第44章 - 15

“まず、この村は軍などと何も関係は無い
『言い切る理由と根拠は?』
“俺は村で長らく暮らし、住民達と接してきた。その中で彼らに軍と通じるような素振りと気配は微塵も感じた事は無い”
『……仮にテメーの言葉を信じるとしよう。じゃあ、なんでそんな何もねえ村をトカゲ共まで駆り出して本気でぶっ潰さなきゃなんねえ?』
“そんな事、俺にだってわかる筈が――”
言い掛けて、俺は言葉を詰まらせた。脳裏には一匹の白い影がちらついていた。
『やっぱ心当たりがあんだな』
急かす様に、押し当てられた刃に少し力が込められる。
“そうか、そうだ――!放せ!俺は今すぐ行かなければならない、教会に!”
『急になんだ、教会?そこに何があるってんだ』
突然もがき出す俺に少し動揺してスカーは尋ねる。
“ゆっくりと立ち止まって説明している暇なんて無い、知りたいのなら行きがけに話してやる!だから、今は行かせてくれ、頼む!”
懸命に頼み込む俺に、逡巡した様子でスカーは黙り込んだ。
木立に燃え盛る炎は勢いを増し続けてその手を小屋まで伸ばし、伝わってくる熱がじりじりと皮膚を刺していた。
本来であれば寒い地域で暮らす種族であるスカーにはよりこの状況は過酷であろう。
黒い毛並みはぐっしょりと貼り付き、顎や手から滝のように汗が滴り落ちてきていた。
止むを得ないようにスカーは舌打ち一つして、俺を脇に抱えて立ち上がる。
『テメーの速さに合わせてちんたら並んで走っていたら的もいいとこだろうが。案内しな。その代わり、きっちり説明はしてもらうぜ。俺もわけもわからねえままくたばんのはご免だからな』


無残に変わり果てた道筋に微かに残る面影を辿って俺は行き先を示し、教会を目指してスカーは走り出した。
村中に蔓延るクリムガン達の間を、無差別に降り注ぐ流星の中を、影のように風のようにスカーは擦り抜ける。
その腕の中、恐れ、怯え、怒り、悲しみ、気が狂いそうな激情の渦中で辛うじて正気を繋ぎとめていたのは、一種の“慣れた”ような感覚。
死と灰と炎の臭いに触れている内に否応無しに呼び起こされた、数々の戦場での経験、記憶だ。
厭わしく、捨て去りたいとさえ思っていたものに皮肉にもその時は助けられていた。
道を示す合間、約束通り俺はスカーに全て話した。まずは、シスターを送り帰そうとした日、何があったのか。
隊へと戻らなかった理由。それから村で生活を続ける内、やがて教会の地下で出会ったものと、“それ”が語った事。
『ってーとだ、俺達ゃその幻のミューだかミョーだか言うおかしな野郎をとっ捕まえるために殺し合わされてるってか?』
“ああ”
話した内容に嘘偽りは一切無い。
大真面目に頷く俺にスカーは最早どうにも反応に困った様子で怪訝そうに唸る。
『伝説だの幻の存在だの、ヤベーもんでもキメて頭がぶっ飛んだ末の妄想だと思うとこだぁな。だがよ、それ以上に今の状況はイカれてる。
フツーなら一、二匹でも渋られるトカゲどもをケチらずぶっ込むなんて、ヤツら以上の化け物を、それこそ伝説と呼ばれるような連中でも相手にする確証でもねえと不可能だ』


スカーは乾いた嘲笑を漏らし、呆れたように吐き捨てる。
『どーかしてやがる。大馬鹿揃いだった俺らの部隊の誰よりも、よっぽど上のヤツらのが頭がプッツンいってるみてえだな』
進行方向前方にクリムガンが瓦礫を切り崩して突如として躍り出、スカーは慌てて滑り込むように足爪で急ブレーキをかけて物陰に速やかに潜んだ。
『にしてもよ、俺らがひーひー言わされながらくたばりかけてる間に、オメーは随分とまあよろしくやってやがったんだなぁ、おい』
氷の礫を片手に構えて、陰からクリムガンの出方を窺いながら、スカーはひそひそと俺に言った。
“……すまない”
俺はただ一言、謝ることしか出来なかった。安穏と村で暮らす間にも、スカー達は死線を彷徨い続けているであろう事を俺は薄々と感じていて、ミュウと対話した後ははっきりと知りながら、それでも尚、ずっと心の隅に押し込めて逃げるように目を背けてきたのは事実だ。
けたたましい咆哮が空から響き渡り、見上げる間もなく風巻くと共に一頭の巨竜が地面すれすれを滑空しながら俺達の隠れるすぐ脇を過ぎ去る。
巨竜はその勢いで一瞬の内に腕の爪にクリムガンを引っ掛けて捕らえると、翼を力強く翻して瞬く間に急上昇し空高くまで掻っ攫って投げ捨てた。


ヒュゥ、とスカーは小気味よく口笛一つ鳴らし、再び進路を駆け出す。
『別に、責めるつもりはねーよ』
罵られる事を覚悟していた俺は、“え?”とスカーの面を見上げる。
『シスターちゃんを帰そうとした時の襲撃で、オメーはくたばったもんだと判断されたって言ったけどよォ。そりゃ人間共の間の話で、俺やピジョット、後はもう殆ど既に先に逝っちまったけど他のヤツらだって、オメーみてえなクソッタレ野郎が、シスターちゃんみてえないい子が、早々簡単にくたばってる筈がねえって、半分冗談だけど半分マジで言い合ってたのさ』
ヘッとスカーは笑う。
『もしかしたら、二匹はまだ生き延びてて、どっかで幸せに暮らしてんのかもしれねえ。非常に羨ましくて妬ましくてしかたねえが、だったら俺達はこれから二匹のために、戦ってやろうじゃねーかって、ピジョットのヤツがある日言いやがったんだよ。
その瞬間よ、ギロチン台に首乗っけられて刃が振ってくるのを待ってる様な辛気臭えツラして過ごしてやがったヤツらの顔が少しばかりだが明るくなってなぁ』
スカーはこそばゆそうに顔面の古傷を掻く。
『ダセー話だが、俺もそん時は少しノリ気んなってた。いつかその内くたばることになろうと、代わりにあいつらがどこかで笑っててくれりゃあいい。だからさっさと首謀者だかなんだかをとっ捕まえて、このくだらねー小競り合いを終わらせてやるってよ。
……それが、今はこのザマだ、クソッ……!』


唸るように言って、スカーは鼻に皺を寄せた。
『にしても、幻のポケモンなんてわけわかんねえもんの為に、それも何の罪もねえ村をぶっ潰したなんて世間様にバレちまったらマズいだろうに上のヤツらはどう後始末をつけるつもりなんだかな。
トカゲ共の様子からして、少なくとも俺達の部隊の事は一人も一匹たりとも無事に逃がしてくれる気は無さそうだ。大方、俺達の部隊の勝手な暴走とでも無理矢理仕立て上げんのかねえ。
そのために人間共はこの場で一人残らず口封じにして、俺達もそのついでにくたばればよし。運良く生き残ったとしても野放し放免にしてくれるわけがねえ。捕らえて何か実験にでも使うか、またどこかで死ぬまで使い潰すってとこか。冗談じゃねえや』
中心を抜けて遮蔽物の無い広い農地に差し掛ると、スカーは足に力を込めて速度を増した。
降り注ぐ隕石に混じり、空中戦に敗れ翼の折れた一頭の竜がきりもみに回転しながら堕ちてくるのが見える。
それはつい先程にクリムガンを襲っていたあの竜だった。
竜は畑へと墜落し、土を大きく抉る程の衝撃を全身に受けてもまだ息がある様子で蠢いていた。
そこに数頭のクリムガンが現れ――あの時、炎と煙に多少視界は阻害されていたとはいえ、奴らの目立つ配色の図体を全く目に止まらせることなく潜めておけるような場所は無かった筈だ。
奴らはまるで何もない場所から忽然と現れたように見えた――少しきょろきょろとしてから竜の姿に気付くと一斉に群がっていって鋭い爪を振り上げた。
その様をスカーは忌々しく唾棄するように睨んだ。
『命じられるまま、殺し、殺され……もう飽き飽きだ。こうなりゃ、意地だ。意地でもこの場を生き残ってやる』


己に言い聞かせるように、スカーは決意を込めてぐっと拳を握る。
『そうだ、必ず生きて逃げて逃げ切って、その後は精々勝手気ままに過ごすのさ。それはそれは何にも縛られねえで自由に。俺達のようなヤツらにだって生まれてきちまった以上、その権利はあんだろ。無くても無理矢理ぶんどってやるッ』
農地を過ぎてなだらかな坂を一つ越えれば、もうすぐ教会の様子が見える。
『無事だといーな』
押し黙ったまま震える俺を慰めるようにスカーはそっと言った。
斜面を上りきり、俺は教会の方を確認する。見たところ教会に損壊はなく、まだ火の手は及んでいない。
『神のご加護ってヤツかねえ?こりゃシスターちゃんや他の住民共もあの中でまだ生き残ってっかもな』
“ああ……!”
心に一抹の希望を抱き、俺は頷く。
『俺も久しぶりにシスターちゃんのツラを拝むのが楽しみだ』
ヘヘッとスカーは口元を緩め、教会に向かって、より速く駆け出そうとする。
しかし、その足が突然止まった。目の前には複数のクリムガンが立ち塞がっていた。
音も気配も予兆も無く、また何も無かった場所に忽然とだ。
声も出ない程にスカーと俺は驚いて目を見張る。目の前だけじゃない、俺達は急に群れの真ん中に放り込まれでもしたように周囲を囲まれてしまっていた。
その中にはクリムガンとは発する威圧感の格がまるで違う、斧のような形状の分厚く頑強な牙が顔の両側から生えた竜の姿もあった。


炎を照り返して黄金色に輝く絢爛たるその威容を眼中に収めた瞬間、波が引くようにスカーの表情から一切の余裕が消え失せる。
俺もまた、心臓が耳元で直接揺れ動いてるのかと思うほどにやかましく脈動し始め、全身の毛という毛が逆立ちチリチリと痺れるような感覚に捉われた。
慄く俺達を牙斧の竜は歯牙にもかけぬ様子で目も留めずに暫し辺りを見回し、どこか陶然として歪めた顎の隙間から熱を帯びた吐息を零す。
『……我が主君が御業、まこと御見事』
とともに、しゃがれた低い唸り声が微かに大気を揺らした。
『斧付き……!』
狼狽混じりに呟き、苦々しく表情を歪めてスカーが見上げる、その竜の真の名はオノノクス。
研ぎ澄まされた戦斧のように厳めしい牙は、頑丈な岩や鋼の肉体を誇る者達すらをも時に一刀のもとに真っ二つに斬り伏せ、確と揺ぎ無く体を支える剛健な二脚で大地を思い切り踏み締めて揺るがせば、周囲の者は当然、低空を浮遊する者達にさえ衝撃は伝わり塵芥のように吹き飛ばすという。
荒々しい自然の猛威そのもののような力を持つ竜族の中でも更に飛びぬけた、まさに型破りな破壊力を身に秘めた種族だ。
しかし、それが“ただの”オノノクスであったならば、スカーも俺も竦み上がってしまう程の忌避と畏怖の念を抱く事はなかっただろう。
種族として元々備えている脅威を超えた何か異質で特異なものを眼前のオノノクスからは感じたんだ。
それは、教会の地下でミュウとセレビィに感じたもの、――馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、自然の摂理を外れたこの世のものならざる気配――とどこか近しいものだった。


『ヒャ、ハ……今日は変なクスリをブチ込まれた覚えはねーぞ。催眠術か、超スピードか、そんなチャチなもんじゃ断じてねえもっとおっそろしいもんの片鱗なのか……オメーにもこれ見えてるか、ネズミ?俺だけイカれてるわけじゃねえよな』
苦し紛れな様子でぎくしゃくと口角を上げるスカーに、こく、こく、と俺は虚ろに頷く。
束の間、ぼうっと状況を飲めない様子で立ち竦んでいたクリムガン達も意識を取り直したのか直に俺達の存在に気付き、身構えて唸り声を上げ始める。
騒ぎ立つクリムガン達に、オノノクスは小うるさそうにこちらへと緩慢に首を寄越した。
『たかが下等な獣が一、二。捨て置けど主命の障害にはなるまいが――』
俺達を一睨して、オノノクスはまるで道端に転がる小石でも見たかのように退屈そうに赤い両目を細め、一笑に付す。
ぴくり、とスカーの眉間が動いた。たじろいでいた瞳に少しばかり鋭さが戻る。
オノノクスはクルル、と喉を鳴らし、クリムガン達に指示を出す。
『ネズミぃ。オメーよォ、ボード出来たっけ?サーフでも、スノーでも、スケートでも、どれでもいーや』
口端から微かに白い冷気の煙を漏らしながら、スカーはひっそりと俺に尋ねた。
状況にまるでそぐわない突飛な話題に、気でも触れてしまったのかと訝しむ俺に、
『いーから答えろ』とスカーは急かす。
“同族の中にはサーフボード、波乗りを嗜む者もいると聞くが……”
俺の答えに、スカーは『ほほー、そいつぁ良い』と不敵に笑んだ。


『波乗り、いーよなありゃ。大自然様だか何だかしらねーがでけーツラして飲み込もうとしてきやがる波を、板切れ一つで涼しい顔して乗りこなす。サイコーに痛快で爽快だ』
スカーが機嫌よく語る内にも、クリムガン達は迫る。
さーてと、とスカーは一息つき、
『わりぃが俺が手伝えんのはここまでだ、ネズミ』
そう言って、スカーはポーチからスプレー缶を一つ取り出し、ぐい、と俺に押し付ける。
渡されたスプレーはすっかり凍て付き、表面には薄い氷が張っていた。
『もってけ、最新型の傷薬だ。少しの間、痛みを誤魔化すぐらいは出来んだろ。俺がここまでしてやんだ、絶対にシスターちゃんと生き残れよな』
一体、どういうつもりだ?聞く間もなく、クリムガンの一頭が飛び掛ってきた。
スカーは素早く地に片手の爪を突き立てる。瞬間、爪が刺された周囲の土が凍り付いてびしびしと音を立てて隆起し、氷の壁によるリフレクターが形成された。
しかし、クリムガンはものともせず、氷の壁は容易く砕かれる。
食らいつきにかかってくる大きく開かれた赤い顎を、スカーは予期していたようにうろたえる事無く紙一重かわし、避けざまにクリムガンの喉元へ爪先を滑らせた。
そのまま躊躇い無く流れるような動作でスカーは砕けた氷壁の一番大きな破片を拾い上げ、素早く形を長細い楕円に整えると――それはさながら、波乗りに使うサーフボードのようだ――俺をその上にへばり付かせて頭上に持ち、構える。
“まて、これ、何ッ!?”
『ヒャハハ、死ぬ気で乗って来な、このビッグウェーブ!』
嘘だろ、やめろ、無茶だ、叫ぶ事も出来ずにいるまま、スカーは襲い来るクリムガン達の頭上に飛び上がり、体を反らせて勢いづけ、しがみ付く俺ごと氷のボードを思い切り投げ放った。


“――――ッ!!?”
高速で過る景色、全身を揉みくちゃにする風の激流、速度の重圧。
喉から声にならない声が溢れる。氷のボードはクリムガン達の脳天や背中を何度か豪快にバウンドした後、荒々しく地面に着地した。
伝わってくる衝撃に目が回りそうになる。
緩い下りの傾斜に乗ってボードは滑走を始め、一時落ちた勢いを徐々に取り戻し増していく。
振り落とされぬよう懸命に堪えた。
こちらを捕らえようとクリムガンの一体が覆い被ろうと迫る波のように前方に立ちはだかって構える。
ノロマだが馬鹿力だけは他の竜族に劣らぬ奴らに真正面から挑まれれば、幾ら速度が付いているとはいえ止められかねない。
止められはせずとも、この速度であの鮫肌のような鱗が生え揃う体に真っ向ぶつかれば、俺もただじゃあすまないだろう。
咄嗟に俺はスカーから渡されたスプレー缶の口を噛み砕いて外し、原液を背にぶちまけた。
それから、ボードの上に立とうと全身に力を込める。背は麻痺したように痺れ、痛みは幾らか誤魔化せた。
よろめきそうになりながらもボードの上に立つことに成功し、半ば本能的にボードにかける体重を傾ける。
激突の寸前、ボードの進行方向は僅かに逸れ、クリムガンの脇すれすれを掠めるように過ぎ去った。
のたうつヘビの様に大きく左右に暴れだすボードを、試行錯誤制している内、体が“コツ”を捉える。その瞬間、ボードは手綱でも付けられたかのように従順に俺の思い通り動くようになった。

- 149 -
スポンサーリンク
スポンサーリンク