第44章 - 20

旅の間、一所には決して長く留まらなかった。
旅の目的上というのもあるが、村の跡地を探っていたあの奇妙な連中に俺自身が付け狙われるようになっていたからだ。
奴らの狙いは俺が地下から持ち出したミュウの毛皮か、ミュウに何かされた俺自体か、その両方なのか、結局ハッキリはしなかった。
言葉の通じない人間を問い詰めることは出来ないし、使役されているポケモン達もろくに事情も知らないままに従っているだけだ。
一つだけわかったのは軍の関係者だったであろうことだけ。
人間もポケモンも何人何匹か過去にどこかの戦場で見た覚えのある顔があった。
その中にはかつての同胞、同じ部隊の仲間の姿もあった。
極力、戦いは避けるように努めた。逃げ、隠れ、時には説得し……。
どれも効かず避けられない時は出来る限り相手に大きな負傷をさせぬようにした。
だが、ただの一度だけ取り返しのつかない大怪我を負わせてしまったことがある。
それも同じ部隊の仲間だった者にだ。

バンギラス――重い腰を上げさえすれば部隊一の実力であったあいつを相手に加減をする余裕はまるで無かった。
何日にも渡る追跡劇と死闘の末、俺はあいつの片目を奪ってしまった。
強者との戦いを何よりの愉悦とするあいつにとって、戦士の生命線の一つたる目を奪われ、尚生かされることは耐え難い苦痛と屈辱だったろう。
まだどこかで生きているならば、いまだ俺を深く恨み憎んでいるかもしれない……。


ある時を境に、急に奴らはぱったりと姿を現さなくなった。
俺を追うのを諦めたのか、はたまたその必要性が無くなったのか……。
あれだけしつこく追ってきた奴らが、早々簡単に諦めるとは思えない。
何か代替えとなるもの、あるいはそれ以上のものを得たのかもしれない。
あくまで推測だ。結局、正体も目的もはっきりと掴めないまま、奴らはまるで影か幻だったかのように俺の周りから姿を消してしまった。
釈然としない思いを抱えながらも旅は続け、長い時間を経てかの地にもようやく平穏が訪れようとしていた頃、気になる風の便りが俺の耳に届いた。
近年になってとある小さな島国のポケモン研究所が急激に目覚ましい研究成果をあげるようになったのだという。
普段であれば人間の研究なんて――大勢の者達を苦しめるようなもので無ければ――自分には関係の無い話だと気にもとめない所だけれど、何故だかその時は無性に胸騒ぎがしたんだ。
俺はとある島国と研究所の話を噂を運んできた鳥ポケモン達に詳しく尋ね、言い知れない胸騒ぎの原因を確かめる為その島国へ渡る事を決心した。
目指す島国に渡るにはるばる海を越えて行かなければならない。
時に渡りをするポケモン達の力を借り、時に人間達の船に潜り込み……。
長い長い旅路の末、俺はその島国――この国へと辿り着いた。


島に降り立つと、早々に俺は研究所の手がかりを捜し求めた。
情報を集めるのであれば空からの目、鳥達に聞くか、あるいは多少リスクはあるけれど、人に飼われているポケモン――人間と共に暮らす内に人々の噂やテレビ等の音を自然と耳にしている――に、そっと飼い主の目を盗んで木の実でも手土産に接触するのが効果的だ。
彼らによれば、カントーと呼ばれる地方のグレン島という場所にそれらしき研究所はあるという。早速、俺はカントー地方を目指した。
かつて渡り歩いた国々、大陸に比べればこの島国はずっと狭いけれど……何ていうのだろう、今までのどこの国よりも大気に精気が満ち足りてるというか、独特で神秘的な雰囲気を旅の中で感じたな。
いよいよカントー地方へと辿り着き、グレン島を目指す途中、深い深い森の中を通りがかった。
一歩一歩、土を踏み締める度、森に流れる空気を吸い込む度、胸にとても懐かしい感覚が溢れた。
理由を探り、すぐに思い当たる。あの村の傍にあった森と良く似ているんだ、と。
追憶にうつつを抜かしながら歩く内、俺は道をどこかで違えて迷ってしまい、仕方なく原住のポケモン達の姿を探し、道を尋ねて回った。
その中で、少し違和感を覚える。俺の種族は生息地が限られた割りと希少種のようで、大抵のポケモン達は接触すると、この辺じゃ見たこと無い奴だと、俺の種族を珍しがったり怪しがったりしたものだけど、この森に住むポケモン達はまるでそんな事は無かった。
気になってそれとなく尋ねてみれば、なんとこの森には俺の同族達も暮らしているのだという。


野生で生きる同族達。とても興味が惹かれた。
シスターも、それまでの旅の途中で僅かに見かけた同族達も皆、人のもとで暮らしていた者ばかりだった。
同族達と相見えるのも随分とご無沙汰というのもあり、俺はその同族達に会ってみたくなった。
これから森を抜け、改めてグレン島に向かうには少し時間を食いすぎたのもあり、一晩の宿を貸してもらう事もついでにして、彼らの居場所を尋ね探した。
いざ会った彼らは、長旅で汚れているであろう俺の体と痛んだ首巻を見て不思議そうな顔を浮かべたけれど、少し話せばすぐに打ち解けて、今は使われていない巣穴の一つを宿として貸してくれることになった。
暖かい藁に包まれながら、ゆったりと体を横たえられるのは随分と久しぶりの事だった。

その日の晩。
俺は夢を見た。彼女の夢だ。
俺が見ることができた彼女の夢は、いつも決まって最期の、瓦礫が振り落ちる寸前の姿ばかりだった。
その度にうなされ、飛び起きて……。

だけど、その日は違った。
生まれたばかりのタマゴを抱え、彼女は幸せそうに笑っていた。
既に遠く過ぎ去った、幸せな日々の夢だ。暖かなものが胸と目から溢れ、俺は駆け寄ろうとする。
しかし、どんなに駆け様と一向に傍まで寄れる事は無く、やがてその情景は水彩画に水を垂らした様に徐々にぼんやりと薄まり、消えゆこうとしていた。
行かないでくれ――懸命に手を伸ばした。
消えようとする瞬間、彼女は大事そうにタマゴをこちらに差し出す。
と同時に目が覚め、俺は上半身を飛び起こさせた。
息を整えながら穴の方を見ると、外からは柔らかな朝日が差し込んでいた。
いつもよりはずっと長い間深々と眠っていられたようだ。体をほぐしつつ起き上がろうとすると、横腹の辺りに妙な感触の物体が触れる。つるりとしていてまん丸な……。
びっくりして見てみれば、それは何かの、ポケモンのタマゴのようだった。


俺はしばらくの間、タマゴを呆気に取られて眺めた。
昨日の夜にはこんなものは巣穴の中には無かった。万が一見落としていたとしても、脇腹にこんなものが触れればすぐにわかるはずだ。
俺が寝ている隙に、誰かが忍び込んできてそっと置いていったのだろうか。
幾ら寝入っていたとはいえ、枕元に何か寄る気配があればすぐに気付いて起きるくらいには警戒力は身に着けているつもりだ。
ましてや腹の横にこんな大きな物体を仕掛けられるなんて、不可解で仕方なかった。
余程の隠密の手練か、瞬間移動でもさせたのか、あるいは超スピードか、それとももっと高度な能力か……だったとして、なぜそんな手段を持つ者が、こんな――自分で言うのもなんだけど――小汚い格好をした放浪者のもとにタマゴをもたらしたのか。
尽きぬ疑問と思索を妨げたのは、出し抜けにタマゴから発せられた異音。
ぴしりぴしり、と音は立て続き、つるりとしたタマゴの表面にギザギザの亀裂が走った。

まさか、生まれる――?
固唾を呑んでその様を見守った。
亀裂は瞬く間にタマゴ全体へと広がり、柔らかな光が隙間から漏れ出す。
一際大きな亀裂音を鳴り響かせ一拍の間を置いた後、タマゴは豪快に自身の殻を弾き飛ばした。
そして、生まれてきたものは……
黄色い毛並みをした小さなネズミ――ピチューだった。


そいつはピチューにしては少しばかり目付きの悪い眼をパチクリさせ、幅広の三角耳をぴくぴくさせながら辺りを見回し、やがて俺の姿に気付く。
じとり、とした目で俺の顔を眺め、俺も硬直したままそれを見返していると、暫くしてそいつは何だか不機嫌そうに顔を顰め、そそくさと傍にあったタマゴの残骸をヘルメットを被るようにひっくり返して隠れてしまった。
ピチュー?何故、どうして同族の子のタマゴが俺のもとに?
益々降って湧く疑問と混乱を再び邪魔をしたのは、またしても唐突にタマゴの殻の下から発せられた『ぐう』という妙な音だ。
俺ははっと我に返り、“お腹が空いているのか?”と、タマゴの下に優しく声をかけた。
すると、ぎくりとタマゴの殻は揺れ動く。
やっぱりかと俺はクスと思わず笑い、余っていたオレンの実をタマゴの傍で差し出して、
“これ、食べないかい?よかったら出ておいでよ”と言った。
タマゴの殻は少し思い悩むように動きを止めた後、恐る恐る片側が持ち上がった。
直後、黄色い小さな手が中から伸び、俺の手から素早くオレンの実をひったくると、忽ちまた殻の中に篭ってしまった。
殻の下から微かに聞こえてくるシャクシャクと齧る音を聞きながら、俺は仕方なく苦笑いを浮かべた。

――それがその子、ピチューとの出会いさ。


どうするべきか、はたと考える。
実を食べ終えたのか殻の下はしたと静まり返り、僅かに持ち上げられた隙間からじとりと視線が覗いていた。
このまま膠着していても埒が明かないと俺は殻を持ち上げて退かし、わたわたよたよたと這って逃げようとするそいつをひょいと背中に担いで素早く首巻をおんぶ紐代わりにして縛った。
どういう経緯で俺のところに辿り着くことになったのかはわからないけれど、手違いで送られてきたのならちゃんと本当の両親のもとへ返してあげないと。
森に住む同族達なら何か知っているだろうと思い至った。
背中でどうにか逃げ出そうとじたじた大暴れしているのを感じる。
“少し大人しくしていてくれよ。すぐに本当のお父さんとお母さんたちの所に帰してあげるからさ。えーっと――”
俺はそいつをどう呼んだものか思案する。
大事な名前を勝手に名付けてしまったらマズイし、とりあえず……
“チビ助”俺はそいつの事をそう愛称で呼ぶことにした。
どうせすぐに親は見つかるだろうし、短い間だ適当でもいいだろうってね。


しかし、だ。森中の同族達に聞いてみても、このチビ助の所在を知るものは誰ひとりとしていなかったんだ。
森ぐるみで何か隠しているんじゃあないかとも疑ってみたけれどそんな風にも見えない。
この地方の北東の山奥にある無人発電所と呼ばれる施設にも僅かながら同族達が生息しているという話を聞いて、ひとしきり悩んだ末、俺はチビ助を連れてその発電所を訪ねてみようと思い立つ。
森の同族達も子育ての時期、預けようにも他人の子にまで中々手は回らない。
それに本当の両親達も大層心配している事だろう。
子どもを失った悲しみというものは……己の魂まで抉られそうなほどに胸の奥にまで深く、根深く突き刺さる。
そんな思いをもう誰にも味わわせたくは無い。
何か理由があって俺に預けられたのだとしたら、それも確かめなくてはならない。
一体何が差し迫って俺のような見ず知らずの放浪者へ自分の大事な子を預けたのか。
大した理由も無く捨てるようにであったら、説教の一つ、場合によっては電撃の一つでもくれてやろう。
グレン島への旅は一時中断し、背中のチビ助と共に無人発電所を目指した。


子連れでの旅はひとりの時よりも何倍も、何十倍もそれはそれは大変なものだった。
いつでもチビ助の状態に気を配らなきゃあならないし、全盛よりは衰えたとはいえまだまだ体力はある方だと自負するが、常に何かを背負いながら延々と歩くというのは非常にエネルギーを奪われるし、何よりこのチビ助のヤツがこれがまた全然懐かない!
今でこそまあ多少はマシにはなったけれど、当時のこいつときたら隙あらば隠れて逃げて、それはまだ簡単に捕まえられるからいいけど、抱き寄せて背負い直そうとすれば暴れて引っ掻いて睨んできて……まったくもって可愛くないヤツだったんだ。
それが旅の苦楽を共にする内に段々と少しずつ、ちょっとずつ、極々僅かにながら打ち解けてきたわけだけれど。
結局、無人発電所でも手がかりは見つからず、カントーの陸地をぐるりと巡りながら尋ねて回っても結果は同じく、最終的にはチビ助と初めて出会った森、トキワの森へと戻ってきた。
この地にいればその内いつか両親が迎えに来てくれるかもしれない。
その時まで俺がこのチビ助を育て、守り抜くと決心した。本当の親には敵わないだろうけど、俺なりに実の子のように愛情を注いでさ。


トキワの森での生活は――手の掛かるチビ助の事を除けば――平穏無事に過ぎて行った。
森に住んでいるのはキャタピーやビードルのような大人しい虫達、それに争いを好まない同族達だけだったし、たまに人間のトレーナーが訪れるぐらいで、特に大きな危険もなかった。
余所者に対し、最初は遠巻きに見ているだけだった森の住民達とも、徐々に仲良くなった。
俺は彼らに、自分は昔、人間に飼われていたが、こき使われるのが嫌になって逃げ出してきた、と説明した。
まあ、あながち嘘ではないからね。俺の様子が皆と何処となく異なっている事も、それで納得してくれたようだった。
『こんな大きな傷まで負って……苦労したんだねえ』
と同情してくれる者もいた。
男手ひとつで慣れない子育ては大変だろう、と木の実や寝藁を分けてくれる者もいた。
子ども達は旅の話を聞きたがり、俺は彼らに――勿論、戦争に関わる話は除いて――他の国々やポケモンの事を語って聞かせた。
まあ、それもチビ助が暴れたり逃亡したりで、しばしば中断されたけれど。
一応は受け入れられた俺と違い、チビ助の方は住民達とも全く馴染めなかった。
と言うより、馴染もうとしなかった。
大人達が面倒見ようとするのも、同じぐらいの子ども達が遊ぼうと誘うのも振り切り、すぐに木の洞や藪の中に潜り込んでしまう。
何とかとっ捕まえて巣穴に連れ戻し、宥めすかしてようやく寝付かせた頃にはすっかり日も暮れ、辺りは暗くなっている。
俺はもうグッタリと精根尽き果て、これだったら軍隊での地獄のような特訓の方がまだマシじゃないか、とさえ思うぐらいだった。
けれど、傍らで眠るチビ助のあどけない寝顔を見ていると、それだけで一日の疲れも吹き飛ぶ想いがした。

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