第44章 - 10

まさか先回り出来る隠し通路でもあったのか?
いや、彼女はそんな意味の無いイタズラをするような性格じゃあない。
彼女は双子の姉妹だったのか?
でも、それならこんな地下に片方だけが逃げ隠れていなければならない理由が無い。
わけが分からなくて、俺の頭と目はぐるぐるとパッチールみたいに回っていたことだろう。
そんな俺の姿を見て彼女らしきものは堪えきれなそうに笑い声を吹き出し、けらけらと腹を抱えてあどけなく笑い出す。
らしくない姿に俺は驚いて目を見張った。

『すっかり騙されてる!ま、ボクにかかれば当然だけれど、フフフン』
彼女らしきものはまるで無邪気な子どもみたいな声色で得意げに言った。
『あー、楽しかった。ではでは、せーので、どろん!』
彼女らしきものは掛け声と共に飛び上がり、くるりと宙返りした。
途端に彼女らしきものの全身は柔らかい光に覆われ、ぐにゃぐにゃと宙でその輪郭を変えていく。
光が収まると“それ”はそのまま地面に着地することなく、小柄で猫に少し似た姿形の薄桃色の体を翼も無いのにふわりとその場で浮き上らせ、呆然と固まる俺を青い瞳で見下ろした。
『やあやあ、わざわざこんな所まで来てもらってごめんよ。最近やけにあの子から……ああ、あの子ってシスターちゃんのことね。からよく君の話を聞くようになってね。ボクとしても君に直接会ってお話してみたいなーって思って呼んだの!』


本物の彼女とそれなりに長く接してきたつもりの俺でも全然違いに気付けなかった。
メタモンと呼ばれる紫色をしたゲル状のポケモンも変身能力を有してはいるが、どこか本物と比べると全体の形状がぶよぶよと歪んでしまっていたり、全体の形状は安定しても顔つきが点と線で描いたかのような単純で不自然なものだったり、姿形だけは完璧に整えても声だけは再現できていなかったりとどこかに穴があるものだ。
だが、“それ”が見せたのはまるで落ち度の見当たらない完璧な変身能力だった。
類稀なる能力を持った未知なるものと直に対面して関心と畏怖の狭間で動けずにいる中、“それ”はそんな反応をされるのが慣れっこなのか、意に介することなくふわりと絨毯に座り込み、先っぽだけが太い猫じゃらしみたいな細長い尻尾をちょいちょいと振るって俺を招いた。
『まあまあ、立ち話もなんだから君も座りなよ。この絨毯、ふわふわして座り心地抜群さ。それに色もカラフルで素敵でしょ!赤に青に緑に黄色。ボク、この四色が特に好きなんだよね、全ての色の原点って感じでさー』
“それ”は愛おしそうに絨毯の毛を短い指でなぞった。
『ここも元々は祭壇一つだけの殺風景な所だったんだけれど、ボクの趣味に合わせて改装したの。ぎらちーには少し悪い事しちゃったけれどね。目だけでも分かる程に苦ーい顔してたっけなぁ』
ふふふ、と“それ”は知らない者の名を上げて思い出すように笑う。
『それより早く座って座って。いつまでも突っ立っていられたらボクも落ち着かないからさ』
まだ警戒心と抵抗感を抱きつつも従うままその場に俺が腰を下ろすと、“それ”は満足そうにうんうんと頷く。


じっと観察していても、“それ”の容姿と言動は無邪気な子どもそのものだった。
でも、明らかに普通の子どもとは違う。そんな気配を俺はひしひしと感じ取っていた。
読み聞かせを通じて教会の子ども達と近くで接してきたからこそ分かる、“それ”が瞳に宿している光の異様さだ。
ズルッグもチラーミィもダルマッカも他の子もみんな、近くで覗き込むとその瞳はまだまだ知らないこと一杯、知りたいこと沢山で、なりたての木の実みたいな新鮮で澄んだ輝きだった。
だけれど、“それ”の瞳は濁ってこそいない、それどころかうんと澄み渡ってはいるが、その輝きは長い年月をかけて磨き抜いた水晶玉みたいにあまりに無機質な透明さで、近くを見ているのにどこか遠くまで見透かしているかのような、とても達観したものに感じられた。
『さてと、まずは何から話そっかなー?』
ご機嫌に足をパタパタさせながら、“それ”は首を傾げて俺に問い掛けてきた。
“では、まず一つ教えてもらいたいんだけれど。君は、いや、あなたは一体何者だ?メタモン以上の変身能力、そして、感じる気配。明らかに只者じゃあない”
おずおずと俺は”それ”に尋ねた。
『おおっと、確かにまだ言ってなかったけ、ごめんごめん。そう、何を隠そうこのボクこそが!この世に初めに産み落とされた始祖の者。ありとあらゆるポケモン達の遺伝子、情報をその身に宿し、全てのポケモンの先祖と語り伝えられてきた幻の存在――その名もズバリ、ミュウちゃんさ!』


天を指差し誇らしそうにポーズを取って”それ”は自信満々そう名乗った。
片や俺は、そんな存在の事は今まで聞いた事が無くて凄さの実感もわかず、きょとんとしてその様を眺めていた。
『あれれ、なんだか反応薄いね。ボクとしてはもっと、すごーいとか、わーとか、驚いてくれるのを期待してたんだけれど、おっかしいなー』
うーん、と俺の反応に不満そうにミュウは首を傾げた。それから間もなく、ああ、そっか、と何やらひとりでに納得がいったように呟いてポンと手を打つ。
どうしたらいいものか分からず、“ええと?”とうかがう俺に、ミュウは『ううん、気にしないで』とさっぱりとした調子で答えた。
『さーて、他にも何か聞いておきたい事はある?何でも遠慮せずに言ってごらん。こんなチャンス滅多に無いぞー。ちゃんと答えてあげるかはボクの気まぐれしだいだけど』
ミュウは絨毯へと再び腰を下ろし、まだ質問はあるかと俺に聞いた。
“そのような貴い身分の方であるなら、どうしてまたこんな地下室に?”
勝手な想像ではあるが、そんな普通の生物の範疇を大きく外れた超越者と呼ばれるような存在であるならば、こんな片田舎の教会の地下なんかじゃあなくて、岩窟の奥底だとか、鬱蒼とした深い森だとか、風の吹き荒れる荒野の何処かだとか、とても人の手が及ばぬ秘境のような地に住んでいるものなのではないかと思っていた。


俺の質問に、ミュウは愉快そうに小さく笑う。
『そうだよね。そんな凄い子だったら、もっとこう雲の上だとか、深い海の底だとか、溶岩グツグツの地底奥深くだとか、もっとこうアブない場所に暮らしているのが普通さ。だからあえての灯台下暗しなの、ふふふ。なんだかさぁ、こんなところに居ると、まるでとある怖いお話を思い出すなぁ。
君は読んだことある?とある片田舎に起きる世にも恐ろしい事件!その原因、黒幕はなんと村の教会の牧師と、それを陰で操る教会の隠された部屋に潜む邪悪で冒涜的な怪物、悪魔でしたーってヤツ』
“ああ。それならちょうど昨日、子ども達と一緒にね。その化け物も最後は村を偶然訪れていて事件に巻き込まれてしまった勇気ある主人公の若者によって封じられるんだったかな”
『そうそう。でも、ま、ボクの存在も当たらずといえども遠からず、似たようなものかもしれない』
どういう意味かと俺は少し眉を潜めてミュウを見つめた。ミュウはニコニコと微笑む。
『おっと、焦らないでよ。別にボクはその悪魔みたいに村の人々を食べたりとかはしないもの。それに、色々と恐ろしい目にあってきたのは、どちらかといえばボクの方だもん。
あ、別に牧師やシスターちゃん達にひどいことされてるってわけじゃないからね。彼らはボクにとてもよくしてくれているよ。特に牧師には感謝してもしきれないくらいさ。
――そろそろ本題に入っていこうかな。ボクがこんな場所に隠れ潜んでいなけらばならない理由。それは、ある者達に追われているからなんだ。そして、その一端には君も少なからず関わっていた』


細めた目の間から覗く射抜くような輝きに、俺は心臓がびくりと跳ね上がる思いがした。
『うん、ボクは君の過去と正体を知っているんだよ、黄色い悪魔さん』
そう続けて、ミュウは口元を微かに弧に歪めた。まるで小さな虫を執拗に指の先で小突き転げさせて遊んでいるかのような黒い笑みだった。
“それは、もしかしてゾロアークの告げ口か……?”
額にじわりと嫌な汗が滲み、俺はゆっくりと後ずさりしながら言った。
『ノンノン、彼は良くも悪くも純粋だもん、そんなことしないよ。もちろん、あの子もね。ボクは以前に何度か君の姿は見たことがあるの。君の方は気付いて無かったみたいだけれど。
ある時は暗い暗い洞窟の奥底の岩陰から、またある時は木々が所狭し生い茂るじめじめしたジャングルの葉と葉の隙間から、時にはがさがさ荒野にびゅうびゅう吹き荒れる砂嵐の合間から。
ううーん、あんなポケモンだって普通の子だったら住みたがらない様な荒れた土地を君は、黒猫さんに、鳥さんに、怪獣さん、色んなお友達と一緒に随分苦労して歩き回されていたね。
……その様子、ボクが何を言いたいかって大体ピンときたかな?そうさ、君達の飼い主のそのまた飼い主達が血眼になって追い求めさせているのは、このボクなんだよ。表向きにはどういう風に伝えられていたのか分からないけれど』


“まさか、何故?兵士達の話では、反政府的な武装組織の首謀者だったか、強力兵器の開発者だったか、とにかくそういった危険な人物を追わされていると”
俺がそう言うと、ミュウは吹き出すように笑った。
『なるほどなるほど、うーん、あながち丸っきり嘘って言えないのが怖いところだなぁ。何故って、言ったでしょ、ボクの体にはありとあらゆるポケモン達の遺伝子情報が宿ってるって。
もしもポケモンの研究者が知ったら、まるでナナの実を見せ付けられたエイパムのように狂ったみたいに喜び飛び付いて、何もかも投げ打って没頭しちゃうくらいの大ごとだよ。
そこから得られる成果を、君達の飼い主の飼い主であるエラーイ人達はお腹の空いたカビゴンみたいにヨダレをだらだら垂らして待ち望んでいるんだ。当然、皆が平和に暮らす為になんかじゃ絶対無いのは、彼らの下に居た君には分かりきってるんじゃないかな?
ボクの遺伝子を応用すれば、それはそれはもう今よりもっと強力な兵器だって生み出せる。それを使えばもっとずっと簡単に自分の縄張りが増やせて、どんどんぶくぶく肥え太れるって寸法さ。
――まったく、良い餌をチラつかせて上手いこと手懐けたものだよ。この陰湿なやり口はきっと、でぃあるんじゃなくて、ぱるぱるの仕業だろうなー……。
君達が戦わされていた相手国だって、きっと目的は同じさ。ホント、ボクってばモテモテでやんなっちゃう』


足元がぐにゃりと歪んでずるずるととろけ落ちていくような感覚だった。
俺はもう戦争とは無縁に生きていくんだ。この村の一員として暮らしていくんだ。
そう心に決めたのに。争いの火種たるものは、そのすぐ足元に潜んでいた。
……滑稽だよな。平穏への確固たる足場を一段ずつ積み上げて居たつもりが、実際は海岸の波打ち際に建てられた砂の城の如く脆くて危ういものだったんだから。
波がちょいと指先を動かす程度にその気になれば瞬く間に崩されてしまう。
『それにさー、彼らったら諦めが悪くって困るよ。時々、ここの事がバレないように抜け出して彼らをかく乱して回るのも結構大変なんだよね。まあ、彼らだけだったらまだ大した事は無いんだけれど。問題はその更に後ろで手綱を握る者達の存在さ。そうだ、君にひとつおとぎ話をしてあげる』
そう唐突に言って、ミュウは『あー、ゴホン』ともったいぶった咳払いを一つした。

『昔々、それはそれは数え切れないほど大昔、ひとりの王様が居ました。
王様は生まれた時からひとりぼっちでした。それどころか、王様の周りには王様意外には、火も、水も、草も、森も、土も、雲も、風も、光も、何一つ存在していなかったのです。
とても寂しくなった王様は、ある時三人の家来を自分の体から創り出しました。
王様には何にも無いところから何かを創り出せる不思議な力があったのです。
嬉しくなった王様は三人の家来に命じて、自分達が住むための庭を創らせました。
でも、その庭は四人だけで暮らすにはあまりにも広すぎるし殺風景過ぎます。
まだまだ寂しい王様は更に次々と家来を創りだしていきました。
家来達は様々な趣向を凝らしてどんどんと庭を彩っていき、ただ広いだけの殺風景な庭は、いつしかひとつの立派な国となりました。


国には王様と家来だけではなく、少しずつ民達も暮らすようになっていきました。
王様と家来達は民達を手厚く守り助け慈しみ、民達も王様と家来達を敬い愛し、とても仲良く暮らしていました。
しかし、その幸せは永遠に続くものではなかったのです。
民達は王様達の加護もあり、その数をどんどん増していきました。王様はその姿にとても満足し、家来達と共に民達を静かに見守るようになります。
民達はその間もどんどんどんどん増えていき、やがてその数は国の半分以上を満たす程にまで膨らんでいました。
しかし、繁栄の一方で、民達の間には少しずつ段々とどこかぎくしゃくとした空気が流れるようになっていました。
自分達の数が増えすぎて、ひとりひとりの住む場所や食べるものが減っていったのです。
その内、ぎくしゃくとした空気ははっきりとした敵意になり、争いが起こるようになりました。
王様は慌てて飛び出していって、彼らの間に入って止めに入りました。
しかし、彼らは誰一人としてそれに従うことなく、あろうことか王様を巻き込んで戦い始めました。
王様にとってはほんの少しの間、彼らを陰ながら見守っていただけのつもりでしたが、民達にとってはそれはそれはもう長い時間、王様がまだ民達と共に暮らしていた頃はまだ赤ん坊だった子がその時にはもう曾々々々々々……お爺さんになっているくらいの年月が経っていたのです。民達は王様の事を誰一人として覚えてはいませんでした。
だけど、民達とは違う時空に生き、死ぬことも歳をとることもない王様はそんな事は分かりません。
王様は深く嘆き、とても悲しみ、激しく怒り、可愛さ余って憎さ百倍となって、国ごと民達を滅ぼしてしまったのです。


家来達は失意に暮れる王様を慰め、また再び国を創りなおしました。
しかし国とその民達が辿る道は結局また同じ。王様が怒って壊してしまいます。
それでも家来達は何度も何度もめげずに試行錯誤して創り直しました。
でもやっぱり最後には王様が気に入らぬと壊してしまいます。さしもの家来達の中にも、延々と続く繰り返しに心の疲弊を感じ、王様に不満を抱く者も出てきました。
ある時、王様は考えます。いらぬ諍い、争いが起きるのは、民達に余計な感情を与えてしまっているからだと。
ならばそんなものは全て奪い去ってしまえばいい。
王様は家来達に言いました。今再びこの国は壊し、今度は感情の無い者達だけの国を創ると。
家来達の中の不満を抱いていた者達が王様に猛抗議しました。だけれど、狂気に侵された王様はまるで聞く耳を持ちません。
不満を抱いていた家来達は陰ながら集まって話し合いました。
もう王にはついていけない、あの方は完全に狂ってしまわれた。
でも、王様の力はとても強くて、自分達が束になったって正面からじゃあかなわない。
そこで家来達は一計を案じました。
無敵に思える王様にも唯一無防備になってしまう瞬間がありました。
それは国を破壊する寸前、破壊する為の力と、同時にまた新たな国を創りだす為の力、相反するものが交わるその一瞬。
危険すぎる賭けでしたが、彼らには最早それしか手段はありませんでした。
そして、遂に訪れる決行の時。
空間が卵の殻のようにひび割れ、時が激流の如くうねり狂うその中で、彼らは王様と側近の初めに生み出された家来三人の隙を付いて飛び掛り、王様の力の素となるものをバラバラに分けて一斉に持ち去ってしまいました。
かくして、王様は力を失い、その狂気は防がれたのです。
めでたしめでたし――で終われれば、どんなにいいことか……。
王様は今も尚、側近の初めに生み出された三人の内の二人と共に、その狂気を一層深化させて裏切り者達を血眼で追い続けているのでした。
めでたくなしめでたくなし』

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