第43章 - 2

「さて、俺達はちゃんと約束を守った。今度は君の番じゃないかな、ニューラ」
マフラー野郎は優しく問い掛けるように子ニューラに言った。
「あ、そーだった。よーし、じゃあこのオレさまがジキジキにおまえらを里まで案内してやる。トクベツなんだからな、感謝しろよ」
どん、と子ニューラは偉そうに胸を張る。
「ああ、実に光栄だよ。ありがとう」
くすっと笑い、マフラー野郎は礼を言った。
「それじゃあ、早速、案内してもらおうか。チビ助もご苦労だったな、さあ、おんぶしてあげるから、おいで――あれ、どうした、チビ助?」
出発しようとマフラー野郎が声をかけても、チビ助はぼんやりと魅入られたように上を見たまま一向に動こうとしない。
まだまだ紅葉を見ていたくてそうしているのかと思ったが、チビ助の視線は木々の葉ではなく、その隙間から覗くスズの塔の上空辺りへと向けられているようだった。
「おーい、しっかりしろ、チビ助。戻ってこい」
軽く体を揺すりながらマフラー野郎が声をかけ続けると、チビ助はハッとした表情を浮かべて、マフラー野郎の顔を見やった。
「一体、どうしたんだ?」
マフラー野郎が尋ねると、チビ助は少し興奮した様子で身振り手振り何かを伝えようとする。
「え?『七色に光るでっかい鳥がいた』って?」
マフラー野郎が訳すと、こくこくとチビ助は頷いて空を指差した。
あっしらは一斉に差された方を見てみるが、そんな鳥の姿なんて無い。
あるとすれば、雨も降っていないのにいつの間にか空に架かっていた虹くらいだ。


「チビ助、何をどう勘違いしたのか知らないけど、あれは鳥じゃあない。虹って言うんだよ。いつだったか前にも見た時に教えなかったけ?」
マフラー野郎が諭すように言っても、チビ助は首をぶんぶんと横に振るい、何かを訴え続ける。
ううん、と怪訝そうにマフラー野郎は唸った。
「どーせ、ピジョンかなんかを見間違えたんだろ。そんなのほっといて、早く行こーよ」
待ちくたびれたように子ニューラが急かす。
「ごめんごめん。ほら、皆待ってるから行くよ、チビ助」
宥めながらマフラー野郎はチビ助を有無を言わさず背負い上げる。チビ助は不服そうにぷうと頬を膨れさせた。
気を取り直して出発しようとしていると、かさかさ、がさがさ――と、それぞれ別の方から微かにあっしら以外の何者かが落ち葉を踏みしめるような音が響く。
あっしらは顔を見合わせ、慌てて小道から手頃な木の陰に隠れ、音の方をそっと確認してみた。
かさかさ、と鳴った先では、どこから入り込んだのか、四、五歳くらいの前髪にクセがある人間のガキ――あれは確か、関所横の池を渡る時、あっしらの姿に気づいていた奴だ――が一人で、丁度さっきのチビ助と同じような様子で、塔を見上げてふらふらと歩いていた。
がさがさとなった方を見ると、黒い服に身を包んだ二人組みの男――ありゃ、どう見てもロケット団員だ。
追っ手かと思い一瞬ヒヤリとするが、よくその姿を見ると二人とも大きな袋を背負っている。
きっとスズの塔に金目の物でも狙って忍び込もうとしてやがるんだろう。
両者の目指す方向的に、このままだとあのガキと団員どもはばったりと出くわしてしまうことになる。
例え相手がガキだとしても、団員どもは目撃者をただでは帰しはしないだろう。さて、どうするべきか。


このまま身を隠し、あの癖毛のガキに団員どもが気を取られている内に安全に逃げ出すか、それとも不意打って団員どもをのしちまうか、あっしは頭をめぐらせる。
あっしらの脱走はジョウトの各地にいる団員どもにもとっくに伝えられているに違いねえ。
下手に打って出て、もしも討ち漏らしでもしたら追っ手にまたとない手がかりを与える羽目になっちまう。
考えてみりゃ見知らぬ、それも人間のガキがどうなったところで、あっしにはどだい関係ねえ話だ。
人間サマなんざにゃ散々道具のように扱き使われた恨みつらみはゴミ山のように積み重なっていても、わざわざ危険を冒してまで助けてやる義理なんざ塵の一つもありゃしねえ。
この場は大人しく息を潜めて、癖毛のガキが囮になっているうちにさっさと逃げ出すのが得策だろう。
他の奴らはどう出るつもりでいるか探ろうと、まずは隣の木に隠れているニャルマーを見やる。
奴も大体似たような結論に至っているらしく、冷然とした面持ちで事の成り行きをじっと窺っていた。
子ニューラは団員どもを気にいらなそうに影から睨みはしながらも、どう動くかはあっしら次第といった様子だ。
問題は……あっしは一番の不安要素であるマフラー野郎に目を向ける。
例え異種族のポケモンであろうとガキとあればなりふり構わず助けにかかるあいつとはいえ、よもや人間のガキまでを己の身を省みずに助けに行くような真似はしまいと思いたいが……。
あいつだって、人間のエゴ勝手にはさんざっぱら振り回されてきた筈だ。軍隊に飼われる生活はきっとあっしよりもっとひでえものだったことだろう。
のらりくらりと誤魔化しちゃいるが、あいつの背中に抉り刻まれていた雷型のでっけえ傷跡が口の代わりに過酷さと凄惨さを物語っていた。


「ん!?なんだこのガキ!?」
「――え!?……あれ、ここどこだ?オジサン達、誰?」
計りかねている内に、とうとう両者は鉢合わせになったのか、ガキと、団員の一人の声が上がる。
目を向けると癖毛のガキはまるで今しがた眠りから目覚めたように状況が飲み込めない様子で呆然として、立ちはだかる人相の悪い二人組みを見上げてうろたえている。
団員どもは立ち竦んでいる癖毛のガキを睨み下ろしながらひそひそと話し合いだした。
「しまったな。どうするよ?」
「小さなガキとはいえ、目撃者だ。放っておくわけにはいかないだろう」
団員どもは顔を見合わせて頷き、恐怖に動けずにいる癖毛のガキを引っ捕まえようと腕を伸ばす。
あのガキに団員達の注意が集中している今、あっしらが逃げ出すには絶好の機会だ。
だが、そそくさととんずらしようとしているあっしとニャルマーを余所に、マフラー野郎の奴は今にも飛び出していきそうな身構えで団員どもを見据えている。
……おいおい、正気かよ。ガキなら人間であろうとお構いなしってか。前々から執念めいたものを感じてはいたが、こりゃマジもんだ。
何があいつをそこまで駆り立てるのか。ガキの危機に直面した時にあいつが見せる表情は、単なる子ども好きやお人好しでは片付けられない鬼気迫るものがある。
激しい怒りと焦りの中に、どこか深い憂いや後悔のようなものが垣間見える複雑なものだった。


どうせ止めても無駄だろうとは諦めつつも、一抹の期待をかけてあっしはマフラー野郎を止めようとする。
「ま、待て!」
だが、あっしが口を開く前に、少し躊躇が混じる制止の声が響き渡った。
直後、声の方から石ころが飛んできて、今にも癖毛のガキの襟元を掴もうとしていた団員の腕に命中した。団員は思わず怯み、癖毛のガキから腕を退いて少し後ずさる。
その間隙に、一つの影が素早く踊り込み、癖毛のガキを庇うように団員達の前に立ち塞がった。
突然の事にマフラー野郎も飛び出すのを思いとどまり、静かに様子を見始める。
影の正体は、癖毛のガキよりも幾らか背の高い、七、八歳くらいのこれまた人間のガキだ。
今後の成長を見越して買い与えられたであろう少し大きめのぶかぶか帽子が特徴的だった。
「大丈夫?」
ぶかぶか帽子のガキが背中越しに声をかけると、癖毛のガキは少し驚きながら「うん」と頷いた。
兄貴か友達が助けに来たのかとでも思ったが、癖毛のガキのきょとんとした様子からして違うようだ。
「君、確か一緒の観光ツアーの子だよな。同じバスにお母さんらしき人と一緒に乗ってたのを覚えてる。
みんなから離れて一人でふらふら林に入っていくのを見かけてさ。気になってついてきてみて良かった」


あっしはマフラー野郎に詰め寄り、勝手に飛び出していこうとしねえようにマフラーの裾をしっかりと足で掴む。
「わざわざお前が出向いていくまでもねえ、別の救世主様のご登場だ。もういいだろ?見つからねえ内にさっさと行こうぜ」
声を潜めて言いながら、あっしはぐいぐいとマフラーを手綱のように引いて連れていこうとする。
だが、幾ら力を込めても奴の体はびくともせず、人間どもの動向を窺ったままてこでも動こうとしない。
「まだだ。幾ら勇気があっても子どもだけでどうにかなる相手じゃないのは君もよく分かっているだろう」
「あのなあ、ポケモンのガキを助けるってんなら百歩も二百歩も譲って俺様もまだ納得してやる。でもありゃ人間だ、俺様達を散々に扱き使いやがった人間サマだ。服を着た猿ポケモンにでも見えるってのか?わざわざ危険を冒す価値なんてまるでねえだろ」
耳の穴を直接かっぽじってやる勢いであっしはあいつの長い耳に嘴を寄せて小声で捲くし立てる。
「なら君達は一足先に行っていてくれ。後から必ず追いつくからさ」
「どうかしてるぜ、お前」
まるで聞く耳をもたねえ態度に、分かっていたとはいえあっしは苛立って吐き捨てるように言った。
「かもな。でも、約束したんだ」
ぽつり、とマフラー野郎は意味深に呟く。
“約束”
そういえば、ゲス犬の野郎とやりあった時にも、こいつはそんなことを仄めかしていた気がする。
こいつを執着と思えるほどに駆り立てるものの根底にはその約束とやらが深々と焼きついているようだ。


「まぁたガキのお出ましかよ。なあ、この辺は滅多に人が来ないから盗みに入るには穴場じゃなかったのか?」
石をぶつけられた腕を痛そうに擦りながら団員の男は苛立った様子でもう一人に言った。
「その筈なんだがねえ。ガキと綿埃はどこにでも勝手に入り込んで来やがるから困り者だ。騒がれる前にさっさと掃除しなきゃあな」
乱入に一瞬怯んでいた団員達も、正体がガキと知るやいなや平静を取り戻し、二人まとめて捕まえにかかろうとする。
「いい大人がこそ泥なんかして、しかも子ども相手に二人がかり。おじさん達、恥ずかしくないの?」
ぶかぶか帽子のガキは団員達をキッと睨みつけ、強気に食って掛かる。握る拳は微かに震えていた。
団員達はにやにやと馬鹿にして笑い合い、意に介せぬ様子だ。
ぶかぶか帽子はスゥ、と覚悟を決めたように息を吸い、素早く何かを取り出すような仕草で腰の後ろ辺りに片手を回す。
それを見た途端、団員達は顔色を変えて再び距離を離した。
「このガキ、トレーナーか。チッ、最近はこんなガキの内からポケモンを買い与えてもらえるのかよ」
「面倒だが、どうせガキの連れているポケモンなんざオタチやコラッタがいいとこだろう。俺のゴルバットでさっさと叩きのめして――」
ぶつくさと文句を言いながら団員達はモンスターボールを取り出そうと腰を探りだす。


その瞬間を見計らったように、ぶかぶか帽子は踵を返す。
「いまだ、逃げよう!」
ぶかぶか帽子は癖毛のガキの手を握り、そのまま一目散に逃げていった。
「なッ!」
呆気に取られた顔をして、団員達はその背を目で追う。
ぶかぶか帽子のガキの腰には唯の一つも、モンスターボールの影も形も無かった。
「クソ、ハッタリか!あんのガキ、舐めた真似しやがって許さねえ!」
「絶対に逃がすな、追え!」
団員達は顔を真っ赤にして憤慨してガキの後を追いかけながら、モンスターボールを先の方に放る。
中から現れたのは、大きな口をした蝙蝠と茶色の体毛をした大ネズミ、ゴルバットとラッタだ。
人間のガキの足でポケモンから逃げ切れる筈がねえ。
すぐに追いつかれ、背中から奴らの鋭い牙を突き立てられちまうことだろう。
そんなことを許そう筈も無く、“正義の味方様”は長いマフラーを翻しその後を追っていっちまった。


「最早、一種のビョーキだね、ありゃ」
走っていくマフラー野郎を見やり、呆れた様子でニャルマーは呟いた。
「で、あたしらはどうする?」
それから横目をこちらに向け、ニャルマーはわざとらしく尋ねる。
「どうするもこうするもねえだろが。先に行ってろって奴ぁ手前から言ったんだ。その言葉にありがたく従おうじゃねえか。一々付き合っていたら身がもたねえや」
ぎすぎすとした調子であっしは答え、余計ないざこざから目を背けるように奴らが走り去っていた方とは正反対に足を向けた。
ニャルマーは当然の答えといった具合に満足げに鼻を鳴らし、あっしに倣う。
「奴なら一匹でもあの程度の奴らどうにでも出来るだろうが、きっとまた約束がどうたらでトドメを刺すなんてしねえ。すぐに追っ手に居場所が伝わる。里まで急ぐぞ、ニューラ」
あっしは子ニューラへと振り向く。しかし、そこに既に子ニューラの姿は無かった。
嫌な予感がしてマフラー野郎が向かった方を振り向くと、後に続こうとする後姿がすぐに目に入る。
「おい、何やってんだ!」
「あの黒服どもぶっ飛ばすんなら、オレもやる!あいつらは敵だって親父も言ってたし、オレもあいつらキラいだ!」
そう言い残し、子ニューラはあっという間に駆けていく。


「ああ、どいつもこいつも……」
もう頭を抱えすぎて首までめり込んじまいそうな気分だ。
「……どうすんだい」
表情をひくひくと引き攣らせ、ニャルマーが尋ねる。
「どうするもこうするも、あっしらだけじゃ先に行きようがねえ。追うしかねえだろ、クソッタレ」
ぶつけようのない苛立ちを翼に込め、八つ当たりするように思い切り空気を叩いてあっしは飛び立った。
「ん、なんだ、結局君達も来てくれたのか」
どうにか追いついてきたあっしらに気づき、走り続けながらマフラー野郎は呑気に言う。
「好きで来たわけねえだろ、そのガキが勝手に飛び出していきやがったから仕方なくだ」
ぶっきらぼうにあっしは返し、子ニューラをぎろりと睨んだ。
「オレも手伝うぜ、ネズミ!」
視線なんてまるで気にも留めず、意気揚々と子ニューラは申し出る。
「あんな黒服なんて、お強くて物好きなヒーロー様に全部任せて、あっしらは余計なことせず一足先に里に向かえばいいんだよ。それに、イトマル如きに震え上がってた奴が何の役に立てるってんだ」
「あ、あいつらだけはちょっとだけ、ほんのちょっとだけニガテなだけだ。オレ、ホントは強いんだからな」
「ヘッ、自分で自分を強いなんていう奴ぁハッタリ野郎ばかりだっての」
「むむ、今に見てろー!」
「シッ」
言い争うあっしと子ニューラを、マフラー野郎が止める。

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