第41章 - 11

「っ、この――ッ!」
飛び掛ってくるイトマルの短くも鋭い牙を、すんでの所でロズレイドは両腕の毒針を交差させて受け止め、押し返して斬り飛ばす。
三方を無数のイトマルに囲まれる中、ロズレイドとマニューラは二匹並んで懸命にそれを迎え撃ち、背後の木の洞で怯え震えているオオタチの親子を守る。
だが、状況はジリ貧になる一方で、じわじわと二匹は追い詰められていた。
ロズレイドによって深々と斬り付けられた筈のイトマルがむくりと起き上がり、仔細無い様子で包囲網へ復帰する。
毒針も、葉による攻撃も効き目が薄く、ロズレイドにはイトマル達に決定打を与える手段が無かった。
冷や汗を滲ませながらロズレイドは横目でマニューラを見やる。荒く息を漏らす姿にいつもの余裕はまるで無く、その表情は思いなしか少し青ざめて見えた。
「大丈夫ですか、マニューラさん。まさか、毒を?」
ロズレイドは不安に駆られ、声をかける。マニューラは黙ったまま小さく首を横に振るった。
確かにその体のどこにも咬まれたり刺されたりしたような傷は見当たらず、毒を受けたような形跡は無かったが、やはりマニューラの様子はどこかおかしかった。
襲い来るイトマル達をマニューラは次々と往なし、切り伏せていく。
だが、何故かその両手には普段は投擲にしか使わないナイフ状の氷の礫を握り、己の爪ではなくわざわざそれでもってイトマル達を斬り付けていた。幾ら鋭利とはいえ所詮は氷製。
数回斬ればすぐに欠けるか折れるかして、その度に新しい刃を作り直さなければならない。それに、イトマルが飛び掛ってくる度、マニューラは表情を強張らせ、妙に過敏に大げさな動きでそれを避けた。
何だか随分と無駄に体力を消耗しているようにロズレイドには見えた。一体、どうしたというのか。
こんな調子ではとても長く持ち堪えられそうに無い。


何か打開策は無いか、ロズレイドは頭を巡らせる。自分の毒や草の技では、毒蜘蛛達には殆ど効き目が無い。
だが、そういえば、まだスボミーからロゼリアであった時、危機的状況において時折発現していたあの念動の力。
――前にトレーナー用の教本か何かで読んだことがある。毒を持つポケモンには念力などの超能力が有効である、と。
あれを引き出すことが出来れば、イトマル達を退けられるかもしれない。長らく使う機会がなかった上、上手く制御できるかは分からないが、やってみる価値はある。
ロズレイドは集中し、己のどこかに眠っている力を呼び醒まそうと頭の奥隅々まで意識の根を伸ばした。

――「何が何でも慣れろ、死ぬ気で対処法を編み出せ。オメーにもう後はねえ」

意識の根が触れて引っ張り出したのは、いつかのマニューラの言葉だった。何故だってこんな時に?
不可解に思いながらも、ロズレイドはその時を想起する。
確か、あれは僕が剣の稽古をつけてもらおうと、キッサキのマニューラさん達のアジトにお邪魔させて貰っていた時だったっけ。
あの“つーのつーの”うるさいニューラさんにこっぴどく負けて意気消沈している僕に、マニューラさんは厳しくそう言ったんだ。
あんなまるで冷凍庫のようなアジトの奥深くにまで押し込まれ、何て無茶苦茶ばかり言うんだと思ったけれど、その言葉達を胸にバネに、歯を食いしばって最後まで諦めなかった。
その結果、僕は冷気にもあのニューラさんにも打ち勝ち、打ち解けることが出来たんだ。出来るだけの力を掴み取ったんだ。
今の僕なら、燃える様に暑い日照りの中だって、体が押し潰されそうな程の豪雨の中だって、耐え切って順応してみせる。
どんなに天気が気まぐれに、時に激しく目まぐるしく移ろおうとも、等しく悠然と受け入れる空のように――。
意識の根が、力の片鱗に触れる。すかさず絡めて捉え、一気に引き上げていくと同時に、ロズレイドは目を見開いて、目前まで迫ったイトマルに向けてその力を解放した。
その瞬間、無意識に突き付けた腕の花から無色透明の泡のような球体が放たれる。
泡のような球体はイトマルが触れると忽ち大きな風船が割れるような音を立てて炸裂した。


爆発の衝撃でイトマルの体はくるくると弾き飛ばされ、樹に叩きつけられて根元にごろりと転げ落ちた。
今のは、一体――?引き出された力は、本来求めていた念動力とはまるで違うものだった。
力の正体は掴めないが、毒針や葉による攻撃よりは幾らか奴らにも効き目がある。
今はそれだけで十分だと、ロズレイドはその無色透明の泡のような球体を間髪入れずにイトマル達に向けて次々放った。
突然の正体不明の反撃と、続け様の炸裂音にイトマル達は驚き、浮き足立つ。
マニューラはハッとした様子で道具袋を探り始め、中から白色の煙が中央に渦巻く不思議な玉を取り出した。
「今の内だ。イタチ共を連れ出して逃げるぞ!」
「あ、はい!」
ロズレイドが応じると同時に、マニューラはその玉を地に投げつける。
玉から白煙がもうもうと上がり、辺りに立ち込め始めた。
「テメーら、走れるな!?立て!」
煙に紛れながら洞に大急ぎで駆け寄り、マニューラは出し抜けにオオタチの親子に声掛ける。
「ひっ、イトマルだけじゃなく、ニューラ族まで……。うう、もうおしまいなの……?」
オオタチは状況を飲み込めない様子で震え上がり、オタチを守るように体を丸めた。
「ああ、もう、テメーらなんざ喰うつもりはねーよ!ロゼ、もうメンドクセーからこいつら縛り上げろ、無理矢理連れてくぞ!」
「はい。あの、ごめんなさい、ちょっと乱暴ですが、それほど悪いひとでもないんです……」
「え、え……?」
蔓でオオタチ達をぐるぐる巻きに縛ると、ロズレイドとマニューラはそれを抱えて一目散に駆け出した。
「キャー――――……!?」


オオタチの悲鳴が遠ざかって聞こえなくなり、煙が晴れる頃、イトマル達の目の前からは獲物達の姿は忽然と消えていた。
後一歩というところまで追い詰めかけていた獲物達をまんまと捕り逃してしまい、イトマル達は集って悲観と落胆にくれ、それと同時に、何か今後来たる悪い予感に怯えるようにぎちぎちと騒ぎ立ち始めた。
直後、イトマル達の集う背後の茂みが、ガサガサと揺れ動く。びくり、として、イトマル達は一斉に茂みへと目を向けた。
茂みの奥からぬっと姿を現したのは、赤と黒の毒々しい色をした大蜘蛛、アリアドスの番いだ。
二匹とも過去に火傷でも負ったのか、それぞれ胴と背中に焼け爛れて出来たような古傷が残っていた。
狩りの成果を求めるアリアドスに、恐る恐ると言った様子でイトマルの一匹が失敗を報告する。背中の爛れたアリアドスは前脚を振り上げて怒り、瞳を煌々と輝かせた。
あわれイトマルは見えない力に宙高く放られ、森の彼方へと消えていった。容赦ない仕打ちに、他のイトマル達は震え上がる。
胴の爛れたアリアドスがやりすぎだと窘める様にギィギィと背中の爛れたアリアドスに顎を鳴らしさざめく。
この時期はひどく腹が減る、落ち着いてなどいられるか、と言わんばかりに、背中の爛れたアリアドスは耳障りな金切り声を上げて反論した。
まだ逃げ切られたわけじゃあない、そう優しく宥め囁くようにさざめきながら胴の爛れたアリアドスはそっと前脚で地面を示した。
地面には、よく目を凝らさなければ分からないような、糸が一本。延々とどこかへ伸び続いていた。
背中の爛れたアリアドスは地面に続く糸に触れ、微細な振動を感じ取る。
まだ糸は獲物へと繋がっている――アリアドスは顔を見合わせ、ほくそ笑む様に紫の目をぎらつかせた。


オオタチ親子を担いだまま、ロズレイドとマニューラは鬱蒼とした森林を駆け続けた。
地形が起伏に富み始め少しずつ森が開け始めた頃、二匹はぜえぜえと息を切らした様子で徐々に歩を緩める。
「もう充分、撒けただろ。ちょっと休むぞ」
肩で息をしながらマニューラは言った。はい、とかすれて声にならない声でロズレイドは応じる。
オオタチ達を地に降ろすと、二匹は大きく息をつきながら風船が萎み込むようにその場にぐったりとしゃがみ込んだ。
「ったく、手間かけさせやがって」
荒く呼吸を整えながら、マニューラは縛られたままのオオタチ達を横目で見やる。
オオタチはびくっと身を強張らせて、怯えた目で見返した。
「うう、私達をどうつもりなの……」
震える声で問うオオタチに、マニューラは面倒そうに立ち上がり、無言で爪を構えて寄っていく。
「ひ……、私はどうなってもいい、でも子どもだけは許して……」
今にも振るわれんと翳された鋭い刃のような爪を前に、オオタチは全てを諦めてぐっと目を閉じた。
数回の風を切るような音の後、痛みも何も感じずオオタチは怪訝に思って恐る恐るゆっくりと目を開く。
すると、自分達には傷一つ無く、縛られていた蔓だけがぱらりと切れ落ちた。
「あ、あら?」


戸惑うオオタチに、ロズレイドは脅かさないよう落ち着いて事情を説明した。
「そ、そうだったのですか。私ったら、ごめんなさい、まさかニューラ族の方に助けていただけるなんて思わなくて……。もう何とお礼を言っていいか……」
誤解が解かれ、オオタチはまだ少し怯えを見せながらも深々とマニューラに感謝する。
「別にいーよ。礼ならしつこくオレを急かしたこいつらに言いな」
マニューラは気が無さそうにふいと顔を背け、布切れの巻かれた左腕でロズレイドの方を指した。
「は、はい。本当にありがとうございます。ほら、坊やもこの方達にお礼を言いなさい」
オオタチは自分の影に隠れているオタチに促す。オタチはもじもじしながらひょっこりと顔を覗かせた。
「ありがと、バラのおにいちゃんと、クロネコの……えーと、うーん――」
オタチは少し困ったようにしてマニューラを不思議そうに見渡す。マニューラは煩わしそうに頭を掻き撫で、舌打ちした。
「マニューラ、でいい」
「うん、ありがと、マニューラさん」
礼を言うオタチに、ふん、とマニューラは再び顔を背ける。
悪態をつきながらも、マニューラの横顔はほんの少しだけまんざらでもなさそうにロズレイドには見えた気がした。


「あなた達を無事に助け出せて良かったです。でも、奴らに巣穴の場所を突き止められてしまった以上、もうあの巣穴には戻れませんね……。どこかに行く当てはあるのですか?」
心配そうにロズレイドはオオタチに尋ねる。
「それなら、あの巣穴は仮住まいでしかなかったので、心配には及びません」
そうオオタチは答えた。
「仮住まい?」
「ええ、私達の本来の住居は二十九番道路沿いにあるのです」
ロズレイドはごそごそとジョウトの地図を広げ、その場所を確認する。
二十九番道路は、ジョウトの南東外れにある道路だ。
「僕達が今いるのは、そこから北西の三十一番道路付近……お子さんを連れた散歩にしては少し遠出ですね」
「はい、私達は三十九番道路に住むというミルタンクさんに会うために旅をしている最中なのです」
三十九番道路――地図でその位置を確認して、ロズレイドは少し驚いた。
三十九番道路はジョウトの北西外れ、二十九番道路からは相当な距離がある。
「一体、どうしてそんな長旅をしてまでそのミルタンクさんに会いに行こうと?」
「彼女達の出すミルクはとても栄養があると聞き及び、そのミルクを分けてもらおうと……」
「あのね、おとうさんがね、げんきないの」
しゅんとしてオタチが答える。
隅でそっけない様子で黙ってやり取りを聞いていたマニューラの耳が、ぴくり、と微かに反応した。
「主人が病に臥せているんです。それで、少しでも滋養をつけてもらいたくて……」


沈んだ様子で経緯を話すオオタチを余所に、マニューラは土埃を払いながら腰を上げた。
「そりゃ大変なこったな。ま、精々気をつけて行ってきなよ」
冷たくあしらうようにマニューラは言い、さっさと一匹で逃げるようにその場から立ち去ろうとする。
「ちょっと、待ってください」
その背をロズレイドは慌てて追いかけて引き止めた。
マニューラは小うるさそうに眉間を顰め、肩越しに振り返る。
「なんだよ」
「このままあの親子を置いていってしまうんですか?」
「当たり前だろ。これ以上なにお節介焼こうってんだ」
「乗りかかった船ですし、せめて三十九番道路付近までは送り届けてあげませんか」
真顔で提案するロズレイドの額を、マニューラは爪でこつんと小突いた。
「あのなあ、こちとら人助けのためにジョウトを行脚してるわけじゃねーんだよ。あの蜘蛛共から逃がしてやっただけでも、ぶっ倒れちまいそうな程の出血大サービスだ」
「でも、またあの蜘蛛達に襲われないとも限りませんし、放って置けませんよ」
ロズレイドは不安げにしているオオタチ親子にそっと振り返る。ふう、とマニューラは溜め息をついた。
「だったら、オメーだけで行ってくりゃいいだろうが。元々、オメーは勝手についてきやがったんだ。別に引き止めはしねーさ
「そういうわけにもいきません。マニューラさんのことも心配です」
「オメーに心配されるほど、オレは落ちぶれたってか?生意気言ってんじゃねーぞ」
マニューラはロズレイドの胸倉を取り、ぐいと睨みつける。


「そうは言っても、先ほどの戦いの時、何だかマニューラさん調子が悪そうだったじゃないですか」
ロズレイドの指摘に、マニューラの目が一瞬だけ泳いだ。
「別に調子なんて、ありゃ、その何ていうか……」
「もしかして蜘蛛が苦手、とか?」
言いあぐねるマニューラに、ぼそりとロズレイドは思い当たる節を口にする。
マニューラは微かに息を呑み、突き放すようにロズレイドから離れた。
「ばっ……バカヤロウ、そんなわけねーだろうが。このオレ様を誰だと思ってやがる。天駆る竜さえも避けて通る天下無双のマニューラだ。あんなクソッタレ蜘蛛如きを恐れるわけがねえだろ」
どんと胸を張り、マニューラは堂々言い放った。その時、不意に頭上の枝葉が風も無いのにばさばさと音を立てる。
「ん?ぶわっ!?」
不審に思って二匹が仰ぎ見た瞬間、葉の隙間からぽろりと力なく零れる様に落ちてきた影が、
丁度よくマニューラの顔面へと覆い被さった。
「一体、なんら――」
驚いて“それ”を引き剥がそうとしたマニューラの手が、急に怖じけたように寸前でぴたりと止まる。
この節くれだったような、それでいて変に軟らかい感触――。脳裏に鮮明に蘇ってくる、幼い時の悪夢。
マニューラは顔に張り付いている”それ”の正体に気付き始め、みるみる内に顔を青ざめさせ、全身の毛を突風に煽られた黒い波の様にざわざわと怖気に震わせる。
今まで堪えて来たものが大挙して押し寄せ、次の瞬間、絹を裂くような悲鳴が森に轟いた――。


「うー……」
ばしゃばしゃという水音と、合いの手を入れるようにその間に挟まる甚く機嫌の悪そうな低い唸り声。
近場で見つけた泉で、マニューラは半ば顔を突っ込むようにして入念に顔を洗っていた。
「お連れの方は大丈夫ですか……?」
心配そうにオオタチがロズレイドにそっと声を掛ける。
「はい、どこにも怪我はありませんでしたので大丈夫ですよ」
ロズレイドはにこやかに答えた。突然、空から降ってきてマニューラの顔に張り付いた“それ”――イトマルは、どういうわけか降って来た時点で既に意識が無かったようで、どこも怪我することなく――精神的には少し響いたようだが――ロズレイドの手によって簡単に引き剥がすことが出来た。
熱心に顔を洗う後姿を見て、ロズレイドは思わずクスクス、と微笑ましそうに笑う。
剛胆不敵の塊のようなマニューラが、まさか本当に蜘蛛が苦手だったなんて。
何だか、初めて“らしい”ところを垣間見たような気がする。
「なに笑ってやがんだよ」
笑い声を聞きつけたマニューラが、勢いよく顔を上げて殊更不機嫌そうに振り返る。
「いえ、何でも。はい、これどうぞ」
そそくさと表情を取り繕って、ロズレイドは包帯の切れ端をハンカチ代わりに差し出す。
「ケッ」とマニューラは毒づき、包帯を奪うように受け取って顔を拭った。


「……いいか、この事は誰にも言うんじゃねーぞ」
鬣を氷でこしらえた櫛で整えながら、ばつが悪そうにマニューラはぼそりと言った。
「はい、心得ています。……あの、やっぱりマニューラさんも一緒に三十九番道路まで行きませんか。この先また先程のように蜘蛛が急に現れることがあるかもしれませんし」
ぽつりと最後に弱みを付け加えてロズレイドは提案する。
「ほほう、このオレを脅迫しようってか、ロゼちゃんよォ?」
苛立ちながらも少し愉快そうにしてマニューラは睨み返す。ぎくりとしてロズレイドは首を横に振るった。
「い、いえ、別にそういうわけでは」
「クク、いいさ。オメーもイイ性格してきたじゃねーか。舎弟分の立派な成長として捉えてやるよ。その成長に免じて、今回はテメーのお節介に乗ってやる。……その代わりまたさっきみたいに奴らが現れたら、しっかりと追い払えよな!」
「はい!お任せください。あの“クソッタレ”どもが現れても、指一本触れさせないようにお守りいたします!」
びしりと構えるロズレイドを、余り調子に乗るなとマニューラは小突いた。

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