第42章 - 3

きっともう黄帽子の表情は目の前が真っ暗といった様子で絶望に暮れ、今にも泣き出しそうになっているに違いない。
すぐにヒノアラシをボールに戻して、近くのポケモンセンターに逃げ帰っていくことだろう。
確認してやろうと、俺は黄色帽子の方へと目をやる。
だが、その瞳には、一切の諦めも恐れも浮かんではいなかった。
寧ろ、より一層闘志を滾らせた様子でそこに佇んでいた。まったく姿も性格も程遠いというのに、何故だかレッドの姿が一瞬被って見える。
俺は射竦められたようになり、集めた拳の電流の帯がが空しく虚空に解けた。
「まだだよな、ヒノアラシ……!俺達はこんな所で諦めたりはしない、そうだろ?」
呼び掛けに呼応するように、ヒノアラシの背に再び火が灯る。いや、そんな生易しいものではない。
火山が噴火するかのごとく、猛火が背中から噴き出した。炎の強さに、俺は仕方なく飛び退く。
ヒノアラシは飛び起きた勢いでぐるぐるとその場で車輪のように回転を始め、噴き出す炎を巻き込み始める。
「よっし!いいぞ、ヒノアラシ!なんだかわかんないが、“それ”を思いっ切りぶつけてやれ!」
“才能の片鱗”俺の頭に、そんな言葉が過ぎった。
この爆発力、こいつ、叩けば叩く程、成長するタイプだというのか?
俺は振り払うように首を横に振るう。

――認められるか、そんなもの!こんな奴!
回転し押し寄せる業火に向かい合い、対策を図る。あの火力、マントでは防ぎきれんだろう。
もはや、避ける事もできん。ならば、こちらも全力の電撃を真正面からぶつけてやろう。
決死の覚悟を決め、俺はありったけの電流を集める。


しかし、火炎の車輪は突如としてコントロールを失ったように右左にぶれ始め、俺がいる方から逸れて行った。
そして、そのまま誰もいない岩壁へとぶち当たる。
轟音と共に火炎は弾け、中から目を回したヒノアラシが転げ出てきた。
ヒノアラシはしばらく右往左往した後、ばたんと糸が切れたように倒れて完全に気を失う。
俺は思わず気抜けして、ぼんやりとその様を眺めた。

「うわ、大丈夫か!ヒノアラシ」
ヒノアラシのもとに黄色帽子は駆け寄り、抱き上げる。
「くっそー、もう少しだったのになー。……だが、ま、よく頑張ったよな」
黄色帽子はヒノアラシの頭をそっと撫で、ボールへと戻した。
「――他の奴らはポケセンに置いてきちまったし、今回は俺の負けだ。だけど、次は絶対に負けないからな、覚えとけよ電気ネズミ!」
振り向かずに黄色帽子は言い放ち、洞窟の外へと駆けて行った。
――もしも、あのまま火炎の車輪が剃れることなく向かってきていたら、果たしてどうなっていたか。
……どうせまぐれだ。だが、侮れん。
俺は、岩壁に残された、まるで隕石でもぶつかったかのように焦げて抉れた大穴を見上げた。


「あーあ、思い知らせるどころか、かえって火を付けちゃったみたい」
呆れた様に言い、ミミロップが傍に寄ってくる。
「ふん、あんな無鉄砲では長持ちはせんさ」
体にこびり付いた煤を払いながら、苛立ちを抑えて素気無く俺は答えた。
「そう?ああいうタイプは一度燃え上がると、諦めが悪いのよー。私は、結構憎めないと思うけどな。倒れたヒノアラシへの態度を見てても、根はそんなに悪い子じゃなさそうだったし」
黄色帽子の姿に、何かを重ねてでもいるのだろうか。どこか微笑ましそうに、ミミロップは言う。
「悪い子じゃないだと?奴は自分の力を誇示するためだけに我らを捕らえようとしたのだぞ」
「そこがまだまだ未熟なところ。でも、これから幾らでも変わっていくはずよ。アンタだって、最初はひどいもんだったじゃない。私との初対面の時も、唐突に”俺の名前を言ってみろ!”だなんて、どうしようかと思ったわよ。今は少しはマシになったと思うけど。違う?」
ぐい、と俺の鼻先を指で押し、ミミロップはニッと微笑む。
「ぐぬ、別に、俺は何も変わっておらぬわ。そんな昔のことを持ち出すでない」
手を払い除け、俺は不機嫌に顔を背けた。


「ピカチュウ、大丈夫!?どこも火傷してない!?」
顔を背けた先から、割り込むようにアブソルが勢いよく飛び掛り、視界一杯に白い毛が覆い被さる。
「ぶわっ、何だ突然、見ればわかるだろう。どこも怪我などしておらん!」
毛玉から顔を上げ、俺は叫ぶ。全く、こいつら、いつもいつも俺の調子を狂わせおって……。
「おい、いつまでもじゃれてねーで、さっさと先行くぞ。騒ぎを聞きつけて他の奴らが来たらどうすんだ」
苛々したした様子でデルビルが急かす。
「言われずとも、そのつもりだ。というわけで、離せ、アブソル」
「うん」
渋々といった様子でアブソルは腕を離した。
まあ、今後あの黄色帽子と行く道が交わるような機会も、きっともう無いだろう。
余計な苛立ちの種など、いつまでも抱えている必要などあるまい。……そうであってほしいものだ。

「そういえば、ムウマージのやつはどうした?不気味なほどに静かにしているが」
「マージなら、隅っこでずっと何かをもぐもぐしてるけど……」
怪訝に思いながら俺はアブソルの指した方を見やった。
「ん~、あまじょっぱい……」
もぐもぐと何かを咀嚼しながら呟くムウマージの口の端から、ちらりとピンク色の長細い物が覗く。
そういえば、あの団員の男が売っていた”美味しいもの”にあいつは興味を示していたな。
つまり、あの細長い物は――いや、正体を考えるのはよそう。


また万が一ばったりと人間に鉢合わせるようなことにならぬよう、今度はミミロップに例の他者の位置を察知することができる波動とやらを読み取らせながら注意深く進むことにした。
波動を読むのは結構疲れるからあんまり多用はしたくないとミミロップは難色を示すが、つい先程の件もあるし、出くわした人間と一悶着を起こしながら進むよりは幾らかましであろうと宥め賺す。
その過程で、「じゃあ、代わりにデート一回!」などとろくでもない約束を取り付けられてしまったが……。
まあ、そんな呑気な機会が運悪く巡ってくるようなことも当分無いだろうし、知らないふりをして黙っていればその内忘れるだろう。
殆ど整備の施されてはいない天然の洞窟は相応に歩きにくくはあるが、リニアの地下トンネルを彷徨うように進んだ時よりは精神的にはずっと健全だ。
淡いとはいえ明かりが灯されているというのもあるが、そこら中に雑多に転がっているごつごつとした岩の輪郭がどこか温かみのようなものを感じさせてくれる。
人間の手により角という角を端から端まで磨きこんで削ったかのように整えられた地下トンネルとは大違いだ。人間共にはその方が住みよいのかもしれないが、俺にはあの潔癖なまでに凹凸一つないつるりとした壁面はひどく冷淡で不健全に映る。
物事は出来うる限り寸分の狂いも無く完璧に整えた方が良いと思いがちだが、中には程々の乱雑さを残しておいた方が良いというものも確かに存在しているのだ。


偶に行き交う人間を避けながら行く途中、一際明かりの強い一角を見つけ、例のごとくジャリコンビが止める間もなく吸い寄せられるように覗き込みに向かう。
嘆息を噛み殺して後を追い、背後から様子を窺ってみる。
その先では、赤と黄色のド派手な格好をした太った男と、赤茶色の体毛をした六本の尻尾を持つ狐のようなポケモン、ロコンが互いに競うように火を吹きあっていた。
大道芸人という奴か?なんだってこんな辺鄙な洞窟の一角でパフォーマンスをしているのかは理解に苦しむが、洞窟を照らす奇妙な明かりの正体は、奴らによるものだったようだ。
納得して、「まだ見ていたい」とぶーたれるアブソルとムウマージを引き摺るようにしてその場を後にした。
その後の道中にも、先程の火吹き男と同じ格好をした同業者らしき者や、怪獣を模した着ぐるみを着た怪しい輩が居たり、何だか随分と変人達と縁繋がりのある洞窟だった。
よもやこの洞窟の名前の由来はそこから来ているのではあるまいなと勘繰ってしまう。
奴らの同類と化してしまう前に、さっさとこんな洞窟抜け出てしまおう……。
そうして繋がりの洞窟を抜けて三十三番道路に出ると、途端に雨が降り出して俺達を迎えた。
「この辺りは一度降り出したら当分やまねえ。さっさとヒワダの周辺まで走り抜けちまった方がいい」
土地勘のあるデルビルの言葉に従い、俺達は雨の降りしきる木立の中を駆け抜けていった。


しばらくデルビルに続いて走り続けていると、激しく身を打つ雨は徐々に疎らとなっていき、先の木々の合間に人家らしき陰が見えてきた。
あれがヒワダタウンか。
俺達は歩調を緩めて人影を探りながら、用心深く近づいていく。
町の最端へと辿り着く頃には雨はすっかりと上がり、散りゆく雲の間からほんのりと赤らんだ空が顔を覗かせていた。
「あー、もう。全身、びっしょびしょ!」
ぶるぶると身を震わせてミミロップは水滴を飛ばす。
「うわ、こっちに飛ばすんじゃあない」
「あ、ごめーん。ねえ、ちょっとどこかで体乾かしてかない?」
怒る俺に謝りながら、ミミロップは濡れて少ししぼんだ耳先の毛をタオルのように丁寧に絞って水を切りつつ言った。
「ここは人間の領域のすぐ傍。そんな悠長なことをしている暇はあるまい。
体など放って置けば直に乾く、我慢しろ」
「まあ、毛が短めの私やアンタやデルビルと、幽霊のマージちゃんはまだいいんだろうけどさ。問題は……あれは、ちょっと乾かしたげないとかわいそうよ」
そう言ってミミロップが示す方を見て、俺はぎょっとする。そこに居たのは、ずぶ濡れで白い毛並みをべったりと垂れ下がらせた細身の四足獣だった。
「アブソル……でいいのだよな?だ、大丈夫か?」
「…………うん……」
恐る恐る声をかけると、ショックで放心した様子でアブソルはそっと頷いた。
普段の健康的にふさふさもこもことした面影はまるでない痛ましい姿だ。
「はあ、これでは仕方あるまい……。適当に場を見繕うとしよう」


丁度よさそうな隠れ場所を近場に探す途中、町外れに煙突から煙の昇る小屋を見つけ、開け放しの窓から中を覗いてみる。
家主は出払っているのかひと気は無いが、奥の窯には火が燃え盛っていた。
「炭焼き小屋みてえだな。そういやヒワダは木炭の名産地でもあったっけか。質が良いらしくて、結構高値で売れるんだよなあ……へっへ」
部屋の隅に転がる束ねられた木炭を見て、デルビルは舌なめずりする。
「余計な事は考えるな。今のお前に人間の金など何の意味も無いだろう」
「へいへい、分かってんよ」
忠告する俺につまらなそうにデルビルは答えた。
「誰もいないんならさ、ちょっとあの竈の火にあたらせてもらわない?帰ってくる気配がしたらすぐに逃げればいいんだし」
「うむ――」
何れにせよ、日がまだ高いうちは町中を派手に捜索するわけにはいかん。
周りにひと気の殆ど無い町外れで、更に都合よく暖かい火まで用意されているこの小屋は休憩場所には誂え向きだろう。
「では、しばらくここで休憩とする。いつ人間が戻ってくるか分からん、気は緩めすぎるなよ」
窓を潜り抜け、俺達は小屋へと上がり込んだ。家主が戻るまでの間、勝手に厄介になるとしよう。
間借りの駄賃は、あの物欲しそうに木炭を眺めている手癖の悪そうな黒犬と、いたずら好きの紫の幽霊もしっかりと見張って、木炭を守りきることで返すとするか……。


ぱちぱちと小さな火の粉が跳ねる暖かな竈を囲むようにして、俺達は一息をついた。
ずぶ濡れで酷い状態だったアブソルも、火の傍らで体を温めて乾かし、ミミロップの手により丁寧に毛を繕われている内に少しずつ元のツヤのあるふわふわとした毛並みを取り戻していった。
「ごめんね、迷惑かけちゃって……」
しょんぼりとアブソルは呟く。
「いーのいーの、気にしない気にしない」
頭の毛並みを整えてやりながら、ミミロップは微笑んで首を横に振るう。
「でも、いつもボクばかりみんなの足を引っ張っている気がして――」
「ほーら、そんなしょげた顔して、油断してると、こうだっ!」
言葉を押し止めるように、ミミロップは唐突にアブソルの体をくすぐり出す。
「ちょ、やっ、くすぐっ――きゃははは!」
「んー……あ、ずるい!あそぶならマージも!」
うつらうつらとしながら漂っていたムウマージも二匹の様子にぱちりと目を覚まし、意気揚々と加わりにいった。
「ふふふ、いいわ、マージちゃんもかかってきなさいっ」
気を緩めすぎるなと忠告したばかりだというのに、いつもいつも騒々しい奴らだ。
心の中で毒づきながらも、己の口の両端が薄っすらと上がっていることに気付く。
らしくもない、と頬を軽く叩く振りをして俺は無理矢理口端を引きおろした。
最近になって妙に己の頬めが勝手に緩む事が多くなったように感じるが、笑顔など俺には馴染まぬ。
「うるっせーな……これだからガキは……」
三匹がじゃれて転げ合う隅で、小うるさそうに顔をしかめてデルビルは後ろ足で頭をばりばりと掻く。
あれだけ己の姿を嫌がっていたというのに、こいつの方は何だか随分と犬らしい仕草が板についてきたものだ。


そうこうしている内に日は傾き、空が藍色に染まりかかろうとしていた頃、外からこちらへと向かってくる気配を感じ、俺達は慌てて身支度を整えて窓から小屋を飛び出した。
直後、小屋の扉が開かれ、そっと様子を窺うと、厳つい中年と、メガネをかけたまだ若い男の二人組み、そして二羽のカモネギ――常に植物の茎を一本まるで刀のように携えている、茶色い羽毛をした変わり者の鳥ポケモンだ――が、少し消沈した様子で帰ってくる。
「やっぱりヤドン、どこにもいませんでしたね」
若い男が、厳つい男にがっかりとして話しかける。
「うーん、森の神様がお怒りなのか……?何にせよ、よくねえ知らせかもな。こんな時はじっとしているに限る。しばらく森に薪を取りに行くのはやめだ」
どすんと板間に腰を下ろし、厳つい男は深々と溜め息をついた。
『ぼーっとしてて何考えているかわからない奴らだったけれど、いざいなくなると寂しいものだな、兄弟』
『ああ、決して悪い奴らではなかった……』
心配そうにカモネギ達も言葉を交わす。
どうやら町の一般人達には、ロケット団の存在と所業はまだ公になってはいないようだ。
とりあえず町ぐるみでロケット団を匿っている風では無さそうで、一先ず安堵する。極小さな規模とは言え、流石に町一つ丸々相手取るのは厳しい。
こんなニャースの額のような小さな町においてもあの黒い社会の病巣めらは、地下や夕闇の狭間に巧みに潜伏し、腐り果てた根を気付かれぬようひっそりと張り巡らせることができるというのか。
何ともおぞましい、唾棄すべき生命力だ。
これは、早々に根元から削ぎ取って根絶してやらねばなるまい。人間のためなどではない。あくまでポケモンの平穏が為。
”そして、志半ばに倒れた彼らの無念を晴らすが為”――いつ、どこぞから降って湧いたかも分からぬが、何故だかそんな強い思いが俺の心に滾りつつあった。炭が孕む火のようにじわりじわりと。
かつて己を焼いた炎を少しずつ思い起こすかのように。

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