第44章 - 13

翌朝、朝食に集まるみんなの前で俺と彼女は子どもの事を報告した。
話を聞いたみんなの反応は特に驚いたり意外に思っていたりするような様子は無く、寧ろ“やっとか”とすら言われそうな具合だった。
それほどまでに周りには知られた仲だったのだと今更ながら気付かされ、俺と彼女は揃って赤面し苦笑いを浮かべた。
皆、口々に祝福の言葉をくれる中で、誰が初めに言い出したのか、折角教会に住んでいるんだから結婚式を挙げたらどうかだなんて提案が飛び出し、どんどんと勝手に話が膨らみ出した。
人間と違ってポケモンにはそんな仕来たりは無い筈だし、それにこれ以上大々的に祭り上げられたら照れくさくてかなわない。
みんなからお祝いの言葉を貰えただけで充分だと俺は口を挟んで止めようとした。
しかし、ふと横の彼女の顔を見てみると、その目は期待に満ちた様子できらきらと輝いていて、乗り気だというのが言わずとも分かる。
〈素敵ね、それ!ねえ、是非そうさせて貰いません?〉
まるで無邪気な子どもみたいな目で真っ直ぐに見つめられてそう言われては、もう俺には抵抗するすべは一片たりとも無かった。
“ああ。君が望むのなら”
やれやれ、と微笑んで俺は言った。


それから数日の内に式は執り行われた。初めはひっそりとささやかに、の筈だったのだが、何分、娯楽の少ない小さな村だ。
農作業も一段落する時期に入り暇を持て余した村のひと達には、ポケモン同士の結婚式なんて物珍しい行事を見逃す手は無かったのだろう。
普段はあまり人が来ず、例え来たとしても大抵は祈るためではなく牧師に調子が悪いポケモンを診てもらうことが目的の人ばかりで閑古鳥鳴く聖堂が、長椅子を全て埋め尽くすほどの盛況だった。
いつもは使い古した穴開き麦藁帽に汗拭きタオルと御世辞にも洗練されているとは言い難い格好ばかりしている俺も、その日ばかりは真っ黒い外套をスーツ代わりにきっちりと羽織り、彼女の方も質素な黒い普段着とは対照的な真っ白なドレスを身に纏って式へと臨んだ。
衣装は両方とも、彼女と子ども達が総出で寝る間も惜しんで仕立ててくれたものだ。
それはもう手作り感が一杯だったけれど、袖を通した瞬間に目に付いた裾の綻びに何だか“くすっ”と顔まで綻んで、予想以上に大ごとになって張り詰めていた緊張が少しほぐれて、胸がほんのり暖かくなって、どんな上等な衣装よりも素敵に思えた。
正面扉から牧師の待つ祭壇まで真っ直ぐに敷かれている少しくすんだ赤い絨毯の上を、俺と彼女は二匹並んでゆっくりと歩んだ。両脇から贈られる拍手とお祝いの言葉。
彼女は満面の笑顔で応じ、俺は少し照れ臭く会釈をしながら進む。
その途中、子ども達と同じ列に座らされてぶっきらぼうに腕を組むゾロアークの横を通り過ぎる時、周囲の音に紛れ込むように微かにだが『頼んだ』と呟くのを、俺の耳は確と捉えた。
俺は振り向かずに“ああ”と尾を振って応じる。
それを見届けたように後ろから指をパチンと鳴らすような音が響き、聖堂中に紙吹雪のように舞い散る色とりどりの幻影の光にワッと歓声が上がった。


牧師のもとに辿り着き、俺と彼女が壇の前に並び立つと場内はしんと静まり返った。
牧師はにこやかに俺達を迎えた後、表情を真剣なものへと切り替えて分厚い教典を開き、粛々と祈祷と祝辞を述べた。次に牧師は彼女を見て問う。

健やかなる時、病める時、喜びの時、悲しみの時、富める時、貧しい時、いついかなる時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓うか、と。

〈はい、誓います〉
うやうやしく頷いて彼女は応えた。
それを見届け、牧師は今度は俺を見て同じように問うた。
俺は目蓋をぐっと閉じ、息を整え、頭の中で誓約を復唱する。

健やかなる時、病める時、喜びの時、悲しみの時、富める時、貧しい時、いついかなる時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、否、例えこの身が朽ち、命果てようとも、真心を尽くし続けることを。

俺は眼を開き、牧師を見上げた。背後の神々の姿が描かれたステンドグラスから威光の如く差し込む光にも微塵も怯まず、真っ直ぐに。

”誓います”
己の胸にも深々と刻み込むように、俺は誓った。
――永遠を誓い合った者が傍にいて、その間に出来た子が直に産まれる。

あの時が俺の人生の絶頂だったろう。だが、上り切ってしまった後に待つのは……。


式を終えてからというもの、俺と彼女の間に何か大きな変化はあったかというと、然程これと言ったものは無かったように思う。
今まで通り朝に目を覚まして、普段通りに出掛ける用意をしていれば、例によって程よい頃合に部屋のドアがノックされて彼女が朝食の用意が出来たと呼びに来る。
それから、いつも通りみんなで朝食をとり、いつもの様に彼女からお弁当を受け取って、毎日変わらぬ優しい笑顔で彼女は俺を玄関まで送り出してくれるんだ。
そう、一つ変化があったとすれば、
〈いってらっしゃい、あなた〉
彼女が俺を『あなた』と呼ぶ意味合いが少し変わった。
相変わらずちょっと照れ臭く思いながらも”ああ”と手を振り替えして、俺はまた木の実園まで出掛けていく。

村と住むひと達も何一つ変わらずに穏やかで朗らかだ。
変わったといえば、一匹だけ。これもちょっとした変化だけれど。
慣れ親しんだ道を歩んでいると、向こう側に背の高い黒い影、ゾロアークが束ねた長髪みたいな赤い鬣をふさふさ揺らしながらのしのしやってくるのが見えた。
きっとまた、森ではろくな物を食べていないのだろうと心配した彼女に呼びつけられたんだろう。


以前までであれば、こんな風に出くわした場合、ゾロアークは俺を見るやいなやすぐさま道を逸れて、すれ違うまで遠巻きに威嚇するようにこちらを睨んできたものだが、俺に気付いても意に介する様子もなく彼は真っ直ぐこちらに向かってきていた。
すれ違う時、俺は”おはよう”と声をかける。ゾロアークは片耳を微かに揺り動かして、無言で仏頂面を浮かべたままだけれど、さっと一回こちらに片手を上げた。
いつも通りの中に加わった、ちょっぴりの変化。程よいスパイスがスープの旨みを増すみたいに村をより愛おしく感じさせて、俺の心をより強く固く結びつけた。

日々をゆったり噛み締め味わう俺のもとに、いよいよ彼女の出産の予定日がやってきた。
その日、いつも通りに木の実園に働きに来ていた俺のところに――ドテッコツ爺さんからは大事な日なんだから休んでいい、寧ろ休めと言ってくれていたんだけれど……非常に情けない話だが、苦しそうな彼女の姿に俺の方がはらはらそわそわと取り乱してしまって、助産に来ているハハコモリさんに邪魔になると言われて子ども達共々教会から摘まみ出されてしまったのだよな――大慌てでゾロアークが駆けつけて来て、『すぐ来い』とろくな説明も無く俺は担ぎ上げられ、教会まで連れ戻されていった。


彼女の部屋の前まで走りつくとゾロアークはヘトヘトになった様子で俺を降ろし、『行ってやれ』と息を整えながらかすかに口端を緩ませた。
俺は頷いて礼を言い、期待と仄かな緊張と共に部屋のドアをゆっくりと押し開ける。
部屋へと入ると、ハハコモリさんが『おめでとう』と笑顔で俺を迎え、そっと道を空ける様にベッドの傍を離れた。
ベッドの上で彼女は半身を起こし、その胸元にはハハコモリさんが用意してくれたのであろう葉っぱの衣に丸々包まれている子どもと思わしきものが愛おしげに抱かれていた。
〈あなた……〉
俺に気付き、彼女はこちらに顔を向けた。その柔らかな表情は少し疲れも見えたけれど、それ以上に大事を成し遂げた達成感のようなもので煌いていた。
“よく頑張ったね”
労いの言葉をかけ、俺は胸を高鳴らせながら彼女の傍まで歩み寄った。
〈はい〉
彼女は子どもの包まれた葉っぱの包みを優しく俺に差し出す。
俺は少し恐る恐る慎重に受け取って、その姿を一目見ようとどきどきしながら葉っぱを少し捲った。
隙間から見えた子どもの姿は、真ん丸で、白くて、ぶち模様があって、表面はつるつるで――。
“あ、あれ?”
俺は面食らって、思わず怪訝な声を上げてしまった。


俺と彼女の子なのだから当然、自分達によく似た姿形で生まれてくるものだと思っていたのだが、葉っぱの中に包まれていたものは、”玉のような”を通り越して、まるで玉そのもの、硬い殻に覆われたタマゴのような物体だった。
“ええと、これって、タマ、ゴ?”
何が何だか訳が分からず、尋ねる様に俺は彼女の顔を見た。
〈ええ。それがどうかした?〉
彼女は平然と頷き、寧ろ俺の反応が不思議だといった風に首を傾げた。
当時の俺は知らなかったが、人間とは違い、俺達ポケモンと呼ばれる生き物は鳥や魚やトカゲや竜は勿論、俺と彼女のようなネズミだろうと、犬だろうと、猫だろうと、はたまた幽霊や、まるで無機物みたいな奴らだって、この世に生を受けて現れる時は一度、“タマゴ”という形態をとるんだ。
人間達に不思議な不思議な生き物、だなんて言われる由縁の一つだろうな。
最初は戸惑ってばかりだった俺だけど、抱っこしている内にタマゴからじんわりと温かみが伝わり、試しに耳を当ててみると微かな鼓動が聞こえてきた。

――生きている。確かに、この中で。

途端にたまらなく愛おしく感じ、俺はきゅっとタマゴを改めて抱きしめる。
“ありがとう”
自然とそんな言葉が漏れた。


タマゴへの接し方はハハコモリさんが丁寧に教えてくれた。
なるべくいつも温かくして、あまりじめじめした所や乾燥しすぎた所は避ける。
強い衝撃や刺激は当たり前だが厳禁。
それから、元気な状態のポケモンがなるべくいつも傍にいてあげるようにする事。これが何より重要らしい。

タマゴの面倒は昼の間は彼女が見て、夕方からは俺も木の実園から出来る限り急いで帰宅して手伝うようにした。
タマゴをおんぶ紐で背負いながら家事もこなす彼女の姿が大変そうだったというのは勿論だけど、俺もなるたけタマゴの傍にいたい、触れ合っていたいという気持ちも少しばかりあった。
おんぶ紐――件の、ミュウから受け取ったあの布で彼女が拵えた物だ。
タンスの奥に押し込めておいたままにしているのを思い出して、いい機会だからと使ってもらったんだ。
丈夫で、それでいて柔らかく、保温こうかはばつぐんと、タマゴを包んでおくにはこの上ない素材だったからね――
それで、しっかり背とタマゴを結びつけて背負っているとな、当然、タマゴはずしりと重くて、段々と足腰は疲れてくる。
そうしていると、ふっと感じるんだ。命っていうやつはたった一つだけだっていうのに、なんて重くて、大変なのかと。


それを、俺はあまりに多く奪い過ぎた。
残る生涯を賭そうともまるで埋め合わせる事なんて出来ないだろう。
だけれど、ならば、せめて、まずはこのたった一つだけでも世界に孵そう。
精一杯に護ろう。背負ってゆこう。
聖堂の祭壇の前にひとり跪き、夕陽差す神の似姿に向けてタマゴを掲げる。
それまで全く神なんて信じてはいなかった者が、何を今更まったくもって虫がいいと思われるかもしれない。
それでも俺は彼等にこの小さな命の無事を願い、祈り捧げた。
静まり返っていた聖堂に、幾つかの軽快な足音が飛び込んで来て、パタパタとこちらに駆け寄ってくるのが聞こえた。
『見つけた!なにやってんのさ、にーちゃん』
と、ズルッグの声。
『もうごはんの準備できたってさ』
お次にダルマッカが呼ぶ。
『早くしないと冷めちゃうわ』
更にチラーミィが続けた。
“わかった、すぐに行くよ”
俺は声に応じて、タマゴを丁寧に背負い直して振り返る。


『今日はね、私もご飯作るの手伝ったんだよー。今の内に練習して、可愛い妹が産まれて来たらおいしい手料理食べさせたげるの!』
俺の手をくいくい引きながら、チラーミィはにこにこして言った。
『やめとけやめとけ、お腹壊しちゃったら大変だぞ。それに、なに勝手に妹って決め付けてんだよー。弟は新しい子分として俺が色々教えるんだもんね!』
それにズルッグがすかさず突っかかる。
『あー!シツレイだ!あんただって、弟って勝手に決め付けてるじゃん!』
負けじとチラーミィも言い返した。
『やめてよ、二匹とも。タマゴの中に聞こえたら、怖がらせちゃうよ』
むむむ、と睨みあう二匹の間に、おろおろとダルマッカが割って入る。
二匹はハッとして、ごめんごめんと謝った。
彼らのやり取りに俺は思わず口元が緩んで、堪らず三匹を抱き寄せて頭をわしわしと撫でた。
『な、なんだよう』『あう……』『くすぐったいよ』
不思議そうな顔をする三匹に、”何でもないよ”と俺は笑いかけ、手をそっと解き放った。

まるで絵に描いたような、ささやかながら幸せな日々。俺の理想の世界。
しかし、忘れてはならない、それが描かれたキャンバスは荒れた海が間近の砂の上。
波が押し寄せ一撫ですれば、一瞬で泡へと消ゆる。
密かに、着実に、その時は迫っていた。

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