第45章 - 11

あっしは空から見た光景を思い出しながら、雪道をやや南西向きに進む。
程なくして修練所の建物が見え、囲いの中から気合の入った掛け声が聞こえてくる。
「おー、やってんな。なあ、ちとコリンクの顔を見ていきてえんだがよ、そんぐらい付き合ってくれてもいいだろ」
あっしは振り返り、尾っぽを掴んだまま付いてくるチビ助に話し掛ける。
散々逃げ回って疲れたのか、やかましいガキ共の所に戻るよりゃマシと思ったのか、さしものチビも今度は大人しく頷く。
それを承知したもんとみて、あっしらは修練所の門を潜った。
門のすぐ脇にある、道場のような建物の中を覗くと、板敷の床に数匹のニューラが円座になっているのが見える。
「こんちわー……」
あっしが恐る恐る声を掛けると、ニューラ達は一斉に振り向いた。
「これはどうも、ヤミカラス殿。何か御用ですか?」
その中心にいた、教官と思しき覆面のニューラが一礼する。恐らく、会議の時にいた近衛隊の一員だろう。
奴らを通じてあっしらの話は里中に知れ渡ってると見え、周りにいた訓練生らしきニューラ達も従うようにお辞儀をする。
「いやあ、用って程のもんじゃねえが、今日からコリンクがここにいるって聞いてよ」
「はい、確かにこちらにおります。お会いになるのでしたら、ご案内致しますが」
そう言って教官は訓練生に何やら指示を出し、戸口にいるあっしらの方へ出向いてきた。
「いやいや、別に気ぃ使わねえでもいいや、あんたらの邪魔するつもりなんかねえんだ」
「いえ、迂闊に動かれるのは危険です。それに、貴方達には特別に計らうよう、頭領様から言付かっておりますので」
危険?一体どういうこっちゃ?と首を傾げながらも、教官に案内され、あっしらは広場へ向かった。


広場では幾つかの班に分かれ、一匹の教官に対して五、六匹の訓練生が付き、様々な特訓が繰り広げられている。
その中央では、赤と白の襷を掛けた訓練生達が向かい合い、班対抗の模擬戦が行われようとしていた。
「双方、掛かれ!」
合図と共に雄叫びが上がり、黒い影が疾風のように飛び交った。
激しく爪と爪がぶつかり合い、氷の礫が砕けて飛び散る。そこここから空を切るような鋭い音が響く。
とても訓練とは思えねえ程の凄まじい勢いに、思わず息を呑まれる。
「……すげえ迫力だな」
実際にその様子を目の当たりにして、ようやく危険だという意味が分かった。
確かに、うっかり近寄って巻き込まれでもしたら、怪我どころじゃ済まねえかもしれねえ。
「訓練といえど手は抜けません。どんなに修練したところで、実戦で生かされなければ意味がない、生きるも死ぬも一瞬の判断だ、と、頭領様はご自身の経験から、様々な実践的訓練を編み出されました」
教官の話では、入所した志願者は成績次第で容赦なく振い落され、素質ありと見做された者だけが次の過程に進めるらしい。
更に、その上位者に課せられる最終試練に合格した者のみが、様々な特権を持つ近衛隊に入る資格が与えられるという。
こりゃあ、せんせみてえな虚弱体質じゃ到底無理だな……と、ふとあっしの脳裏に、あのぽわんとした笑顔が浮かぶ。
「ああ、あちらにおるようです」
教官が広場の隅を指差し、あっしははっと我に返ってその方向を見た。
ニューラ達の黒い毛並みに混じって一点、薄青色の上半身が見えた。コリンクだ。
奴は上級生らしきニューラと組手を行っているらしい。
だが、二足歩行のニューラと異なり、四足のコリンクは随分と勝手が違うように思えた。


「何しろ、ニューラ族以外の者が入所したのは初めての事ですので、まだ対応が不十分なのです。ですが、この里に住民が増え、あの者のように他種族の志願者も出てくれば、次第に充実していく事でしょう。いずれは種族に拘らず、様々な能力を持つ混成部隊を編成するつもりだ、と頭領様は考えておられます」
恐らくその取っ掛かりを務めるのは、やはりマフラー野郎だという事になるんだろう。
教官は近くまであっしらを案内した後、その班の教官に何か言伝し、「それでは、後は良しなに」と言って去って行った。
そのまま、あっしとチビ助はコリンクの様子を眺めていた。
体高が低い分、下への攻撃は防いでいるが、上からの攻撃は真面に食らっちまう。何より、その素早さが段違いだ。
飛び上がって噛み付こうとするところを振り飛ばされ、何度も剥き出しの地面へと叩き付けられる。
だが、それでもコリンクは懸命に立ち上がり、バチバチと火花を散らして向かっていく――
――こんなガキが頑張ってるってえのに、あっしは何をやってんだ――
その姿に、あっしは柄にもなく心を打たれ、同時に胸がズキンと疼く。
「それまで!暫し休息とする。号令があればすぐ集合するように!それでは退散!」
突然、ドォンと太鼓のような音が鳴り響き、教官達が一斉に手を上げる。
途端に訓練生達は嬌声を上げ、今までの真剣さがまるで嘘のように、きゃいきゃいとふざけ合いながら休憩所へ引き上げる。
はしゃぐのも無理はねえ。そいつらをよく見りゃ、どこかまだ幼さの残る、やはり耳の短けえメスばかりだ。
その集団の後を、コリンクがフラフラしながら歩いていく。
「……あ、ヤミカラスさん!」
ふとあっしらに気付いたのか、コリンクは慌ててこちらに近寄ってきた。
「おう、かなりキツそうだな。大丈夫か?」
「いえ、平気です。父さんの特訓も、同じくらい厳しかったから……」
コリンクはぶるぶると体を振って土埃を払い、にっこり笑いながらあっしの前に座った。
思えば、こいつと面と向かって口をきくのは初めての事だ。
デパートの地下じゃゲス犬供に邪魔され、そんな暇もなく連れて行かれちまったし、昨夜はニャルマーとぴったりくっ付いていて離れず、あっし自身も話し掛けるような余裕がなかった。


「ちょうど良かった。あなたに、ちゃんと謝らなきゃいけないと思ってたんだ」
そう言ってコリンクは真顔になり、居住まいを正した。
「ピカチュウさんから聞きました。ニャルマーと一緒に、苦労してここまで来たって。僕のせいで、皆さんに迷惑を掛けてしまって……それなのに、あの時……疑ったりしてすいませんでした。本当に、あなた達が助けてくれるなんて思わなかったから……」
コリンクは本気で済まなそうに頭を下げた。
「あー、そんな事、別に気にする必要なんかねえよ。あの状況じゃ仕方ねえだろ」
あっしは翼を振って恐縮するコリンクを宥めた。
ちと頑固で強がりなとこもあるが、自分の非は素直に認める、この潔さは嫌いじゃねえ。
やはり、いいとこの御曹子なんだろう。寺子屋のガキ共にはねえ、どこか品というか、育ちの良さみてえなモンを感じる。
まあ、由緒ある生まれという点じゃあの子ニューラも同様なんだから、結局は本人の資質といったところか。
同時に、こんな真面目な坊主を、テメーの野望の為に利用しようとするニャルマーを、ますます苦々しく思った。
だが、文句の一つも言ってやろうにも、そのアバズレの姿が一向に見当たらねえ。
「そういや、ニャルマーはどうした?一緒に出たって聞いたんだがよ」
「僕が訓練を受けている間、彼女は集落の方で待ってる、と言ってたけど……会ってないですか?」
コリンクは首を傾げ、眉をひそめる。一瞬、その真ん丸い金色の眼が、微かに銀色に光ったような気がした。
「いや……だがまあ、行き違いにでもなったんだろうな」
そんな筈はねえ、と思いながらも、あっしはコリンクを心配させねえよう、そう適当に流した。
今の今まで、その集落をガキ共と一緒に虱潰しに回ってきたばかりだ。空から見たって、あの特徴的な尻尾で一目で分かる。
――あのアマ……ひょっとして、何か企んでいやがるのか――
昨日から薄々感じていたニャルマーへの蟠りが、あっしの中で次第に色濃くなっていった。


「あの……?」
不意に黙ったあっしを不安げにコリンクは見つめる。
「ああ、いや――」
咄嗟に誤魔化す言葉を脳みそが練り上げる前に、丁度よく訓練の再開を告げる太鼓の音が空気を震わせる。
「おっと、これ以上邪魔しちゃ悪いから俺様はそろそろ退散するぜ。ま、あんまり気張りすぎて怪我しねぇように気ぃつけな」
これ幸いとあっしは話を切り上げ、羽をひらひらと振るってさっさと退散にかかる。
「はい!頑張ります!」
背に受ける真っ直ぐな返事に少し心苦しい思いをしつつ、あっしはチビ助と共に修練所を後にした。

門の外で雪原をぼんやりと眺めながら、チビ連れでこれからどうしたものかと再びあっしは思案する。
そろそろ寺子屋に帰ってもいんじゃあねえかなんて考えながらチビ助の方を見やると、何かを察した様子で首をぶんぶんと横に振るった。
ちぇ、参ったな。あっしは舌打つ。
変に慈悲を見せずにあの時にさっさとガキ共に引渡しときゃあ良かったと少しばかり後悔した。


このまま強引に連れ帰ろうとしたって、あっしだけじゃあ骨が折れそうだ。
また隙を見て逃げ回られちゃあ堪ったもんじゃあない。
かと言ってこのままこんな雪原の中でボーっと突っ立ってたら具合が悪くなりそうだ。
いっそ頭領の屋敷に先に戻っていた方がいいのかも知れねえ。
あそこなら暖かいし、その内必ずマフラー野郎も帰って来るだろう。
「おう、じゃあ屋敷に一旦帰るぞ。あそこならガキ共に囲まれねえし、寒い思いもしねえ。それならオメエも文句ねえだろ」
あっしが言うと、チビ助は目をこすりながらゆっくり頷いた。
「んだ?まさか眠ぃのか?おいおい、もう少し我慢してやがれよ」
また背負わされるなんて冗談じゃねえ。チビ助にそう釘を刺し、帰路を急ぐ。
――が、案の定チビ助は途中で力尽き、あっしは重荷を背にひいこら言いながら涎を羽毛に垂らされねえか戦々恐々としつつ屋敷まで帰ることになった。

息も切れ切れで屋敷に戻ると出迎えてくれた女中の一匹に事情を説明して眠りこけるチビ助をどこか適当な所に転がしておいてくれと預け、疲れ切った様子のあっしの為に持って来てくれた水を一気に飲み干してあっしは大きく一息を吐いた。
ゆっくりと息を整えながら、今は屋敷内の掃除に精を出している女中達を眺めていると、その中に混ざって鼻歌交じりに燭台の埃を払い落としているニャルマーの姿を見つけ、あっしは怪訝に眉を潜める。


「何やってんだ、オメー」
近付いていって声をかけるとニャルマーはぴくりと手を止め、あっしの顔をチラと見てまた燭台へと視線を戻した。
「何、って見ての通り屋敷の掃除だけど」
燭台を磨きながらニャルマーはおざなりに応える。
「んなもん見りゃわかんだよ。俺様が聞きてえのはオメーの大事なあのガキの御守りをほっぽり出してわざわざそんなことしてんだって話だ」
苛々として少し語調を荒げて言うと、ニャルマーは面倒そうに溜息をついて燭台を拭く布巾をそっと畳んで置いた。
「……ここじゃあ邪魔になる。付いといで」
女中から視線が集まっている事に気付き、あっしは言われるがまま仕方なく付いて行く。
人目の少ない中庭の隅まで来るとニャルマーは立ち止まり、ぺろぺろと手を舐めて煤の付いた顔を洗い出す。
「『訓練が終わるまで集落で待ってる』んじゃあ無かったのかよ、おい?」
ヒゲの先までちんたら整えてから、ニャルマーはようやくゆっくりと口を開いた。
「……あいつに会って来たのかい。訓練なんて眺めてたって退屈だからねえ。だったらその間、アタシにできる事をやっておこうと思ったのさ」


「退屈だぁ?コリンクの野郎、何度も地面に叩きつけられるような思いしながら頑張ってんだぜ。皆を守れるぐれえ強くなって恩返ししてえなんていじらしい理由でよ。それをテメーは見守ってなくていいってのか」
カチンときてあっしは食って掛かる。
「何を熱くなってんのさ。それはそれは健気だねえ。だけどそれが実現できるまで一体いつまでかかるのやら」
ふんとニャルマーは鼻で笑った。
「やっぱおかしいぜテメー。あっしやマフラー野郎を巻き込んであんだけ必死にあのガキを取り戻そうとしていた癖にどういう心変わりだ」
掴み掛かってやりたいのをあっしはぐっと堪える。
「例えば、そうだねぇ――がちがちの殻に閉じ篭った蛹の近くで丸々太って美味そうな芋虫がノソノソと這っているのを見つけたらアンタはどうする?苦労して蛹を抉じ開けようとしたり、孵るまで待ってるなんてしないだろうさ」
あっしの上嘴をぐいと押してニャルマーは言った。


あっしはこいつが以前に話していた”生業”ってやつを思い出し、何をたくらんでやがるのか大体察する。
「テメー、あのガキから鞍替えして頭領に取り入るつもりか」
前足を払い除け、あっしは言った。
ご名答、とでも言いたげにニャルマーは不敵に微笑む。
「んなこと許されるとでも思ってんのかよ」
「ふふ、誰に許しを請う必要があるってんだい。ここの頭領にゃもう正妻がいないんだろ?だったら何も構わないだろうさ。これだけの規模の群れなんだ、その長に妾のひとりやふたり居たってさぁ……」
ニャルマーは前足をあっしの顎元にそっとずらしてさすりながら、耳元に口を寄せて囁いた。
吐息混じりの声があっしの鼓膜をゾクゾクとくすぐる。
「あのガキはどうなんだ。信じてるテメーに裏切られてよお」
「やけにあいつの肩持つねえ。あんたそんな人情溢れる鬱陶しい奴だっけ?アタシにとっちゃどうでもいいことさ、もう。この里に比べりゃレントラー共の群れなんて霞んで見える。危険を冒してまであいつをシンオウに送り返すメリットなんて薄いんだよねえ」
「テメーって奴ぁ……!」
とんでもねえ、救いようのねえクソアマっぷりだ。真っ黒い腹ん中を隠す素振りが微塵もねえ。
女子供にゃなるべく手を上げるつもりはねえあっしも頭に血が昇りきってニャルマーに掴みかかった。
「そう熱くなんじゃないよ、チンピラ。こんな雪の積もった人目のつかない場所でぐっすり眠りこけたくないだろう」
ニャルマーの瞳に怪しい光がぼんやりと宿る。
途端に一瞬意識が混濁してあっしは咄嗟にニャルマーから離れて目を背けた。


「アタシにとやかく言う前にさあ。あんたはこれからこの里でどうしてくつもり?」
何事も無かったように体をぱたぱたと払い落としながらニャルマーは言った。
「ああ?」
不意をつく言葉にあっしはぎくりとした。
「最低でもこれから何ヶ月、いや下手すりゃ年単位でここに御厄介になるんだよ?初めの数週間くらいはお客様として歓迎ムードかもしれないけれど、なんにもできないガキじゃあるまいに大の大人がずっといつまでもヒマそーにブラブラしてたら白い目で見られるようになってくるだろうさ」
「ん、んなこたぁ俺様だってわかってんだよ」
まるで胸中を見透かされているような言動にたじろぎ、あっしはどんどんと気勢を殺がれていく。
「そりゃ結構だね。ま、アタシはさっきあんたも見た通り女中として仕えて行くつもりだよ。戦いじゃあ役に立てないけれど、お偉いさんのお世話や機嫌取りするのは得意だからね。
で、あんたは具体的にこの里にどう貢献してくのさ。ここまで来る道中見てても、あんたの戦いぶりじゃ頭領様やネズミのニイさんの足を引っ張りそうだしね。
ロケット団の内情を多少知ってるっつったって持ち場だったアジトから逃げる案内すらニイさんに任せきりでろくにできなかったじゃあないのさ」
ぐ、と言葉が詰まり、何も言い返せずにあっしは嘴をわなわなとさせた。
「嘴に紅さしてアタシ達と一緒に働くかい?あはは、やだやだ気色悪い。
……なんにせよ悪いこたぁ言わない。アタシの邪魔をせずに口噤んで黙ってみてるこった。そうしていたらうまく行った暁にゃあんたにもお零れくれてやるよ。殆どニイさんの功労とはいえ、あんたにも多少の借りはあるからね。
――さてと、そろそろ仕事に戻らなきゃ。あんたは精々良い子にしてる事だね、アハハ!」
勝ち誇るように高笑いを残し、ニャルマーはあっしを置いて持ち場に戻っていった。

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