第44章 - 22

『――スカー殿とはそりきりだ。しかしながら、如何なる修羅の場も己だけは生還し、不滅と忌み恐れられた黒い死神殿のこと。必ずや今もどこかで生きている。そうさな、今宵の晩餐の我が割り当てを全て賭けてもよい』
自信深げにピジョットは微笑んだ。
部隊時代、彼が同じ文句で賭けを持ち込んで負けた姿を俺は見た事が無い――シスターというイレギュラーが迷い込んだあの晩を除いて、だけれど。
“確かに、あの黒猫なら百万回殺したとしても足りずに生き返ってきそうだ。俺も賭けるなら生きている方に、だ”
『うむ困った。まるで賭けにならぬな、はっはっは』

スカーを対岸に送り飛ばした後、ピジョットは再び敵の方へと向いた。
それからとった行動は攻撃、逃走、そのどちらでもない。
風が止んだのを見計らい迫る鋼ポケモン達を見据え、ピジョットは翼と足をそっと畳んでその場に堂々と座する。
無抵抗。それがピジョットの選んだ手段だった。
『逃走の中、彼奴らは我らを本気で仕留めようと思えば仕留められた筈の局面が何回かあった。彼奴らは出来うるならば我々を生け捕りにしたいのではないか、私はそう考えた。ならばこの場はあえて捕まり、翼の傷をどうにか飛べるまでに癒した後、内部より逃げ出す隙が生まれる可能性に賭けたのだ』


突如、片割れを崖へと吹き飛ばし、己は今まで見せていた抵抗が嘘のように黙して座り込む。
敵にとってピジョットの行動はひどく奇異に映っただろう。
ポケモンなど所詮はろくに知恵も持たない畜生、道具、多少は自律思考のできる兵器としてしか見ていないであろうあの類の人間達には尚の事。
隊列が止まり、いぶかしむ視線としばらく睨み合った後、後方の人間が何やらポケモン達に指示を飛ばした。
すぐさま鋼ポケモン達は列に隙間を空け、その間から黄色の体毛が生えた大蜘蛛ポケモンがずんぐりとした六本足を虫特有のどこか機械めいた規則ある動作で交互に揺らしながら、獲物を刺激しないようゆっくりと進み出る。
大蜘蛛は巨大な二つの目と四つの小さな目でしっかりと狙いを定めると、ピジョットに向けて大量の糸を吹き付けた。
糸が身に絡んだ瞬間、ピジョットは全身に雷に打たれたような衝撃を受ける。
激しい痺れと痛みに薄れゆく視界の中、モンスターボールを片手に歩み寄る人間の姿が見えた。

『次に私が目覚めたのは、薄暗い檻の中だった』
まだぼうっとする頭と視界でピジョットは己の置かれた状況を探った。
檻の内部は不気味なまでに清潔に保たれ、漂う消毒液のような臭いがツンと鼻を刺激する。
目が徐々に慣れ格子の隙間から外を窺えば、ずらり並ぶ同型の檻と、収容されているポケモン達の姿があった。


捕らわれの者達は大小種別様々であったが、目と顔つきを見れば堅気ではない、自分と同類の者達であろう事はすぐに察しがついた。
一体ここはどういった場所なのか。もっと手がかりとなるような物は無いか探ろうと立ち上がると、妙に足元が浮つき、ふらつくような感覚に襲われ、よたよたと檻の壁へと寄りかかる。
『あらぁん、お隣さんもお目覚めぇ?』
そんな折、物音に気付いたのか、壁越しに声が掛けられた。
姿は確認できないがきっと自分と同じように捕らえられているのであろう声の主の言葉遣いはわざとらしい程に女らしいが、声質はいやに野太い。
奇妙に思いつつもピジョットはその声に応じ、自分達が置かれている状況について分かる事は無いか尋ねた。
すれば、ここは船上であり、自分達はどこぞの島国へと秘密裏に輸送されている最中だと声の主は語った。


どういう目的があってのことか更に追求すると、声の主は知ったこっちゃ無いと不機嫌に答える。
『まーた扱き使われちゃうか、何かの怪しい実験の材料にでもされるか、危ないブローカーにでも身売りされちゃうか、どーせろくでもない事は保障するわぁん。ほんっと、あたしが元居た所も大概だと思っていたけど、こっちの軍ってもっとサイテーねぇ!』
聞けば、声の主は元々敵軍のポケモンであったが、とある作戦にて自分の部隊が全滅し、鹵獲されてきたのだという。
『初恋のヒトだった主人の下から引き離されるわ、わけわかんないものの追跡に無理矢理付き合わせられるわ、それがやぁーっと済んだと思ったら、今度はこんな狭苦しい場所に押し込められて島送りよ!もう最悪!』
えらくドスの利いた声でぷんぷんと声の主は憤慨した。


『わけわからないものの追跡、と?』
ピジョットは首を傾げた。
自分達を追っていた集団の目的は軍の暗部の火消し、多くは脱走した兵器用ポケモン達の捕獲する事にあると踏んでいた。
ならば、幾らこの声の主がただ言いなりになって使役されていたとはいえ、追跡の標的を“わけのわからないもの”と評するのは少しばかり妙だ。
『わけのわからないものと言ったらわけのわからないものよぉん。最初は脱走者を捕まえさせられてるだけだと思っていたんだけどぉ、捕まえる度に白衣来たモヤシ共がしゃしゃり出てきてねぇ。
変な機械みたいなので捕まえた子を調べてはがっかりしてたわぁん。ギタイしてどうとかテキゴウがどうとか言ってる事が呪文みたいにちんぷんかんぷんだし、ひょろっちい体に薬の臭いぷんぷんさせて、ホントあいつら嫌いよぉ。
やっぱ男だったらがっちりむっちりとした筋肉とぉ、身から漂わせるのは香水や薬じゃあなくて男臭い汗でしょ!汗! それからそれから肌はちょっぴり浅黒でぇ――……』
沸き起こる胸焼けと悪化した眩暈を堪えつつ、ピジョットは更なる疑問を口にする。
『あー……して、そのわけのわからないものの追跡は如何なる結果に終わったのだ?先程、そなたは“それがやっと済んだ”と申していたが』


『もぉー、何なのよさっきから根掘り葉掘りぃー。そんなにアタシと話したいの、お兄さん?ま、退屈だったから良いけどぉん。
そうそう、アタシが捕まえたわけじゃないしぃ直接は姿も見れて無いんだけどぉ、とうとうそいつが捕まったらしいのよぉん。ええと、確かどこかの高地で?
分厚くて大きいガラス管みたいな機械を大層丁寧厳重にこの船に積み込まれるのを見たからぁ、きっとその中にそいつが入れられてるんだと思うわぁん。それに比べてアタシらの扱いってば、こんなテキトー大雑把に檻に放り込まれるだけ。ほんと失礼しちゃう!』
再びぷんぷんと声の主は怒り出し、檻がミシミシと揺らいだ。
結局、集団の正体と目的の情報は漠然とした者しか得られなかった。
しかし、ピジョットにとって最早それはさして重要ではなかった。
肝心なのは自分と周囲の状況を把握する事と、そこから脱走の為の最善の一手を紡ぎ出す事。
最大の好機はすぐ手の届く場所にある。そうピジョットは読んだ。
今、警備の目はきっとその船内のどこかでガラス管に封じ込められた何者かに集中している。
仮にも兵器用ポケモン達を収容している檻だのに、監視の目が殆ど無い。
もしも、積み降ろしの際にでも何かしら大きな騒ぎが起きたとしたら、その大事な何者かを騒動から守る為に大きく人員を割かれる事になるだろう。
騒動に紛れて何匹かポケモンが逃げ出したとしても、追跡にあてるような余裕はあるだろうか。
そんな事よりも”大事な何者か”を騒動で集まってきた他者の目から隠し、安全な場所へと移送する方がよほど大事に決まっている。


加えて、隣の檻には現状に大きく不満を持った、同志となりえそうな者の存在。
姿は見えないが、声の野太さと一挙一動から伝わってくる振動からして、かなりの大柄とみえる。有事には随分と頼りになりそうだ。
『話を聞くにそなた、己の置かれた状況が相当に不服とみえる。しからば、私に協力してみないか?』
ピジョットは声の主の説得を試みた。
溜まりに溜まった鬱憤をつつき、自由の素晴らしさを謳い、雄弁に力強く語る。
『……いいわ、危なっかしいけどアンタに賭けてやろうじゃない』
暫しの説得の後、ぐっと決意を固めた様子で声の主は応じた。
『例え失敗しても、ひとりでも多く道連れに出来れば本望。最後に一花咲かせてやるわ』
『恩に着る。我が名はピジョット。背中を預ける同志の名、お聞かせ願いたい』
『アタシはカイリキー。よろしくねぇん、ピジョットのお兄さん。ねぇん、声からして、アナタ結構良い男なんじゃあない?お顔を見るのが、楽しみぃ!』
『その……つかぬ事を聞くが、そなたは一応、いや、失礼、女性……でよいのか?』
『うふふ、心はオ・ト・メ』
ピジョットは唖然とし、背中を預ける事への異質・異様な危機感を覚えた。


カイリキーを説得すると、会話が耳に入っていたのだろう他のポケモン達も次々に協力を申し出てきた。
願ってもないと快く受け入れ、時折訪れる見張りに悟られぬようじっと機会が訪れるのを待った。
やがて、船がガツンと一揺れし、足元が揺れ動くような否な感覚が少しばかり緩和されたように感じた。
ピジョット達は緊張の糸を張り詰め、五感を研ぎ澄まし、その瞬間に備える。
扉が勢い良く開けられる音が響き渡り、カツカツと近付いてくる人間の足音。
程なく足音はピジョットの隣、カイリキーの前でぴたりと止まった。
大人しくしていろ。恐らくはその様な高圧的な命令がその者の喉元を出来る前に、格子が激しく揺れ、一瞬の叫び声、締め潰されたホースから漏れるような呻き、何か大きなものが盛大に叩き付けられる音へと流れるように鮮やかに変わった。
『あーん、スッキリした。コイツは前々からブチのめしておきたかったのォ。コイツ、アタシの今の飼い主だったんだけどホントクズ野郎でねェ……』
『音を聞きつけた者が駆けつける前に、其れの懐から鍵を見つけ急ぎ脱出を』
焦り、ピジョットは言う。
『鍵ぃ?今更、そんなの必要ないわァん。ダイジョーブ、ダイジョーブ。こーんなちゃちな檻で、アタシのハァトを捕らえて置こうなんて――』
めりめり、みしみし、と隣から振動が伝わる。
『笑止ィッ千万ッ!我が鍛え抜きし肉体はァ、岩や鋼をも凌駕するゥッ!』
豪快な雄たけびと共に、鉄格子の破片が隣の檻から弾け飛んだ。


ずしりずしりと轟音響かせ、灰色の巨体がぬっとピジョットの檻に顔を覗かせ、ニッと黄色いたらこ唇を歪ませ暑苦しい笑みを浮かべる。
『うふふ、一緒に逃げる子も増えちゃったし、チマチマ合う鍵を探すよりももうブッ壊しちゃった方が手っ取り早いでしょう?』
想定していた以上のカイリキーの行動・能力・容姿・全てに圧倒され、ピジョットは呆然としながらこくこくと頷くしか出来なかった。
『それにしても……』
まじまじとカイリキーはピジョットを見つめる。
『やっぱりアナタ、期待通り、結構良い男ねェ!頭の洒落た色の長い羽とか、伊達男って感じでステキィッ!ねえェん……もしも無事に逃げられたらさァ、ふたりで――』
『先の話より、今はまずここから出していただきたい』
きっぱりとピジョットは話を遮って言う。
『もう、イケズゥ!』
カイリキーは筋肉で岩山のようにゴツゴツになった四本の腕で鉄格子を掴むと、あたかも針金細工のように軽々ぐにゃりと曲げて引き千切る。
そうして、次々と他の者達もカイリキーの手によって檻から解き放たれていった。


駆けつける“奴ら”を抵抗の暇も与えぬ怒涛の勢いで蹴散らし、派手に暴れ回りながらピジョット達は外を目指した。
船の混乱が外へ陸地へ極力大勢の者達にまで伝わるように。
船外へ出ると辺りは薄暗く、夜の帳が落ちていた。
陸地には殺風景造りの倉庫がずらり並び、掛けられたタラップの先には“奴ら”の他に如何にもな風貌をした黒服の人間達が大勢待ち構えていた。
黙って捕まっていれば恐らくあの黒服の集団に自分達は売り払われたのだろう。
事態を沈静化しようと黒服達も多くのポケモンを展開し、ピジョット達に睨みを利かせていた。
『チッ、想定よりずっと数が多いじゃなぁい。まぁいい、やるだけやってやる。ひとりでも沢山、アタシ好みを地獄ツアーに招待しちゃうからッ!』
ぼきぼきと四つの拳を慣らし、カイリキーは防御を捨てた決死の態勢をとる。
呼応して、他の仲間達も鬨の声の如く血気盛んに咆哮をあげた。
『いや、皆の者!暫し攻撃は待て!』
ピジョットは叫び、戒める。
相手は多勢、下手に打って出れば必ずこちらにも被害は出る。
もしもこのまま起こる戦闘の喧騒に乗じれば、翼のある己は容易にひとりで逃れる事は出来るだろう。
かつてのピジョットであればそうしていた。他を捨石として焚き付けて陽動し、その隙に自分はより確実な安全牌を選ぶ。そうやっていつも生き残ってきた。

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