第44章 - 3

『アホか!あれは仲良く顔を突き合わせてんじゃ無くて、鼻持ちならねえクソッタレに睨みを利かせてやってたんだよ。それ以外で野郎なんかと仲良く顔を突き合わせる趣味なんざねえ』
〈でも本当に嫌いあってるのでしたら、顔を少しでも向き合わせるのさえ嫌なはずですっ。教会の子ども達を見ていても、喧嘩をしている子達は顔を背けあっちゃってお互い見ようともしませんもの。その内すぐに放っておいても仲直りしちゃうんですけどね、ふふ〉
『あのなあ……ガキと一緒にするんじゃねえよ。やれやれ、どうにも頭がお花畑のようだな、オメェ』
〈お花畑……?私は一応、電気ポケモンの端くれなので、残念ながらお花を咲す事は出来ませんけれど、本当にお花畑になっていたら鏡や水面を見るたびに素敵ですね。あなたの頭のその立派な赤い扇状のお花が羨ましいです〉
『俺の頭のこれは、花なんかじゃなくて鬣だ、タ・テ・ガ・ミ!嫌味で言ってんのがわからねえか。鼠や猫、獣に本当に花が咲くわきゃねーだろうが』
〈あら、近所の森に住むシキジカちゃんやメブキジカさんは、鹿――れっきとした獣ですけれど、春になると頭や角にお花が咲くんですよ。あれが本当に可愛くて〉
『テメーのご近所さんなんてしらねーよ!』
懲りずに悪態を振り回し突っかかっていく黒猫を、彼女は天然でやっているのか、狙ってやっているのか、まるで悪意を蒸留して無害に変えてしまう機械でも頭に埋まり込んでいるかのごとく意に介せずに、のほほんとした調子で往なして行った。
その間俺はまるで出る幕無く、呆れを超え、ただ圧倒されてその様を眺めていた。
そんな応酬が続き、やがて、
『も、いいや……何か、もう疲れた……』
とうとう黒猫は根負けし、精根尽き果てた様子でふらふらと自分の席に戻っていった。


あの黒猫が荒事も無く口先で屈した。余興のように傍観していた他の奴らも、唖然とした様子でざわざわと騒ぎ立っていた。
その中央で茶色い羽の大きな鳥が袋を抱え、何やら悔しがっているポケモン達のもとから食料をてきぱきと徴収していく。
粗方集め終わると鳥ポケモンは悠然と彼女の方に歩み寄り、木の実がたっぷり詰まった袋をまるで勲章の授与でもするみたいにもったいぶった動作で手渡した。
〈えと、なんですか、これ?〉
一体何のつもりだろうと彼女はきょとんとして首を傾げた。
『スカー殿とネズミ殿、どちらが勝つかという賭け遊びが、よもやこんな結果になるとは。それは偉大なる武勲への褒章である。あのスカー殿を弁舌のみで降すとは実に見事であった』
鳥ポケモンはビシリと翼で敬礼し、声高々に大げさに称えた。
〈降すって、私はスカーさんと楽しくお喋りさせていただいただけですわ。それに、この中身は宿舎にいる皆様のために配られたものでしょう?お気持ちは嬉しいのですが、私のような者がこんなに沢山受け取るわけには参りません〉
スカーとはただ楽しく喋っていただけだし、皆の分であるものをこんな受け取れない。
困惑して返そうとする彼女に、鳥ポケモンは”フッ”とキザたらしく頭の派手な色をした長い羽を撫で、丁重に押し返した。


『はっはっはっ、謙遜を。その中身は全て賭けの勝者に贈られるべくして集められたものであり、結果として賭けは君の一人勝ちのようなものだ。気にせず配当として受け取られよ。我が名はピジョット。今宵の輝かしい勝者の名、是非ともお聞かせ願いたい』
〈あ、はい!私は――〉
それから結局、俺が懸念していたような事態は起こらず、彼女は全くの無血でもって己の存在を知らしめ、認めさせてしまった。俺には何をすることも、する必要も無かった。

食堂から帰る途中、面白くて楽しい方々だった、と彼女は食料の詰まった袋を抱えて嬉しそうに笑った。
俺は関心と呆れ、安堵が複雑に入り混じった息を吐き、“大したものだよ、君は”と呟いた。
そんな俺に彼女は袋から木の実を取り出し、そっと手渡して微笑む。
〈別に何も大したことなんてしていません。私はただ普通にいつも通り皆さんと接しただけですもの〉
“奴らを相手に、容易いことじゃあない”
〈それはあなたが偏った見方をしているだけですわ。見た目や評判、勝手な決め付けで壁を張って接されたら、誰だって身構えちゃいます。それでますます相手が悪い風に見えて……どんどん悪循環。本当は仲良くなれるかもしれないのに、そんなのって悲しいじゃないですか〉
奴らのことがさも悪そうに見えるのは、俺が偏った目で見すぎているだけだと彼女は諭す。
偏った決めつけなどではなく奴らの普段の蛮行や素行の悪さは事実であるのだが、彼女の恐れや分け隔ての無い態度が、物事を丸く治めてしまったのもまた事実。
何だか腑に落ちないながらも、俺は言い返すこともできず、やれやれ、と力なく首を振るうしかなかった。


部屋へと戻って件の”配当”を分け合って食べ終えると、俺は寝具を彼女に譲り、自分は壁に寄りかかって眠りに付くことにした。
彼女は申し訳なさそうにしていたが、
“硬い床で寝るのは慣れている。寧ろ落ち着くくらいだ”
と俺は強がって、どうにか納得させた。

翌朝、パタパタと何かが忙しなく室内を駆けずり回る音で俺は目覚めた。
〈おはようございます。すみません、起こしちゃって〉
俺に気付き、にこやかに彼女は雑巾を手に挨拶した。
一体、何のつもりだと尋ねると、
〈はい、何もしないでただボーっと身を置かせて貰うと言うのは申し訳ないので、宿舎のお掃除とか、洗濯とか、私でも出来る範囲のことをお手伝いさせていただこうかと思いまして〉
何もせずに身を置かせて貰うのは悪いから、せめてその間は掃除や洗濯等、簡単な身の回りの世話をしたいと彼女は言い出した。

俺は“君が連れてこられたのはこちらの手違いであって、気を使う必要は無い”と、止めた。
それに、もしも彼女が俺の目の届かない場所で何かあっては一大事だ。
昨日は何事も無く済んだが、彼女がまな板の上のコイキングが如く一匹で居るのを見たら、いつ奴らは手の平を返してもおかしくは無い。
大人しく部屋に篭っていてくれるのがこちらとしては一番助かった。


〈いーえ、そういうわけにはいきません。昨日、食堂へ挨拶に伺う途中と帰りに、何気なく廊下や、他の部屋の様子を拝見させてもらいましたけれど……不躾ですがどこもかしこもあまりに不衛生!
これじゃあその内、皆さん病気になっちゃいます。牧師様も少しだけずぼらな所があるけど、それ以上だわ。私に是非お任せください。手強い相手ですが、必ずやぴっちりすっきりお部屋も廊下も磨き上げて見せます!〉
だが、彼女はかつてない程に強力な相手、宿舎の汚れを目の前にしてやる気を奮い立たせた様子で、意思を曲げようとはしなかった。
その気迫に、老練したボスゴドラやオノノクスを目の当たりにした時の、この部隊の戦闘狂いバンギラスの姿が被ってさえ見えた。
甲殻や鱗、牙に刻まれた数々の武勇を物語る錆や傷を睨め回しているバンギラスのように、床や壁や窓の格子に染み付いた錆や汚れを、闘志に滾る目で彼女は見回す。

これは、もうどうにも止まらない。
瞬時に判断し、俺は止めるよりもフォローに回ることを考えた。
仕方ない、彼女が雑用に宿舎を巡る間、俺も着いていって見張るしかないだろう。
面倒で危険だが、放っておくことは出来なかった。
“分かった。その際は俺も同行する”
大変な拾い物をしてしまったものだと、内心で毒づきながら俺は申し出た。
〈あら、もしかして手伝ってくれるんですか?嬉しいです、やっぱり一匹だけより二匹のほうが捗りますから〉
それを聞き、もしかして手伝ってくれるのかと彼女は微笑んだ。
“い、いや――”
そこまではするつもりは無い。俺は言いかけるが、彼女の嬉しそうな笑顔を前に、口が止まった。
“……了解した”
押し負けて、溜息と共に漏らすように俺は言った。


その後、宿舎で過ごしている間、彼女は暇さえあれば宿舎を掃除し、汚れ物を洗濯し、食事の配膳を手伝い等々、甲斐甲斐しく働いて回った。
懸念していた他のポケモン達の動向も、自分達に怯えて媚びているわけではなく、ただただ誰かの為を想って尽くす彼女の姿を見ていて、悪さをする気など陽の光に当てられたカビのようにしょげてしまうのか、誰も手出ししようとはしなかった。
それどころか逆に彼女を手伝おうとするものまでチラホラと現れる始末だった。
細かいことが大嫌いなブーバーンが細々とした窓の隅々までの清掃や、干した洗濯物の取り込みを紳士的な態度のまま手伝い、腹さえ減れば椅子さえ食らうマルノームが、小休止している彼女にたったの一つとはいえ、なけなしのオボンの実を分けようとしたのは誰もが目を疑った。
人間達も彼女の存在に気付き、最初は一体誰が何のために、いつの間に連れ込んでいたのかと怪しんでいたが、――俺の持ち主はずっと口笛交じりに素知らぬ顔を貫き通していた――特に害はなさそうだし、寧ろおかげで宿舎の衛生状態とポケモン達の態度が良くなっている様だと、彼女がちょろちょろしていても気にしないようになっていた。

俺も彼女を見守りながら手伝わされている内に、嫌でも他のポケモン達と関わる機会が増え、時に悪態を交わし合い、殴り合い、半ば殺し合い、それを彼女に窘められて渋々協力し合い、を繰り返している内に、何だかぎこちないながらも奴らと慣れ親しまされていった。


最低の掃き溜めだと蔑んでいたここでの暮らしも、案外と満更でも無いのかも知れない。
そんな風に思える程に、宿舎は床も壁も空気も住んでいる者共さえ少しずつゆっくりと、ろ過機装置にかけられた泥水みたいに汚れが落とされていくように感じた。
その一方で、俺達が駆り出される戦いの場は、ぶり返した病のように過酷なものとなっていった。
戦況は依然、自国の圧倒的優位には違いない。だが、前線に配備される者達の死傷率は上がっていた。

そもそもこの戦争の切っ掛けとなるものが何であったか。
確か、反政府的な武装組織の首謀者が敵国に逃げ込み、引渡しを自国が要求したところ、敵国がそれを拒否したのが発端だったか。
いや、敵国が強力な兵器を開発していると断じて、自国がその廃棄を要求したのが原因だったかもしれない。
まあ、どちらであろうと、両方だとしても、さして違いは無いことだ。所詮、表向きに振り翳すために創られた大義名分でしかない。

真の目的は別にあったんだ。自国だけではない、敵国さえも一介の者達には知る由も無い水面下で、その“目的”を追い求めていたのさ。
もしも“目的”が手中に収まれば、俺達ポケモン、ことに遺伝子に関する研究は猿が火を得たが如く飛躍的に進む。
そうやって得た成果を歪な形に応用し、存分に悪用するために。


一介の者達以下の兵器の一つでしかなかった俺達はそんな事は露知らず、占領した地区の治安維持の傍ら、うわべの名目である世界平和の敵たる武装組織の首謀者だったか、強力兵器の開発者だったかの狩り出しを命じられていた。
『楽しい楽しい延長戦、エクストラゲームの始まりだ。死神の奴はまだまだクズ共を食い足らなくて、デザートまで要求してるらしいや。嬉しいねえ、クソッタレが』
そんな風にスカーは毒づいて、どこか乾いた笑いを浮かべていた。

治安維持と捜索にあたる中、自軍は幾度と無く敵の攻撃にさらされた。
それは大規模なものではなく、少数による待ち伏せや、民間人に偽装した者達による奇襲と、捨て身に近い特攻だ。
如何に手練であろうと虚を突く攻撃は中々に凌ぎ難く、加えて優勢に浮かれた者達の足はいとも容易く掬われた。
しぶとく図々しくドブに巣食うコラッタの如く今まで生き抜いてきた俺達の部隊からも、ぽつぽつと犠牲となる者が出だした。
まるでふるいにでもかけられるみたいに徐々に徐々に。
殺しても死にそうにないと思っていた奴等が本当にあっけなく、容赦なく。

犠牲が出る度、あの子はもう空き部屋となった宿舎の一室で、何時間もずっと寝食を忘れて祈っていた。
俺も祈りこそしなかったが、胸の片隅に極々微かな虚脱感のようなものを抱きながら、ぼうっと彼女の後姿を見守っていた。


『なんだよ、なんだよ。まぁた、なぁんにも食わねーでそうやってんのかい、シスターちゃんよぉ』
あれはマルノームがやられた時だったか、ほろ酔い加減のスカーの奴が、祈る彼女のもとへとやってきた。
『ヘッへ、あの食い意地の張った阿呆のことだ。地獄だか冥府だかに落とされようと、鬼やら悪魔やら亡者共を片っ端から味見して存分に楽しんでやがるさぁ!そんなことより一緒に飲もーぜ、シスターちゃん。酌してくれよぉ。ネズ公も来いよ!』
スカーはニンマリと笑い、兵士達からくすねてきた酒瓶を片手にちゃぽちゃぽと揺らして誘った。
彼女は無言で首を横に振るい、黙々と祈り続けた。
俺は嘆息を吐き、“後にしろ”と窘めた。
『ちぇっ、ノリわりぃなぁ。そんな奴に……俺達に、ご丁寧に祈りを捧げてくれる必要なんざねぇ。寧ろ、出来損ないのろくでなしがまた一匹この世から消えて清々したってぇ、祝杯をあげにゃなんねえくらいだ』
瓶をクイッと呷り、酒気にまみれた息と共にスカーは言葉を吐いた。
“やめろ、スカー”
声を荒げる俺を、ヘッとスカーは鼻で笑った。
『気取んなよ、ネズミぃ。俺達ゃ出来損ないはどーせ最初から、無残にくたばる為だけに生まれて来たんだろが。ついでに何人何匹何羽何頭の老若男女を道連れにしてからな。出来る事は周りに害を振り撒き続けることだけ。生きている意味も価値もねえのさぁ、ヒャッハッハ……』
嘲るスカーの笑い声は、どこか自棄めいて微かに震えていた。
そこで、急に彼女は聞き捨てならない様子で顔を上げて、スカーの方へと振り向いた。


『おっ、やっとその気になったか、嬉しいねえ。待ってな、もう一瓶マヌケ共の懐からくすねてきてやるよ』
気を良くした様子で酒を取りに行こうとするスカーを、彼女は違うと止めた。
〈……どんな命にだって、必ず生きている意味はあります。価値の無い命なんてありません、絶対に!〉
普段、まるで敷き詰められた羽毛みたいに満遍なく物柔らかな態度を崩さない彼女が、少し語調を強めて、どんな命にも必ず生きている意味はある、そう言い切った。
スカーは面を食らった様子で目をぱちくりとさせた後、気を取り直すように茶化して手をひらひらとさせた。
『キレー事の慰めはいいんだよ、シスターちゃん。アンタも少しの間だが見てきただろ、あの紫色の膨れ袋のどうしようもねえ生き様をさぁ。腹が減りゃ暴れ、下手すりゃ仲間でも食いかねない。それをぶん殴ってでも止めるのが骨なんだ、また。まあ、もうそんな心配もねんだけどな……』
〈確かに、お腹が空いて暴れるマルノームさんにはちょっとびっくりしました。でも、ちょっと、かなり乱暴な方法だけれど、スカーさんがそうやってマルノームさんを落ち着かせている内に、段々、少しずつだけれどそんなことも減っていったじゃないですか。
マルノームさん言ってました。自分が暴れて怒られた後、部屋に帰るといつも誰かさんが食べ物を置いていってくれたんですって。それが嬉しくて、申し訳なくて、もう少し自分を抑えられるようにしなきゃだって〉
『あの野郎、余計なこと吹き込みやがって……さあて、どこの誰だろうな、ンな物好きは』
〈マルノームさんが涙を呑んだ様子ながら私に貴重なオボンの実を分けてくれようとしたのも、少し疲れて掃除の途中で休憩していた私を誰かに怒られてしょげているのかと勘違いしたらしくて、それを誰かさんが自分にしてくれたように慰めてくれようとしてのことだったんです。
誰かにされた嬉しいことって、他の誰かにもしてあげたくなるんですよね。なんだ、害を振り撒き続けることしかできないなんてこと、無いじゃないですか〉

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