第39章 - 6

「準備はよろしいですか?」
宝玉を取り戻し、溢れんばかりの力を全身から滾らせながらパルキアは問う。
「ああ」
マントを羽織り直し、俺は身と心を構えた。
不安と気概に胸が鳴る――『グゥー』……――以上に、堂々と高鳴りを告げる異音。
パルキアも空間を破ろうと振り上げた手を止め、きょとんと目を丸めて、俺を見下ろしてくる。
「ずっと何も食べていない……のでしょうね」
呆れたように冷静に指摘され、顔が燃え上がりそうに熱く感じる。
「問題ない。構わずに、早くギラティナの下へ向かってくれ」
顔を背け、腹を捻る。そういえば、いつからまともにものを口にしていないだろうか。
だが、こんな時に余計な茶々を入れずとも良かろうに……。自分の体を、ひどく恨めしく感じた。
「恥じずとも。真っ当に生きてらっしゃる証です。どれ、少し拝借――」
パルキアは片手を空間の断面に突っ込み、がさがさと中を探りだす。
連動するように、森の一部がみしみしと揺れた。
「これを召し上がりませ。味は保障いたしかねますが、恐らく毒は無いでしょう」
そう言ってパルキアは断面の奥からずるりと大きな木の枝を取り出す。
枝の先には、幾つかの見知らぬ赤い実が実っていた。


「遠慮なさらず。腹が減っては何とやら。あなたにも大役があるのですから」
「む……」
葛藤はあったが、誘惑には勝てずに木の実の一つを取って、噛り付いた。
――美味い。皮は硬いが、中身はクリームのように甘く、とろけるようだ。
目が覚めたようになって思わず残りも全てもぎ取り、両手一杯に抱える。
「おや、小さな体で、随分とお食べになるのですね」
「違う。もう一匹、俺以上に腹を空かせている奴が居るはず。俺はもう十分だ、いち早く向かってやってくれ」
待っていろ、アブソル。実を全て道具袋に押し込み、気を引き締めた。
「……そうですね。想いが無駄にならぬうちに――いざ」
空間を裂き、異空間に入ると、ギラティナの下へ至る黒く封ぜられた入り口を呼び寄せる。
咆哮と共に両肩に埋まる結晶が強く輝き、薄桃色の光が全身を護るように包むと、勢いをつけ、迷いも無く闇の口へと飛び込んだ。


潔癖な輝きは穢れを一切寄せず、影は光の表面に沿って滑やかにさけていく。
最後の一層が破れ視界が開けた途端、前方から取り囲むように黒い尾を引きながら襲い来る赤い棘。
「待ち伏せです、振り落とされぬよう!」
パルキアは急激に速度を上げ、俺はその手の内に張り付くように掴まって体にかかる強烈な重力を耐え忍んだ。
身を翻して間一髪の所をすり抜けると、そのままパルキアは攻撃の大本である長大な白金の竜、ギラティナに向けて渾身の雄叫びと共に降下を仕掛ける。
身の芯まで揺るがされるような衝撃。凄まじい力の波がぶつかり合い、激流のような飛沫が迸った。
二柱は互いに弾かれるように身を離し、体勢を整え睨み合う。

「あなたの企みもここまでです、ギラティナ。主の御体と宝玉を返し、投降しろ」
「貴様も力を取り戻したか、パルキア。だが、それも無意味よ。もう止められん」
言って、ギラティナは俺の方を見やる。
「そやつに脅されでもして無理矢理連れて来られたか。難儀であったな、ピカチュウ。さあ私に腕輪を渡すが良い。重荷を代わろう」
またギラティナの声は甘く優しく、慈愛に満ちているように響いた。だが――もう惑わされん!
「見縊るな。今ここに俺がいるのは、俺自身の意思だ。この程度、いずれ世界の覇者となる俺には重荷ですらない。お前などに代わってもらう必要など皆無!アブソルを返せ!」

「……豪儀なことだ。だが、肝心の助けられる側の意思はどうであろうな」
暫しの緊迫した沈黙の後、ギラティナは意味深げに呟く。
「どういう意味だ?」
ギラティナは何も答えず、傍らの床に影の門を広げた。そして、その中から現れる、見覚え有る白い姿。
「アブソル!」
「ピカチュウ……」
俺の声に応えるその声色は、威厳や尊大さなど微塵も無い、純粋な、子どもらしいものだ。
――良かった、無事に目を覚ましていた!
思わずパルキアの手の内から飛び降り、様々な感情を胸に俺は駆け寄る。だが――
「来ないで!」
次にその口から飛び出したのは、拒絶だった。


一体どうしたというのだ。いつもであれば、むこうの方から飛び込んでくるくらいだというのに。
ああ、そうか。心配するあまり、勢い良く駆け寄りすぎたのかもしれない。俺は客観的に自分の今の見てくれを考える。
全身の毛に砂や埃が絡み付き、いつの間にか出来ていた擦り傷に汚れて、ドブに住むネズミのようにぼろぼろだ。
驚かせてしまっても無理はない。
「落ち着け、アブソル。俺はお前を助けに来たのだぞ。さあ、来い」
戸惑いを隠し、優しく語りかけながら俺はアブソルにゆっくりと歩み寄る。
しかしアブソルは顔を俯かせたまま首を横にぶんぶんと振るい、後ずさって離れた。
「ううむ。では、一匹でこんなところに置いていったのを怒っているのか?安心しろ、もう二度とお前を独りにしたりはしない。だから、機嫌を直してくれないか」

「――つき」
ぽつり、呟きと、雫が凍える床を打った。
「ん?今、何と言った」
「嘘つき、ピカチュウは嘘つきだ!」
涙を目一杯にため、アブソルは叫ぶ。
ええい、何故こんなにも癇癪を起こしている。子どもはよく分からん。
「いい加減にしろ。俺はお前に嘘などつかん!」
聞き分けの悪さについつい苛立ち、少し声を荒げて言ってしまう。
アブソルは少しびくりとしたものの、直ぐに俺をきっと睨み返した。


「それが、嘘だよ。ピカチュウはずっと黙って、隠してた!ボクは知ってる……知っちゃたんだ。またすぐにボクは置いていかれるよ。それはピカチュウにだけじゃない。みんなみんな、絶対にボクより先にいなくなって、ずっとボクは独り取り残されるんだ!だってボクの体はピカチュウやみんなと違って、普通の体じゃない。アルセウスさんが、神様が、ボクの中には眠ってるんだ」
俺は返す言葉を見失った。知られてしまった。あまりに大きく残酷な、神と、ただのポケモンの差。
だが、考えぬよう、気付かぬように避けていた。

「もうよかろう。分かったはずだ」
見かねた様子で触手を伸ばすギラティナを、パルキアは体をぶつけて引き離す。
「まだですよ。あなたには私の領域を散々に荒らしてくれた礼も済ませていないことですしね」
「邪魔をするな……!」
ギラティナは組み付くパルキアを跳ね除け、どす黒い息吹を吹きつけた。
咄嗟にパルキアは目の前の空間を裂き、自分ではなく息吹を異空間に飛ばして防ぎにかかる。
だが、少し遅く、飲み込みきれなかった分が腕を僅かに掠り、白い腕甲の表面が爆ぜるように散って抉れた。
それでも少しも怯むことなく、パルキアは再びギラティナに向かっていく。その間際、俺に一瞬目配せをした。
分かっている。いつかは向かい合わねばならないことだ。少し前倒しになっただけで、逃げはしない。


繰り返す衝撃音と揺らぐ天地。荒々しい竜の血の性を剥き出しにぶつかり合う、二つの天変地異。
その下で、俺は涙で震える真っ赤な瞳をぶれることなく見返す。
「もうやめて……!ボクが消えればいいんだ。ボクのせいで誰かが危ない目にあうのはもう嫌だよ。ピジョンさんだって、ボクさえいなければ……」
ピジョン――俺が救えなかったものの一つだ。アブソルを守って翼に傷を負い、飛び立てなかったあいつは、最後に俺をも助け、噴火するグレン島に一羽残った。
目の前にいながら、一度掴んでおきながら、救い上げることが出来なかった。
自分を庇ったせいだと、アブソルの心にも重く圧し掛かっていたことだろう。

「ピジョンの事は、誠に残念であった。俺自身、悔いても悔い切れん。だが、あいつは残る俺達を思い悩ませ苦しませる為に助けたわけではないはずだ!よいか、アブソル。確かに、俺もお前よりずっとずっと早く、肉体が朽ち果てる時が来るだろう。しかし……」
全てを伝えきれない内に、上空から響く絶叫のような咆哮が俺の言葉を掻き消す。
見上げると、斬れ飛ばされた巨大な黒い触手の一本が、俺達の方へと落ちてきていた。
パルキアもすぐに気付き、こちらに向かってこようとする。が、ギラティナに喰らいつかれ、間に合わない。
咄嗟に俺はアブソルに体当たりし、突き飛ばす。

異様な程、時間がゆっくり流れて感じる。触手は既に頭上すれすれにまで迫ってきている。
もう俺が避けるている間は無い。でも、不思議と恐怖は無い。アブソルだけはどうにか逃がせた、な。
直後、視界が、全身が、生温い闇にざぶんと沈んだ。


「あ、あ……」
潰れ広がった触手の残骸のほとりで、泥沼のように床で揺らめく真っ黒な表面をアブソルは茫然自失として見つめた。
虚ろな目を彷徨うように巡らせて探し求めても、そこに黄色い姿は跡形も無い。

まただ、またボクを守って、今度は、今度はピカチュウが……!

一番なくすのが怖かった、最初に出来た最も大切な友達。
それが目の前で、自分を庇って消え去ってしまった。弱りきっていた幼い精神を砕くには十二分過ぎる衝撃だった。

最早言葉にならない悲痛な慟哭が、アブソルの喉を張り裂けんばかりに駆け上る。
ギラティナとパルキアは目を見張って争いを中断し、素早く体を離した。
だが、天と地の揺らぎは収まらない。
天地は泣き震えていた。響き渡る絶望の叫びに、一緒になって泣き叫んでいた。

――辛い、苦しい。なんで、誰が、こんな、こんな……。
ふらりと動いた視界に、自分を見おろす二匹の竜の姿が映る。
――そうだ、あいつら。あいつらの戦いに巻き込まれたせいで、大切な、大切な……!
許さない、許さない、許さない、許さない、許せぬ、許せぬ、許せぬ。
流れ続ける涙が光の粒子に変わり、激情に震える体を這い進んでいく。
やがて光は全身をすっぽりと包み、先の尖った長い四肢をもつ馬に似た形状で固まった。


「目覚めて……しまわれたのですか……」
巨体を子どものように怯え震わせ、嘆くようにパルキアが呟く。
「いや、完全には目覚めてはいない。おぼろげな半覚醒の意識の中、幼子の激しい感情に同調して力を与えている」
呼吸を張り詰めさせてギラティナは答える。
「ええい、貴様らが腕輪をおとなしく渡しておれば、かようなことには!」
「あなたの独断が最もたる原因でしょう!」
言い争う二匹の間を、凄まじい勢いの光弾が過ぎ去る。
「……我らが争う時ではない。怒りに任されるままに暴れられては世界が危うい。どうにか隙をつき、腕輪だけでも底から掬い上げて暴走を止めねば――」
アルセウスを思わせる形をした光は、後ろ足で地を蹴ってふわりと浮き上がる。

『”消えちゃえ!””滅せよ!”』

二重に響く咆哮を上げ、光はギラティナとパルキアに向かって加速する。
顔から零れ続ける光の粒子が、宙に二本の帯を引いて残した。


「――もうこんな野蛮なことはしない。剣もいらない。だから許して欲しい」
日もすっかり沈み、コロボーシ達の奏でる木琴のような音色だけが外から染み渡ってくる穏やかな洋館。
食堂ではロズレイドが本を広げ、ポケモンの言葉に解読しながら子どもに読み聞かせるようにゆっくりと声に出して読み進めている。
「若者は剣を地面に叩きつけて折ってみせた。ポケモンはそれを見ると……」
その途中、茶菓子の陣が敷かれたテーブルの向かい側、長い耳を枕にだらしなく突っ伏して寝息を立てている姿をちらりと見やる。
ロズレイドは溜息一つして、切りの良い所まで黙読し、葉っぱを一枚栞代わりに挟んでから静かに本を畳んだ。
まったく、この本を代わりに読んで聞かせて欲しいと言い出したのは、一体どこの誰だったか。
『シンオウの神話・伝説』と書かれた表紙と居眠りするミミロップを交互に見て、ロズレイドはもう一度深く息を吐いた。

洋館で再会してから一度、自分達の帰還とお化け騒ぎが治まったことをドンカラスに報告するため、トバリに足を運んでいた。
ピカチュウを信じて洋館で待つ。
そう気丈に振舞っていたミミロップだが、心配の種の地が近くにあるとなれば、足があの不気味な泉と畔の洞窟へ通じる道を何気なく探しに向かってしまうのは、仕方のないことだろう。
報告の終わった帰り道、ロズレイドもミミロップの調査に付き合った。
しかし、やはり泉に繋がるような道は見つかることは無く、トバリの近隣に生息するポケモン達に聞いてみても、全く存在すら知らないか、熱で意識が朦朧としている時に一度見た等という信憑性の薄い情報しか得られなかった。


後はもう人間の知識に縋るしかないと、洋館に残されている本をトバリに関するものに絞って漁ってみても結果はほぼ同様で、遂に行き当たったのが先程まで読んでいたシンオウ神話のトバリの項だ。
神話や伝説など、大部分が人間の考えた空想の話であるとロズレイドも思っている。
例え事実が紛れていたとしてもそれは元が分からない程に大きく装飾され、熱に浮かされた妄言のように不確かなものと化しているだろう。

ただ物語として読むには面白いけれど、そこから真実だけを抽出して必要な答えを導き出すなんて、僕じゃあ無理だ。
『生と死の混じる場所』、『清められたポケモンの骨が流れ着き、肉を付けて戻ってくる地』
泉と洞窟を示すらしき話も幾つか見受けていたが、徒らに不安を煽るだけだろうとミミロップには読み聞かせないでいた。
……今日はそろそろ休もう。ミミロップさんも起こさなきゃ。こんな所でこのまま寝たら、風邪を引いてしまう。
ロズレイドが席を立とうとすると同時、ミミロップが机から飛び起きるように頭を上げた。
その顔にはじわりと汗が滲み、どこか怯えたような表情をしている。

「どうなさいました?」
「わ、分かんない。けど、急にすごく不安になって。今、何だかピカチュウがどこか、手の届かないところに行っちゃったような気がして。今もそうなんだけど、それとも違う、もっともっと遠い、二度と手の届かないような――」
息を荒げ、震えながらミミロップは答える。直後に、食堂がみしみしと揺れた。
二匹は突然の地震にびくりと動きを止め、揺れ動く電球を見張る。

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