第40章 - 3

「もう行くのか?俺はお前達を追い出させる程、不義理でも不人情でもない。別に何も力を貸さずとも、しばらく洋館に宿を貸しても良いのだぞ?」
「正体を明かしてしまった化生は、密やかに姿を消すのがおとぎ話の常。それに、長居をしてはいらぬ嫉妬にかられてしまうやもしれませんわ。蛇の絡む嫉妬は古来より恐ろし。どうか引き止めないで下さいまし」
「……そうか」
「いやですわねぇ、永劫の別れとも限りませんのに湿っぽい。空間は無形にして自在。いつかまた、必然か、偶然か、分かれた道が不意に繋がり交わることもありましょう。その時まで――」
優しい微笑みを残し、ミロカロスは空間の狭間に飛び込んで去った。

「……忘れぬ」
そっとボーマンダは俺に呟き、瞬きの間も無く忽然と巨体は消え去る。

部屋には俺とアブソル、それとキュウコンだけが残っていた。
「お前は残るのか?……まあ、別に構わぬが」
「すぐに行く。だが、最後に一つ、助言をやろうと思うてな。手出し無用を誓った身の上として、少々公正さを欠くことになるが、お前には借りがある」
「……何だ」
怪訝に思い、俺は尋ねる。返ってくる答えは見当もつかぬはずなのに、どういうわけか良くない胸騒ぎがし始めていた。
「”奴ら”は生きている」
キュウコンの言葉が耳に届いた瞬間、俺は胸騒ぎの理由を理解し、総毛立つ。
「そうだ。あの人工ポケモン――ミュウツーとお前達のコピー……奴らもあの崩落を逃れ、今も確実に現世に生き長らえている。弱者を淘汰し強者だけの世界を創る、その狂気の野望はそのままにな」


予感は常に晴れない暗雲のように心の片隅にあった。
あの強大な念動力を持つミュウツーが、洞窟の崩落だけでどうにかなるのか、と。
「奴らは、今どこにいるのだ?」
沸き立つ震えを堪え、俺は口を動かす。
「さあてな。件のお前達との争いに気を取られ、見失ってからはそのままだ。……もっとも、今からでも探ろうと思えば、探ることは出来よう。しかし、――」
「今すぐ教えろ」
勿体ぶった様子でこちらを流し見る態度に苛立ち、思わず食いかかるように俺は訊く。
キュウコンは不愉快そうに片眉を上げた。
「千里眼は神の領域の力ぞ。あれだけの大見得を切ったそばから、もう神に頼ろうというのか?その震えは何だ。よもや帝王となろうというものが、たかが人間の作ったものにまだ怯えているのではあるまいな」
はっとして、俺は掴みかかっていた銀色の胸元から手を放した。
「馬鹿者、これは武者震いだ。奴らとは自らの力でけりをつけねばと思っていた。生きていることを事前に知れただけで十分。これ以上、お前の力など借りるつもりは無い。」
跳ね除けるように俺は言い放つ。
「おお、そうかそうか。これはうっかり早とちりしてしまった。まあ、奴の異質な姿は隠れ通すにはいささか目立つ。お前のカントーの配下が余程の無能で無ければ、何かしらの手がかりを得ている頃合いやも知れぬな。……言いたいことは言った。これから世界がどちらに転ぼうと、もう私は知らぬこと。たとえ強者だけの世になろうとも、私であれば気にもかけず歩けよう」
ふふん、と憎らしく冷笑を投げかけ、銀狐は悠々と部屋の角の暗がりへと歩いていく。


「だが、私はどこを見ても鼻高々な輩共が肩を張り合って闊歩しているような世界よりも、小さな砂利共でも好き勝手転げまわれる余地がある世界の方が良い」
途中、尻尾を向けたまま、言い捨てるようにしてキュウコンは呟いた。
――まったく、こやつは……
「もう少し真っ直ぐになれればもっと生きやすいだろうにな。俺も、お前も。厄介なものだ。……激励に感謝する。必ず奴らの企みは止めてみせよう」
ふんと鼻を鳴らして、キュウコンは暗闇の中に滲んでいった。

その姿を見送りきった後、俺は支える糸が切れたように力が抜け、ごろんとその場に身を横たえた。
ろくに休む間もなく、また直ぐに発たなければならぬか。だが、これは己で選んだ道。
平穏、安息は許されない覇者の道。分かりきっている。弱音も、文句も、吐くことはせぬ。
ただ今は、今ばかりは束の間の休息を――。


翌朝。
意識が引き戻され、瞼を飛び起きるように上げると、覗き込む赤い瞳とばったり目が合った。
不意だったのか、白い毛並みを少しびくっと揺らしてから
「おはよう」
アブソルは何となく恥ずかしそうに言い、一歩退いた。
「ああ……、おはよう」
気だるさを堪えながらゆっくりと俺は上半身を起こす。どのくらいこうしていたのか。
固い床で寝ていたせいで、あちこち痛む。いつの間にか体に掛けられていたマントを拾い上げ、硬くなっていた全身を解き解すように伸びをして立ち上がった。
「ギラティナさん達、行っちゃった」
マントを羽織ろうとする横で、アブソルは独り言のようにそっと言った。
「何だ、起きて聞いていたのか?」
ううん、とアブソルは首を横に振るう。
「寝てたけれど、ギラティナさん達の声が聴こえた。ありがとう、今までお世話になりましたって。もうひとりのボクに言いにきたみたい」
例え一時いがみ合っても、神であっても、親と子か。
「寂しいか?」
「うん、少し。もうひとりのボクも全然平気なふりしてるけど、何だかちょっぴり元気ないかな」
「ふむ……」
別れの寂しさは、時が解決するほかあるまい。
「でも、平気」
そう思っていた矢先のアブソルの言葉に、「うん?」と俺は首を傾げる。
「みんなもいるし、それに――」
言い掛けて、どこかもじもじとアブソルは俺を見る。不思議に思って見返すと、アブソルは少し顔を赤らめて、あははと誤魔化すように笑った。
「とにかく、大丈夫だから。そうだ、それより、食堂でみんなが待ってるみたいだよ。大事な話をするんでしょ。一度ロズレイドさんが様子を見に来たんだけれど、ピカチュウがとっても疲れた様子で寝てたから、無理に起こさないで自分から目を覚ましたら伝えてって、先に起きてたボクに言ったんだ」
「……そうか、ならば急いで行くとしよう」


一階に降りると、食堂の外には数羽のヤミカラスが立ち、見張りをしていた。
俺達の姿を見ると、ヤミカラス達は無言で両脇に退いて道を開ける。
「ご苦労」
俺は一声掛けて、頭を下げて並ぶヤミカラス達の間を通り、食堂の入り口をくぐった。
あれだけ散らかっていた内部はすっかり綺麗に片され、だらけきっていたポケモン達も、整然と並ぶ席に各々座していた。
「おはようございます、ボス。よく寝られやしたか」
ドンカラスは頭の帽子のつばをひょいと片翼の先で持ち上げ、鋭い目を覗かせて言った。
「何か重要な話があると聞いて、大慌てで片しやした。ささ、まずはこちらへどうぞ」
「うむ」
勧められるまま俺とアブソルは上座に向かった。席につくと、ポケモン達の視線が集う。
俺は二つ隣のロズレイドに目配せし、頷いた。

俺達の話を聞き終えたポケモン達の反応は、ロズレイドの時と大体似たようなものだった。
「ははあ……。にわかにゃ信じられねえ話としかいいようがありやせんが……」
ドンカラスは昨晩ボーマンダに穴の開けられていた筈の壁に目を向ける。
「あれだけ派手にぶち破られていた筈の壁を、一晩の内に染みの模様まで直されて行かれちゃあ仕方ねえわな。ただもんじゃねえとは睨んでいたとはいえ、いやはや、まさか神さんとはねえ」
くはは、とドンカラスは半ば呆気にとられたように笑って、言った。


「ヒャハハ、例えハッタリでも、そこまで吹けりゃ大物には違いねーな。おもしれー奴らだったぜ」
どかりと机に足を乗せて氷の背もたれに寄りかかり、マニューラは不敵に笑う。
「くうう、最上の玉の輿に逃げられたってワケ……!」
「どーせオメーなんか相手にされてねえっつ――のごッ!」
せせら笑うオスニューラの顔面に、強烈な裏拳がめり込んだ。
「ギャヒー、神よりこえー!」

「ガハハ、あんなべっぴんと酒が酌み交わせるなら、正体が神だろうと悪魔だろうとどうでもいい」
「ふぅむ、ギンガ団の唱えていたことはあながち絵空事では無かったのだなぁ」
「ああ、あの白銀の足になら、また波乗りボードとして顔を踏まれてもいい……かも」
「お、おい……変な道に足を踏み外すな、帰って来いドーミラー……!」

「あーあ、こんなことならサインか足型を貰っておくべきだったお。」
「何か願い事をお祈りしておけば良かったキィ。」
「確か消えないうちに三回言わなきゃいけないんだぞ。」
「それは流れ星だポチャ……。」

――がやがやと、好き勝手に言って騒ぎ立つポケモン達。
奴らの正体を知って尚、恐れも忌避もせず、ちょっとした有名人に会ったかのような程度の態度とは、本当に重大さを分かっているのかいないのか。
どこまでも恐れ知らずなふてぶてしさ……流石は我が眼鏡に適った者達なり。
こうでなくては世界を牛耳る帝王の配下など勤まらぬというものだ。


「ま、ご覧の通りボスやあの姐さん方を責めたり非難したりする奴も特にいねえみたいなんで、この件に関しちゃこれでもう互いに後腐れ無しってことでいいですかい?」
「ああ。ずっと黙っていたことは悪かった」
「へ、もう言いっこなしでさあ。さて、折角シンオウ各地の主要な面子のほとんどが集ってんだ、何か他に仰せ付けることがありゃ今のうちに頼みやすぜ。宴会でも開くか、滅多なことがねえ限り、あっしが召集してもこいつらろくに集まりゃしねえもんで」
すぐにでもカントーへ再びの出立の準備をせねばなるまい。
まずは、シンオウの配下達にもミュウツーの脅威を伝えておく必要もあるだろう。

「カントーに現れた新たな脅威について聞いているか」
「ミミロップさん方から少し聞き及んでいやす。何でも、ミュウツーとか言うえげつねえ奴と、ボス達に丸っきりそっくりな奴らだったとか。でも、洞窟が崩れて生き埋めになっちまったんでしょう?」
「うむ、そのはずだった。だが、どうやら奴らは――」
言い終えぬ内に、洋館の外からヤミカラス達の騒ぎ立てる声が響く。
直後に轟く、鳥とも獣ともつかない甲高い雄叫び。強引に扉を蹴破るような音。
「何だお前は、と、止まれ!」
「うるせえうるせえ、雑魚に構ってる暇は無いんでえ!おれっちはとっても急いでんだぁ!」
食堂の外から見張りのヤミカラス達と、何者かが取っ組み合う音が聞こえてくる。
俺達は油断無く身構え、来たる襲撃者らしき音に備えた。身に纏わりつくヤミカラス達を物ともせず、食堂に飛び込んできたその姿は、体を石のような灰色の皮膚に覆われた翼竜――。

「プ、プテラ……?」
声を掛けると、翼竜はくるりと俺に振り向く。
「おお、おお!やっと会えたぜ電気ネズミの旦那ァッ!」


プテラは俺の姿を目に留めると、あっけらかんとした様子でぎゃーぎゃーと騒がしい声を上げた。
「お知り合いで?」
必死に取り押さえようとプテラにへばり付いているヤミカラスの一羽がぽかんとして尋ねる。
カントーの配下だと説明すると、ヤミカラス達はしがみ付いていた箇所を羽先でぱたぱたと丁重に払ってから、
「こ、こりゃどうも、失礼しました」
そそくさと食堂を出て行った。
「急いで旦那に会わにゃ何ねえっつってんのに邪魔してくれやがって。あんのカラ公共、客の持成し方ってやつがまるでなっちゃいねぇ。まったくよォ」
ふん、とプテラは鼻を鳴らす。

こんな見るからに厳つく危なそうな輩が息巻いた様子で突っ込んできたら、何が何でも止めようとするのは至極当然なことのような気もするが。
それはともかく、
「遠くカントーからご苦労であった。一体何があった?」
「おっと、うっかりしちまうとこだった。おれっちゃ白猫の旦那に言伝を頼まれて来たんでぇ」
白猫――ペルシアンの言伝と聞いて、すぐにぴんと来る。きっとミュウツー達の足取りに関することに違いない。
「だがその前に、お冷を一ついただけねえかい?大昔よりも陸地がばらんばらんに離れてやがって、ちょいと翼を休めるところが殆んどありゃしねぇ。さすがのおれっちも体クタクタの喉カラカラよ」
気が抜けた様子でへろへろとプテラはしゃがみ込む。
「……うむ、何か用意してやれ」


――「つまり、まだあいつが生きている可能性もある、と?」
大桶に顔を突っ込むようにして水をがぶがぶと飲み続けているプテラに、俺は確認する。
プテラがもたらした情報は、やはりミュウツー達の存命の痕跡を見つけたというものであった。
既にギラティナの忠告を受けていた俺はまだしも、ミミロップ達は緊張した様子で表情を少し強張らせて押し黙っている。
「へえ、白猫の旦那の見立てによりゃどうやらそうみてえで」
ざぶんと桶から顔を上げ、プテラは答えた。岩の肌を苦手な水に長く浸けすぎたせいなのか、その鼻先は薄っすらと白く染まっている。
へへ、いけねえ、とプテラはそれを翼でごしごしと拭い去った。
しかし、情報の中にはもう一つ。絶望の中の微かな希望となるものもあった。
俺達がカントーを去ってからしばらく経った後、薄桃色の猫に似たポケモン――レッドが連れていたエーフィのことだ――が、ハナダの近隣で瀕死に近い状態で倒れていたところを発見され、今もペルシアン達のもとで保護されているらしい。


「見つけたときゃそりゃもう口も利けねえ程に弱っちまってたが、白猫の旦那達の介抱で随分と持ち直してきてるみてえだ。今頃、意識もはっきりして奴らの逃げ先やら色々と新しい話を聞き出せているとこじゃあねえかな」
あの時、最後までレッドとともに残っていたエーフィが生きていたのなら、他の者達も、レッドだってまだどこかで生き延びているかもしれない。
胸の奥が微かな期待に熱く疼くのを感じる。
仮にもトレーナーの頂点と、そのポケモン達。共にした時間は僅かだったが、そう簡単にくたばるような奴らには見えなかった。
 ……生きていてもらわなければ困る。あやつは俺が認めた数少ない人間の一人。
返さなければならない大きな借りがある。
「おれっちが伝えられることはこれで終いでえ。後は不躾でわりいが電気ネズミの旦那達にもなるべく早くカントーまで出向いてもらって、直接見聞きしてもらいてえ」
「ああ、言われずともそのつもりだった。すぐにでも発つ準備をする。いいな?」
俺は配下達を、特にミミロップ達を確認するように見やる。ミミロップ達は決意したように表情を引き締め、頷きを返す。
「足の方は任せて下せえ。フローゼルどもにホエルオーを出す用意をさせやす」
言って、ドンカラスは下座にいる薄茶色の被毛をした鼬のようなポケモン達に目配する。
へいへい、とその中で最も体格の大きな一匹が面倒くさそうに返事をした。
「それにしても、自分達と瓜二つの敵とはまた厄介だなぁ……。もしも味方の振りして陣中に潜り込まれて寝首を掻かれでもしちゃたまんねえ。ここは一つ、合言葉か何かでも決めておいた方がいいかもしれやせんね」
「ふうむ、合言葉か……」
確かに俺達とそのコピーどもとは体表の模様などに若干の違いはあったが、本物と並んで見比べられるような状況でも無ければ見分けは中々難しいかもしれない。
コピーどもも紛れ込もうと思えば、そうした差異を卑劣に隠してくるだろう。用心して予め対策しておくに越したことは無い。
「深く考えねえでも、合言葉なんて適当なもんでいいんですぜ。例えば一人が”山”と言ったらもう一人は”川”と答えるとか。まあ、こりゃあちこちで使われすぎてて、敵さんにもバレバレってもんですが。そうだな、何かいいのねえのか、オメぇら?」

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