第44章 - 19

――生きる、生きたい。
生物の根源たる意志、理想。
想う度に意識の虚空に浮かぶ一筋の糸の様な光を集めて紡ぎ、砕かれた意識を縫いつけ、重ねて織り込む。
やがてそれは、混沌の渦の中においてもぶれない、一本の光の帯のようになって感じた。
生きる、その為には力、生き残るだけの力が欲しい。
意識の中に、猛々しい竜達の姿とその凄絶たる力のイメージが浮かぶ。
生きて残るには、奴らを打ち倒し、退けるだけの力が必要だ。
奴らが恐れる程の力――強くそう意識すると、意識の中の光の帯がぐねぐねと捩れ、混沌の渦と交じり合い、螺旋状に絡み合った。
絡み合った二つの帯は伸縮しながら互いに輝きを強めていき、いつの間にかその光は意識の中だけじゃない、意識の外にまで漏れ出して、俺の体を包むように広がっていった。
それは、進化の光――俺達ポケモンが種族によって様々な要因により、大きく姿を変える際に放つ光――にとても良く似ていた。
輝きは最高潮に達し、俺の体を包みきる。進化……駄目だ、ただ単純なライチュウへの進化では。
多少力が増しただけでは、あれだけの竜達には到底及ばない。
ならば、一部とはいえ、ミュウと同質の力が使えるのであれば――!
神に最も近しいもの、生物として最高位と謳われる奴らに並び、追い落とすには――!
俺をの心を奮い立たせた青白い雷光が今再び、解き放たれるのを今や遅しと待ち受けるように、ゴロゴロと低く唸る。


再度の外から受ける強い衝撃を感じた。障壁がバリバリと卵の殻のように破られる音がし、瓦礫が勢い良く引き剥がされ、光が差し込む。
逸ったクリムガンの一頭が、ぎゃあぎゃあとやかましく喚きながら、ぬっと顔を覗かせた。
身を包む異形の光が目一杯に瞬き、体の奥底から解き放たれた青白い光が一斉に噴き出た。
天裂き、地を砕く雷鳴の如き咆哮。
血液全てが煮え立つ油かガソリンか強心剤か起爆剤にでも入れ替えられたのではないかと思うほどに全身が沸き立つ感覚。
乱気流の中心にでもいるかのようにがくがくと震える視界の中で、驚き竦むクリムガンの赤ッ面を”何か”の腕が鷲掴みにした。
体から腕へ膨大な電流が伝わり、掴む手の中で弾ける。

――『お見事だね。数ある可能性の中、想像以上にトンでもないのを君は引き当ててしまったな。今を生き残ろうとするなら、それくらいは必要か。
最後に一つ、そして無理にとは言わない。もしも、ボクが遺していこうとしている希望たるものが、世界を害するものとなりそうであれば、君の手で止めてくれたら嬉しい。
――君自身がそうならないとも言い切れないけど――。まあ、なんにせよ、君が無事に生き残れたらの話だ。今はただ……』
背後から紅蓮の炎が吹き出し、頬をそっと撫でるように揺らめく。
――『このとびきりの衣装で踊ろう、ふたりで。暴れよう、存分に――』
甘く、ミュウだったものは耳元で囁いた。


囁きに誘われるように全身を巡る力の奔流はより一層激しくなり、理性を飲み込んだ。
そこから先の記憶は、まるでフィルムがボロボロに劣化しきって幾つもシーンが欠けている映画のように、ひどく断片的で不明瞭なものだ。
その中で俺は俺のものじゃない剛腕を振るって、自分よりも小さくなって見えるクリムガンを蹴散らした。
大空を舞うボーマンダやサザンドラの所まで体は軽々と空気を切り裂いて飛び、奴らを叩き落した。
全身を黒く焼き焦がされても尚立ち上がり、オノノクスは言った。
『悪魔め』、と。
空にヒビが走った。窓ガラスに釘を打ち付けたような、そんなヒビだ。
ヒビは瞬く間に大きくなって、ぱらぱらと空の一部が剥がれた。
その中に広がる不気味な極彩色の空間のから、ぬっと一本の腕が伸びた。
磨き抜かれた大理石で出来た彫像のような、美しくもおぞましい、真珠色をした腕だった。
腕は空にヒビを入れ、強引に引き剥がし極彩色の空間を更に大きく広げた。
広がった空間へと、そこから姿を現そうとした“何か”へとミュウが姿を変えた純白の飛竜は向かっていき――それを最後に、記憶は途絶えている。

次に意識が戻った時、目の前には青空が広がっていた。
雲一つ穢れ一つ無い澄み通った平和な空だった。今までは全てが悪い夢だったんじゃあないか。
俺はシスターとピクニックにでも来ていて、そこで不意にうたた寝をしてしまい、嫌な夢を見ていただけなんじゃあないか。
体を起こして横を見たら、
〈やっと起きたの、お寝坊さん〉
だなんて彼女が笑いかけてくれて――
そんな淡い期待は、周りに広がる灰と瓦礫の山が打ち壊した。


空と地を埋め尽くしそうな程の竜達の姿は影も形も無く消えていた。
残るは真っ黒に炭化した木片と、大小数も元となる物もわからない燃えがらの山。
それら瓦礫がかつては教会のかたちをしていたと告げる、傍に突き立つ十字の像は、表面が焼け溶けてまるで邪悪で奇怪な生物の翼のように歪み爛れている。
どこからが幻想でどこまでが真実だったのか。全てが実際にあった事柄だというのなら、俺は一体何をされて、何になったのか。
両の手を眺める。黄色く短い毛の生え揃った小さな手。足を見る。同じ色の短い足。
尻尾を確認する。ギザギザの平たい尻尾。体を捩じらせて、手を使いながら背中を調べる。
縦に曲がりくねって走る毛の無い箇所、大きな傷跡。他の部位、耳も、頬も、体も全て、かつての俺となんら変わりない。
下半身に思い切り力を込め、飛び上がるように起き上がる。
体は程々の常識的な高さに跳び上がって、すたんと着地した。
体の自由が利く。それに痛みも無い。その時にわかった違いはそれだけだ。
ミュウの名を叫んだ。頭の中で念じてみた。返答は無い。
吹き抜ける風が巻き上げた灰がさらさらと舞い落ちる音だけが虚しく響いた。
シスターを呼んだ、叫んだ、ゾロアークの名を、牧師の名を、ズルッグの名を、チラーミィの名を、ダルマッカの名を、村民達の名を、戦友の名を。
いずれも返事は無い。
瓦礫の山を掘り返した。手が傷付き裂けそうになるのも忘れ、がむしゃらに。
ひたすらひたすら灰と瓦礫を掻き分け探し続け、とうとう見つけた。
黒い、フード付きのケープ。


ゆっくり、ゆっくりと、一センチ動かすのに何秒もかけながら、ケープに手を伸ばした。
端を掴む。手ががくがくと震え、呼吸が乱れた。
心臓が気が狂いそうなほどに暴れた。
意を決し、勢い良く捲り上げる。

――何も、何もなかった。なくなっていた。
ケープの下には、灰しかなかった。ケープだけを残し、彼女の姿は跡形も無く消えていた。
力なくケープを抱いた。どの位そうしていたかはわからない。
その後に俺はケープを広げ、灰を両手で何度か掬い上げて包んだ。
包みを抱え、歩き出した。でこぼこに穿たれた無数の穴だけが残る荒野を。
俺は知っている。かつてそこに小さな村があったことを。
何度も何度も通った道。目をつぶっていても、形が多少変わっていても、覚えている。
ようやく辿り着いた丘の上。俺はそこに穴を掘り、包みを静かに埋めた。
そこでようやく目から雫が滴った。ボロボロボロボロと止め処なく。
体中の水分を全て出し切りそうなほどに溢れた。
雫も涸れきって呻き一つ出なくなった時。
俺は彼女の隣に転がり落ちるように座り、村の方を眺めた。
自然の額縁も燃えて無くなり、何もない荒れた大地を見つめ続けた。
頭の中のキャンバスにかつてあった村の情景を描いて、虚ろな視界に重ねて。
そのままいつまでも、ずっと、延々と。石くれのように動かず。
雨に打たれた。風に吹かれた。昼と夜を何度も繰り返した。
ある時だ。村の方、教会の方に異変を感じた。


夜の帳が下りた静寂な闇の中に揺れる、幾つかの光が見えた。
それは教会のあった場所だ。感覚を研ぎ澄ましてみれば、何かを掘り起こすような物音も微かに聞こえた。
感じる嫌な気配、湧き上がってくる怒りの感情。
血液が沸騰し、石くれのように動かなかった体は稲妻の如く疾く闇を切り裂いた。
吹きさらしにて延々飲まず喰わずでいたにもかかわらず、肉体は燃え上がるように熱く漲り、まるで疲労も衰えも感じさせなかった。
跡地には、研究員らしき風貌をした人間が数名と、護衛と思わしき厳つい体格をした人間達とそのポケモン達の姿があった。
丘から見えた光はそいつらが設置した照明器具によるものだった。
光が集まる先は瓦礫がどけられ、大穴が掘り起こされている。
奴らは一斉にこちらに照明を向けて姿を確認した。人間達はどよめき、威嚇の声を上げるポケモン達の目には僅かに怯えが映る。
一人の研究員が叫ぶように何か命じた。躊躇いがちに護衛達は応じ、ポケモン達を俺にけしかける。
そいつらの素性、目的はわからない。どうでもよかった。
俺の場所を土足で踏み躙り、穢したことがとにかく許せなかった。
ただただ怒りで思考が満たされ、そのままに突き動かされた。
そいつらを蹴散らし追い遣っても、似たような一団は何度も何度もしつこく、数と質を増して村にやって来た。
その度に辺りは焼け、穿たれ、歪み、かつての面影を尚更に無くして荒廃していった。
その度に俺の精神と肉体もまた、同じように歪み、荒れ、かつての面影を無くしていっているように感じた。


このまま生きて、生き続けて何があるのだろう。ふと、疑問を抱いた。
何も、生きていても何も無いじゃないか。
このままならばこの地と共に俺も荒れ果て、朽ちていくだけだ。彼女は最期に言った。
生きてさえいれば、いつか必ずあの子に会える、と。
一体どういう意味なのか。わからなかった。
少しばかり冷静さと思考力を取り戻した頭で、執拗に村を訪れる一団の目的について考えた。
少なくとも、救助隊というなりではない。
あくまで秘密裏にこそこそと人目を忍ぶように、いつも奴らはやってくる。
必ず傍に数人、研究員らしき人間も連れ立ってだ。
そういえば、奴らは最初に教会の跡地を掘り返そうとしていた。
教会の地下――思い立ち、俺は自身で発掘途中になっていた穴を掘り返してみた。
掘り返し続けるとすぐに固い石の瓦礫に当たった。完全に崩れて埋まってしまっているが、地下室に続く階段の一部に違いなかった。
階段がこの様子では、地下室も崩れてしまっているだろう。
生存している者は確実にいない。わかりきっている。
それでもとり憑かれた様に俺は瓦礫をどかし続けた。
やがて、俺は辿り着く。砕け割れた扉の木片と、崩れきった地下室。
そこから突き出ている黒く煤けた……。その先の方には黒色をした長い布切れ――在りし日、あの子のタマゴを背負うために使っていたおんぶ紐――が握られていた。
まるで誰かに託し渡すように、懸命にしっかりと。


ぐっと握り返す。託されんとしているものを一つも零さぬようしっかりと。
やりたいこと、やれること、やるべきこと、数え切れぬほどあったろう。
握る手から伝わる彼らの無念。様々な想い。その一つ一つを束ね、紡ぐ。
生きる意義を疑い、捻じ曲がり歪んだ意思が微かな纏まりを見せた。

――俺がやるべき事は、ここでただ怒りのまま暴れ、憎悪をぶつけ、朽ちゆくのを待つ事じゃあない。
織り上げた意志と共におんぶ紐を受け取り、勢い良く宙に広げる。
掲げられた印旗の如く、ミュウの毛皮で織られた布は力強くはためいた。

いつか、彼女は言った。
幼き頃、自分を庇って死んだ両親の分、長く生きた代わりに、他の者の為になって生きていこうと。
自分の力なんてたかが知れているけれど、同じような悲しみを味わうものを少しでも減らすことが出来ればそれでいいと。
ならば、俺も、そうしよう。自己満足かもしれない。
それで彼らが、彼女が、あの子が本当に喜んでくれるか確認しようも無いけれど、何もしないでうじうじしているよりずっといい……!
布を翻して首に巻きつけ、纏った。しかと背負った。彼らの思いを、彼女の覚悟を、生き様を。
誓った。俺は二度と命を奪わない。そして、無下に奪わせもしないと。


ずしりと重みを感じる。だけど、その重みが確固たる重心を生み出し、しっかと大地をぶれなく捉え、踏み締められた。
思い出の丘の上、掻き集めた教会の残骸で拵えた墓標の前で手を組み、祈る。
大きな戦いが終結したとしても、混乱は今しばらく続く。
戦禍に荒れた大地は住む者の心をも荒らす。隙に乗じて逃げ出し、野生化した強力な軍用ポケモン達もいるに違いない。
略奪、暴力、破壊が横行し、その魔の手はまだ抵抗する術も覚悟も持たないような幼い子達にも容赦なく降りかかるだろう。
――あの子の時と同じように、ズルッグと、ダルマッカと、チラーミィと……教会の子達の時と同じように。
生きてさえいればあの子に会える……村の外にも、きっとあの子達のように、理不尽な脅威に晒されんとしている子達がいる。
そんな子達をひとりでも多く救え。
俺は彼女の最後の言葉をそう解釈した。
真意は彼女にしかわからない。最早、誰にも知るよしは無い。
だけど、“生きる”その先に新たに見出した意志は、俺を再び奮い立たせ、繋ぎ止めた。

村の方へ敬礼を掲げ、言った。

“行ってきます”

返事は無い。
首巻にした布の裾をそっと踊らすそよ風に背を押され、俺は村を発った。


様々な場所を見て歩いた。
前向きに復興に向かう者達を見て励まされる一方、予見した通りの凄惨な場面にも数多く出くわした。
その度に俺は戦った。
彼女の、あの子達の、彼らの、力無き者達の代わりとなって。
誓いの通り、誰の命も奪わぬように。
いつも全て上手くいったわけじゃあない。
力及ばず、既に時遅く、守りきれなかった事もあった。
恐れ、疎まれ、守ったはずの者達に石投げられる事もあった。
当然だったろう。兵器として俺に仕込まれた力と技は、誰かの命を守るためのものじゃあない。
そのまるで反対、いかに多くの者の命を奪い殺すかの技術だ。
それでも俺は立ち止まらなかった。
失敗に直面する度、傷付いた心身を首巻に包まって癒しながら省み、模索した。
ずっと村を守護してきたゾロアークだったら、どう守っただろうか。
最低にまで落ちぶれていた俺を励まし救ったシスターだったら、どう説得しただろうか。
思い起こして照らし合わせ、ふたりに少しでも追いつこうと練磨した。
――今でも追いつけたなんて思っていないよ。
背中ぐらいは見えてきたかななんて思いたいけれど……まだまだ未熟だ、俺は。
ふたりの名のもと、代わりとなってだなんてとても名乗れはしない。

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