第44章 - 9

夕食会も終わり、子ども達との交流もほどほどに済ませて俺は彼女と共に自室への帰路についた。
〈途中ひやひやした場面もありましたけれど、バッチリ好感触でしたね〉
えらいえらい、花丸あげちゃいます、なんて冗談ぽく子どもを褒めるみたいに言う彼女に、
“なあに、鬼教官殿のおかげさ”と俺もわざと皮肉めいて返す。
〈あ!その態度、かわいくないですよー!〉
頬をむくれさせる彼女に、俺はくすくすと笑った。
〈もー……。まあ、それはともかくとして、咄嗟の事とは言え記憶喪失だなんて変な嘘をつかせてしまってすみません〉
“いや、構わないよ。どう答えたらいいものか参っていたし、助かった”
〈後で子ども達にはあまりひとに立ち入ったことを聞いて困らせちゃいけないって、ちゃんと言って聞かせなきゃ。それともう一つ、ゾロアークのことについてもあなたに謝っておかないといけません〉
“別に、君が謝ることでもないだろう”
気にするなと言う俺に、彼女は首を横に振るった。
〈いえ、こんな事になってしまっているのは私の責任でもありますから。今日のあなたと他のみんなの様子を見て、あなたに村をおびやかすような危険は無いっていい加減分かってくれたらいいんですけれど、へそ曲がりだからまだまだ時間がかかりそう……。困ったお兄ちゃんです、本当に〉
はあ、と彼女は尻尾をしょんぼり垂れ下げた。


――彼女の心配通り、ゾロアークとの不和はそれは長い間続いた。
最も直接取っ組み合う様な事は一度も無く、ばったり鉢合わせても彼の方から俺を避けていき、仕方なく同じ場に居合わせざるを得ない時に監視するような険しい視線を向けられるぐらいだった。
俺自身は別段、もうゾロアークに対して反感や敵意を抱いてはいなかった。
睨まれるのはあまり気分がいいものじゃないが、番人として俺の経歴は危険視して当然だ。
そして今思えば、ゾロアーク自身としても一生消えない傷と後遺症を負わせてしまった負い目や、大事な弟分や妹分達との間に急に割り込んできた俺という存在には色々と複雑な思いが入り混じって、そうそう易々と受け入れるわけにはいかなかったんだろう――。

〈それじゃあ、今日はお疲れ様でした。おやすみなさい〉
“ああ。おやすみ”
彼女と別れて、自室に帰り着くと俺はベッドに転がって己の身の振り方について思案した。
多少なりとも体が動かせるようになった以上、何もせずにだらだらと過ごすわけにはいかない。
だが、自分に出来るような事は一体何があるだろうか。考えてみても何も浮かばなかった。
本当に戦いだけの人生だったんだなと改めて思い知った。だが、今はそれすらも残っていない。
そこでふとまた部隊の事を考えそうになり、俺は慌てて思考を切り上げた。
自分だけで悩んでも悪い方向に思考が傾くばかりで埒が明かない。明日にでも彼女に相談しようと、その日は逃げるように意識を眠りの奥底へと沈め込んだ。


翌日、俺は彼女に自分にも何か出来る事はないかとそれとなく打ち明けた。
お気兼ねなくゆっくり過ごしてくれていていいんですよ、だなんて彼女は優しく言ってくれたが、俺としては一刻も早く何か打ち込めるものが欲しかった。
歩行訓練に励んでいた時のようにまた何か忙しく没頭出来るものがあれば、それに集中している間は他に何も考えずにいられる。
部隊の事を思い返すことも、言い知れない不安や恐れを抱くことも無いだろうってね。
日々を悶々とただ過ごす俺のもとに、ある日、筋骨隆々とした人型のポケモンが訪ねてきた。
前にも一度、確か初めて村内を彼女と共に出歩いた時に会ったドテッコツの爺さんだ。
『おう、あんちゃん。体の具合はどうだい?』
俺の姿を見て、ドテッコツ爺さんはにっかりと豪快な笑みを浮かべた。
おかげさまで順調に回復していると挨拶を返しつつ、急に訪ねてこられるような覚えが無くて一体俺に何の用だろうと内心首を傾げた。
『悪ガキ共が騒いどったぞ。何でもおめえさん、ひでえ怪我しただけじゃあなく、記憶まで無くしとるんだと?おめえさんも若いってえのに苦労人だねえ。きっとその前からも随分とまあ難儀してきたんだろう。そういうヤツぁツラ構えからして違うのよ』
うんうんと頷いて、ドテッコツ爺さんは同情して労うように言った。
“は、はあ”と困惑しながらも、俺はとりあえず話を合わせて頷き返した。
その場限りの嘘だった筈が何だか随分と吹聴されてしまっているようだ。
『おっと、いかんいかん。そんなことだけを言いに来たわけじゃあない。シスター嬢ちゃんに聞いたよ。何でもおめえさん、働き口を探しとるんだって?大変な目にあったばかりというのに、殊勝だねえ。
益々気に入った。どうだい、良けりゃうちの木の実園に手伝いに来んか?楽な仕事じゃあ無いが、怪我のこともあることだしそんな無理はさせんよ』


“それは……!はい、俺にも出来ることがあるのなら、喜んでやらせていただきます!”
願ってもない絶好のお誘いに、俺は是非手伝わせて欲しいと飛び付いた。
『いい返事だの。そんじゃ、早速今日から来てもらおうかい。ついて来な――』
かくして、俺はその日からドテッコツ爺さんのところの木の実園で働く事になったんだ。
俺が任されたのは主に苗木の世話や採れた木の実の選別だった。
後は偶に忍び込んでくる虫ポケモンや、いたずらぼうず達を追っ払ったりだな。
初めは慣れない作業に失敗ばかりで、ドテッコツ爺さんの雷鳴のような叱咤叱責がしょっちゅう轟いたもんさ。

それから、もう一つ役目ができた。あれは仕事から帰って夕飯の用意が出来るまでの間、食堂に転がっている人間の子達が置き忘れた物であろう子ども向けの本を、やれやれ仕方ないなと拾い上げて、何の気なしにぱらぱらと捲り読んでいた時の事だ。
遊びから帰ってきたポケモンの子達がそんな俺の姿に気付き、急に駆け寄ってきた。
何事かと見回して訊ねると、ポケモンの子達はもしかして人間の文字が読めるのかと、期待に目を輝かせて聞き返してきた。
軍隊で人間に混じって生活していると嫌でも彼らの使う文字と言うものに触れる機会があって、簡単な単語と文章であればその意味を理解できるようになっていた。
少しだけなら、と俺が答えると、子ども達はうきうきと顔を見合わせた。
その次に、せーのと声を合わせ、その本に書いてあること読んで聞かせて!と、求めた。
ポケモンの子達の姉代わりであるシスターにも多少は文字の心得があって、たまに彼らに本を読み聞かせることもあるようだが、他の家事雑用で手一杯なことも多く、彼女も中々そんな暇がとってあげられないと言うのが現状なようだった。


“ああ、いいよ”快く引き受けると、彼らは『やったあ!』と大層喜んで、俺の周りに集った。
そんな姿を見て、俺はクスと自然に笑みが零れた。まさか軍隊生活の副産物で身につけたものが、あんな形で役に立つなんて思いもよらなかったよ。
それからと言うもの、俺が子ども達に本を読み聞かせるのは毎日の習慣となって、夕食前と食後に俺の周りにはポケモンの子達の輪ができた。
人間の子達はそんな俺達を微笑ましそうに見て――本当に俺達が文字を理解しているのではなくて、何かまねごと遊びでもしているんだろうと思われていたのかもしれないが――色々と自分達の本を貸してくれたよ。
英雄の心躍る冒険譚、摩訶不思議な夢物語、世にも恐ろし怪談話。
色んな本を読み聞かせていると、子ども達だけでなく俺自身も多くを学んだ気がする。
美徳、理想、戒め――子ども向けの本は生きていく中で大切な様々なものがどんなお話にも根底に流れていて伝えようとしていた。
朝から夕方まで木の実の栽培に励み、夜は子ども達と触れ合って……。
何かを壊して、奪うんじゃあない。何かを育て、与える日々。穏やかで刺激は少ないが、心はとても充実して満たされていた。余計な心配事なんて介在させぬ程に。

とある日の事だ。
日も昇らぬ早朝、まだベッドでまどろむ俺の部屋に出し抜けにノックの音が転がった。
驚いて飛び起きて、こんな時間に何だろうとぶつくさ文句を垂れながらドアを開けると、いつもより真剣な面持ちをした彼女が小さな電球片手――懐中電灯の本体が無くても、俺と彼女なら自前の電気で光らせられる――に立っていた。


“えーと、おはよう、まだこんばんは、かな……。一体、どうしたんだ?今日も仕事はあるから、もう少し休んでいたいんだけれど”
言葉に少しばかり非難のトゲを生やして俺は言った。
〈事情は後でお話します。今は静かに私の後についてきて〉
声を抑え気味にそれだけ言って、彼女は廊下をそそくさと静かに歩んでいった。
怪訝に思いながらも、仕方なく俺はその後に続いていく。
俺も彼女もまったく言葉を発さず、か弱い電球の明かりだけを頼りに黙々と静寂と闇の中を歩んだ。
真っ暗な教会内は昼間とは打って変わって、神を祀る場所とは思えない程に不気味に感じられた。
光が強いとより影は濃くなって見える。教会に病院、学び舎や商店街など、昼間は活気があったり安心できる場所である程、夜になってひと気と明かりが失せると殊更に不気味に映るものなんだよな。
少し不安になりながら聖堂まで俺と彼女はやってきた。暗闇に浮かぶ神々のステンドグラスが、まるで悪魔みたいな様相でもってこちらを見下ろしているように見えた。
そのまま彼女はとことこ、確か先が物置と酒蔵庫になっているという扉の方へと歩いていって、ゆっくりと押し開いた。
成る程、そこは確かに様々な物があれこれと積まれている場所と、酒がたっぷり入っているんであろう大きな樽が横になって並ぶ場所とがあった。
彼女は酒樽の並ぶ方面へと迷い無く進んでいく。
辛抱堪らずに起こした理由を再度訊ねる俺をシッと彼女は止めた。
一番奥の酒樽の前まで来ると、樽に備え付けられた蛇口へと彼女は手を伸ばして掴んだ。
そして、彼女は栓を捻るのではなく、何故か蛇口自体を手前へと引っ張る。
その途端、酒樽の蓋がドアのように開いた。
ぎょっとして俺が中を覗くと、空っぽの樽の奥には地下へと続く階段がぽっかりと口をあけていた。
〈朝早くから不躾に呼び立てて、本当にすみません。ですが、“あの方”があなたにお会いしたいと〉


あの方って?
何故、何の為にこんな仕掛けで隠された地下が?
その“あの方”とやらは、どうして俺なんかをこんな人目のつかない時間と場所に呼び出す?

疑問が後から後から湧き上がって来て喉の途中で我先にとぎゅうぎゅう鬩ぎ合い、声に出そうとしても俺の口は陸にあがったトサキントみたいにパクパクとするばかりだった。
これはまどろみが見せているただの夢、幻なんじゃあないか。ふと、そう思った。
そういえば昨日くらいに子ども達に読み聞かせていたのは確か寒村が舞台の恐怖物で、その村の教会にも隠された一室があり、そこに黒幕である怪物は潜んでいた。
周りの環境が少しばかり似ていることもあって、子ども達は随分と怖がっていたっけな。
特にダルマッカなんて手足を丸めて石みたいにカチコチになって震えていた。
俺としては本の内容そのものよりも、その後に子ども達にそんな本を読み聞かせてしまったことを彼女に怒られた事の方が余程怖かったが、――どうやら子ども達の本ではなく、うっかり紛れ込んでいた牧師の私物だったらしい――ともかく、あの本が原因でこんな変な夢を見ているのかもしれないと、体毛を一本ばかり脇腹からぴんと引き抜いてみた。
だが、脇腹からはチクリと確かな痛みが伝わり、意識がベッドで目覚める気配は無い。
驚き呆けている俺を構わず彼女は樽の中へと引き込み、樽の内側に付いたレバーを引くと蓋は静かに素早く閉じられた。
〈さあ、足元には十分気をつけて〉
そのまま彼女は俺の手を引き、黒くてドロドロした重油みたいに色濃い暗闇に沈む地下への階段を一段一段丁寧に照らしながら慎重に下りていく。
一段下りる度に闇は濃度を増して、全身に藻草みたいにひんやり絡み付いてくるような錯覚を抱いた。


〈教会にこんな地下があるなんて、びっくりしちゃいますよね。私も最初は驚きましたもの〉
不安が手から伝わったのか、安心させるように彼女は明るい調子で声をかけてきた。
〈牧師様の見解によれば、『何世代前の牧師様の仕業かは分からないけれど、ギラティナ様が神々の座から降ろされ崇拝を禁止された後もなおその信仰心が捨てきれず、密かに奉る為に用意したものじゃないかなあ』ですって。その証拠に、ええと、確かこの辺にも……ほら、あったあった!〉
彼女は階段の途中で石壁の一部を照らして示す。見るとそこには確かに何かの印らしきもの、円形の中心から外側に向かって円を丁度三つの扇形に分けるような三本の線が引かれ、その円と線とが触れる三つの点を結ぶように三角形が描かれている、が刻まれていた。
〈聖堂のステンドグラスにも描かれている世界と神を表す絵画は三角形の中に円形が入っているような形になっていますが、この印はその逆に円形の中に三角形が描かれている。即ちこの世の反転、影、裏側、そこに住まうというギラティナ様を表しているそうです〉
俺は神など信じる性質では無かったけれど、神を、それも死神だなんだといわれているものを表すものだと言われると、何だかその簡素な印が急に畏怖めいたもののように感じられた。
しかし、わざわざこんな、一般的には邪教とされていたのであろうものが密かに崇拝されていた曰くつきの真っ暗闇の地下に俺をわざわざ呼び出して待ち構えているなんて、“あの方”とやらに会うのが益々不安になってしまった。
〈そんな身構えなくても、大丈夫ですよ。”あの方”はちょっと変わり者ですけれど、急に意味無く危害を加えてくるような方じゃありませんわ。鋭い牙も爪もありませんし、体の大きさだって私たちと殆ど変わらないくらいで可愛らしい方ですもの。あ、でも――ううん、とにかく会ってみて〉


彼女は言葉の最後を濁して何やらくすくすと笑う。意味深な態度に俺は怪訝に首を傾げた。
〈今までこの場所のことを黙っていたのはごめんなさい。あの方も色々と訳ありみたいで、牧師様の他にこの場所の事を知っている村の者は私とゾロアークだけなの〉
隠し事をしていた事を彼女が謝る横で、そういえば前に教会内の案内をしてもらった時、物置と酒蔵の方にはあまり触れてほしくはなさそうな態度だったのを俺はふと思い返した。
俺が酒をくすねるなんていらぬ心配をしての事だとその時は勝手に解釈していたが、真の理由はこれだったのか。
“仕方ないさ。気にする事は無いよ”と俺は答えた。
俺の身の上だって言わば“訳あり”、軍のポケモンだった過去を隠し潜めて暮らしているんだ。
彼女やその“あの方”とやらを咎められるような立場じゃあない。
階段を下りきって古ぼけた木製のドアの前に行き当たると、彼女はコンコンとドアをノックする。
返事こそ無かったがドアは待ち望んでいたように微かに開き、隙間からぼんやりと光の筋が漏れた。
〈この先の部屋で”あの方”はお待ちしておりますわ。私はもしかしたら子どもたちの誰かが用を足しにでも早く起きてくるかもしれませんし――誰かさんが怖い本を読んでくれたおかげで、きっと我慢したまま寝ちゃった子がいると思うんですよね――念のために先に上に戻っています。お話が済んだ頃には迎えに参りますので、すみませんがこの先にはあなただけで行ってくださいな〉


分かったと応じて、か細い電球の光が階段を上がっていくのを見送ると、俺はドアへと向き直って恐る恐る光が覗く隙間へと手をかけた。
安全だと彼女が言っていたのだから大丈夫だとは思うが、”あの方”について話していた時、最後に彼女が何やらくすくすと意味深に笑っていたのがどうにも気掛かりだった。
もたもたする俺をじれったく思ったのか、ドアは見えない力に引っ張られるように急にグイと開かれ、ドアの端を掴んでいた俺はそのままよたよたと部屋の中へと転げ込んだ。
〈もう、何をもたもたしているんですかー。あまり女の子を待たせるもんじゃありませんよ〉
聞き覚えのある、それどころかついさっきまで近くで聞いていた声だった。
驚いて俺はふわふわとしたカラフルな絨毯から顔を上げて、その方を見やった。
色とりどりの玩具やぬいぐるみが飾り付けられたまるでおもちゃ箱みたいな雰囲気の部屋の奥にぽつんと立つ、真っ黒なフードとケープを羽織った後姿。
黄色よりちょっと濃い、少し琥珀色がかった耳と尻尾からして間違いなく彼女だった。だが、彼女は上に戻った筈。
一本道だった階段を上がっていく姿を確かにこの目で見届けた。
何が起こっているのかわからず、俺は狼狽してその彼女らしきものと階段の方を交互に見やった。
彼女らしきものは唐突にパチンと手を鳴らし、呼応するようにドアはひとりでに閉まった。
それから彼女らしきものはおもむろにこちらへと振り返った。その優しい笑顔は紛れなく彼女だ。

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