第44章 - 14

とても空が青い日だ。ゆるやかな斜面を歩む足に一息入れながら、空を見上げ思った。
目指していたのは、彼女と共に初めて村を見て歩いた時に、一番のお気に入りの場所だと案内してくれた、村を一望できるあの丘の上。
あの後もふたりで何度か訪れた事はあったけれど、自分ひとりだけで行こうとしたのはその時が初めてだった。
丁度、木の実園が休みの日だったんだ。普段であれば休日は子ども達の相手をしているか、彼女の手伝いをしているのだけれど、一体どうしてだったろうか、その日はひとりになりたい気分だった。
丘の上へと辿り着き、ゆっくりと定位置に腰を下ろした。
隣に誰もいないのに、なんとなく無意識にもうひとり分のスペースは空ける。
初めて訪れた時に比べたらずっと呼吸は安定していて、随分と体力を取り戻したと感じた。
走り回ったり飛び跳ねたりなんて真似は出来ないけれど、村で暮らすには十分だ。
じっと村を見おろす。木々の額縁から覗く村の全景は、素朴で穏やかで、何一つ変わらない。
手のひらを思いきり広げて村の方へと伸ばし、ぎゅっと拳を握った。
手は空を掴んだだけに過ぎないのだけれど、その握り拳を胸にそっと当てたら不思議と安堵感を得て、俺は息が抜けたようにその場でころりと寝転んだ。

離しはしない、変わりはしない。これからもずっと。
草の上に落ち着いている内に、徐々に意識がうとうとと遠のき始めた。
その時、澄んだ空の彼方に昼にもかかわらず流れ星のような二つの光の筋が、まるで意思があるように何度も交差して輝くのが見えた。
だが、俺はきっとまどろみが見せる幻に過ぎないだろうと気にも留めず、少し休んだら教会に帰ろうと意識を眠りに委ねた。

それからどのくらい経ったのだろう。
少し遠くで何かが炸裂するような大きな音が響き、一気に意識が現実に引き戻され俺は眼を見開いて身を起こした。
そして、目を疑う。

村から、黒煙が上がっていた。


心臓は破裂しそうな程に高鳴り、全身からじっとりとした汗が吹き出た。
一体、村に何が起きているのか探ろうにも、立ち昇る煙に視界を阻まれわからない。
俺は言うことを聞かない体に鞭打って、半ば転げ落ちるように斜面を下っていく。
村に近づくにつれ強く感じる、鼻をつくなにかが燃える臭い、肌を刺すような気配。
ただの火災ではないと刻み込まれた本能が、忌まわしい記憶が告げていた。
悪い夢であってくれ、何かの間違いであってくれ、何度も心の中で叫んだ。
だが、枝と葉が頬と体を裂き、手足が軋み、熱したナイフで抉られるような背の痛みが、再びの轟音と、上空から響く大気を震わせるような咆哮が、現実であることを残酷に突きつける。
坂を下りきると、勢いを支えきれずに俺の体は地に叩きつけられて転げた。
頬を生温かい液体がドロリと伝う。起き上がろうと力を込めると、手足と背に激しい痛みが走った。
叫び声を上げそうになるのを縫い止めるように歯を食いしばり立ち上がる。村から上がる黒煙は先程より勢いを増し、赤い炎がまるで生き物のように家を畑を飲み込まんと広がっていった。
絶え絶えの息で彼女とみんなの名を呼びながら、足を引きずるようにして燃える村の中へと踏み込む。
その矢先、家の影から誰かがのそりと緩慢な動作で這い出てきて、生存者がいたかと少しの希望を抱きながら、そちらへと足を速めて寄って行こうとした。
しかし、その正体を認識するや脳は反射的に足を止めさせ、後ずさりへと行動を切り替える。
物陰から現れたのは村の者ではない、ゴツゴツとした深紅の頭部に青い身体という異様な配色をしたドラゴンポケモン、クリムガンだった。
そいつは何かを探るようにフゴフゴと鼻を鳴らしながら、歪に長い腕で家の壁を力任せに軽々と崩し出す。その伸ばされた腕には、敵軍の腕章が巻かれていた。


村が燃えているのはこいつらの仕業か?
だが、なぜ、どうしてこんな小さな村を――。
答えが出るより早く、気配を察知したのか真っ赤な頭部がこちらを向いた。
奴は家を崩す手をひたと止め、しゅるしゅると不気味に喉を唸らせこちらをじっと見据える。
右目に付けられたカメラのような装置がジリジリとピントを合わせる音を鳴らし、耳穴に差し込まれている小型無線機から兵士の指示らしきノイズ交じりの音が響いた。
クリムガンは背に生えたヒイラギの葉の様なギザギザとした二枚の翼を勢いよく広げて咆哮を上げ、短い二本足で大地を踏み鳴らしながら向かってくる。
俺はまるで射竦められたように体が痺れ、身動き出来ずにいた。
ドラゴン、一般的には聖なる伝説の生き物として語られ、知られているのだろうか。
だが、戦場で奴らの振る舞いを見てきた俺から言わせれば、彼奴らは“聖なる”なんて言葉とは程遠い、暴虐な力と破壊の権化だ。
数は少ないが、ひと度投入されればその圧倒的な剛力、敵を粉微塵に吹き飛ばす息吹、何より恐ろしい天から隕石を呼び寄せ雨か霰の様に降り注がせる異能の力でもって戦場を蹂躙し、瞬く間に戦況を塗り替える。竜には決して正面からまともに挑むな。
軍では口を酸っぱくして言われたものだ。


クリムガン、竜族の中では下位に位置する種族だ。
習性は竜というよりもワニやトカゲに近く、身のこなしは緩慢で、翼に大空を舞う力は無い。
しかし、その牙、爪、鱗には紛れも無く竜の力を宿している。
その牙と爪は触れただけで毛皮なんてボロ切れのように引き裂き、鱗は衰えた電撃なんて易々と弾くだろう。
幾ら動きが鈍いとはいえ、弱った足では逃げ切ることもかなわない。
奴はもうすぐそこにまで接近し、鋭い爪を構えて今にも飛び掛らんとしていた。
それでも尚、足も手も頬の電気袋も痺れたように動かない。ここまでなのか?
彼女と子どもとみんなの無事を確認できないまま、ともすれば仇も取ってやれないまま、俺は殺されてしまうのか?
軍で叩き込まれた竜に抗う術は三つ。
だが、俺はそのどれも持ち合わせてはいない。
一つは同じ竜の力をぶつけるか。
二つ目は、唯一、竜の力を抑えられる、鋼で出来た身体を持つ者達で猛攻を凌ぎ、疲弊したところ数で押すか。
後もう一つ――そういえば、俺がいたあの部隊にも一匹、その使い手がいた。
あいつのおかげで部隊は竜を仕留めた事がある。本来なら煌びやかな勲章が贈られるぐらいの大手柄の筈なんだが、何せ鼻つまみ者の最低部隊だ。
普段の悪行で帳消しにされてしまったんだっけ。


ろくでもない走馬灯だ。今更、そんなことを思い出してなんになると言うのか。
諦め、委ねると、周りの動きは随分とゆっくりに見えた。振り下ろされた爪が目前にまで迫る。
すまない、みんな、シスター……。
しかし、寸前で、爪は怯んだように突然退き、クリムガンは己の顔面を覆って苦悶の声を上げた。
見れば、その眼に鋭い刃が突き刺さっていた。
それもただの刃ではない、薄っすらと白い冷気を纏った氷の刃だ。
無線機が、暴れるクリムガンを宥めようとする兵士の声でガーガーとうるさく鳴る。
そうしている間にも氷の刃が次々と鱗の隙間を狙って突き刺さり、その度に奴の動きは体の熱を奪われて鈍った。
五本目の刃が突き立ち、とうとうクリムガンは油切れのブリキ人形のようにかすれた声を上げて体を硬直させる。
見計らったように視界の外から黒い影が飛び出し、瞬時にクリムガンの背に取り付き、長く伸ばした両手の鉤爪をクリムガンの首へと鎌で草を刈り取る時のようにあてがった。
思わず俺は目を逸らす。直後、地面に重い物体が倒れ込む衝撃。

『ざまあみやがれ、羽トカゲ。ヒャッハッハッハッ!』
続いて、聞き慣れた懐かしい高笑い、ばきばきと機械か何かを踏み躙る音が響いた。


ゆっくり俺は顔を上げる。
爪に付いた赤い汚れを振って落とすと黒い背は一段落ついたように『さあて』と一声漏らし、ゆらりとこちらへ振り向いた。
頭に生え揃った冗談みたいな扇状の赤い鬣、顔面にでかでかと刻まれたバッテン傷。
紛れもない。こんな輩、俺が知る限りでは他に居よう筈もない。

“スカー……!”

吃驚の声の代わりにその名を呼び上げると、その赤い両耳がぴくりと揺れた。
『化けて出てきたってわけじゃあ無さそうだな、ネズミぃ。足、あるもんな』
軽口を吐いて、スカーは口元に不敵に大きな弧を描く。
隙間から覗く鋭い歯が、炎に照らされぎらついた。
もう二度と会える事は無いと思っていた戦友との突然の邂逅。
様々な感情や言いたい言葉や聞きたい疑問が一度に沸いてきてせめぎ合い、一つしかない俺の小さな喉では捌き切れなかった。
『それ以上動くな』
しかし、スカーは歩み寄ろうとする俺を冷徹に制止する。
赤い瞳は油断無く俺を見据え、片手にはいつでも投げ放てるように氷の刃を構えていた。
『本当なら再会を祝って拳のひとつでもくれてやりてぇところなんだがよ。残念だが場合が場合だ、そうもいかねぇ。答えな、よりによって何でテメェはこんな敵地の真っ只中にいやがる?』


“敵地?一体、何のことだ”
わけもわからず俺は尋ね返す。
スカーの眉間が怪訝そうに一瞬ぴくりと動いた。
『タレコミがあったんだとよ。この村が敵国と結びつきがあるってな』
スカーの言葉に俺は愕然とする。全くの事実無根だ。
“そんな馬鹿な、ありえない――”
ろくに否定する間もなく、地まで揺るがす咆哮と巨大な翼が風を砕く轟音が上空をよぎる。
チッ、とスカーは舌打ち一つ鳴らして俺の首根っこを引っ掴み、家の残骸の陰へと素早く転がり込むように隠れて伏せた。
直後、甲高い風切り音と共に天空から無数の隕石が降り注ぎ、周囲に爆音と土煙を巻き上げ始める。
『クソッタレ、馬鹿トカゲどもめ。敵味方の区別もねえ』
ぜえぜえ、と息を荒らしながら、残骸の壁にスカーは俺を掴んだまま寄りかかって座る。
俺の首元には依然隙無く鋭利な爪先が突き付けられていた。
『テメーがシスターちゃんを逃がしたあの日、ピジョットの野郎が兵士共の注意を惹く為にデタラメの報告をした筈だがよ。ありゃマジもんの警報になっちまったのさ。あの後、敵の襲撃があって、テメーはその騒ぎの中でくたばっちまったと思われてい――ッ!』
身を潜めて座る真横の壁を、裏側から隕石が易々とぶち抜いて地面に突き刺さった。
スカーはぎょっとして息を呑み、慌てて俺を脇に抱え上げて飛び出す。
その瞬間、俺達が直前まで居た場所に幾つも隕石が飛来し、壁は粉微塵に砕かれた。


『危うく合挽き肉になるとこだったな。誤射じゃねえ、今のは確実に狙ってやがった。マジで俺ごと殺る気か、チクショウが』
ぎり、とスカーは歯を噛み鳴らす。俺を担いだまま少しでも遮蔽物になりそうな場所の陰から陰を縫って駆け抜ければ、追う様に少し遅れて流星が次々に地面の形を変えた。
燃え盛る小さな木立の中を掻い潜って、傍のひしゃげた小屋の陰にスカーは潜む。
足元に転がる真っ二つに割れた看板にはとても見覚えがあった筈だが、頭はその正体を理解することを拒んだ。

視界から逃れられたのか爆撃は一時止み、口惜しげな唸り声を残して六枚翼の巨影が真上を飛び去っていく。
殺していた息を吐き出し、整えて、スカーは口を開く。
『覚えてるか?テメーがいなくなる少し前に俺らの部隊に来た上官の事をよ。そうだ、あのキナくせえまるでヘビみてぇな目した人間の女だ。今回の件のネタを仕入れ、俺らに村の調査を命じたのはあのアバズレだ』


話しながらスカーは腰のポーチからスプレー式の傷薬と包帯を取り出し、クリムガンの鱗で擦り剥けて赤く滲む手に手早く処置を施す。
ついでのようにスカーは俺にもスプレーの口先を向けるが、俺はそれを撥ね退けた。
“これが調査だと!?ふざけるな、問答無用の破壊行為じゃないか!”
『興奮すんじゃねえ、見つかんだろーが。俺だって状況が飲めちゃいねえんだよ。……決行日の前になって俺らの部隊に突然あのトカゲどもが配備されてきた。
貴重な貴重な戦力の筈の奴らを、俺らみてえないつ使い捨ててもいい掃き溜めの所に十何匹も。その気になれば都市一つ更地に出来そうな戦力が、例え本当に敵軍が潜んでたとしてもたかが知れてんだろうこんなチンケな村の為にだ。それを手配しやがったのもあの女さ。
どっからどうやってなんてまるで想像もつかねえ。こんな光景、地獄でも滅多に見れねーぞ、きっと』
途方に暮れたようにスカーは上空を見上げた。黒煙の幕の向こうで、翼を生やした何頭もの巨体が飛び交うのが薄っすらと見える。
『まずは俺を含めた少数で村の偵察を行い、報告しだいで後方に控えているトカゲ共が出てくる筈だった。だが、俺らが村へ近付くとほぼ同時に、奴らは攻撃を始めやがったんだ。俺らがいるのも構わず巻き込んでな』


スカーは再びポーチを探り、金属片が一枚繋がれたチェーンをじゃらりと取り出す。
べっとりと赤黒く汚れていて一瞬分からなかったが、それは兵士の認識票のようだった。
『俺の元飼い主のやつさ。その時にくたばった。俺も何人も人間共の手を渡り歩いてきたもんだが、一番クソッタレでしぶてーヤツだったな。それがまあ何とも呆気ねえもんだぜ』
ククッと喉を鳴らして笑い、スカーは爪先でくるくると認識票を回した。
チェーンが風を切ってひゅんひゅんと虚しく音を立てる。
『わけもわかんねーまま他の奴らも攻撃から逃れて散り散り。追い立てられるように村に逃げ込んでみりゃ、敵軍に飼い慣らされた赤っ面の羽トカゲ共がそこら中を闊歩してやがった。
奴らも当然俺達を見れば目の色変えて襲い掛かってきやがる。陸から空から攻められ、生きた心地がしねえまま逃げ潜む内にどうにか追っ手をあの赤っ面一匹まで減らしたとこで、呑気にテメーが転がり出てきたってわけだ。わざわざ村に向かって誰か知り合いを探すように』
俺の首元に冷たく鋭い感触が触れる。
『あの日の襲撃の時、テメーは殺されずに鹵獲され、すっかりこの敵地の中で仲良しこよし飼い慣らされていた。傍からぱっと見りゃそう考えるのが妥当ってとこなんだがよ。どーなんだ、実際?敵も味方も本拠地で攻防でもするみてーに必死で尋常な様子じゃねーよな。この村には何があんだ?』

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