第44章 - 2

自分の身を挺して他者を助ける。かつての俺には理解しがたい行動だった。
護衛や救援を命じられたのであれば、俺も割り切って従わざるをえないだろう。
だが、そうでなければ、例え同胞が危機にあろうと止むを得ない犠牲は厭わず、可能な限りの手を尽くして己は生き残り、敵と定められた存在を全力で排除しなければならない。
それが兵器として、生まれながらに刻み込まれた俺の存在する意味であり、価値だった。

なのに、彼女は命じられたわけでもなく、寧ろ反対を押し切って、縁もゆかりもないであろう他者のために己が身を投げ打ちに来たというのだ。
〈そうだわ、私と一緒に逃れていた方々は一体どうされましたか?あの時、私と共に、何かの攻撃の巻き添えを受けてしまったのであれば、傍で同じように倒れていたと思うのですが……〉
更にこの期に及んで――得体の知れない牢獄のように薄汚い部屋の中で、恐ろしい兵器には一見見えないかもしれないが、少なくとも優しげで親切にも見えないであろう、同族とはいえ見も知らぬ者を目の前にして――彼女は自分よりも他人の身を案じていた。
俺と殆ど変わらない姿をしているはずなのに、全く未知の生物と出くわしたかのような気分だった。
その時までの俺と言う存在を根底から覆されるようなものだ。

“然程深手を負ったものはいない。彼らなら全員、別の場所に搬送された”俺は簡潔にそれだけ伝えた。
少なくとも嘘ではない。搬送された先で彼らがどうなるかは伏せた。騒がれたり、怯えられても面倒だった。
それと、極微かに、引け目と罪悪感のようなものが芽吹きかけていたのかもしれない。
だが、俺はそんなものとうに割り切ったものとして雑草の如く踏み躙り、心の片隅に押しやって目を背けた。
ずっと、そうやってきたんだ。


〈そうですか、良かった……〉
俺の言葉を良い方へと解釈したのか、彼女はとりあえずホッと胸を撫で下ろした。
ちく、と再び心の片隅が疼いた。一度押しやったのに、ここまでしつこく湧いて来るのは初めてだった。
“お前の事は分かった。では、今お前の置かれている状況を伝える”
それを振り切るように、俺は冷然とした態度で淡々と口を開いた。
〈あら、名前をお伝えしたんですから、お前じゃあなくて名前で呼んでくださいまし。呼びにくければ、愛称でもいいですよ。村の皆さんはよく――〉
途中、折角教えたんだから、どうせなら『お前』じゃなく名前か因んだ愛称で呼んでくれ、と彼女は言った。
自分の立場も分からず、何と呑気な事か。俺は鼻で溜息をついた。
“生憎だが、俺達は愛称で呼び合えるような和やかな関係ではないのだ、お前で不服であれば、『シスター』”
常日頃、神に敬虔に祈っていようと、それも虚しくこんな悪鬼の巣窟の如き場所に捕らわれ、救いの手を差し伸べようとしているのは肝心の神などではなく、悪魔と疎まれるこの俺だけ。
そんな境遇を存分に皮肉って、俺は彼女をそう呼んだ。
〈まあ、強情な方ですね。お前、よりは幾らか良いですけれど……〉
彼女は不満そうにしていたが、お前呼ばわりよりはマシだと渋々了承していた。

それから、俺は彼女に現状を伝えた。
ここは軍の宿舎の一つであり、気を失っている間に、俺の持ち主である兵士の気まぐれによって、他の者達とは別に連れて来られた事。
宿舎の中であればポケモンであっても比較的自由に歩きまわれるが、外には出動でもない限り出られない事。


〈外に出られないなんて、それは困りました。いつまでも戻らないと、牧師様達に心配をかけてしまいそうで……〉
あらましを聞き、しゅん、として彼女は村の者達に心配をかけてしまうことを嘆いた。
“すまないな、シスター。だが、同族のよしみだ、今すぐにというわけにはいかないが、必ず無事に村に返してやる。
その内、歩哨任務か何かで、外を兵士から離れて一匹でうろちょろしても怪しまれないような機会が必ずあるだろう。
その時にでも、兵士の目を盗んでお前、いや、君をボールに忍ばせ、隙を見て解き放つ”
〈ありがとう。私なんかのためにわざわざ、すみません〉
俺がそう伝えると、彼女は表情に明るさを少し取り戻し、礼の言葉と共に微笑んだ。

元はと言えば、俺のせいだというのに。また胸がちく、と疼いた。
“それまでの間は、出来る限りこの部屋の中で大人しくしていてくれ。であれば俺は絶対に手出しはしないし、他の奴らにも手出しはさせない”
痛みを再び片隅に強引に押しやり、俺は忠告した。ろくでなし共が闊歩する宿舎において、彼女はグラエナの檻に放られたカモネギのようなものだ。
何も知らず無防備に部屋の外を出歩けば、忽ち、襲われかねない。ずっと部屋の中に居てくれれば、俺も彼女を守りやすい。
〈あら、あなたの他にも、ここにはどなたかいらっしゃるんですか?って、ここは宿舎なんですもの、他にも誰か居て当然ですよね。
そうとなれば、その方々にもご挨拶をしませんと。例え少しの間でも、私のような部外者がご厄介になるんですから、黙ってと言うわけには参りません!〉
だが、そんな俺の思いも虚しく、少しの間とはいえお世話になるんだから、他の方々にも挨拶をしないわけにはいかない、と奮起した様子で彼女は部屋を飛び出していった。


“待て、ここにたむろしているのはまるでケダモノのような輩ばかりなんだ、シスター。君のようなか弱そうな奴がのこのこと出て行っては危険だ”
廊下を駆けて行こうとする彼女を追いながら、俺は急いで呼び止めた。
〈ケダモノ?私とあなただってネズミの一種、言わばケダモノの仲間ですよ。なら、なにも怖がることなんてないじゃないですか。むむ、あっちから騒がしい物音っ!〉
“そういうことではなくてだな。こら、話を聞け!”
だが、彼女は俺の言葉をまるで気に留めることなく、黒いフードからはみ出させている長い耳と、尻尾をアンテナのように立ててピコピコと揺らしながら誰かの気配と物音のする方へと向かっていった。
その時は丁度、食堂でポケモン達に食事が配給される時間だった。この部隊において、それはもっぱら第二の戦場と称されていた。
野次と食い散らかし、時に皿や拳や技が飛び交い、見苦しい食料の奪い合いが繰り広げられる。
もしも几帳面なテーブルマナーの講師がその場に居合わせたら、顔を真っ赤にして憤死してしまいそうな、不作法不行儀を掻き集めた掃き溜めだ。
そこに彼女が隙だらけで出て行ったら、あっという間に捕まってスペシャルディナーとして食卓に上げられかねない。
それも知らず、彼女は騒がしい音を聞き付けて、食堂の方へどんどんと進んでいく。
言葉ではもう止められない、とはいえ下手に無理矢理押さえつけて怪我をさせてしまっては本末転倒だ。
いざとなれば、部他のポケモンとの荒事も視野に入れなければならないかもしれない。俺は苦々しく舌打った。


その時まで俺は、部隊のポケモン達といらない揉め事を起こさないよう、極力関わりを避けるように努めていた。
それまで俺がたらい回しにされて渡り歩いてきた部隊では向こうの方から勝手に俺を恐れて避けてくれていたが、ここの奴らはそうもいかない。
俺と同じように各所から爪弾きにされてきた、一癖二癖では収まらない、最低の奴ら。

――今となっては、俺の大切だった仲間達。そんな風にまで思えるようになったのも、あの子のおかげだな。
俺が自分から奴らを避けていたのは単純に面倒だったと言うのもあるが、もしも争いとなれば、いくら当時の俺だったとしても無傷では済まないかもしれないという懸念もあったからだ。
通常、どこからも爪弾きに会うほどに素行に問題があれば、即刻処分されてしまうのが普通だ。
時に人間すらも捨て駒のように扱うことのある軍にとって、ポケモンなんて所詮は兵器の一つに過ぎないからな。
だが、そうされないのは、多少扱いにくさがあっても処分を躊躇させる程に実力や尖った力を持っていたからだ。
それは単純な戦闘能力であったり、高い生存力であったり、特殊な攻撃手段や能力を持っていたり、後ろ盾となるものを誑し込んでいたり、様々だ。
そんな奴らをわざわざ一箇所に集めて部隊としたのは、地獄のような最前線や、他には任せられないような条約違反すれすれの薄汚い作戦を押し付け、程よく活躍してから上手い具合にくたばってくれれば万々歳なんて上は考えていたんだろう。
結果としては、思惑を外れて多くがしぶとく生き残り、憎まれっ子世にはばかるを体現する存在と化していたが。


とうとう彼女は食堂の前へと辿り着き、
〈うん、皆さんがいらっしゃるのはここみたいですね〉
呑気に扉の隙間から中の様子を覗き込みだした。
その傍で、俺は心に少しばかり緊張を走らせていた。
こうなったら、彼女の存在を隠し通そうとするよりも、いっそ明らかにして、手を出せばただでは済まさないと宣言しまった方がいいのかもしれない、と俺は考えた。
リスクはあるが、聞き分けの無い者が居た場合、全員の前で徹底的に叩きのめすことが出来れば、良い見せしめとなる。
ケダモノにものを教え込むには、力でもって屈服させるしかないのだ。そう思い込んでいた。
“俺が先に行く”
俺は意を決して、今にも扉を開けて食堂に入っていこうとしている彼女を腕で阻んで言った。
〈あら、もしかしてあなたの方から先に私を皆さんに紹介してくださるんですか?助かります、やっぱり初対面の方々が大勢いる前だと、私もちょっと緊張しちゃいますから〉
俺の覚悟など知る由も無く、もしかして俺の方から自分を紹介してくれるのかと、のほほんと彼女は言った。
俺はがくりと気抜けしそうになってしまうのを堪え、うんうんと適当に相槌を返した。
“後ろから、なるべく俺の傍を離れないように付いて来い”
言って、俺は勢い良く扉を開けた。
乱雑に皿が積まれた長机を囲んでがつがつと食事を貪っていた奴らの手が一瞬固まり、視線が一斉にこちらに集った。


ぴりぴりと張り詰めた空気の中、気にせず踏み込んで行く俺の足元に、カツンと乾いた音が響く。
見下ろすと、つま先ぎりぎりに鋭い氷の刃が突き立っていた。刃の中程に刺されたオレンの実が、ずるりと果肉を滴らせてずり下がった。
こんなことをするのは一匹しかいない。すぐに犯人の目星をつけ、そちらを冷ややかに見やった。
『テメェの分はもうそんだけだよ。遅刻して来んのが悪いのさ、ノロマ』
視線の先で、黒い毛並みの猫が椅子を蹴り飛ばすように勢い良く立ち上がって悪態を吐く。
周りではほくそ笑んで傍観している奴、取るに足らない様子で鼻息をついて目を背ける奴、初めから目の前の食べ物にしか注意を向けていない奴、態度は様々だが誰一匹止めたり咎めようとはしない。
黒猫はバツ字傷の刻まれた顔面を憎たらしい笑みで歪め、つかつかと二足で歩み寄ってくる。
『それっぽっちじゃご不満かい?なら、媚びて縋りな。お慈悲をお分けくださいスカー様って、そのお高く気取った坊ちゃんヅラを地面に擦り付けて、まるで乞食みてえによォ』
スカーフェイス、略してスカー。その黒猫の顔の傷に因んで、持ち主の兵士が戯れに付けた安直なニックネームだ。

持ち主の人間から一方的に決められて押し付けられた種族名以外のニックネームなんて、ただの己を示す号令・合図以上には思わずにさして愛着を持っていないものもいるけど――俺がそうだった――、中にはそれを甚く気に入ってコイツやあの子のように自分の名前としてしまうものもいた。
この黒猫、スカーには何かに付けて因縁を付けられ、喧嘩を売られ続けていた。
どうにも彼の目には当時の俺は『黄色い悪魔』なんて恐れ持て囃され、調子付いているように写っていたらしい。
事実、傲慢になっている節は多少あったかもしれない。俺は上からの評判は決して悪いものじゃあなかった。
どんな酷な命令であろうと背くことなく、割り切って、躊躇なく的確にこなしていたからな。


だが、先にも話した様にその冷徹な様が周りを恐れさせ、不和を招いて士気に影響すると、已む無く神も悪魔も恐れぬこの無法地帯に行き着いた。
他の奴等の経緯と来たら、本当にどうしようもないひどいものばかりだった。
一部を紹介すれば、例えばスカーなら、前の部隊で監察・指導役にあたるポケモンが雌だったのをいいことに、それを持ち前の手癖の悪さで誑かして、日頃の素行の悪さや命令違反などの不利な報告を揉み消させたり、自分のいる部隊をあまり危険な任務に駆り出させないよう上手く取り計らわせていた。
だがある時、逢瀬の途中をそのポケモンの持ち主である怖い怖い上官殿に見つかり、その後すぐに芋づる式に全てが発覚。瞬く間にそのポケモンと引き離されて、ここに叩き込まれたらしい。
他にも、とにかく功を立てることに貪欲で、自分だけで勝手に玉砕しておけばまだしも、その雄弁な弁舌によって他のポケモン達まで巻き込んで奮い立たせ、無茶な突撃を扇動して多くの犠牲を出した、蛮勇なピジョット――頭の長い飾り羽が綺麗な大きな鳥だ――とか、戦闘能力だけは完璧だけど、戦う相手の選り好みが激しく、取るに足らない雑魚しか居ないと見れば、自軍の危機でも梃子でも動かずサボり呆けるけど、敵方に強者と認める者が居れば待機命令中でも見境無く突っ込み、重要な作戦を台無しにした、戦闘狂いのバンギラス――刺々しい岩の鎧に身を包んだ二足の怪獣だ――とか、口に入りさえすれば机でも椅子でも見境無く何でも食らい、とある護衛任務の際に途中で空腹の限界に達して暴走、あろうことか護衛対象を自分の腹の中へと誤送した、悪食マルノーム――何とも名状しがたいんだが、膨らんだビニール袋のお化けみたいな奴だ――とか、普段は紳士ぶっているけど、周りからしたら理解できない些細なことで直ぐに激昂して、小火じゃすまない騒ぎを起こした、ぷっつんブーバーン――両腕が炎を吹き出す大砲みたいになった、でっぷりとした体系の怪物だ――とか、まだまだそれはそれは愉快な仲間は色々居たけれど、話し始めたらきりが無いからこの辺でやめよう。


別に上からの評価に誇りや名誉を感じていたつもりは無いが、対外の事は割り切れる俺でも、腕っ節だけが取り柄の問題児共と同列に扱われるというのは、少々不満に思うところもあった。
こんな落ちこぼれ共と俺は違う。そんな無意識に片隅に抱いていたものを、スカーの奴には敏感に嗅ぎ取られていたのかもしれない。

『ハンッ、いつものダンマリかよ、腰抜け野郎』
ぐいと顔を突き合わせて睨み込み、黒猫は更に挑発する。
いつもであれば、歯牙にもかけずに“フン”と鼻を鳴らして俺の方から顔を背けて立ち去る所だが、今日に限ってはそういうわけにはいかない。
ケダモノ共を黙らせる”見せしめ”にしてやるのは、部隊内で何かと目立っているこいつが一番いい。そう考えていた。
俺は黒猫の赤い瞳の目を確と睨み返し、バチバチと頬に電流を弾けさせた。
『おっ?ようやくやる気になりやがったか、クソネズミィ。いいぜ、かかってこいよ。その高慢ちきな鼻っ柱へし折って、根性叩きなおしてやる』
黒猫は少し意外そうに驚いた後、愉快そうにニヤリと牙を剥きだした。
睨みあったまま、俺は頬に充電を続け、黒猫は後ろ手でしゃりしゃりと爪と氷の礫を研ぐ。
互いに喉元すれすれに刃が迫っている鍔迫り合いのような張り詰めた緊張感の中、先に飛び出したのは――
〈そんなにずっと見詰め合っちゃって、お二人とも仲がよろしいんですね〉
俺の電撃でも、黒猫の刃でもなく、一体何を見ていたのか、まるで空気を読めていないあの子の呑気な言葉だった。
思わずがくりと脱力して、黒猫は氷の刃を手からすっぽ抜けさせ、俺も溜めていた電気がプスンと散った。


『は、はあ?つーか、なんだこりゃあ、ネズミがもう一匹ぃ?ちぃと色が違うし、布着れ着てやがるが……』
黒猫は怪訝そうに眉間に皺を寄せ、俺と背後の彼女を交互に見やった。
“危険だ、隠れていろ”
〈もう、いつまでも顔を見せずにいたら、紹介してもらう意味が無いじゃないですか〉
後ろから顔を覗かせる彼女に引っ込んでいるように俺は言うが、顔を見せなきゃ紹介の意味が無いと、彼女は俺の腕を押し退けて黒猫の前に踏み出た。
『はてさて、どこからこんな奴沸いて来やがった。ネズミは一匹見たら三十匹は居るって言うがよォ。さすがのこのオンボロ宿だって、こんな馬鹿でけえネズミが勝手に住めるような穴や隙間はねえハズだぜ』
黒猫は殊更表情を険しくして彼女を見下ろす。
俺は黒猫が少しでも手を上げる素振りを見せたら庇える様、隙無く身構えた。
〈はじめまして、この御方のお友達の黒猫さんですね〉
彼女は悪態に一歩も怯むことなくニコニコと笑顔でまっすぐ黒猫を見上げ、一体どこをどう見たらそうなるのか、黒猫が俺の友達だと判断した様子で和やかに挨拶した。
『おいおい、テメェ、さっきから聞き捨てならねえな。何をどう見ていたら、この俺様がこんなクソネズミなんかと、友達に見えやがんだ?』
またしても気抜させられそうになるのをぐっと堪えた様子で、黒猫は果敢に悪たれてかかった。
〈違うんですか?あんなに長い間じっと仲良く顔を向き合わせていたので、てっきりそういう仲なのかと〉
それを再び彼女は柔和にトボけた態度で返す。

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