第44章 - 8

〈まだまだぎこちないけれど、やればできるじゃないですか。皆、あなたを気に入ってくれたみたい。あの頑固の塊みたいなドテッコツお爺さんが誰かを気に入るなんて滅多に無い事なんですよ、ふふ〉
出発した時よりも増えた荷物、村の人々やポケモン達が俺の回復祝いだと分けてくれた野菜や木の実を愛おしそうに抱えながら、彼女は俺に微笑みかけた。
俺は疲れて凝り固まった感じる頬を揉んでほぐしながら、素っ気無くも内心満更でも無い気で頷いた。

〈さあ、お散歩も笑顔で優しく対応の練習も目的地までもう少し、あとひと踏ん張りですよ〉
“了解だ。より励む”
頬の筋肉を一通りほぐし終え、ふう、と一息入れていつもの調子で俺は応じた。
〈それじゃあ堅いし重ーい。もっとふんわり柔らかくしないと子ども達が身構えちゃいます〉
そこにすかさず、まだ気を抜くには早いとばかりに彼女の指南が飛ぶ。
“むう……分かった、よ。えーと……頑張ろう、ね”
〈グッドです。じゃあ、次は――〉
まだまだ道は険しそうだ、俺は彼女に見咎められないところでそっと”やれやれ”と首を振るった。


〈はい、到着ですっ。ここ、私のお気に入りの場所なの〉
ゆるやかな山道の傾斜を登りきり、ようやく目的地に着いたのか彼女は立ち止まって、小躍りするようにくるりと軽快にこちらへ振り返った。
俺はホッと息つき、その場にふらりと座り込む。
〈あ、あら、久しぶりの外出なのに、ちょっと無理させすぎちゃいました……?〉
俺の様子に気付き気遣う彼女に、平気だと首を振った。
部隊での訓練を思い返せばその程度どうということは無かった。確かにへとへとになりはしたが意識も五体も失わずに無事だ。
〈ごめんなさい、ついつい私一匹で張り切って振り回しちゃったみたいで。でも、どうしてもあなたをここまで案内したかったんです〉
“どうしてそんなに?”
首を傾げる俺に、
〈ほら、見て〉
と彼女は指差す。
その方を見やると、ひらけた木々の隙間から村の全体像を見下すことができるようだった。
一望に収めた村は、木々の枝が丁度よく額縁のように景観を縁取っているのも相まって、ますます絵画の一場面みたいに見えた。
〈ね、結構いい眺めだと思いませんか。なんだか絵に描いたみたいでしょ、ふふ〉
“ああ、悪くない”
俺と彼女は横に並んで座り、ぼんやりとその光景を一緒に眺めた。
〈私、ここから見える村の風景が一番好きなんです。何だか色々鬱憤が溜まってどうしようもなく『うわー!』って気分になっちゃった時は、よくここにこの風景を見ながら風に当たりに来るの。
あ、今日は別にそんな気分というわけじゃないですよ。ただ、あなたにこの村をもうちょっと好きになってもらえたらいいなーと思って。そして、出来るなら、このままずっと――〉


何か言い掛けて、彼女は思いとどまるように口を噤んだ。俺も聞き返すことはせず黙っていた。
一陣の風がさわさわと吹き抜け、彼女の耳と黒いフードが靡いた。
〈おっと、いけない、そろそろお弁当にしましょうか。いいかげんお腹空いちゃいましたよね。今日の献立は色んな木の実を使ったサンドイッチですよ。
えーと、これの中身は大人の辛さノワキの実、あなたは辛いのがお好きでしたよね。それは、とっても甘ーいカイスの実、私も子ども達も大好きです。
こっちは、後味渋いシーヤの実、子ども達にはイマイチ不評ですけれど私は結構好きなんです。何より美容に良いらしくて、食べた次の日は毛艶が違う……って、べ、別に普段から美容ばかり気にしているわけじゃありませんからね?それからこっちは――〉
彼女がいそいそとお弁当を広げていく傍ら、俺は風がどこか遥か遠くから極微かに運んできた、懐かしく忌まわしい臭い、燃え盛る炎、焼ける何か、灰の臭いを敏感に感じ取っていた。
部隊の者達は、スカー達は今も生き残り、小競り合いを続けさせられているのだろうか。
ふと頭を過ぎった。だが、そうだとしても、今の俺の身体の状態では部隊に戻る事は出来ない。
もし身体能力に問題が無かったとしたら、俺はまたあの中に戻りたいと思うのだろうか?
〈どうしました?もしかして食欲無いですか?〉
心配する彼女に俺はハッとして、頭に立ち込める懸念も振り払うように思い切り首を振るった。
“大丈夫だ、問題ない、よ。どれからがいいか迷っていただけだ”
〈そう、良かった〉
安心したように彼女は微笑んだ。

出来るなら、このままずっと――。
儚い想いが交差した。


日が少し傾きかけた頃、俺と彼女は教会へと帰り着いた。
〈いけない、ちょっと遅くなっちゃったわ〉
“俺に合わせたせいで、すまないな”
〈ううん、元はと言えば私があまり遠くまで連れ出しちゃったせいですもの。大丈夫、偶の寝坊で大急ぎで用意するのは慣れてますから――自慢できることじゃないけれど……時間までにパパッと仕上げちゃいます、お任せあれ!〉
はりきった様子で拳を握り尻尾と耳をピンと立てて見せる彼女の傍ら、何の事かと俺は首を傾げた。
〈何って、お夕飯に決まってるでしょ〉
“えっ!まさか、ここの食事はいつも君が作っていたのか?”
家事の手伝いをやっていると以前に聞いてはいたが、まさか料理まで賄っているとは知らず、俺は驚いて聞き返す。
今日の弁当だって、てっきり牧師――それもちょっと意外な気もするが――が拵えた物だと思っていたのだ。
〈あら、言ってませんでしたっけ?とは言っても、ポケモンの子達の分だけですけれどね。人間の子達と牧師様の分はいつもお手伝いに来てくれている村の女性が賄ってくれていますわ。
私も衛生面には十二分に気を使ってますが、悲しいかな私だって一応はネズミの端くれ、もしも万が一があったら大変なので……〉
少ししょんぼりとして彼女は答えた。
なるほど、と俺は頷きながら、そういえばニューラやバリヤードがシェフをやっているレストランがどこぞにあると風の噂程度に聞いたことがあるのをふと思い出した。
スカーのツラを思い浮かべると、奴が作ったものを食らうぐらいならその辺の雑草でも貪った方がマシなのではないかと思ってしまうが、努力の方向しだいでポケモンであってもシェフが勤まるとは、戦うだけが俺達の能じゃない、か。


正面扉をくぐると、例のステンドグラスが聖堂の奥で夕日を背負い、より荘厳そうな面持ちで待ち構えていた。
〈じゃあ、私はお夕飯の仕度をしてきます。準備ができたら呼ぶから、あなたは部屋で待ってて。その間、笑顔の復習はお忘れなく〉
“分かっているよ”と苦笑い気味に応じて自室に戻ろうとしたところで、俺は反射的に足を止めた。
“そういえば、俺の部屋はどっちだったかな?”
聖堂から他の部屋に続くドアは幾つかあって、俺は出発の時にどこのドアから来たのかすっかりと忘れてしまっていた。
何分、初めて村の中を出歩いたその日まで俺は殆ど部屋に篭りきりで、教会の内部すらろくに把握していなかった。
俺が呼び止めると、彼女はうっかり失念していた様子で振り返った。
〈ここ、正面扉から見て左手、二箇所ある内の手前側のあの扉から、廊下を渡って一番奥があなたの部屋ですわ。その隣が私の部屋、更に隣が牧師様のお部屋となっているので、何か困ったことがあったらすぐに訪ねてくださいね。
左手、奥側の扉は子ども達の部屋に続いています。そのお向かい、正面扉から右手に同じように二箇所、手前側の扉は食堂と台所に通じます。それから――〉
次は奥側の扉と言う所で、何か言いあぐねるように彼女は言葉を一瞬詰まらせた。
〈あの奥は、物置と祭儀等に使うお酒の貯蔵室となっています。ところで、あなたはお酒はお好きでしたっけ?〉
彼女の様子を少し訝しく思いながらも、“嗜む程度には”と俺は答えた。
〈あら。それじゃあどうしても必要な時はこっそりお分けするので言ってくださいな。だから忍び込むような真似をしちゃダメですよー〉
“スカーの馬鹿じゃあるまいし、そんな心配はいらないよ”
そんな事を心配しての態度だったのかと俺は一匹勝手に納得して、やれやれと呆れて言った。
〈そうですね、ふふ。それじゃ、私は頑張ってお夕飯の用意をしてきますね〉
“ああ、楽しみにしている”俺は彼女の背を見送った。


夕飯のお呼びがかかるまでの間、一匹俺は自室のベッドに腰掛けてぼんやりと過ごした。
なるべく何も考えないように無意識に努めていたのはきっと、久々の外出の疲れもあったろうが、無闇に頭を働かせる事で風が運んできたあの忌まわしい臭いと、伴う暗澹たる不安を思い返してしまうことを恐れていたんだろう。
やがて、静まり返っていた部屋にコンコンとドアをノックする音が出し抜けに飛び込み、空白に近くなっていた意識は風船を針でつつかれたみたいにびくりと慌てて飛び起きた。
夕飯の準備ができたとドアから顔を覗かせる彼女に、すぐに行くよと俺は平静に応えた。

彼女の後について食堂を訪れると、他の者達は既に席に着いて俺が来るのを待っているようだった。
集まっている面々は、牧師と見知らぬ若い女性――例のいつも教会の手伝いに来てくれているという村の女性だろう――と、朝に庭で遊んでいた人間とポケモンの子ども達、それとゾロアークの姿もあった。
牧師は俺の姿に気付くと、皆に注目するように声をかけた。
『さあ、今日の主役の到着だよ。静養の為に紹介できるのが遅れてしまったけれど、少し前からここで一緒に暮らしていた私達の新しい仲間だ。皆、仲良くしてやってくれ』
“ああ、その、どうもよろしく”
紹介にあずかり、俺は精一杯練習の成果を搾り出して挨拶した。
牧師はパチパチと笑顔で拍手し、他の面々もそれに続いた。
その中で唯一ゾロアークだけは不機嫌に腕を組んだまま俺に鋭い視線を向けていたが、彼女にじろりと睨まれ、渋々周りに合わせて手を打ち鳴らしていた。


全員席へと着き、食事が始まってしばらく経つと、右隣から『なーなー』と声をかけられた。
ぎくり、と俺は黙々と料理を口に運ぶ手を止めた。彼女のそれはそれはもう粋な計らいにより、俺と彼女の席はポケモンの子達と同じ列のちょうど真ん中に配置されていた。
子どもと接する機会なんて皆無に近かった当時の俺には、彼らは全く未知の生命体みたいに感じられた。
傍から様子を窺っていても、次の瞬間には何を考え、何を言い、何をしでかすのかまるで予想がつかない。
初接触時に強烈な勢いで迫られたことも、そんな印象を根強くさせていた。
ゆっくりと声の方へと振り向くと、頭でっかちの黄色いトカゲのような子ポケモンが好奇心に輝く目で俺を見ていた。
この後、一体どんな言葉が砲弾の如く飛び出してくるのかまるで予想がつかなくて、俺はオクタン達――蛸墨のみならず、水流に怪光線、機関銃のような威力のタネや岩、果てには炎まで口から吹き出す、手品師もびっくりの化け蛸だ――に十字砲火を浴びせられる寸前のような嫌な汗が微かに滲んだ。
すぐさま席を立って床に伏せ、安全地帯に転がり込んでしまいたい衝動が沸き起こるが、左隣からそっと促すように彼女に尻尾でつつかれ、仕方なく俺は腹を括った。
“なに、かな?”
恐る恐る、でもそれを悟られぬように俺は問い返した。
『にーちゃんって、ここに来るまえはどこで暮らしてたんだー?』


初っ端からヘタに触れたら致命傷になりかねない地雷のような質問だ。
所謂、戦災孤児達の集まる子の場で、よもや軍の下で兵器をやっていたなんて言えよう筈も無い。
例え牧師やあの女性、人間の子達には俺達が何を喋っているかは直接は分からないだろうが、ポケモンの子達が怯え出すのを見たら何かただならぬものを察してしまうだろう。
『おにいちゃんもセンソーのせいで逃げてきたの……?』
上手い言い逃れを思いつく前に、黄色いトカゲの子の隣に座る、薄灰色のふさふさとした毛並みをしたネズミかウサギみたいな子が心配そうな目で尋ねてきた。
巻き込まれたどころか、こちらはそのセンソーの加担者側だ。
『そのケガもやっぱりワルい兵隊とそのコワいヘーキ達のせい?』
その更に隣の、ダルマに短い手足を生やしたみたいな姿の子が駄目押しの如く援護射撃を加えた。
重騎兵のような虫ポケモン、シュバルゴ達に密集陣形を組まれ崖際まで追い詰められたような気分だ。
答えを待ち望むその瞳の輝きが、鋭い槍の穂先のように見えた。
〈えっとね、このお兄ちゃんは怪我のショックで色んなことを忘れちゃっているの。ですよね?〉
見兼ねた様子で彼女から助け舟が出され、
“あ、ああ。そうなんだよ。名前さえ思い出せない”
と俺はすかさず便乗した。

ええー!そうなんだ?
大変、かわいそう……。
記憶そーしつってやつ?

苦し紛れの言い訳だが上手い具合に納得してくれたようで、彼らはがやがやと話し合う。
俺はひとまずホッと胸を撫で下ろした。


安心も束の間、何か言いたげなな視線でこちらを睨むゾロアークに俺は気付いた。
『どしたの?そういや、シスターねーちゃんがこのケガしたにーちゃん慌ててつれてきた時、ゾロアークにーちゃんも一緒だったんだろ?こんなひどいことしたヤツが誰か、見なかった?』
様子に気付いた黄色いトカゲの子が、急に顎下から殴り上げるようなまたしても手痛い質問をゾロアークへとぶつけた。思わぬ飛び火にゾロアークの毛並みがぎょっと逆立つ。
『み、見てない。何も知らない』
どぎまぎとゾロアークはしらばくれた。
子ども達の前で、それも“ひどいことしたヤツ”と非難された上で、よもやそれが自分の仕業とはとても言えなかったのだろう。
『ふーん、そっかー』
と一応の理解を得、ゾロアークは安堵したようにそそくさと食事に戻った。
立場は違えど、同じように子どもにいいように追い詰められている姿に、何だか俺はおかしくなってフッと笑いを零す。
ゾロアークはばつが悪そうに俺を横目で睨んだ。
〈それより、みんな。あれこれいろいろ尋ねるよりもまずしなきゃいけないことがあるでしょ?ちゃんと自己紹介しないと失礼よ〉
彼女に諭され、そうだったと子ども達は顔を見合わせた。


『忘れててごめーん。俺はズルッグ!』
はきはきと元気よく黄色いトカゲの子は名乗った。
『私、チラーミィ。よろしくね、おにいちゃん』
そう言って、薄灰色のネズミみたいな子はひと懐っこい笑顔を浮かべた。
『僕はダルマッカだよ。えと、仲良くしてね』
もじもじと恥ずかしそうにしてダルマみたいに丸っこい子は名前を言った。
改まって自己紹介され、俺は何だか照れくさくなってぽりぽりと頬を掻きながら
”よろしく”とそれに応じた。

――わんぱくでいたずらっ子のズルッグ。おしゃまでお世話好きのチラーミィ。泣き虫だけど根は案外しっかり者のダルマッカ。
子ども達はみんな俺に良くしてくれていたが、中でもこの三匹が特に俺に懐いてくれていた。
時にイタズラやワガママに彼女と一緒にほとほと困らせられることもあったけれど……。
みんなみんな、良い子だった。本当に――。

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