第39章 - 8

迫る境界、広がる光。
突き出した掌から伸びる紫電が境界面を覆う空間の層を鋭い鉤爪の如く引き裂き、尚一層強く吹き上がる風と共に俺は飛び出した。

「アブソル! アルセウス! 我が友よ!」

最早我が前を阻むもの無し。全身全霊の叫びは吹き荒ぶ風の音すら凌駕し押し退ける。
上空の光がびくりとして動きを止めた。
そして油の切れたブリキ人形のように、親に縋る幼子のように、ゆっくりとぎこちなくこちらを見下ろす。
「そうだ、こっちを見よ!俺は生きている!」
顔から涙のような粒子を滴らせながら、何か大切なことを思い出したげに首を傾げるアルセウスの形をした光に、アブソルに俺は見せ付けるように堂々と胸を張って更に声を張り上げた。
「死神の毒気を以ってしても、帝王の血を絶やせはしなかった!我が魂は不滅、もう二度と決してお前を独りになどしない!例え逃れえぬ天命尽きる時が来ようとも、我が魂、誇りある血を受け継ぐ者達がお前を見守り続けるだろう。……だから下りて来い!帰ろう、俺と共に!」

俺は両手を広げて構える。不器用な俺に出来る精一杯の言葉。まだあいつほど巧くはやれない。それでも、全力でぶつけた。
受け継いだ魂、稲光の如く気高く輝く精神から紡ぎだされるものを。
アブソルを包む光に、ぴしぴしと亀裂が入っていく。流れ伝う二筋の冷たい煌きはもう止んでいた。
俺は崩れ行く光に駆け出し、思い切り地を蹴る。領域の垣根を超えて成長した大樹が手を広げるように枝を伸ばした。
同時、卵の殻を破るように光は脱ぎ捨てられ、中から白い姿が飛び出す。俺はしっかりと宙でその姿を受け止め、一緒に枝と葉のクッションの上に着地した。
「ピカチュウ、ピカチュウ――!」
飛びつかれるように前足に抱き寄せられ、ぼふん、と俺は厚い毛並みにうずまる。
身を捩って白い毛の海から頭を上げると、赤い瞳に涙を一杯に溜めた黒い顔が迎えた。
温かな雫をぽたぽたと顔に受けながら、俺はアブソルの首の辺りをぽんぽんと優しく宥め叩く。
自然と口元が柔らかに綻ぶのを感じた。


「見たでしょう、ギラティナ。我らにすら止められなかった崩壊の危機を、元はただのピカチュウが三度。生死さえ越えて防いだ……」
身を地に横たえたままパルキアは大樹を見上げ、みしみしと軋みながらかすれた声を漏らす。
「最早我らの差し出す手など必要ない。世界はもう立派に一人で立ち上がり、自らの足で歩んでいる」
白金の影は枝の上の二匹を見やり、何も答えずただ静かに揺らめいた。

ひとしきり再会を喜び合った後、俺は下に倒れているパルキアとギラティナの姿を見つけ、アブソルと顔を見合わせて頷いた。
不安を浮かべるアブソルを「大丈夫だ」と撫で、共に大樹を下りる。

「良くぞご無事で」
駆け寄る俺達に、パルキアはふらふらと起き上がり、首を下げ跪く。
ギラティナは深く目を閉じ、判決を待つ罪人の如く全てを諦めたようにじっと佇んでいた。
アブソルはそれを憂いを帯びた複雑な面持ちで見つめる。
「貴様らの勝ちだ。最早私に目的を果たす力は残されておらぬ。どのような罰であろうと受けよう」


確かにギラティナの行いは行き過ぎたものだったかもしれない。
しかし、何故ここまで己さえも投げ打って世界に尽くそうとした?
「創造主への反逆、他領域への侵略、略奪行為、許しがたい蛮行である。極刑も已む無しと私は判断します」
思い悩む俺を前に、冷徹にパルキアはギラティナに言い放つ。
「私は一向に構わぬ。世界の維持を、役目を否定された今、もう私に存在する理由は……見つけられない」

そうか。こやつ自身もまた世界と同じ――親を、アルセウスを否定しながらも、その引く手、かつて生み出された時に課された役目を無くせば碌に歩めぬ、道迷う幼子――!

「ふむ、潔いですね。神族である誼みと、その意気に免じ、せめて苦しまぬよう中枢を一太刀で――」
「ま、待って!」
俺よりも早く、アブソルが声を上げた。


「危険です。お離れください」
踏み出すアブソルの前をそっと尾で遮り、輝き唸る爪をギラティナに構えたままパルキアは言った。
アブソルは怯まず、立ち塞がる大きな尾をかりかりと引っ掻く。
「どけて。話したいことがあるから。お願い」
一拍の沈黙の後、パルキアは静かに尾を上に退けた。
その下をくぐる前、不意にアブソルは俺の方を振り向く。じっと俺はその目を見返す。
思いは同じ。頷き合い、再び歩み出す後ろ姿を俺は見守った。
暗く沈んだ眼孔に光が灯り、ギラティナは己に歩み寄る姿を見やる。
パルキアは視線と爪の輝きをより一層研ぎ澄まし、油断なくギラティナに睨みを利かせた。
「恨んでおろうな。どのような言の葉をいくら紡ごうとも、許されるとは思わぬ」
重々しく口を開くギラティナを前に、アブソルは足を揃えて座る。

「……うん、許せない」
「ああ、そうだろう。ならば悪竜は剣に裂かれ、消え去るのみ。さあ、離れるがよい」
自嘲するようにギラティナは口端を歪めた。アブソルは首を横に振るう。
「あのままピカチュウが消えちゃったら、きっと許せなかったと思う。でも、もうひとりのボクにも責任があったんだって、分かったから。だから……その、ごめんなさい」
目を見張るギラティナに、アブソルは続けた。
「怒って頭の中がぐるぐるになってから、少し混ぜこぜになっちゃって、もうひとりのボクを、アルセウスさんを近くに感じるようになったんだ。それでよく分かったから。もうひとりのボクはとってもわがままで、素直じゃなくて、不器用だって」
あはは、とアブソルは自分で苦笑する。


「そんなだから、うまく伝えられなくて……。今回のことだってそう。きっともうひとりのボクは、自分だけじゃなくてギラティナさん達を自由にしてあげたかったんだと思う。ぶっきらぼうだから、今度もまた何もかも放り捨てちゃったみたいに見えても仕方ないけど……」
後ろ足で立ち上がり、アブソルはぱたぱたと前足を大きく広げて身振り手振り、一生懸命に何かを伝えようとする。
「世界ってね、こんなに大きくて、すごく綺麗で、辛いことも同じくらいあるけれど、とっても楽しいんだよ。空の上とか、裏側からとか、時間の隙間からお仕事で覗いて見るだけじゃ物足りないし、見逃しちゃう。だから、ギラティナさん達にも実際に見て、何にも邪魔されずに歩いて、感じて欲しかったんだと思うん、だ――うわわ」
後ろ足のバランスを崩し、よろめくアブソルにすかさず俺は駆け寄って支えた。
「まったく、四足歩行が無理をするでない」
「ごめん、ありがと」
体勢を直して気恥ずかしそうに礼を言うアブソルから手を離し、俺は沈黙するギラティナを見上げる。
「……子はやがて成長し、親の手を離れ己の足で歩んでいく。頼りなげだといつまでも繋いでいては、思わぬ力に互いに振り回されて、かえって邪魔にすらなりうる。もう世界は少しくらいよろけようと、俺が、俺だけじゃない世界に生きる者達一人ひとりが支え、起き上がれる。起き上がらせて見せる。次はお前の番だぞ、ギラティナ。最早、枷は無い。恐れずに歩んでみせよ、新たな道を」


こくり、とアブソルが頷く。
「お願い、ギラティナさん。消えるなんて言わないで。パルキアさんも、どうか許してあげて」
ふ、とギラティナは全身の力が抜けたように息をつく。それを見て、少し口惜しげにパルキアも爪を退いた。
「アルセウス……果ての果てまで意が読めぬ、どこまでも身勝手な奴よ。ほとほと心の底から愛想が枯れ尽きたわ。そんな奴に与えられた役目になど縋っていたのがとても馬鹿馬鹿しくなった。もう勝手にするがいい。私は私で現世を好きに生きさせてもらう……それでよいのだな?」
「うん……さすが、素直じゃないとこがよく似てるみたい」
くすくすと笑うアブソルに、ギラティナは鼻を鳴らして顔を背けた。
こうして、壮大な神々の家族喧嘩に一応の決着がついた。後は無事に帰るだけ――

「さて、後はピカチュウ。禁忌を犯した者への処遇についてですが」
――とは、いかないかもしれない。


じりじり詰め寄る巨影。俺は撫で下ろしかけていた肩を強張らせ、冷や汗と共に顔を上げた。
見透かすように向けられた鋭く輝く目に、堪らずひくひくと口端が引き攣る。
あわよくばこのままお目溢しにあずかれるやもと頭の片隅で目論んでいたが、やはり生死の道理を捻じ曲げるなど、とても見逃しがたい禁忌なのだろう。
あれだけ堂々と復活を見せ付けておいて、今更隠すことも出来まい。
「う、むむ……だが、俺があんな目にあったのも、お前とギラティナの不手際に巻き込まれたのが原因ではないか。それにもしも俺が蘇らなければお前達も危うかったのだろう。感謝されてもよいくらいだ」
精一杯に胸を張って言い放つが、我ながら何とも苦しい言い逃れだ。

「ごもっとも」
たった一言と共に、あっさりとパルキアは引き下がった。呆気にとられる俺を見て、パルキアは口元に大きく弧を描く。
「からかってみただけです。生と死のことなど元から私の管轄外ですし、つい先程に厳密に管理しようとする者もいなくなったばかりではありませんか。誰があなたを罰することが出来ましょうか、ねえ?」
当て付けるようにパルキアは横目でギラティナを見やる。
「……勝手にしろと既に言った筈だ」
苦虫を噛み潰したようにギラティナはわなわなと顎を震わせたが、すぐに諦めて吐き捨てるように言った。


改めて安堵の息をつく俺に、よかったねとアブソルが笑いかける。
ああ、と俺は慣れない微笑みを返した。
そんな俺達をどこか優しげに見つめる眼差し。直ぐに気付き、俺は慌てて緩んだ顔を引き締めてそちらを見上げた。
ふ、と微かに笑った後、パルキアは真剣な眼で俺を射抜くように見つめる。
「託しましたよ」
簡潔ながら力の籠もった言葉。
「うむ」
真っ直ぐに見返し、応えた。
深く噛み締めるようにパルキアは目を閉じ、頭を下げて礼をする。

「感謝いたします。世界が我らの手を巣立ったと同時に、我ら――私も解放された。創られてより過ごした永劫ともいえる月日の中で、たった今初めて生を受けることが出来た……そんな気さえします。世界には様々な変化が緩やかながらも徐々に確実に訪れていくでしょう。そして、変化に伴なう困難も。しかし、あなたなら、あなた達ならば必ずや乗り越えていける……確信しております」

パルキアは俺達の目の前に空間を斬り開き、別の空間へ通じる入り口を繋ぐ。
水面のように光が揺らぐその先に垣間見えるのは鬱蒼と生い茂る木々と、奥にひっそりと佇む見慣れた、だがすごく懐かしい――古ぼけた洋館。

シンオウ編 第2部 はここで完結です。次のページからは『ジョウト編/過去編』となります。

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