第44章 - 6

ゾロアークが俺を襲った訳を知り、彼のことも彼女のことも責める気は起こらなかった。
ゾロアークの故郷を直接焼いたのは俺では無かったとしても、俺の今までの行いの中で彼と同じぐらいに酷い境遇にあった者は沢山いるだろう。背中に受けた傷は当然の罰。
寧ろ軽すぎるくらいだとさえ思った。――そう、この程度では軽すぎた。
“……彼の言う通り、俺はすぐにここを出て行くべきだ。迷惑をかけたな”
俺は立ち上がろうと体に力を込めようとした。
〈――!ま、待って、まだ安静にしていなければダメ!〉
彼女が叫ぶと同時、体に力を込めた瞬間、背中から全身に向かって熱した有刺鉄線にぎりぎりと締め付けられるような激痛が走った。
あまりの苦痛にに俺は声さえ上がらず、ベッドへと転げた。じとじととした汗が全身から滲み出た。
彼女は苦しむ俺の姿に耐え切れないように涙を滲ませ、躊躇う様に重々しく口を開いた。
〈……怪我の、後遺症です。以前にお医者様でもなさっていたのかポケモンの身体にもお詳しい牧師様のお話によれば、根気よく静養とリハビリを続ければ簡単な日常生活を送れる程度には回復することはあるかもしれませんが、それ以上は難しいかもしれない、と……〉
“な……に……?”
怪我の後遺症により、例えリハビリをしても以前ほど動き回る事はできないかもしれない。
――もう戦えるような力は出せない。深い深い底の無い穴に落ちていくような感覚だった。
死ぬよりも残酷で無慈悲な言葉に思えた。戦うことしか能のなかった者が、唯一の利点、存在している価値さえ失ってしまうかもしれなかったのだ。
〈ごめんなさい……!でも、幸い、あなたが軍の者だと言う事は私とゾロアーク以外は知りません。ゾロアークもあなたの事を言い触らして追い込むような卑劣なひとではない。あなたの事は、あなたが部隊で私にしてくれたように、私が絶対に守り抜いて見せます〉


“今度は俺が囚われの身というわけか、くっくっ……”
なすすべなくベッドに這い蹲って俺は自嘲めいた苦い笑いを漏らした。
俺の姿に彼女はやりきれないように深く俯いた。
しばらくして決心した様子で彼女は小さく息を吸い込み、目元をそっと拭って顔を上げた。
〈あなたが目覚められたことを牧師様にお伝えして来ます。それから、軽いお食事の用意を。あまり食欲はわかないと思うけれど、少しでも栄養を取っていかないと弱るばかりですもの〉
気丈に彼女は微笑んで、牧師に俺が目覚めたことの報告と、軽い食事の用意をしてくると部屋を出て行った。
少しして、コンコンとドアがノックされ、
『やあ、具合はどうかな?』
黒い独特の装束に身を包んだ人間の男、年齢は三十台半ば頃といった具合だったろうか、が気さくな様子で俺に声掛けて部屋へと入ってきた。
俺は警戒するが、身動き一つ取れない。
男は茶色いバッグを片手に傍まで来ると、くいと丸眼鏡を指で上げ直して俺の顔を覗きこんだ。
『うん、目を覚ましてくれたようでよかったよ。うちの子が大慌てで君を運んできた時は、本当に危険な状態だったからね』
それから男はまるで子どもにでも語りかけるみたいに穏やかな調子でポケモンである俺に語りかけてきた。
人間にそんな対応をされるのはそれまで初めてで、なんとなく呆気に取られた。と同時に、これが彼女の言っていた牧師か、とピンと来た。


牧師はバッグから診察道具を取り出し、てきぱきと俺の状態を診ていった。
俺はなすがまま抵抗せずにその様子を見ていた。牧師は冷静に診察しながらも、時折微かに表情を曇らせているようだった。
きっとあまり良い状態ではないのだと直ぐに読み取り、先程彼女が言っていた、後遺症で以前ほど体の自由は利かなくなるかもしれないという言葉が更に研ぎ澄まされて再び喉元に突き付けられた。
『じゃあ、ちゃんと安静にしているんだよ。目が覚めたんだから自由に動き回りたいだろうけれど、それはちょっとしばらく我慢して、少しずつ少しずつ動けるようになっていこう。なあに、焦る事は無いさ。ここには君のように傷ついて住処を追われた子達が他にもいて、暮らしている。だから、君もずっとここに居てくれていいんだからね』
包帯を取り替え終えると、牧師はゆっくり丁寧に俺に言い聞かせて、部屋を出て行った――。

「ちょっと待った!」
あっしはとうとう堪らず横槍を入れる。
マフラー野郎は「なんだい?」と片眉を上げた。
「おいおい、その牧師と”シスター”が言ってやがったことがマジってんなら、今のオメエは一体なんなんでえ?確かに、その、ひでえ傷跡があるのは見ちまったが、オメエの振る舞いやら戦いぶりを見てても、とても後遺症があるようには見えやがりゃしねえぞ?まさか二人にフカシをこかれたってことかよ?」


マフラー野郎は首を横に振るう。
「いいや、俺も二人も誰一人嘘は吐いちゃいないよ。彼らに誓ってね」
「じゃあ今のオメエの状態はどう説明つけるってんだ?オメエの身のこなしは今だってそこいらの奴よりもよっぽど軽快なくれえじゃねえか。はっきり言って、普通じゃねえよ」
「確かにね。俺が君の言う“普通”であったなら、俺は今もきっと二人が言っていたように自力で歩くのが精一杯ぐらいにまでしか回復しなかっただろう。だから今の俺の状態は普通じゃない。普通じゃいられなくなった、と言うべきか」
そこまで言って、マフラー野郎は“ふう”と一呼吸置いた。
「なあ、ヤミカラス。君は所謂幻のポケモンの存在って信じてる?」
「ああん?」
あまりに突拍子も無い質問に、くだらねえ冗談で話を逸らす気かとあっしは声を荒げて睨んだ。
だが、マフラー野郎は真剣な面持ちであっしの答えを待っているようだった。
「……んなもん、テレビのくっだらねえ胡散臭い特別番組とかでユーフォーだのユーレーだのと一緒に並べ立てられて、本当にいるだのいねえだの人間共が面白おかしく騒ぎ立ててるホラ話だろ?信じてるわきゃねえだろ。そんな話、今は関係ねえだろうが」
仕方なくあっしが答えると、マフラー野郎は再び一呼吸ついた。
「だろうなあ。だけど、それが関係大有りなんだよ。無理に信じろとは言わないし、言えないけれど。俺はその幻のポケモンと呼ばれているものの一柱と相見えることになったのさ。後にね――」


部屋に残されて一匹、俺は捨てられた空き缶のように虚しくベッドに転げていた。
彼女らの言葉は事実だと頭では理解してもにわかには受け入れ難く、無駄な抵抗を試みる度に背中から全身にかけてびりびりと走る激痛に打ち震えた。
俺自身は耐性があるから分からないが、電流を浴びせかけられた者はきっとこんな苦痛をいつも味わったのだろうかとぼんやりと思った。
無力に倒れ伏す都度、痛みと失意に頭は朦朧とし、部屋の角、机の下、棚の隅、暗闇という暗闇に“彼等”が見えた。
こんなざまでは二度と部隊に復帰することなど出来はしないだろう。
とても使い物にならないと処分されるだけだ。まるでゴミのように。
体の震えが止まらなかった。何も出来ない、取るに足らない、無意味で無価値なものとなることが何よりもとても怖かった。
いっそ殺してくれと俺は懇願した。だが、“彼等”は何をしてくるわけでもなく、ただ俺の無様な姿を嘲笑っているようだった。
最悪の精神状態だったよ。善意でやっている牧師や彼女の看護を、感謝するどころか、生殺しにされているとさえ思うようになっていった。
あの頃の俺は兵器として戦うことだけが己が存在できる唯一の理由であって、価値だって摺り込まれていたからね。
それに、罪悪感もあったと思う。
村には戦争の煽りを受けて悲惨な境遇にあった者達が大勢いるっていうのに、自分はその加害者側に属する存在だったんだから。


彼女に対して当り散らすような態度を取ってしまったことも何度もあった。
それでも彼女は献身的に俺なんかに尽くしてくれていた。
その姿に俺はますます罪悪感を煽られ、追い詰められるように感じて、意固地になっていってしまった。
無価値な屑同然の俺のことなんてとっとと見殺しにして、どこぞなりと打ち捨ててくれればいいのにと、どうすれば彼女は俺を嫌ってくれるのか、最低のど壷に嵌まり込んでいた俺は頭を捻り、一つ思い当たった。
そうだ、あの事を話してしまおう。今まで、彼女に恐れられては面倒だからと――嫌われたくなくて――ひた隠しにしてきたあの話。
彼女が軍へと捕まる原因となった森の火災は、俺が故意に放った雷が原因であること、それからそれから、他にも今まで戦場で行なってきた”黄色い悪魔”の非道の数々を包み隠さず。
俺は全てを彼女へとぶちまけた。
次に彼女の表情に浮かぶのは恐怖か蔑みか怒りか、俺はぜえぜえと息を荒げて待った。
しかし彼女は取り乱すことなく、
〈最初から、知っていました〉
と、少し曇った微笑みを返した。
“え?”と驚き竦み、俺は硬直した。
〈こんな片田舎ですけれど、森に住む方々や渡り鳥として立ち寄られる方々から、様々な風の便りを耳にします。その中でも、世にも恐ろしいという『黄色い悪魔』の噂は、どうやら私の同族らしいということもあって強く印象に残っていました〉


“知っていたなら、どうして……君は全く俺を怖がっていなかっただろう”
信じられない、と愕然として俺は問い返した。
〈逃げ遅れ、トラックに積み込まれる寸前まで私にも少し意識はありました。そこで次々と他の逃げ遅れた方々を運んでいく兵隊さん達と、一緒にいるあなたの姿がぼんやりと目に入っていました。
その時、すぐにピンと来たんです。あれが噂の『黄色い悪魔』だと。再び目覚めた時、そのあなたが目の前にいてすごく驚いたし、とても怖かった。でもね、次の瞬間にはそんな気持ち、跡形も無く吹っ飛んじゃいました〉
俺の恐ろしげな噂は兼々聞いてはいたが、実際に目の当たりにしたら恐れは沸いて来なかった、彼女はそんな風に言って、クスと笑った。
〈時々ね、ここに住むやんちゃな子達が、危ないから行っちゃ駄目っていつも言ってるんだけど、大人達の目を盗んで近所の森の奥に探検って称して遊びに行っちゃうんです。
普段はちゃんとバレない様に帰ってきているみたいだけれど、その時は奥まで行き過ぎたみたいで、中々帰ってこないあの子達をみんなで探しました。
やっと見つかった時のあの子達いったらもう……日ごろの強がりで意地っ張りな素振りが嘘みたいに、みんな寂しそうで頼りなげな目をしてわんわん泣きじゃくっちゃって、私までつられちゃいました。
あなたの目を間近で見て、あの時のあの子達の目にとても似ているなって思ったんです。寂しく儚げで何かに迷っているような目。スカーさん達にも似たものを感じました。そう思った途端、なんだかまるで怖く無くなったの。そっか、このひと達も同じなんだなって〉


俺や部隊の他の者達も恐れなかったのは、俺達がまるで迷子になった時の子どもと似たような目をしていたからだと彼女は語った。
“俺がやってきた事は、子どもが言いつけを破ったなんてものとは規模も数も違う。残虐に冷酷に他者の命を踏み台にして生きてきたんだ。許せるはずが……許されるはずが……!”
また胸が苦しみだし、俺は強く押さえ付けた。爪が食い込み、血が滲んだ。
〈確かに今まであなたは多くのものを奪ってきたのかもしれません。でも、あなたがその痛みを苦に己の命を投槍にしたところでそれが戻ってくるわけじゃない。
それどころか、あなたの言葉を借りるなら、あなたの代わりに”踏み台”となってきた方々の命が無駄に終わったことになってしまう……!
前にも話したかもしれませんが、私の両親は私がまだ物心つかない程に幼い頃、戦禍に巻き込まれて亡くなりました。幼い私だけが生き残っていたという状況からして、両親はきっと私を庇ったがために亡くなってしまったのでしょう。
その事で私も一時期、思い悩んでいた時期もありました。でも、ある時思ったんです。そして、変わったんです。両親の分、長く生きた代わりに、誰かの助けになって生きていこう。
それで両親がかえってくるわけじゃないけれど、私だけの力なんてたかが知れているけれど、同じような悲しみを味わうひとを少しでも減らすことが出来ればそれでいい。
自己満足かもしれないけれど、両親がそれで本当に喜んでくれるか確認しようも無いけれど、何もしないでずっとうじうじしているよりは絶対いい〉


己の所業を悔いて死ぬくらいであれば、犠牲になったものの分まで生きて償え。
彼女は己の境遇になぞらえて言外に言った。
その時の俺に彼女の言葉はとても酷なものに響いた。
ただでさえ一生涯背負っていくには押し潰されそうなほど重く、苦しいというのに、その荷を積まれる我が身は生まれたばかりのシキジカよりも弱弱しく、ろくに歩みもおぼつか無い無能の身だ。
“無理だ、無茶だ、出来っこない。最早こんな身で生き長らえたって、誰の助けにもなれはしないだろう。何の意味も価値も無い、寧ろ負担となるだけ。ならば死んでしまった方がマシだ。いっそ殺せ、殺してくれ……”
俺は頭を抱えて耳を畳み、駄々をこねる様に首を横にふるって叫んだ。
閉じた眼の裏からじわりと情けない熱が滲む。
まるで子どもみたいに泣きじゃくる俺を前に、彼女は毅然と構えて一息吸った。
〈そんなにいらないって言うのなら、その命、私が貰います!〉
びしりと一喝するように彼女は言った。びくりと俺は顔を上げた。


〈何の価値も無くて捨てていいって思っているものだったら、誰かが貰ってもいいでしょ?それからどんな風に扱われちゃっても文句は言えないはずだわ。
いっそ死んでも構わないぐらいの気構えがあるなら、どんな事だって受け入れられる。貰った相手がどんな負担を被っていようと、好き勝手に貰っていったんだからあなたには関係ない。
誰の助けにもなれないなんて、そんなの自分一匹だけで測れるもんじゃありません。やってみなくちゃわからない、出来ないとやらないは違うんです。だから、というわけで――〉
再度、気を入れなおすように彼女は大きく息を吸った。
〈あなたを私にくださいッ!〉
ぴしっと指をさして勢いよく彼女は言い放った。
俺は何だか圧倒されたようになってぽかんとその姿を見ていた。
一拍の沈黙の後、放った言葉の意味が色恋の告白の類にも取れてしまうものと気付いたのか、彼女はハッとして、黄色い顔がみるみる真っ赤に染まっていった。
〈え、えーと、今のは変な意味じゃあなくって、その……ああ、ダメ、上手く言えない〉
先程までの威勢は途端になりを潜め、しどろもどろになって弁解しようとしていた。
“くく、ははは……なにをやっているんだ”
そんな様子を見ていると、何だか不可思議な笑みが湧いたきた。
良い意味で肩透かしを喰らってしまった様な、奇妙な感覚だった。
“……分かったよ、俺の命をくれてやろう。元々、落としたも同然の所を拾われた身だ。君の言い分に従おう。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。”

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