第40章 - 7

デルビルは自分の体を見回し、脇腹に向けてすんすんと鼻を鳴らして身震いする。
「うえっ、今でも自分の置かれている状況が信じられねえよ。こんな獣臭い体で、一生過ごすなんて耐え切れねえ。クソ不味い砂利みてえな餌を盗み食うのももうごめんだ。人間だった時に食ってた“餌”もたかが知れてたが――毎日のように食ってた安弁当、人間だった時は飽き飽きしてたが、今じゃあんなもんでも恋しく思えるぜ……」
はあ、とデルビルは深々と息を吐く。
「あんたが臭うのはどうせ不潔にしてるせいだし、今も昔もろくなもの食べられないのはうだつが上がらないせいでしょ」
軽蔑の視線を向けながらミミロップは辛辣に言い放つ。
「う、うるせえ!ちくしょう、俺の手持ちだったポケモン共もこんな生意気なこと言ってやがったのかな……」
ぶつくさとデルビルは呟く。
「構っていられん。行くぞ、お前達」
はーい、とミミロップ達は応えた。
「おい!俺は無理やりでもついて行くからな!」
「勝手にしろ。足手纏いとなれば即刻見捨てて置いて行く」
「意地でも喰らい付いて行ってやるさ……!失うものなんざ何もねえんだ、なりふりかまわねえぞ」
ぐるぐると唸るようにしながらデルビルは言った。
利用できるところまで利用して、妙な素振りを見せたら容赦なく討てばいい。どうせ元はポケモンにとって、いや、人間にとっても害悪でしかなかった部類の輩だ。情けをかける余地は無い。

「頼れる愉快なお仲間が出来たみてぇで良かったじゃねーか。怪我しないように精々気をつけて行ってきな」
皮肉めいた様子でマニューラは手をひらひらさせる。
「ええ!そんな、マニューラさんも一緒に来てくれるんじゃないんですか?」
ロズレイドが驚いたように言う。


「いつそんなこと言ったよ。成り行きでツルんだまま話を聞いてはいたが、オレはただコイツに会うために来ただけだからな」
爪でペルシアンを示し、マニューラはつれなく答えた。ペルシアンは暫しきょとんとしていたがロズレイドの落胆した顔を見て、にんまりと笑う。
「カントーの事は今まで通りボクに任せておくニャー。後、マニュちゃんの面倒もニャ、ロズレイドくぅん。にゃははは!」
勝ち誇ったように高笑いを上げながら、ペルシアンはマニューラの肩を抱き寄せた。
瞬間、マニューラの眉間にぴしりと皺が寄るが、堪える様にぴくぴくと引き攣った笑顔を浮かべる。
ぶるぶると今にも振り上げそうに震わせている拳からは、薄っすらと白い冷気が漂っている。
当のロズレイドはまるで心に思い切り破壊光線でも打ち込まれた様な表情を浮かべて固まっており、もう何も聞こえていないし見えていないようだ。心なしかやつれている様にさえ見える。
ミミロップは「あちゃー」と頭を抱え、蚊帳の外の俺とアブソルとムウマージ、ついでにデルビルは呆気に取られていた。

本当に何なのだ、こいつらは。
まあ、これからは余計な心労の一匹がついてこなくなってくれるのだ。
一応、俺にとってはめでたしとしよう。
――一度出来てしまった腐れた縁は、中々途切れぬという。
嫌な予感は尽きぬが……やめておこう。

すっかりと日も落ちた暗い町外れ、街灯の明かりを避けながら俺達は駆け抜けていった。
「あ、あれが、ヤマブキ駅、だ」ぜえぜえと息を切らして走りながら、デルビルは言った。
示された先には、アーチ状の屋根をした大きな建物が見える。肝心のリニアが停止している為か、最低限の明かりしか灯されておらず、駅の周囲だけ町から切り離されてしまっているかのように暗く寂しい。
俺達は駅の裏手から近づき、適当な窓を見つけてそっと中の様子を窺った。
広い内部は非常灯以外の電気が落とされていて薄暗く、人間は見当たらない。
いや、たった一人、奥に一箇所だけ明かりの点いた部屋――事務所というものだろうか――に、駅員らしき制服を着た人間の姿を見つけた。
どうせ誰も来やしないと思っているのだろう、駅員は席にだらしなく腰掛け、暇そうに煙草を吹かしながら手元の雑誌らしきものをぱらぱらと捲っている。


「宿直かね、ご苦労さんだな」
窓を覗き込みながら、デルビルは嘲笑うように呟いた。
地下の線路に下りるには、まずあの大きな窓口付きの事務所に隣接して設置されている、妙なゲートのような機械――改札機というらしい――の間を通り抜けて行かなければならないようだ。
俺一人ならば軽々と掻い潜っていけるだろうが、人間の子ども程の図体を持つ奴数名が何度もぞろぞろ行ったら、幾らあの不精そうな駅員とはいえ気配に気付くだろう。
どうにかして、しばらくの間あの場から駅員をどかしたい。
「やっちまうのか」
声を潜めてデルビルが尋ねる。
「いらぬ騒ぎが起こる。人間といえど敵意の無い者に大きな危害を加えるつもりは無い」
「甘ちゃんだな。そんなんで悪の組織のボスやってんのか」
デルビルが鼻で笑うが、無視した。俺は貴様らのような見境の無い悪とは違う。

さて、どうしたものか。一旦、窓から身を隠し、ミミロップ達にも意見を募ってみる。
「誘き寄せて後ろから、こうガツーンと」
チョップする真似をしながらミミロップが言った。
「普通の人間は我らよりずっと脆い。力加減を間違えたらどうするのだ」
「マージの、あやしいひかりは~?」
ムウマージが異次元の色彩ともいうべき人魂のようなものをふよふよと浮かばせる。
「悪くはないが、いざ正気づかれてしまった後に光の正体がポケモンの仕業と思われかねん。ただのいたずらと片付けられればよいが、発電所でいざこざが起きたばかりだ。その犯人と関連付けられて、線路内まで捜査の手が伸ばされるかもしれん」


もっと目にも耳にも感知されないような、それでいてなるべく穏便に事を済ます方法は……。
考えあぐねながら、俺はちらりとロズレイドを見やった。
いつもこういった話し合いの時は決まって積極的に参加してくるというのに、どこか上の空でぼうっとしている。
マニューラと離れてからずっとこの有様だ。
握られた弱みをばらされやしないか、気が気じゃないといったところなのだろうか。まったく、離れていても厄介な黒猫だ。
あの不敵な笑みと口から覗く鋭い牙を思い出す度、俺も苛立ちか、何かのトラウマなのか、はたまた猫を嫌う鼠の血の性か、頭がずんと重くなり、耳の特に左耳の先がずきずき疼くようになった。
ギラティナの領域からシンオウに帰還してからだろうか。ああ、もう、考えるのはやめだ。

とにかく、ロズレイドにずっとこんな調子でいられるわけにはいかん。
そういえば、草ポケモンの中には眠りを引き起こす花粉を作りだせる者がいると聞いたことがある。
粉ならばそっと漂わせるに限れば目に殆ど映らんし、音もないだろう。
泊り込みの勤務に疲れてついうたた寝……よくありそうな話ではないか。
「おい、ロズレイド、眠り粉を作ることは出来ぬのか?」
聞こえなかったのか、ロズレイドの返答は無い。
「ロズレイド、眠り粉だ、ね、む、り、ご、な」
声の調子を少し強めてもう一度俺は言った。ようやく声が届いたのか、ロズレイドはぴくと反応する。
「あ……はい、粉ですね、粉……」
ぼんやりした様子で、ロズレイドは葉っぱを一枚取り出し、その上に手の薔薇から花粉をさらさらと出した。
手渡された葉っぱに包まれた花粉を、俺は訝しんで見る。……色が見るからに毒々しい。
念のため少量を近くの雑草にかけてみると、たちまち雑草は茶色く枯れ果てた。見守っていたミミロップ達も、ひっ、と驚いて飛び退く。
俺は慌てて小さな穴を掘り、慎重に葉っぱごと花粉を埋め立てた。


「毒の粉ではないか、馬鹿者!しっかりしてくれ……どうにかならぬか、ミミロップ」
ミミロップだけはロズレイドとペルシアンとマニューラの妙なやり取りに理解を示しているようだった。
何か立ち直らせるきっかけを得てくれるやもしれぬ。
「うーん、そうね……。皆はちょっと待ってて。ロゼちゃんは、こっち」
そう言うと、ミミロップはロズレイドの手を引いて俺達から少し離れ、何やらごにょごにょと話し出した。
内容は聞き取れぬが、ミミロップの話に相槌を打つ度、ロズレイドの顔には活力が戻っていっているようだった。
少ししてミミロップはこちらにOKサインを出し、しっかりとした足取りのロズレイドと共に戻ってくる。

「もう大丈夫なのか?」
「はい。ご迷惑をかけてすみませんでした。僕はもう平気です」
きりっと表情を引き締めて、ロズレイドは応えた。
「ならば早速……」
「眠り粉でしたね。必ずや作り上げて見せます、少々お待ちを……!」
随分と気合の入った様子で、ロズレイドは目を閉じて手に力を込めて花の中身を混ぜ合わせるように震わせる。
しばらくして、「出来た!」とロズレイドは声を上げ、くわっと目を見開いた。
「さあ、どうぞ。今宵の僕の眠り粉は、インドぞうをも二秒かからずころりと眠らせられると自負できる出来栄えです」
ロズレイドは自信満々で葉っぱに包んだ花粉を手渡してきた。
「そ、そうか、ご苦労……」
少し気圧されながら俺は受け取る。
「参りましょう!ミュウツー達を打ち倒し、ジョウトにも僕達の名を轟かせるんです!」
意気揚々とロズレイドは宣言する。『ばっちり活躍して、見返してやるんだ』微かに呟くのも聞こえた。


やる気を出してくれたのはいいが、あまりの変わり様に不気味とすら感じざるを得ない。
「……一体何を吹き込んだ」
俺はそっとミミロップに聞いてみる。
「別にー。似たような茨の道を行こうとしている仲間に、先輩としてちょっとアドバイスしただけ」
「茨の道……?何だ、どういう意味だ?」
「いーの!早くいってよ、もう」
急に不機嫌になって、ミミロップは俺の背中をどんと押した。……分けが分からぬ。

俺は一足先に単独で駅内部へと忍び込むと、息と足音を潜めて駅員のいる部屋まで近寄り、窓口の下に潜り込んだ。
物音を立てぬように気を払いながら、ゆっくりと道具袋から眠り粉の包みを取り出し、そっと封を開ける。
細かい粒子が立ち昇る包みを開け放しの窓の方へと掲げ、フッと息を吹きかけて送り込んだ。
素早くマントで口と鼻を覆い、待つこと数秒。部屋の中からくしゃみの音が一度響き、すぐに大きないびきへと変わった。
なるほど、インドぞうもいちころと自負するだけある。感心しながら、余った粉を大事に包み直して道具袋にしまった。
もう一度くらいなら使えそうだ。いざという時に使わせてもらおう。
俺は部屋を覗き込み、机に突っ伏して眠り込んでいる駅員の姿を確認してから、外から様子を見守っている仲間達に『来い』と手で指示を出した。
「中々の手際だな。なあ、アンタ、俺が人間に戻ったら組まねえか?いい生活ができると思うぜ、へへへ」
駆け寄ってきたデルビルが愉快そうに声をかけてくる。
「お断りだ」
すげなく一蹴し、俺は見張る者がいなくなった改札機を堂々と乗り越えた。さあ、地下に降りる階段を探して向かおう。


さほど探すまでもなく、改札から少し左奥に歩いた先に幅の広い階段の下り口を見つけ、俺達は下りていった。
「クソ、今まで生きてきて、階段がこんなにも不便だと思ったことはなかったぜ……」
少し離れた最後尾、よたよたと段を下りながらデルビルはぼやく。
まったく、一々うるさい奴め。
「置いていかれたくなければ、つべこべ言わずにさっさと来い」
一足先に下り切った俺は苛々と段上を見上げながら言った。
「う、うるせ、こんな慣れない四足で早く下りるなんて無――」
言葉の途中で足を踏み外し、デルビルはごろごろと階段を転げ落ちてきた。
「う、ぐぐ……ちきしょう。こんな体、もう嫌……」
やれやれ、先が思いやられる。俺は鼻で溜め息をついた。
普段であれば人間がわらわらと騒がしく群れているであろうリニアのホームも、今は俺達の他には虫一匹の気配も無い。
地上に比べ地下の空気はどんよりと淀んで重く感じられ、元より心許無かった非常灯の光が殊更に弱々しくなって見えた。
俺達は線路伝いにホームを歩いていき、最端まで来た所で落下防止に設けられた柵を乗り越えて線路へと降り立った。
延々と続く地下トンネルのような線路の奥は色濃い闇に沈んでおり、遠い間隔で点々と針先でつついて出来たようなか細い光がぼんやりと浮かんでいるのが辛うじて見えるだけだ。
「……何だか、嫌な感じ」
近くの壁にそっと触れ、ミミロップが呟く。
「同じ真っ暗でも、イワヤマトンネルとはちょっと違うね」
興味深そうにしながらも、少し不安そうにアブソルは言った。
確かに、自然に開いた洞穴と違い、寸分の狂いも無く均整がとれた人工の通路は無機質でどこか冷たく、より一層不気味に思えた。
だが、こんなところで怖気づいて立ち止まってはいられない。
ミュウツーの目論見を止められなければ、この闇より暗く冷徹な未来が待っているのだから。

「暗闇とはいえ一本道、迷うことは無いと思うが、全員なるべく離れないように行くぞ」
意を決し、俺達は暗闇へと踏み込んでいった。


時は少し遡り、六番道路。

「やれやれだニャー」
ピカチュウ達を体よく送り出して、ペルシアンは大きな欠伸をしてぐいっと体を伸ばした。
「さてさて、余計な邪魔者もいなくなったことだし……早速二匹でお話しようかニャー、マニュちゃん」
浮き浮きした様子でペルシアンはマニューラの方を振り向く。
「そーだな……」
気だるく答えてマニューラは寄りかかっていた木からゆらりと身を起こし、頭の後ろに組んでいた手を解く。
瞬間、爪を剥き出し、間髪入れずペルシアンの喉元目掛け突き出す。
しかし、既にそこにペルシアンの姿は無く、爪先はぴたりと宙で止まった。
「……危ないニャ、いきなり何するニャ」
頭上の木からの声に、マニューラはフンと鼻を鳴らして爪を収めてから顔を上げる。
「また気配も無く……やっぱ何か妙な力を持ってやがんな。なーに、本当に突き刺すつもりは無かったさ。違和感の正体を確かめたくなってな。ついでにオレに気安くべたべた触ったら危ねーぞって忠告だ」
「手厳しいニャー」
あっけらかんと答えるマニューラに、ペルシアンはしょんぼりと溜め息をついた。
「――んで、ボクに何を聞きたいんだニャ?こんなじゃれ合いの為に残ったんじゃないってのは、分かりきってるニャ。ボウヤ達の前じゃしにくいような、血生臭い部類の話ってとこかニャ」
飄々とした態度を一変させ、ペルシアンは鋭い眼差しでマニューラを見下ろす。


「話が早いじゃねーか」
マニューラは口端に冷たく歪んだ笑みを浮かべ、睨み返した。
「いい目だニャ。アンタからは同じ臭いを感じていたニャ。何か大切なものを奪われて、憎くて憎くて地の果てまで追い詰めてでも始末してやりたい奴がいる……余計な恩は三日で忘れられても、恨みだけは決して忘れないのニャ。猫ってのはまったく因果なもんだニャ」
「ヘッ、全くだね」
「その焦がれる相手の身形を言うニャ。敵と手段は違えど、同じ道を行く同志への手向けニャ。まったくのロハで知ってることを洗いざらい話してやるニャ」
「……隻眼、真鍮色のバンギラス」
腹の底から煮えくり返るものを堪えるように表情を強張らせ、マニューラは答えた。
それを聞き、ペルシアンは少し意外そうな顔をする。
「知ってんだな……?」
「ああ、うん、同じ奴の行方を捜しに来たのが前にもいたから驚いてニャ。他のお客の事はあまり話せないけど」
「その奴らの中に、青っぽい毛並みをした年増の猫がいなかったか?」
「年増って言うほどでもなかったと思うけど……知り合いかニャ?」
「まーな。腐れ縁とすら言いたくもねえ、昔からの厄介さ。何を企んでやがるのか知らねーが、バンギラスが生き延びてやがるとオレに告げ口に来やがったのも、あの年増だからな」


苦々しげな語り口からして、何だか二匹の仲は宜しくない様だ。
ペルシアンは察し、板挟みにされては厄介だとそれ以上の言及は避けることにした。
「他のお客の話はこれくらいにして、アンタが追ってる本命の事だけどニャ」
ペルシアンがそう切り出すと、マニューラは一言一句聞き逃すまいと食い入るようにして、注意深くその口の動きを見張る。
「奴を初めて見たのは今から二年前、そろそろ三年になるのかニャ。ヤマブキにあるシルフビルがロケット団って悪党共に占拠された日、あの化物はボクの居た地下道の天井を突き破って落ちて来たのニャ」
幾多もの鮮血を浴びてきたのだと想起させる赤錆びた真鍮色の山のごとく巨大な体躯。
片方の目は縦に大きく抉られていながらも目蓋の下からは只ならぬ殺気が滲み出、開いている方の目からはほんの一瞥程度に視線が掠っただけだというのに心臓が握り潰されそうな程の威圧を感じた、当時の記憶を話しながらペルシアンはぶるりと身を震わせた。

「そんな一度見たら忘れられないようなキョーレツにアブなそーな奴だったから、ボクも気になっててニャ。それとなく行き先を調べていたのニャ。また偶然にでも鉢合わせたら嫌だからニャ。
アンタ、奴に相当な恨みがありそうなのは分かるけれど、ちょっと相手が悪すぎるんじゃないかニャ。……もしもボクがアンタや、特に例のお客と同じ立場だったとしたら、直接挑むような真似はしないニャ。やるなら、まず代わりの捨て駒を見繕ってから――」
「御託はいい。さっさと行き先を言え」
鋭い氷片が体すれすれを過ぎ去って木に突き立ったのを横目で見、ペルシアンは仕方なさそうに息を吐く。

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