第44章 - 11

おとぎ話はこれにて閉幕と言わんばかりにミュウはわざとらしく格式ばったお辞儀をし、顔を上げて、『参っちゃうよね、ホント』とぼそりと漏らした。
その一瞬、ミュウの表情に無邪気な子どもみたいな態度と顔つきには似つかわしくないどこか疲れきったような、物悲しげな、仄暗い影が差した。
傍らで俺は一体どういうつもりでミュウはこんな話をしたのかいまいち掴めなくて、怪訝な顔をしていたことだろう。
軍に指示する国を更に操る者達が居るという話が虚偽でないとするならば、その者達の正体と目的を暗に示しているものだとは思うのだが、ミュウ自らが『おとぎ話』と称したように、話に出てきた“王様”と呼ばれるものはあまりに現実離れした存在のように思えた。
最も俺達ポケモンだって人間からしてみれば、草むらに一歩踏み出せば程なく出会えるほど身近に生息していて実際に触れ合えるからこそ確かに存在するものと認められるものの、話に聞くだけで目にする機会が無かったとしたら、体から何万ボルトもの電気を放ったり、口から数千度の炎を吹き出したり、腕で岩をクッキーみたいに砕いたりする生物だなんて、とても現実離れした存在のように思うのかもしれない。
だけれど、それを踏まえたって、件の”王様”とやらは、まったく何も無い状態から有を創りだしたり、赤ん坊だった子が何十代も前のお爺さんになるくらいの年月が経っていても健在していたり、国ごと民達を簡単に滅ぼしてしまったりと、あまりに途方も無い。


物というものは必ず何か材料となるものがあってこそ成されるものだ。
キュウコンという九つ尾の狐のようなポケモンは千年は生きるといわれているけれど、無から有を生み出したり、国一つを滅ぼすような力があるなんて聞いたことが無い。
過去にギャラドスという青い龍型のポケモンが暴れて大きな都市が壊滅的な被害を被ったなんて記録があるらしいけれど、ただ怒りの向くままに破壊する事しか興味の無い彼らがもしも無から有を生み出せたとしても、有効に使う機会も考えも無いだろうな。
まったくもって人知もポケモンの力をも超越した規格外、常識外れ、超自然的な存在、それではまるで――。

『さーて、ボクばっかり喋ってるのもなんだし、そろそろ君にも色々聞いていっちゃおっかな』
溺れ迷う思考がとりあえずの取り付く島に手をかけようとした寸前に、先程の仄暗い影が見間違いだったかのようにけろりと明るい調子でミュウは俺に言った。
『さっきのはほんのおとぎ話さ。難しく考えずに軽く聞き流しておいてよ、今のところはね。今、一番大事なのはさ、戦争の原因は国同士がボクを巡って争っているから……つまり、言い方、見かたを少し変えればボクが原因だ、とも言えるってことじゃないかなー?』
再びミュウの顔に小さな虫を弄ぶみたいな意地悪い笑みが薄っすら浮かんだ。
『さあさあ、そのものズバリと根掘り葉掘り、歯に衣着せずにずずいと聞いちゃおう!そんなボクがたった今、目の前にいて、手を伸ばせばすぐに届く位置にいて、君は何を思うの?そして、どうしたい?だってさー、君が色々延々と辛い思いをしてきたのは、ああ、君の友達は“今も”だね、ボクがいつまでも逃げ隠れているせいとも言えるんだよ?』


ぐっと喉と胸が押し込まれるような感覚がして、俺は何も返す事が出来なかった。
ミュウは煽り急かすようにぐいと俺に顔を寄せる。目の前に迫る澄み切った青い大きな瞳が、今は深く広い湖にぽつねんと浮かんだボートの上から水の深淵を覗き見るかのように末恐ろしく感じた。

『どうしたの、そんな顔して黙っちゃってさ。もしかして、友達がまだ戦わされてるって知って驚いちゃった?
まさか、そんな筈無いよね。本当は薄々そんな気がしていても、知らない振りして、考えないようにして逃げていただけなんでしょ?
そうだよねー、友達が泥と煙と血と汗にまみれながら生死の狭間を掻い潜り続けている横で、自分は優しいひと達とかわいい子ども達とシスターちゃんに囲まれてぬくぬくと甘々に暮らしているんだもん、とても顔向けなんてできないか。あーあ、友達もかわいそうに。
見る度に数も減っていって、残った子達もどんどん疲れ切っちゃっていってるみたい。でも君は、その元凶が目の前にいるのに、何もすることも、言ってやることすらできないわけだ』
ミュウは古傷を切って開きぐりぐりと抉るように更に俺を捲くし立てた。
“今更、こんな俺を責めて何になるっていうんだ。もうやめてくれ、もう沢山だ。俺はただ村で静かに暮らしていきたいだけなんだ。部隊の者達の事だってどうしようもない。今や日常生活を送るのが精一杯の身の俺には何も出来やしないだろう”
耐え切れず懇願するように俺は情けなく震える声で言った。
『あ、怪我を盾にしちゃうの?だけどそれってば、ボクには通用しないんだな』
言いながら、ミュウは短い三本指を銃みたいに構えて俺の額にこつんと押し当て、
『バンッ』


その瞬間、額から後頭部にかけて電流みたいな衝撃が駆け抜け、瞬く間に体を伝い、手足と尾の末端隅々へと根を張るみたいに広がった。
俺は動転してつい反射的に後ろへと飛び退こうと体に力を込めてしまった。
それから自分のその行動をひどく後悔した。今の己の身体でそんな動きをしようとすれば、忽ち背の傷から全身へと激痛が走るに違いなかったからだ。
しかし、予想に反して俺の足は軽々と地を蹴り、少し後ろへとすんなりと着地した。
ふらつきもせず何の痛みもありはしなかった。俺は信じられない気持ちで己の体を見回した。
そこには何も依然と変わらない筈の黄色い毛並みに覆われた体があったが、何となく今までの自分の体とは違うような妙な感覚だった。
『ふっふーん、驚いた?ごめんねー、ほんのちょっぴり君にイタズラしたよ。零から一は無理だけど、一からならば十にも百にもボクにだって出来ちゃうのさっ』
えっへんとミュウは自慢げに胸を張った。それからハッとして居心地悪そうに横に目を逸らし、
『あー……でも、こんなことすると後でぎらちーのいかりのボルテージがぐーんと……うう、でもほんのちょっとだしいいよね……』
と、何やらぼそぼそと独り言を言った後、ゴホンと咳払いで取り直して俺を再び見やった。
『これで怪我はもう言い訳に出来ないよ。さあ、どうする?そうだなあ、友達をもしかしたら助けられるかもしれない方法の一つを示してあげようか。君はボクをこの場で捕まえて、軍へと突き出せばいいのさ。
ボクを手に入れれば戦争はエライ人が理由を適当に見繕ってきて直に終わるだろうし、そうすれば君の友達だって戦わなくてもよくなるかもしれない。それに、君だって特別なご褒美貰えるかもよー?英雄として讃えられちゃったりして!かっこいー!』


“どうして、何の為にこんなことを?そんなの、あなたには何のメリットも無いだろう”
『んー、そうだねー。なんだろ、“もう疲れちゃった”ってヤツかな?ずーっと彼らから逃げて隠れて匿われて、その度に……。同じ事を何度も何回も幾度も幾回も繰り返してきて、もう心がへっとへとの体もくったくたなの。だから、ここらで終わりにしちゃおっかなって思ってさ。
で、どうする?ボクはおいかけっことかくれんぼは得意だけれど、戦うのってそんなに好きじゃないし、君の今の力ならか弱いボクなんて簡単に捕まえられるかもよ』
少し項垂れ、伏し目がちにしてミュウは言った。
暫し逡巡した後、俺はゆっくりと首を横へ振るった。
“答えは変わらないよ。俺はこの村で暮らしていきたいんだ。軍での褒美や名声に興味は無いし、それにもう戦わなくてよくなる保証なんてのも無い。
あなたも自分で言っていたろう、自分の力を応用されれば更に強力な兵器が生み出されると。己の身で今その一端を体験してみて、その意味がよく分かった。
怪我の後遺症なんて嘘だったみたいに体の自由が利くようになった。底知れない力だ。悪用されればきっととんでもないことになる。スカー達、部隊の者達の事は――”
それ以上、俺の口は言葉を紡げなかった。どんな理由、言い訳を重ねたって、彼らを見捨てるのとほぼ同義な選択には違いなかった。
『君は賢明なひとみたいで良かったよ』
そう言って、ミュウは心底安堵したように深い息をついた。
と同時に、俺の体からも妙な感覚が根を引き抜くみたいに失せてしまい、糸が切れた操り人形みたい俺はその場にふらりと崩れた。
『君への“イタズラ”はほんの一時的なものさ。ごめんよ、イジワルなことして。ちょっと君を試してみたんだ』


しれっとそう言って、ミュウは手を差し伸べた。
“……ひとが悪いな”
俺は苦く呟いて、その手には触れずに自力でゆっくりと重苦しく感じる体を起こす。
ミュウは宙ぶらりんの手を所在無げに握々とさせてから、仕方なさそうに引っ込めた。
『もー、ごめんってばー。そんなに怒らないでよ。ボクだって悪いとは思ったけれど、君の意思を確実に見極めたかったのさ。ま、ここまで突っつかれても考えが変わらないなら、君の思いはホンモノって事だよね』
ミュウは顎に手を当て、今一度の確認めいた視線を俺に送った。
俺は複雑な面持ちでそれを見返して小さく頷く。
『うんうん、良かった良かった。これでボクもぎらちー達もひとまず安心だよ』
ミュウは奥の元々は厳格な祭壇だったらしき飾り台の上に鎮座している、まるでクリスマスツリーみたいにメルヘンチックに飾り付けられた物体をちらりと見やった。
それから俺の方に向き直り、何だか少し改めた調子でこう切り出した。
『ねえ、もう一つ確かめたいんだけれど』
一体なんだろうと俺は首を傾げた。
『この村で暮らしていきたいって君は言ったね。ということは、君はこの村が好き、ひいてはこの世界をまだ好きでいてくれているって思ってもいいのかな』


何故そんなことを聞くのかと疑問に感じたが、ミュウの真剣な様子を見て、俺は真面目に思いを巡らせてみた。
“戦いの渦中で俺はこの世界の残酷な面をまざまざと目にして味わってきた。
かつての俺が同じ質問をされたとしたら、何の躊躇いも無く嫌いだと答えていただろうね。
だけど、あの子に出会って、この村で沢山の人々やポケモン達の優しさに触れて、残酷なだけが世界の全てじゃあないって知った。
だから、はっきりと好きとは言えないけれど、まだまだこの世界も捨てたものでは無いんじゃあないかなと今は思う”
俺の答えを噛み締めるようにミュウはうんうんと頷く。
『それだけ言ってもらえればボクには充分。この世界とそこに住むみんなってばさー、君が見てきた通り、残酷で辛辣でどうしようもなくひどい面もあれば、ちゃんと優しくて温かい面もあるんだよね。
一体、本当の顔はどっちなのか分からなくなりそうだけど、どっちも本当の顔、真実なのさ。一人一人一匹一匹にそれぞれの形や思いや感情があって、その多数が無数に触れ合うんだから、全部が全部隅から隅までうまくいく筈がないよね。
でも、だからって、全てみんなおんなじ形と考えにしちゃったら、誰とも関わる意味も必要も無くなって、確かに誰も争う事は無くなるかもしれないけれど、そんな世界絶対につまらないし寂しいよ』


ミュウは猫じゃらしみたいに膨らんだ尻尾の先をきゅっと抱き込んで顔を少しうずめた。
『そうなったら君達はつまらないとか寂しいとかも一切感じることもないのだろうけれど。もしかしたら、そうなってしまった方が君達にとってはいっそ楽なのかもしれないって、思い始めていたんだ。今だって、ボクらの争いに大勢の子が訳も分からずに巻き込まれて、利用されて、苦しんでいてさ。ボクがやってきた事はボクの単なるエゴ、わがままであって、君達にとっては余計なお世話なんじゃあないかってね。しかーし』
ミュウは唐突にがばりと尻尾から顔を上げ、俺をびしっと指差す。
『そんな風に思い悩んでいた時、君は現れた。この争いの為に生まれ、最前にて育ってきた、まるで戦禍の申し子みたいな君が。これはもう話を聞いてみるっきゃないよね。
本音を言えば、直接姿を見せるのはドッキドキだったの。彼らの息のかかった密偵の可能性だってあったわけだしさ。特にぱるぱるってば、そういう影でこそこそするのが好きだから。村で見せてる普段の様子だって、もしかしたら猫を被っているだけかもしれない。あ、鼠が猫を被るって何だかおかしいね、ふふ。ま、結局は杞憂だったわけだけれど。
それで、君は言ってくれたよね。この世界もまだまだ満更じゃあないって。ホッとしたよ。君のような境遇の子も、良い部分を知ればそう思ってくれるんだって。中には当然こんな世界嫌いだって子もいるだろうけど好きでいてくれる子だってちゃんといる。ならボクももう少し頑張ろっかなーって思っちゃうよね、うん』
気合を入れ直すようにミュウはぐっと拳を握って、胸の前に構えた。


『おっと、ごめんよ、おいてけぼりにして。ボクってば気分が乗ってきちゃうと、ついつい口が余計に回ちゃってさ。
ぎらちーにもよく”言葉は重々しく扱うべきだ。ことに我らのような者は。汝には少々自覚が足りぬ”だなーんて怒られちゃうの。
自分だって案外お喋りでひとの事言えないくせにさー。ボク堅苦しいのって苦手なんだよね。いかにも気取ってむっつりしてるより、やっぱり色々お喋りした方が楽しいじゃない?
君もあんまり喋る方じゃないみたいだけれど、溜め込むのってよくないよ。何事も言わなきゃ伝わらないもの。中には言っても伝わらない頑固さんもいるけれどね。
……っとと、また、悪いクセだ。というわけで、今日は長々とボクのお話しに付き合ってくれてありがとう。朝早くにわざわざ呼び出しちゃってゴメンよ。
何かお詫びもかねたお礼をしたいところだけれど、そうだなー、どうしよ。あ、その怪我をホントに治してあげるーってのは……いやいや、ダメだ。定命の子に軽々しくそういうことしちゃダメって、ぎらちーにきつーく言いつけられてるし……うーん、あ、そうだ!』
ぽん、とミュウは手を打って、俺に背を向けて何やら尻尾の先を抱えてごそごそし始めた。
『はい、どうぞ』
程なくしてこちらへと振り向き、ミュウは丁寧に畳まれた黒い布切れを俺に手渡す。
“これは?”
何となく指先で布の手触りを確かめながら俺は訊ねた。表面には綺麗なツヤがあり、すべすべしていながらも、ふんわりと心地よく体に馴染むような、とても不思議な感触だった。


『うん、メリープの綿毛にアリアドスの糸、モジャンボの蔓とチルタリスの羽毛、後それから、えーと、何だっけな……まあとにかく、他にも諸々色々様々なポケモン達の優れた部分を纏めて混ぜて織り込んだの。
凶暴なガブリアスでもこれを力ずくで引き裂くのは中々苦労するであろう逸品だよ』
“それが本当なら、随分と貴重な代物だろう?簡単には受け取れない”
『うん、まあ、価値の分かる人間に売れば、一財産築けちゃう位にはね。でも、いいのいいの、ボクだったらやろうと思えばいつでも幾らでも用意できるし』
“一体、どうやって?”
俺は疑わしく首を傾げた。
『んっふふー、知りたい?』
わざとらしくミュウはもじもじしてみせる。
『だってそれはボクの一部、け・が・わ、だもん!』
”なっ!?”
ぎょっとして声を上げる俺に、ミュウはいたずらっぽく片目を閉じて微笑んだ。
『ボクの体にはありとあらゆるポケモン達の遺伝子が宿ってるって言ったでしょ。応用しだいじゃこんな事も出来ちゃうの』
“だ、大丈夫なのか、こんなことして”
恐る恐る俺はミュウと布を交互に見た。正体を聞いた途端、何だか布がとても生々しい物に思えた。
『平気、平気。別に生皮をそのままべりべり剥がし取ったわけじゃないし、ボクにとったら毛を一本抜く程度の手間だよ。一度に沢山はちょっと辛いけれど。
というわけだから、気軽に使ってちょうだい。何でもいいよ、ランチマットにしたっていいし、風呂敷にも使えるかもね。
あ、でもさすがにぞうきんはやだなあ。もう切り離したものとはいえ、自分の体がぞうきん臭くなるなんて耐えられないよね』

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