第44章 - 12

“……まあ、使い道は後でシスターにでも相談する”
まだ少し抵抗はありながらも、突き返すのも気が引けて仕方なく俺は布を小脇に抱えた。
『それがいいね。あの子なら少なくともぞうきんよりもマシな使い道をしてくれるよ。前に同じものを渡した時は、黒いケープになんて仕立ててくれちゃって感心しちゃったもの』
ミュウの口から発せられた意外な事実に俺は少し目を丸くする。
“なんと。てっきりあれは牧師が用意したものだと思っていた”
ミュウはくすくすと笑った。
『まっさかー、牧師じゃ無理無理。優秀な人だったには違いないけれど、そういうマメな事にはぶきっちょでダメダメだもん』
確かにそうかも、と普段の牧師の姿を思い浮かべてミュウの言葉に納得した。
基本的に穏やかで理知的な人ではあるが、案外自分のことにはずぼらな面もあって――シスターや手伝いに来てくれている村の女性にぷんぷん怒られながら私室を掃除されている姿をたまに見かけた――裁縫だとかそういうチマチマした繊細な作業をするようなタイプには見えない。
『ここにあるぬいぐるみは殆どあの子に頼んで縫ってもらった物なんだよね。なんでも近所の森に住むハハコモリさんに習ったんだとか。あのちっちゃい指でよくやるよね。君達の種族の多才さにはホント驚かせられるよ。サーフボードで波乗りしたり、風船で空飛んじゃう子もいるもんね』


“その、あなたの話を聞いて、俺はこれからどうしていけばいい?”
『別に、何も。自分で言ったじゃないかこの村で暮らして生きたいってさ。ならその通りにすれば良い。ボクはボクでどうにかこうにか頑張っちゃうからさ。君は気にせず上に戻っていつものように暮らして、村の皆やシスターちゃん、それと子ども達に優しくしてあげてよ。ボクの分まで沢山ね』
そう言ってミュウは微笑んだ。一瞬、その笑みに少し済まなそうな色が滲んだ気がした。
トントン、と部屋にノックの音が響く。彼女が迎えに来たのかと思ったが、その音はドアからではなく部屋の奥、例のクリスマスツリーみたいな物体の方から聞こえていた。
『ミュウ、いるー?』
続けて、聞き慣れない少し間延びしたやる気の無い声が聞こえてきた。
『おっと、来客だ。うん、いるよ』
ミュウが慣れた様子で応じると、クリスマスツリーの上に黒い影の渦みたいなものが広がって、中から球根に似た形の頭をした緑色の妖精みたいな小さな生き物がひょいと飛び出した。
妖精みたいな生き物はクリスマスツリーに『ありがとね、ぎらちー』と声をかけ、影の渦は溜息一つするみたいに一回り大きく伸び縮んだ後にふっと消えた。
『どしたの、突然。急用?』
ミュウは妖精みたいな生き物に尋ねた。
『うーん、まあまあ、割とー?』
とても急いでるようには見えない覇気の無い調子で妖精みたいな生き物は答えた。


『ふーむ、君がそこまで言うとなると結構大変そうだね。まあ、座ってよ』
理解している様子でミュウは妖精みたいな生き物を招く。
それは頷いて、虫みたいな二枚の薄羽根をぱたつかせながらふよふよと緩慢にこちらに寄って来た。
『なにこれ、新しいぬいぐるみ?』
途中、それは俺の存在に気付き、怪訝そうにじっと顔を覗き込んできた。
ミュウと同じ色をしたその青い瞳は、やはりミュウと同じ“普通”の者とはどこか違う光を宿していた。
『違うよ。どこにも縫い目なんて無いでしょ。その子はボクの新しい友達さ』
“どうも”
戸惑いながらも俺は挨拶を試みた。
『ホントだ、動いた。ま、ぬいぐるみにしては、これ、あんまりかわいくないしねー』
それは急に興味が失せた様子で素っ気無く俺から目を逸らし、さっさとミュウの傍に座った。
『失礼だなー、君は。確かに目元とかちょっと荒んだ雰囲気はあるけど、そーいうとこも含めて案外かわいいと思うんだけど』
少し心外な様子でミュウは言った。
『わー、趣味わるー』
お構いなしにそれは否定した。


ダメだこりゃ、とミュウは手をひらひらさせ、溜息をつく。
『いいさ。今さら君と趣味が合わせられるとは思っていないもの。ボクも君のトカゲやヘビみたいな鱗でツルツルヌルヌルした子が好きだなんて好み、あんまり理解できないしね。絶対、この子みたいに毛並みがふわふわの子のがかわいいよ』
ミュウの言葉に、今度はそれの方がムッとした。
“あの……”
俺は間に挟まれてたじたじになりながらも、このままではいられないと恐る恐る声を上げた。
『そうだそうだ、まずは君を上に帰してあげなきゃね。ねえ、セレビィ、今何時くらい?』
ハッとした様子で、ミュウは妖精みたいなのをセレビィと呼んで訊ねた。
セレビィと呼ばれたそれは時計を見るわけでもなく暫し頭の二本の触手をぴくぴくと揺らし、
『大体、七時前くらい』
と答えた。
俺とミュウはほぼ同時にギョッとした。
『君、今日も木の実園の仕事はあるんだよね?もしかして、もうとっくに支度を済ませて出発していないとマズイくらいの時間じゃないの?』
“あ、ああ!”
俺は泡を食ったように顔を青くして答えた。
俺の脳裏には遅刻に憤慨して真っ赤になったドテッコツ爺さんの顔が鮮明に浮かんでいた。
あちゃー、とミュウは額に手を当てた。
『長々とボクのせいだよね、悪いことしちゃったなー……。あ、そだ!』
何か名案が浮かんだのかミュウはポンと手を打つ。縋るように俺は見つめた。


『ねえ、セレビィ。ちょっと力を貸してよ。ほんのちょちょいと一、二時間戻るくらいなら、でぃあるんにもバレないでしょ?』
ね、お願いと手を合わせて、ミュウはセレビィに奇妙なことを頼み込んだ。
『えー、めんどくさーい。それに、今さっきだって――』
『お願いだってば、今度、君の好きそうなキモリとかワニノコのぬいぐるみも用意するからさー』
出された条件に、セレビィの触手がぴくりと反応した。
『もー、しっかたないなー』
渋々と、しかし、ぬいぐるみが楽しみなのかどこかわくわくした様子で、セレビィはそっと手をこちらに向けて目を瞑った。
手の平には時計を思わせる三本の針状の光と、その周りに十二個の点状の光が浮かび上がり、ゆっくりと針が反時計回りに進み出す。
周りの空気ごと体がねじれていく様な奇妙な感覚にとらわれ、不安になって見つめる俺に、ミュウは『大丈夫』とウインクした。
『じゃ、またね。あ、シスターちゃんにキモリとワニノコのぬいぐるみのこと、かわりに言っておいて。ボクはまたしばらく忙しくなりそうな予感がするからさ――』
そうミュウが言い終えると同時にセレビィから強い光が放たれ、俺の意識はその彼方へと消えた。

――それから気が付けば俺は自室のベッドで汗びっしょりで飛び起きていて、慌てて時計を見てみれば時刻は六時前。
まだまだ支度には十分な余裕があった。
落ち着いて息を整えながら、奇妙な夢を見ていただけなのだろうかと思いかけた刹那、しっかりと自分の手に握られた不思議な感触の黒い布に気付いた。


俺は何と無しに目の前にそれを広げて眺めた。全て現実、か。どこか途方も無い気持ちで呟く。
布の黒い表面がむなしく水面に小石を放ったみたいに吐息で微かに波打った。
くしゃ、と押し込めるように勢いよく布を畳み込み、俺はいつものように仕事の支度を始めた。
だらしなく乱れた毛並みを直し、汗拭きのタオルをタンスから取り出して首元に巻き、日よけの麦わら帽子を背中に背負う。
染み付いた習慣は何も意識しないように努めていても操り糸みたいに勝手に体を動かしてくれた。
準備が程よく整った所でノックの音がして、扉を開けると少し息を切らしたシスターの姿があった。
〈よかった、先に部屋に戻ってらしたのですね〉
俺の顔を見て彼女はそうホッと胸を撫で下ろし、もっと早くに迎えに行こうと思っていたが、やはり俺を残して先に上に戻ったあの後に子ども達が起きてきて、その対応や他の色々な用事に追われている内にあれよあれよという間に時間が過ぎてしまったのだと語った。
『ねーちゃん、ご飯まだ?』
そうしている間にも容赦なく、彼女を呼ぶ子ども達の声が廊下の方から飛んできていた。


〈もう、ちょっと待っててってば!〉
彼女は慌しく返事をしつつ、はい、と俺に布が被せられた小さなバスケットを手渡した。
〈お弁当ですよ。中身はいつもより多めに包んでおきました。朝ごはんは間に合いそうに無いので、
木の実園に向かいがてらにでも早弁してちょっとだけ摘まんじゃってくださいな。じゃあ、子ども達を待たせちゃっているから、私はこれで!〉
軽く会釈して、彼女は大慌てで廊下をぱたぱた駆けていった。

何一つ変わらない、いつも通りの朝だ。
玄関をくぐり、迎える朝日が目によく馴染む。教会から木の実園までの緩やかな道のりは、目をつぶっていてでも辿り着けそうな程に慣れ親しんでいる。
何一つ変わらない、いつも通りの朝だ。
でも、だけれど、その筈なのに、踏み締める土の感触が、足裏と地面の間に薄い空気の層でも挟み込んであるみたいに浮ついて不確かなものに何だか感じられた。
その日、俺はずっとそんな調子で上の空になってしまっていた。


木の実園ではうっかり水をやりすぎて貴重な苗を駄目にしてしまってドテッコツ爺さんに大目玉を食らい、教会に帰って子ども達に読み聞かせをしようとしてもぼんやりとして何度も同じ箇所を読み返したりでままならずみんなにいらぬ心配をかけ、と、大事な日課なのにろくに身が入らずそれはもう散々だった。
地下での出来事は思った以上に俺に深く突き刺さり影響を与えていた。
でも、そんな鬱屈とした状態は長くは続かなかった。そんなもの軽く吹き飛ばしてしまう程に大きな転機が俺に、それとシスターにも訪れたんだ。

ある日の夜、珍しく確認のノックも無く無言で急に彼女が俺の部屋へと上がり込んできて、どこかぎくしゃくと緊張したようなおぼつか無い足取りで俺の傍まで来ると、へたり込むようにふらりと座り込んだ。
“どうした、大丈夫か?”
ただならない様子に、俺は心配になって恐る恐る声をかけた。
その日、彼女は朝から具合が悪そうで、本人は平気だと言い張っていたけれど、みんなの説得で家事雑用をお休みさせ、大事をとって牧師にも診てもらうことになっていた。
まさか、なにか大きな病気が発覚したのだろうか。そういえば彼女の赤い頬っぺたが、熱のせいなのだろうか普段より殊更に赤くなっているように見える。
それに、胸でも苦しいのか彼女はケープの襟元をきゅっと抑え、少し俯いて何か言いたげに、でも言いにくそうに口をぱくぱくとさせていた。


“く、苦しいのか!?すぐに牧師に来てもらう!”
大急ぎで牧師を呼びにいこうとすると、彼女は俺の手を繋ぎ止めて首を横に振るう。
〈ちっ、ちがっ、違います!〉
慌てた様子で彼女が叫んだ。
“えっ?”
呆気にとられる俺を、とりあえず座ってと彼女は促がした。
〈だ、大事なお話しだから、落ち着いて聞いて。わ、私も、ちょっと、心の準備――〉
すーはー、すーはー、と彼女はゆっくりと息を整え出した。
何だかよく分からないがこちらまで緊張してきて、ごくり、と俺は息を呑んで、じっと食い入るように彼女の次の言葉を待った。
ゆっくりと彼女は口を開く。
〈子どもがね、出来ちゃったみたいなんです。あなたとの……〉
――ゴローニャも月までブッ飛ぶような衝撃を受けた。
あの時は嬉しいとかどうとかよりも、ただただ頭が真っ白になってしまったな。


俺の……?できた……?子どもが……?
彼女の言葉の意味はいたって簡潔だった筈だけど、頭の中で何度それを繰り返しても思考は麻痺したみたいになって事態は中々飲み込めず、俺は石像みたいに固まってしまった。
〈あなたには一番最初にお伝えしたくて。まだ他のみんなには言ってないの。ずっと隠しておける事では無いですし、明日の朝食時にでもみんなにはお話したらどうかと牧師様は仰られていたのですが、あなたはどう思います……?〉
顔を湯気が出そうなほど真っ赤にして、両手の指をもじもじさせながら彼女は尋ねた。
一方の俺は、依然ろくに意味も解せないでいるままただただ相槌を打っていた。
〈……嬉しくない、ですか?〉
ちら、と不安そうに彼女は頷くばかりで黙りこくる俺の顔を窺った。
そこでようやく俺は思考の回路が繋がり、ハッとして首を振るう向きを素早く横に切り替えた。
“いやいやいやいや、断じてそんなことはない!ただいきなりの事で驚いて、心の整理がつかなかっただけで、もう大丈夫――”
俺はスッと息を吸い込み、心細げに震える彼女の両手を握る。そして、しっかりとその目を見た。
“俺も出来る限りの事を手伝うよ。これからも二匹で、いや、違うな。これからは今まで以上に、三匹で協力して生きていこう。お願いできるかな、シスター?”
〈……!はい――!〉
驚いたように目を丸くした後、彼女は大きく頷いて微笑んだ。

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