたらまた胸が抉られる思いがして、深々と嘆息が漏れた。
「どうした、何かあったのかい?」
マフラー野郎はあっしの態度に不思議そうな顔をして尋ねてくる。
あっしの脳裏に、すぐさまニャルマーの事が浮ぶ。
こいつに奴の企みを話しておくべきだろうか。
だが同時に奴の言っていた『邪魔せずにいたらお零れをくれてやる』って言葉が、あっしの弱った心を甘く手招いて戸惑わせる。
「……別に何もねえよ。飛び回らされて疲れちまっただけだ」
――一時の誘惑に負け、あっしはニャルマーの企みを話す機会を失った。
どうせ奴の企みなんてうまく行きっこねえって、その後もずっとなあなあにしちまった。
少々先の話になるが実際に奴ぁ頭領にもろくに相手にされちゃいないようだったし、あっしも色々あって調子に乗っちまってたんだ。
だがよ、千里の堤も蟻の穴から……些細な切っ掛けが、でけえ災いを招く事もあるのさ。


「そっか、それもそうだな。こいつと来たらチビの癖に結構すばしっこくて、俺でも捕まえるのに苦労するくらいだから、はは。重ね重ねごめんよ。まったく、こいつには後でちゃんと言い聞かせておかないとな」
ひとまず納得した様子でマフラー野郎は朗らかに言った。
あっしは無言で頷いて、特に行く当てもなくそのまましばらくマフラー野郎達と玄関広間で頭領が戻ってくるのを待っていた。
穏やかに過ごす親子の傍ら、あっしの方はどんよりと気が晴れないままだ。
溜め息を堪える度、肺が鉛のように重くなって感じる。
「……なあ」
耐え切れなくなったあっしはそっと口を開く。
「ん?」
「オメーも分かっちゃいるとは思うが俺様はロケット団に居たとはいえ、下っ端の下っ端に扱き使われてたポケモンの一匹でしかねえ」
振り向いたマフラー野郎にあっしはそう続けた。
マフラー野郎はなんとなく予感していた様子で「ふむ」と頷いてこちらに体を向き直す。
「オメーらに伝えてやれる情報なんてガキの話す噂話みてえにぼんやりとしてて使えたもんじゃねえだろうし、戦いにだってついていける気はしねえ……」
「それで?」
きょとんとしてマフラー野郎は首を傾げる。
何を当たり前のことを言ってるんだ、まるでそんな風にあっしには見えた。
「だからよ、俺様は何の役にも立てねえって事だ」
あっしはその態度にムッとして吐き捨てるように言う。丸っきりただの八つ当たりだ。


息を荒げるあっしに対してマフラー野郎はふと一瞬どこか遠くを見るような目をして、少し悲しげに微笑む。
「だったら、君はどうしたいんだ?」
不意に尋ね返されて、あっしは言葉に詰まる。
「ここから出て行きたいのかい?」
「それは……」
違う、あっしは目を逸らして俯く。
「君は俺よりずっと自由だ、身も心も。縛り付ける事はしないし、できない。……まだまだ付き合いは短いが、俺は君を大切な友人のひとりだと思っている。俺は君を見捨てたりしないし、スカー……頭領も無下にはしないだろう。後は全て君しだいだ」
「ん、んな事言われたってわかんねえよ、わかんねえだろうよ畜生!」
差し出されていた手に気付かずに突っぱねて、その場から逃げ出すようにあっしは飛び立った――途端、すぐに何かにぶつかり、あっしはべちんと地面に落ちる。
「……ゲホッゲホ。ってえじゃねえか。いきなり飛び出してくるんじゃあねえ。俺ぁ急には止まれねえんだよ」
痛みを堪えながら顔を上げてその声の方をを見ると、みぞおちの辺りをさすりながら起き上がろうとする頭領の姿があった。
「ったく、なあに楽しそうにはしゃいでやがったんだぁ?ここじゃ廊下は静かに歩かねえと怖い隊長さんに怒られるんだぜ?」
あっしの翼を掴んで助け起こし、頭領はニッと笑った。
「スカー。お義母様の方は大丈夫だったのか?」
マフラー野郎が尋ねると、頭領はちっちっと指を振る。
「この俺様を誰だと思ってえやがる。こちとら口八丁手八丁、頭でっかちフーディン共すら舌を巻く天下の伊達男スカー様よ。問題ねえ、問題ねえ。オメーらが心配する必要なんざ微塵もねえってんだぁ、ヒャッハッハッ!」
どこぞから取り出した紅葉柄の扇子を広げ、頭領は豪快に笑い飛ばした。


「……そりゃめでたいな」
マフラー野郎は少し呆れたような目をして言う。
「長らく待たせて悪かったなぁ。んじゃ、早速お待ちかねの会議の再開と行こうぜ。おい、隊長。必要な面子を集めてきな」
「はっ」
いつの間にか頭領の背後に影のように控えていた隊長は命令を受けるやいなや瞬く間に再び姿を消す。
「そういえばあの子は?」
マフラー野郎は頭領の周りを見渡す。
そういえば姿が見当たらない子ニューラの事を言ってやがるんだろう。
「ん、ちょっと御義母様方に急遽御呼ばれよ。適当に菓子なり茶なり喰い散らかしてその内帰ってくるだろうぜ」
「預けて平気なのか?」
懐疑的に尋ねるマフラー野郎に、頭領は頬をぽりぽりと掻いた。
「平気平気。よくある事だからよ。俺の方はあんまり気分よくねーが。あいつだけはババア共も一応かわいいみてえでな。たまに招く席を設けさせろってごねるのさ。その後はしばらく奴らの機嫌が少しばかり良くなるから助かる面もあんだが、何だか出しに使ってるみてえで嫌だし、変なこと吹き込まれていやしねえか毎度心配だし……ま、他でもない俺のガキだからその辺は大丈夫だろーけど」


「びっくりするほどお前にそっくりだものな、あの子」
溜息をつく頭領に、マフラー野郎は気を紛らわせるように少し話を逸らす。
「そうだろ?最近は何だか俺の真似ばっかりしてやがってよぉ」
「微笑ましいじゃないか」
「へへ、まあな。ただ親としちゃあ、将来的にはもうちっと落ち着きを持って欲しいとこだが」
「母親に似ていくことを祈るしかないな」
「それ、どっちにしても気は強くなっちまうんだよなぁ……」
盛り上がる二匹を他所に、逃げる事すらできなかったあっしは気まずく時を過ごした――。

「……これは、どういうことだスカー。何かの冗談だろう?」
会議の席をもう一度見回して、マフラー野郎は表情を強張らせる。
「いいや、これで欠けることなく全員だ」
場に集まったのは頭領、マフラー野郎、隊長、新米と他の近衛隊のニューラが数匹。
あっしを含めても十にも満たない。
「説明しろ」
「御老公共との話し合いの末よ。襲撃の計画は勝手にしろ。だが兵として使っていいのは俺の直属の内からこれだけ、それ以上は里の守備を考え一切合切許さねえとの御達しだ」
言葉を失った様子でマフラー野郎は黙りこくる。


「ここで怖じ気付いて止めりゃ民の俺への信頼は幾らか薄らいじまうだろう。このまま強行して襲撃が失敗しに終わっても同様。ついでに俺がくたばってくれりゃ万々歳。それがババア共の腹積もりに違いねえ」
なんと卑劣な、隊のニューラが忌々しげにわなわなと畳に爪を立てた。
「だが、しかし、てめえら。何にも臆することも案ずることもねえ。こちとらロケット団共全員と真正面から正々堂々一気に潰しあう気なんざ端からねえんだ。
必要なのは大人数じゃあなく少数の精鋭。直接拠点に忍び込んでの破壊工作……俺達の得意とするところだったろうが。よもや忘れちゃいねえだろ、ネズミ」
頭領はマフラー野郎をびしりと指差して不敵に笑む。
暫し間を置き、マフラー野郎は諦めたように、あるいは覚悟を決めるように、息を吸う。
それからゆっくりと口を開いた。
「いいだろう。それで、まずはどこから攻めるつもりだ?」
「おう。それを決めんのにここでいよいよ重要になってきやがるのが、そいつよ」
頭領が今度はあっしの方へと指を向けた。
同時に視線も集って、蚊帳の外にいるつもりだったあっしは戸惑う。

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