第38章 - 2

「はあ……」
一匹でとぼとぼと歩きながら、ロゼリアはため息をつく。
どんなに頑張って走っても、いつまで経とうがニューラ達の姿はおろか、つけていったであろう足跡にさえ追い付くことが出来ない。
時間が経つにつれて雪が降り積もるにしても、吹雪いているわけでもないのに、そんなに早く足跡が埋もれるものだろうか。そんなはずはない。
ようやくロゼリアは冷静に返って立ち止まり、自分がはめられたことに気付く。
あの北へ向かうというサインがあった場所から足跡が急に途切れているなんて、よくよく考えればあまりに不自然すぎる。
きっと石を盗ったあのニューラが足跡を掻き消し、おそらくサインにも細工をしていったに違いない。もっと疑ってかかるべきだったと後悔しても、もう遅すぎた。
今更サインの所まで戻れたとしても、もはや足取りは掴めないだろう。
それどころか自分一匹だけではそこからニューラ達の巣穴まで帰れるかも怪しく、遭難してしまいかねない。
あまりの八方塞がりの状況。絶望に打ちひしがれるロゼリアだったが、ふと視界のずっと先で、もうもうと上がっている雪煙を捉える。
初めはただ風によるものなのだろうと、ロゼリアは気にも止めなかった。
しかし、こちらへ徐々にそれが近づいてくるにつれ、雪煙は何か茶色い何匹もの物体が、豪快に雪を掻き分けて進んでいるために上がっているのだと気付く。
そして、その茶色の群れを俊敏に追う、見覚えのある黒い影達。
「あれは――!」


影の正体は数匹のニューラ達だと、ロゼリアは茶色の群れの合間から垣間見て確認した。
全身を茶色の剛毛で分厚く覆われた大小様々な生物達は、彼等に追い立てられて一心不乱に逃げているようだ。
あの毛むくじゃら達がイノムーとウリムーなのか。出発前に聞かされていた獲物の特徴を頭の中で照らし合わせ、ロゼリアは判断する。
見当外れの方向へ進まされていたはずが、偶々ニューラ達の獲物を追うルートに交わっていたようだ。
本来であれば、この偶然をロゼリアは神に感謝していたところであろう。

………猛然と走るイノムーの群れが、真っすぐ自分の方へと向かってきていなければ。
「うわあぁ!」
たまらず悲鳴を上げ、ロゼリアは背中を向けて逃げ出した。
あんな雪崩のごとく暴走する群れに巻き込まれたが最期、ロゼリアなどあっという間に押し花のようにぺちゃんこにされてしまう。
しかし、やはりロゼリアの足では逃げ切れるはずも無く、イノムーの群れとの距離は徐々に徐々に詰まっていった。
ニューラ達は誰も僕が居ることに気付いていないのだろうか。
それともこのまま見殺しにするつもりなのか。そんな考えが頭に過る中、ロゼリアは焦りと疲労に足をもつれさせ、とうとう転んでしまう。
振り返ると、すぐそこにまで牙を振り上げて迫ってきている、イノムーの巨体。
――もうダメだ。
あわや踏み潰されようとしたその刹那。視界を掠める一陣の漆黒。ロゼリアの体はひょいと持ち上げられ、ぐんぐんとイノムーを引き離していく。

「ヒャハ、ギリギリセーフ!何だオメー、まさか先回りしてやがったのかよ?へへ、やるじゃねーか」
ロゼリアを横に抱えて駆けながら、マニューラはにんまりと笑った。


助かったんだ。右腕の中で揺られながら、ロゼリアの心を安堵が包んだ。が、すぐに失意の感情が沸き上がってきて、それを覆す。
――いや、違う。『助けられた』んだ、また。
期待に応えるつもりだったというのに、またマニューラの手を煩わせてしまった。
「ありがとうございます。すみません、僕はまた……」
震える声でロゼリアは礼を呟いた。
ピカチュウ達との旅の始まりも、助けられた事がきっかけであったと、ロゼリアは思い返す。
ヤミカラス達に因縁をつけられて怯え震えていた僕を、ピカチュウさんはまるでヒーローのように現われて――打算的な理由とはいえ――救ってくれたんだ。
恩に報いようとお供を続けては来たけれど、果たして役に立っていたのだろうか。
思えば、その旅中でも自分は助けられてばかりだったような気がしてくる。
危険が迫り急いで逃げ延びなければ行けない時は、足の遅い自分はいつもこんな風にミミロップさんに抱えてもらわなければいけなかったっけ。
誰かのフォローが無ければ何一つ満足にできない。あのキュウコンの言っていた通り、足手纏いと切り捨てられても仕方がないのかもしれない。
「おい、何をぼーっとしてんだよ」
「え、あ――ごめんなさい!」
現実に引き戻され、ロゼリアは慌てて顔を見上げて取り繕った。
「寝呆けてる暇はねーぞ。お楽しみはまだこれから――」
言葉の途中で、不意にマニューラの表情が痛みを堪えるように一瞬歪んだ。
自分を抱えてくれている腕とは反対側から、ポタポタと雪面に滴れて点々と続いている赤い染みにロゼリアは気付く。
不審に思ってマニューラの体をよくよく見てみると、左腕の肩から肘辺りまでの毛並みが赤黒く湿っていた。


「マ、マニューラさん、その怪我……!」
喫驚して、ロゼリアは声を上げる。
「さっきあのウスノロ共の牙にちょこっと引っ掛けただけだ。どうってことねーよ」
何でもない風にマニューラは言う。だが、その顔には薄らと痛みによる脂汗が滲んでいた。
――僕のせいだ!
手を煩わせた上に、怪我までさせてしまった。最悪の足手纏いだとロゼリアは益々自分を責める。
「ごめんなさい、ごめんなさい!僕が、僕みたいな足手纏いが――!」
「だー、うるせえ!どうってことねーつってんだろ!」
マニューラはそう叫んでロゼリアの言葉を遮ると、自分の傷口に息を吹き掛けて凍らせ、強引に止血した。
「ったく、一々一々うじうじうじうじするんじゃねーよ!オメーはあのネズミ共と戦いと野望に満ちた、危機一杯の楽しい旅に今まで生き残ってきたんだろが。少しゃ自信もったらどーだってんだ」
「で、でもそれは僕の力では無く――」
「本当のグズ野郎だったら、そんなクソッタレな旅から逃げずに食い付いていける根性はねえ。怖ぇ相手にテメーから立ち向かう姿勢を一瞬だけでも見せる気概さえねえ。このオレ様が買ってんだ、誰にも文句は言わせねえ。勿論オメーにもな」
はっとしてロゼリアは弱音を飲み込む。蹴り付けられるような乱暴な言葉だったが、心は大きく揺さ振られた。


「ふん。とにかく、今は生き残ることを考えねーとな。今、オレ達ゃ割とピンチって奴なんだぜ。あのウスノロ共は目も頭も悪いが、鼻と耳だけはいいんだ。血の臭いを嗅ぎつけてオレを狙ってくる。お前の匂いもオレ達の仲間と思って狙われるだろうな、弱ぇーし下手すりゃ真っ先に」
イノムーの群れは弱った個体を狙ってニューラ達の包囲網を突破しようと、毛並みを逆立てて一斉にマニューラ達に向かってきていた。
更に加えて、右腕はロゼリアを抱え、左腕は怪我を負い、最大の攻撃手段をマニューラは失っている。
「ぞくぞくするなぁ。こんなヤバいのは久しぶりだぜ。どうすっかねえ、ヒャハハ」
そんな危機にありながら、マニューラは楽しむように笑った。
逃げる気も負ける気も微塵も無いんだ、とロゼリアは悟る。怪我をした左腕を無理に使ってでもマニューラは戦おうとするだろう。そんなことをすれば傷口が開き、もっと広がってしまうかもしれない。
「僕が戦います」
「はあ?確かにオメーにゃ初めは後で適当にウリムーの相手でもさせようと思っていたがよ。いくらなんでもまだイノムーの群れの相手なんて無理だぜ。何をする暇もなく潰されされちまうのがオチだ」
「なら、あなたの右腕の代わりとしてでも戦わせてください」
必死にロゼリアは食い下がった。今度は僕がマニューラさんを助ける番だ。助けられるしかできなかった自分を変えるんだ、と。
「右腕、ね。へっ、いらねーよ。左腕だけでウスノロなんざどうにかしてやるから心配すんな」
「左腕は使っちゃダメです!そんな凍らせただけじゃあ、またすぐに傷が開いてしまいます。後で僕がしっかり診ますから、今だけは……お願いします!」
ロゼリアは抱えられた体勢ながらもぐっと顔を見上げ、まっすぐにマニューラの目を見つめた。
「……わかったよ。思い通りにさせてやるよ。せいぜい振り落とされたりすんなよな。失敗しても恨むなよ」
「はい!」
ロゼリアは針をしっかりと伸ばし、ふらつかぬよう気合いを入れて構える。
「……正直なとこ、ちょっと助かった」
そっとマニューラは呟いた。
「え?」
「何でもねーよ、行くぞ!」
マニューラはロゼリアをしっかりと掴んでイノムーの群れに振り向いた。


イノムー達は牙を突き出し数列になって並走し、ウリムーはその隙間を埋めるようにしてがっちりと密集している。
雪を豪快に巻き上げ迫る様はまさに茶色の怒濤。近づけば近づく程に、絶望的な迫力に圧倒されてしまいそうになる。
そんな威圧感にあてられながらまったく怖気付くことなく、マニューラは疾風さながらに空気を切り裂き駆けた。
ロゼリアは恐れに背けそうになる顔をしかと真正面に向け、顔に鋭く当たる極寒の風に閉じそうになる眼をぐっと堪えて開き続けた。
失敗は考えない。僕とマニューラさんの二匹ならどんな状況でも絶対に負けない。
そう自分に言い聞かせると心は冷静に静まり、と同時に仄かに不思議な熱い感情が込み上げた。

そして遂に訪れた激突の直前。
「任せる。オメーなりにできることを、やれるとこまでやるんだな」
「頑張ります!」
マニューラは雪を蹴って勢いよく跳躍し、イノムーの密集陣形に僅かに空いた隙間に向かって飛び込む。
ロゼリアは目が回りそうになるのを耐えながら、すれ違いざまにイノムーの一頭へと針を横薙ぎに振りぬいた。
十分な勢いがついた強烈な一撃。確かな手応えをロゼリアは感じる――が、斬撃は途中で剛毛に阻まれて止まり、そのまま食い込んで折れてしまった。
「チッ――!」
マニューラは崩れかけた体勢を整えて着地し、間髪置かずに飛び上がって二列目のイノムーの頭を蹴りつけ、最後列の三列目を飛び越えた。


――なんて分厚さなんだ!
ロゼリアは根元近くから折れた自分の針を見つめる。
「やっぱオレの爪のようにはいかねーかぁ」
「すみません……」
ロゼリアにとって、自分が出しえる最高の一撃のはずだった。やはり右腕代わりになるなど思い上がりだったのだろうか。
いや、まだそんな風に諦めるには早すぎる!
イノムーの群れは周りのニューラ達に追い込まれてUターンし、再びマニューラ達に向かってきている。
折れた針を花から捨て去り、ロゼリアは新しい針を思い切り飛び出させた。
「必ず僕でも倒せる方法はあるはずです」
強気に構え直すロゼリアを見て、マニューラはくす、と微笑んだ。
「おーおー、頼もしいぜ。なら一つ言ってやる。あのウスノロのバカみてーに厚い毛皮をオメーの細っちい針で、オレの鉤爪みてーに切り裂くのは諦めなー。だから、無理しねーでオメーなりにできることをやれ。先が細く鋭いからこそやれること。おりこーなロゼちゃんなら、すぐ分かるだろう?ヒャハ」


はい、とロゼリアは明瞭な返事を返す。そして確認するように自らのか細い毒針に再度目を向けた。
人間のおとぎ話に出てくる竜退治の騎士が持つような、誰もが憧れる立派な伝説の剣みたいに、豪快に力強く真っ二つに切り伏せるような真似は確かにできないかもしれない。
だけど――。
ロゼリアは視線をそっと切っ先へと滑らせる。
切れ味の鋭さは劣っても、先の鋭さは勝てずとも負けないはず。それならばやることは一つ。やれる事をやれる所まで、貫き通す。

針先の向こうに見えるイノムーの姿が、ぐんぐん近づいて大きくなっていく。
ただ一つの事を達するために一杯になったロゼリアの頭に、怯えや迷いが入り込む余地は無い。
二度目の激突、同じようにマニューラはひらりと飛び上がった。
そして今度は群れの隙間ではなく、イノムーの頭上すれすれへと舞い上がる。
――今だ!
ロゼリアは腕を思い切りイノムーに向かって突き出す。
ただ一つへの覚悟と信念は、ただの毒針だったものを強烈な技へと――毒突きへと昇華させた。
極細の刺突は剛毛の鎧を悠々と掻い潜り、鋭い一撃を直に突き立てる。

苦悶の咆哮を上げ、イノムーは大きく仰け反った。ほぼ反射的にロゼリアは突き立ったままの針を花から撃ち出す。
更に深々と抉ると同時に、自分を掴むマニューラの動きを阻害しないようにしての行動だった。
やるじゃねーか、とマニューラは感心して笑い、イノムーの頭上からすんなりと離脱する。
その直後、仰け反ったイノムーに後続が次々と追突し、その陣形が大きく崩れた。パニックに駆られたイノムー達は集団を忘れ、散り散りに逃げ惑いだす。
「待たせたなテメーら!鬼ごっこの大詰めだ、派手にやろーぜ!」
マニューラの合図にニューラ達は歓声を上げ、ぎらりと目の色を変えた。
「レッツ、ハンティング!ヒャハー!」


ニューラ達は四、五匹になってイノムーの一頭一頭に一斉に飛び掛かって群がっていく。イノムー達は振り落とそうと暴れるが、抵抗も虚しくあっという間に数の暴力に呑まれていった。
ロゼリアはぼうっとして、ニューラ達の狩りの光景をどこか別世界の出来事のように遠く見つめた。
頭の中では先程の手応えと感触を何度も思い起こし、反芻している。あんな大きなイノムーに通用する一撃が放てたなんて、今でもあまり実感できないでいた。
「赤点ぎりぎりってとこだな。ま、チビにしちゃーよくやったよ」
そう言って、マニューラは汗に湿る額を拭い、ふう、と一息ついた。
「あ、ありがとうございます」
何とも歯切れの悪い思いをしながらも、これがマニューラにとって精一杯の褒め言葉なのだろうとロゼリアは理解しておくことにした。
どうにかあの絶望的な状況を切り抜け、マニューラさんの助けになることが出来たんだ。ロゼリアにもうっすらと自身が芽生えようとしていた。
そんな時、
「マニューラ!わりぃ、そいつ止めてくれ!」
ニューラの一匹が焦るような叫び声を上げる。マニューラ達がそちらへ目をやると、一頭のイノムーが岩を巻き上げ、止めようとするニューラを蹴散らしながら向ってきていた。
よく見ればイノムー額の辺りには毒針が深々と突き刺さっている。そしてその全身はうっすらと淡い光に包まれていた。
ロゼリアは大きく目を見張る。忘れるはずもない、自分が突き刺したイノムーだった。
仕留めきれなかったこと以上にロゼリアを驚かせたのは、イノムー包む見覚えがある光の粒達。
――あれは、進化の光だ!
「あーあー……追試だな。時々いるんだよ、追い込まれて目覚める奴が。あんな状態じゃそれ程長くは持たねーけど」
マニューラはロゼリアの体をそっと放す。
「あれが最後だ、もう群れに踏み潰される心配はねーだろ。オメーは後ろで好きにしてな。オレが直々に文句無しの合格点ってやつを見せてやるぜ、ヒャハハ!」


余裕ぶった態度でマニューラは軽口を叩き、陽気に笑ってロゼリアに背を向けた。
だが、ロゼリアは不安でたまらなかった。一匹で十分だとマニューラさんは言ったけれど、裏を返せばもう僕に構っている余裕など無いということではないのか、と。
じわり、とマニューラの左腕から滴る雫。
薄く赤みが混じり、無理矢理凍らせていた傷口が開きかけているのがロゼリアにもわかる。
だが、引き止めようとしても、後ろ姿から滲み伝わってくるがらりと変わったマニューラの雰囲気が、ロゼリアの声を凍えるように縮こまらせて喉の奥へと押し込んでしまう。
それは狩りへの出発前、自分に絡んでくるニューラを止めてくれた時に一瞬だけ感じたものと似ていた。
もしも声を掛けてマニューラが振り返った時、一体どんな表情をしているのか考えただけで、ロゼリアは怖じ気が走りそうになる。
それ程の研ぎ澄まされた鋭く冷たい凄みだった。

纏わり付いていた光はイノムーを覆いつくし、その大きさをどんどんと膨張していく。
一際強く輝いて光が収まると、イノムーは今までの二倍近い体躯をもつ巨獣――マンムーへと変貌していた。
更に猛々しく成長した二本牙を振り上げ、マンムーは地を揺るがすような吠え声を上げる。
毛並みの下からあらわになった眼を血走らせ、己の変化に戸惑うことなくマンムーは憤怒に身をまかせ突き進んだ。
右の鉤爪を伸ばし、マニューラは勢いよく飛び出す。
何か援護をしなければマニューラさんが危ない、と思っても追い付けず、気が急くばかりでロゼリアは何もできない。
強くなれた気でいたが、結局それはマニューラ頼りのものだった。一匹だけではまだろくに手助けもできない半人前という事実にロゼリアは気付いてしまう。
しかし、ロゼリアの心配など殆ど杞憂に過ぎなかった。
直後、マンムーから上がる悲鳴のような唸り声。そしてマニューラの高笑いと、ニューラ達の歓声。

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