第44章 - 18

――『おっと、出来ればしばらくそのまま振り向かないで。自己再生がおっつかなくて。とてもひとさまに見せられる姿じゃないんだ』
俺は何も応じず、虚ろにガラス片に視線を落とし続けた。
――『今更何をしに来た、ってところかな。……だよね。言い訳はしないよ。ずっと逃げ隠れ続けていたばかりのボクが、今更なにかを守り抜いて戦おうったって、できっこなかった』
外からはぎゃあぎゃあと死骸に群がる鳥のようにおぞましく酷薄に騒ぎ立つ竜達の声と羽音が聞こえる。
――『何度も何回も何十回も、こんなことが繰り返されてきたんだ。ボクが新たな拠り所を見つけて逃げ込めば、彼らもまた手段、手順、手駒を変えて追い詰め、破壊していく。草の根一つ残らぬよう徹底的に。彼らは自分達の痕跡を残すことを嫌うからね。見せしめの意図もあるのかな』
無数の鋭い爪が瓦礫の山を掻き分け、探る音が迫る。


――『前にボクは言ったよね。こうして追われることに“もう疲れちゃった”って。半分冗談みたいに言ったけれど、本心だったのさ。肉体は限りなく不死に近くあれるボクだけれど、精神まではそうはいかないみたいだ。
いくら今ある世界の維持のためといえ、そこに住んでいる者達を蔑ろに、何十、何百、何千、数え切れないほど犠牲にしてきて……。これじゃあまるで彼らとさして変わらないじゃないか。
ある時、ふと気付いた。そして、愕然とした。そんなことをいつの間にか平然として続けていたことに。涙の一つも零すことが出来なくなったボクに。
もう限界なの。ボクらは壊れてきている。あの子、セレビィだってずーっと昔はあんなに薄情な子じゃなかったんだよ。それが、今はもう……。
だから、もう終わりにしよう。そう思った。


どの道、このままじゃあ負け戦なんだ。彼らにとっては後はもう昔の人間の貴族が娯楽でやっていたロコン狩りみたいな気楽なもんさ。
猟犬代わりに直属の竜達をふんだんに使って競わせながら、豪勢で優雅なもんだよね、全く。
ボクら側の有力者の殆どは既に敗れている。残るエっちゃん達はどっち付かず、れじやん達は以前の戦いで力を使いすぎて眠ってて、ひーくんはすっかり怖気づいちゃっててダメだ……。もう頼れるのはでぃあるんとぱるぱるに並び立てるぎらちーくらいだもん。もしもぎらちーが彼らを裏切ってこっちに付いてくれなかったら、とっくにボクらは負けてたかも。
長い間、首の皮一枚ぎりぎりでどうにか凌いでいたような状況だったけど、それも限界が近いんだよ。ボクらが奪い取っていた力をでぃあるんとぱるぱるが殆ど取り返し、いよいよ“王”が目覚める。ボクが前におとぎ話として話していたあの王様だよ。
厄介でけったいな事にこの世界には実在しちゃうんだ、何もかも思い通りな滅茶苦茶な存在が。全盛時のボクら側の有力者全員が、不意を突く事でどうにかようやっと抑え込んだような奴が、このズタボロの状況で。まさに絶望ってやつさ。王の手にかかれば眠い目をこすりながらでも今のボク達をどうこうするなんて、ホエルオーがバチュルを押し潰すくらいに容易いことだろう――』
ごぼごぼと後ろから何かが泡立って盛り上がるようなような音が立ち、続いて『ぷはー』と水中から水際にようやく泳ぎ着いたかのような大きな息が吹き返るのが聞こえた。
『あーあー、ごほん……でも、それを指をくわえて見ているつもりは無いよ。追い詰められたコラッタはニャースにだって喰らいつく。もうボクは逃げ切る事は出来ないしそんなつもりもない。せめて力の続く限り、最後の一、二暴れをしてあげるつもりさ』


大きく息を整え、話すミュウの声が耳に届く。
『おっと、ただ捨て鉢自棄っぱちになったってわけじゃあないよ。一欠けら、一つまみの希望となるかもしれないもの、彼らにとっては大いなる嫌がらせをちゃんと幾つか遺していくつもりさ。君に今こうして接触しているのもその一環だよ。そう、君に一つ二つ、聞きたい事があるんだ』
めきめき、とより一層大きな音を立ててすぐ上の瓦礫が軋んだ。
竜達の荒い吐息と猛る声をすぐ近くに感じる。
『君、これからどうしたい?このままただ時を待てば、炎が回りきるよりも早くに彼らの走狗共がこの場所を掘り当て、ボクらを惨たらしく貪る為に存分にその腕と爪と牙を振るってくれるだろう』
そんな事分かりきっている。既にぐちゃぐちゃに掻き乱されきった精神を更にひたすら逆撫でるようなミュウの言葉に激憤し、拳が震えた。

――
“どうしたいだと?もう、俺にどうしようもないだろう!”
叫びつけてやりたかったが、喉はもう呻き声の一つすらも上がらない。


『どうしようもないって、どうして?』
俺の思考を直接読んでいるのか、更に煽るようにミュウは言った。
――“これ以上、俺をからかって、心をいたぶって、なんになるって言うんだ。見れば分かるだろう、全身ボロボロでろくに歩くこともままならない”
『なあんだ、ボクがいながら、そんなこと気にしてたのか。忘れちゃったかな、前に地下でボクが君にしてあげたこと。ほんの戯れにちょっぴりだけだから、一瞬だったけれど、あの時は随分と体の自由が利く様になったでしょ。
ボクがその気になれば、今の君ぐらいの傷を治すのなんて、ちょちょいのちょいさ。体だって、自由に動かせるように出来るよ。それどころか、もしかしたら君が怪我を負う前以上の力を出せるようになるかもしれない。……それは君の意志しだいだけれど』
炎燃え盛り、恐ろしい唸り声渦巻く地獄の釜の中で、ミュウの声はまるで悪魔の囁きの様に聞こえた。


――“代わりに俺に何を求める?”
『やだなあ、ひとを悪魔か何かみたいに。今更、ボクは何も求めないさ。
彼らだったら、もっと窮地にもったいぶって神々しく現れでもして恩着せがましく命を救ったら、有ること無いこと大仰に囃し立てて、英雄とか勇者とかって耳心地のいい名前の鉄砲玉に仕立て上げちゃうんだろうけれど。
生憎、ボクはそういうのは好きじゃない。なら、自分よりも先にシスターちゃんや他のみんなを助けろって?
……言い難いんだけれど、それはボクの力の範疇を超えている。既に0となってしまったものを戻す事はボクには出来ない。だが、たったの1でもあれば、虫の息でも生きてさえいれば、“可能性”が一欠けらでも残っているのであればッ!ボクはそれを何倍にもしてあげられる。
……宇宙が生まれる前、そこは混沌のうねりだけがあった。ある時、うねりから出でたタマゴから最初のものが生まれた。最初のものは混沌――乱雑無秩序に入り混じった全ての“可能性”に、形、種類、区別、分類、定義――秩序を与え、次々と世界を成していった。
その中で、僅かにあぶれた混沌の切れ端があった。混沌は全ての“可能性”だ。だけど、それ故に、既に秩序付けられ安定した空間の中では理解出来ない不条理で名状し難い予期せぬ事象、不具合を引き起こしてしまう。だから、安定を図るのであれば極力根絶するべきだ。
しかし、たった切れ端ともいえる一つが見落とされて残っていた。


それに最初のものが気付いたのは、世界の構築が完了する間際になってからの事だった。
最初のものは切れ端を取り除いてその形を作り変えると、僅かに空いた世界の隙間へと、切れ端だったものを放り込んだ。世界に生きる原初の生命として。
ただ、またしかし、だ。余程の急ごしらえだったのだろう。
切れ端の秩序による濾過は不十分であり、原初の生命はその身に混沌たる性質を色濃く残していたんだ。その身に孕む可能性により原初の生命は縦横無尽に形態を変えることが出来た。
……ま、ここまで言っちゃえば大体予想が付くと思うけれど、それってばボクのことさ。
目まぐるしく起こる変化の中で、やがてボクの体は株分けするように増殖し、分かれて生まれたものも徐々に形質を変えながら子株を増やしを繰り返して、多様化、枝分かれをしながら世界中へと広がっていった。
その中でも最もボクに近いのが君達、ふしぎなふしぎな生き物、動物図鑑には載っていない、ポケットモンスター、縮めてポケモンだ。
長い時と数多の分化の中でその性質は大分薄れてしまったけれど、普通の生き物ではありえないような進化と呼ばれる急激な変化――みすぼらしい鯉から強大な水竜へ、魚から蛸へ、二つ首から三つ首へ、今挙げたのは君達の中でも結構極端な例だけど――が起こせるのは、ボクの、“可能性”の片鱗を脈々と受け継いでいるからこそ!


君が首を縦にさえ振れば、ボクは君にボクを分け与えよう。
先に言っておくけれど、これは小さな電池で動いていた玩具に大きな発電機を増設する様なものだ。
当然、苦痛は伴うだろうし、負荷に耐え切れなければその存在は、不条理で名状し難い予期せぬ事象、混沌とした不具合の一部と化してしまうだろう。
だが、それに打ち勝ちさえすれば、この場を切り抜け、生き延びるだけの力は得られる。
そこから先は……それも君の自由にすればいい。
復讐に生きるのもいいし、その力を振りかざして威張り散らすお山の大将として、飽きるまで傍若無人に生きてみるのもいいだろう。
当然、このまま何もせず、死を待つのもまた君の自由さ。
長くなってごめんね、悪いクセだ。それじゃあ、改めてもう一度聞こうか』

すう、とミュウは呼吸を整える。
『君は、これからどうしたい?』

――“ならば、よこせ。その力を”
簡潔に俺は念じた。


『力を得て、それから君はどうするの?』
――分からない。だが今は生きる、生きたい。そのすべがあるというのなら、その力がそうだというのなら、欲しい、力が!
力を得てどうしたいのか、その時は思いつきもしなかった。
だが、俺の命を身を挺して紡いでくれた者達の存在が、彼女が最期に遺した“生きろ”という言葉が、暗雲切り裂く雷光の如く俺の心で轟いた。
『ふむ、今はただ“生きたい”か。実に単純でシンプル。だけど、故に、力強くぶれ難い、か。ふふ……いいよ、すごくいい。絶えず奔放に捻じ曲がり移ろい続けるものと上手くお付き合いするには、確固たる個、強い意志が必要だ。今はまだその一点だけで十分。そこから更に先、何がしたいかは後から必要になった時に見出せばいいさ』
分厚いガラスに鋭い鉄の刃が突き立つような音と共に、空気がびりびりと激しく揺らいだ。


『おおっと、そろそろここも限界だ。“彼ら”の仕立てたとっておきの勇者がすぐそこまでやってきた。祝福を受けた牙の斧を鍛え抜かれた肉体でもって振り下ろされれば、たちまちボクの障壁はぶち破られるだろうッ!その前に、ボクは君に与える
そっと背に温かい感触が伝わる。
『君とはもっと話したい事、話すべき事もあるけれど――』
次の瞬間、何本もの楔を突き立てられたかのような衝撃が背中に走る。
地下で受けた時の何倍、比べ物にならないほどの苦痛。
衝撃は神経の一本一本に熱せられた鉄線のように絡み付き、締め付けながら徐々に全身へと広がっていった。
視界が、己の体が様々にぶれて見えた。時に砂嵐のように、真っ黒な汚泥のように、ひび割れるガラスのように、無意味な文字列のように、不条理に名状し難く。
混沌とした”ぶれ”に思考さえも呑まれ砕かれ、掻き消えそうになる中、“生きたい、生きる”ただその意志を強く強く抱いた。

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