第37章 - 2

小さな建物ならば、ぐるりと巻き付き簡単に締め上げて押し潰してしまいそうな圧倒的な鋼鉄の巨体の前に、臆する事なくルカリオは進み出た。
「私はルカリオ。鋼鉄島のぬしであらせられるハガネール様とお見受けする」
ルカリオは敬意を払って、ハガネールに接する。年を経た老蛇の顔と体はひどくごつごつとして厳つく、いかにも恐ろしげだったが、その眼は確かな気高い光を湛えている。
ヤミラミ達が言っていたような、独り善がりな暴君にはとても見えなかった。

「おお、そなたが噂に名高い波導の使い手か。よくぞ参られた。いかにも、儂がハガネール。鋼鉄島の地下の長だ」
ぎいぎいと金属の軋む音と共に重々しく響く威厳のある声でハガネールは答えた。
辺りを覆う石のせいで波導をはっきりと感じ取れない今、悪意を抱いていたとしても読み取ることはできないが、それでもルカリオはハガネールが他を暴力で虐げるような輩には思えない。

やはり何かおかしい。ルカリオはヤミラミへの不信感を強めていく。
上でヤミラミ達に感じた悪意は、ハガネールへの憎悪によるものだと思っていたが、どうも違うのかもしれない。


「して、どのような用件でそなた達は参られたのだ?」
ハガネールが問い掛ける。
「この者達への待遇についてお聞きしたい」
背後を手で示し、ルカリオは言った。
ハガネールは首を傾げる。
「この者達、と言われても、そなた達二匹の他に誰もおらんではないか」
ルカリオとチャーレムが振り返ってみると、背後に居るはずのヤミラミ達は姿を消していた。

「先程までは確かに――」
ルカリオが、訝るハガネールの方に目を戻したその瞬間、天井からヤミラミ達が降り立ってハガネールの顔面へ取り付く。
「――!」
不意打ちに驚愕し見開いたハガネールの目を狙い、ヤミラミ達は爪を振り下ろした。
寸での所でハガネールは首を大きく揺らして逸らし、頬と額に少し傷を負っただけに済ませる。
そしてヤミラミ達をそのまま振り払って地に叩きつけ、尾で薙払って跳ね飛ばした。

「貴様ら、ヤミラミ共と手を組んでいたか!自分達に気を向けさせての不意打ちとはなんと卑劣な!」
猛る怒りに洞窟がびりびりと揺らぐ。
「違う!これは――」
問答無用とばかりにハガネールは咆哮を上げ、牙を剥いた。


巨大な口に並ぶ、岩石を木の実のように磨り潰す平たい牙の合間からは、怒気に熱せられた蒸気が噴火寸前の火口のごとくもうもうと立ち上っていた。
漏れ出る蒸気が、不意にハガネールの喉の奥へゆっくりと大きく吸い込まれていく。
何か仕掛けてくる。ルカリオは直感した。
「チャーレム殿、私が食い止めている隙にヤミラミ達をひとまず安全な場所へ」
「承知した」
地に横たわるヤミラミ達にチャーレムは走りよっていく。
ハガネールは逃すまいとして、その背に目がけて凄まじい勢いの高熱の吐息を噴き出した。
ルカリオは間に割って入り、激流のごとき息吹を一身に受ける。
厳しい鍛練と波導の力により鋼の硬度を誇るルカリオの肉体は、吹き飛ばされることなくその強烈な流れを塞き止めてみせた。
ぐったりとしたヤミラミ達を掴み上げ、チャーレムは出口へと駆けていく。
防がれたことでハガネールはより一層激昂し、息吹の勢いを強める。
ルカリオの体は、突き出した手先から徐々に焼け付いていった。
ハガネールを恐れ、後ろに逃げ隠れていたはずのヤミラミが、なぜ突然不意打ちなどという思い切った行動に出たのか。
腕が痺れるような感覚に蝕まれていく中で、ルカリオは考えを巡らせる。
恐慌にかられた上での行動だとしても目を狙った攻撃は的確で、真相をハガネールに確かめることを阻むようなタイミングだったのは偶然にしてはあまりに出来すぎている。
だが、当のヤミラミは倒れ、ハガネールは言葉が届かぬ程に怒りに支配されてしまっている今、真意を確かめて穏便に事を解決する術はない。
――已む無し、か。
麻痺が体まで到達しかけた寸前で息吹を振り払い、ルカリオは迎撃する覚悟を決める。


背後からルカリオとハガネールが激しく争う音が響く中、ヤミラミ二匹を両脇に抱え、チャーレムは光の石の地帯を駆け抜けた。
早くルカリオの援護に戻らなければ。チャーレムの気は逸る。
薄暗い坑道まで戻り、ここならばとりあえず安全だろうと判断し、チャーレムはヤミラミ達を降ろした。
「まったく。我等に任せておけばいいものを、余計な手出しをして事を荒立ておってからに」
ヤミラミの一匹を壁に寄り掛からせながら、煩わしげにチャーレムは呟いた。
朦朧としているのか、ヤミラミは力無く壁にもたれ、苦しそうに呻いている。
ふう、とチャーレムは仕方なさそうにため息をつく。
連なった鉄球のような尾を豪快に叩きつけられたのだ、相当な痛手を負ってしまったはず。
置いたらすぐにルカリオの助太刀に戻るつもりだったが、ヤミラミの姿に情けを感じ、少し手当てをしてやろうとチャーレムはヤミラミの負傷個所を調べた。
しかし、いくら診てもヤミラミの体には、かすり傷一つありはしない。
確かに跳ね飛ばされていたはずなのに――不審に思うと同時に、背後からの殺気。
反応しきる前に、鈍い衝撃がチャーレムの後頭部に走った。
「ぐ、貴様――」
チャーレムは襲撃者に応戦しようとするも、ぐらりと頭が揺れ、そのまま崩れるように地に伏した。

壁にもたれていたヤミラミは顔を上げ、ちらりとチャーレムを見やった。
倒れたまま動かないことを確認すると、ひょいと軽く起き上がり、襲撃者――もう一匹のヤミラミに駆け寄る。
「ギヒヒ、一時はどうなることかと思ったけど、何とかうまくいったね」
「ああ、兄弟。後はハガネールとルカリオが潰し合って疲弊しきるのをゆっくり待つだけだな」
にやりと笑いあい、ヤミラミ達はハイタッチした。

「待ちなさいッ!」
坑道に突如響き渡る声。
「誰だッ!?」
驚いてヤミラミ達が振り替えった先には、拳を構えるミミロップの姿があった。


「これは、ルカリオ様のお弟子さんではありませんか。留守を言い付けられていたはずのあなたが、どうしてここに?」
少々予想外の出来事に焦りつつも、ヤミラミは言った。
どこから見られていたかわからないが、チャーレムへの攻撃は暗い中での一瞬だったし、交わした会話は小さく、まだ誤魔化して言い包める事ができるかもしれないと可能性を模索する。
「チャーレム様が大変なのです。自身もハガネールめに深い傷を負わされながらも、我々をここまで逃がし――」
「すっとぼけるんじゃあないわよ。あんた達のやった事は全部見ていたわ。一体どういうつもり?どうせろくでもない事に決まっているんでしょうけど」
数分前、ルカリオ達が入っていった光の石で煌めく大穴の外から、中を窺っていたミミロップだったが、奥からヤミラミを抱えてチャーレムが戻ってくることに気付き、慌てて身を潜めて、その様子を見ていたのだ。
闇の中でもヤミラミの動きと漏れだす悪意ある波導は、ミミロップにも感じ取れた。
その卑劣さ、姑息さに沸き立つ怒りを抑え、戦闘態勢を崩さぬままミミロップはゆっくりと詰め寄っていく。
「全部話してもらいましょうか。そして師匠とハガネールの戦いを止めに行かなきゃね」
チッと毒づき、ヤミラミはもう一匹へと目配せする。こくり、ともう一匹は小さく頷いた。
見たところ、ミミロップの姿はそれほど強そうには見えない。
完全な不意打ちで無くとも、簡単に始末できるだろうとヤミラミは踏んだ。
ヤミラミ達は音もなく同時に鋭い爪を振り上げてミミロップへと飛び掛かる。
――それ来た。
慌てふためく事なく、ミミロップは冷静に二匹の攻撃をかわす。
そしてすれ違いざまに一匹の腹部に拳で鋭い一撃を叩き込んだ。だが、その感触にミミロップは違和感を覚える。
まるで宙に浮かぶ大きな埃の塊を殴り付けたような妙な手応えだった。


殴り飛ばされヤミラミは地を転げ倒れる。しかし、何事もなかったかのようにすぐにヤミラミは起き上がった。
「ヘヘ、びっくりしたけど全然痛くないや。やっぱりこいつ大したことないよ、アニキ」
殴られたヤミラミはけろりとして兄貴分らしいもう一匹に言う。
「ああ。だがもうヘマはするなよな、兄弟」
「わかってるよ。まぐれでかわされたりなんて、もうしないさ」
そう言葉を交わすと、二匹はそっと闇に紛れて再び攻撃する機会を窺う。

拳は確実に奴の体を捉えられたはずなのに何故。手応えをミミロップは頭の中で何度も反芻しながら考えた。
奴らの体はそれ程までに耐久力が高いのか、はたまた寸前でうまく防がれて威力を削がれたのか。
それでも、全くの無傷というのはおかしい。打撃が全く意味を為さない相手――
ずっと前にもこんな輩と戦ったことがあったのではないかと、ミミロップの脳裏を微かな記憶が掠めた。

答えが出切る前に、ヤミラミ達が再度の同時攻撃を仕掛けてくるのを、ミミロップはヤミラミ達の一瞬の目の輝きと波導の流れで察知する。
上から飛び掛かる一匹をいなし、半歩遅れて駆けてきたもう一匹の足を蹴りつけて体勢を崩させた。
すかさずミミロップは隙だらけのヤミラミの後頭部の付け根辺りへと拳を振り下ろす。
もはや、かわすことも、防ぐことも出来ないであろう強烈な一撃。
ところが、またしてもミミロップに返ってきた手応えはどこか不明瞭なものだった。
ヤミラミは、やはり打撃をものともせずに起き上がり、追撃を逃れようと爪を振り回して暴れだしたため、仕方なくミミロップは間合いを離す。


だが、これでミミロップは以前にも戦った似た相手の記憶をはっきりと思い出し、確信した。
――こいつら、ゴーストなんだ!
ああ、どうしてこんな簡単なことをすぐに気付かなかったのか。
もっとゲンガー達や、マージちゃんのように、ふわふわとぼんやり浮かんでいたりしていればすぐに分かったのに!
他のゴーストに比べて密度が濃いのか、それとも鉱石を食べている影響なのか、少しばかり実体からの干渉を受けやすいようだが、それでも霧が水面に変わった程度の差でしかない。
手で無闇に掻き混ぜたところで、あまり意味はない。
最も効果的な霊や悪の力を使えないミミロップが対抗するには、以前に洋館でゴーストと戦った時のように拳に炎を纏わせて殴り付けるのが一番手っ取り早いのだが――。


――ダメね、やっぱり点かない。
何度試しても、依然として拳は燃え上がらない。それでもミミロップは、焦りや動揺を悟られぬ様に心を静めて毅然と構え、他の手立てがないかを考えた。

「大丈夫かい、アニキ!」
弟分のヤミラミは体の結晶から煌めく光弾を放ってミミロップを牽制し、兄貴分へと素早く駆け寄って肩を貸す。
「ああ、転んだだけだ。どうということはないさ、兄弟」
「それにしても、アニキまでしくじるなんて……。なんて運がいい奴なんだろう」
「いいか、兄弟。二度だ。二匹がかりで仕掛けて二度もしくじった。 これは奴の運が良くて外れたんじゃあない。実力で外されたんだと認めざるを得ない。とんだ計算ミスだ」
「うう、じゃあどうするんだい。アニキ」
まごついた様子で、弟分は言う。
兄貴分は、じっと隙を見せることなく身構えているミミロップを見やった。
そして、宥めるように兄貴分はそっと弟分に言い聞かせる。
「よおく奴を見ろ。冷静沈着を装ってはいるが、師匠の言い付けを破ってまでこっそりとついてくる辺り、反骨精神に溢れた、本当は気の強い感情をあらわにするタイプと見た……!こちらから攻めてはいつまでも冷静に捌かれる。ならば、あちらから来させればいい。言葉でなじってやれば、巣をつつかれ怒ったスピアーのごとく、隙だらけで愚直に向かってくるだろうさ。そこを仕留めるんだ。後出しで冷静、確実に」
「う、うん……アニキを信じるよ。でも、そんなにいい悪口があるのかい?」
任せろ。兄貴分のヤミラミは厭わしい笑みを浮かべた。


光弾による攻撃以降、ヤミラミ達はミミロップから距離を離してひそひそと話すばかりで、一向に次の手を仕掛けてこようとはしない。
坑道の奥からは、まるで巨大な削岩機が目茶苦茶に暴れ回っているような荒々しい音が、軽い振動と共に時折轟く。
早くこいつらを倒して、止めに行かなきゃいけないのに。ミミロップは気ばかりが焦る。
「どうした、弟子のお嬢ちゃん。師匠に習ったのは守り方だけで、攻め方は知らないのか」
そんな中、ヤミラミの一匹が出し抜けにミミロップへ声を掛けてくる。
「それとも、お嬢ちゃんの弱々しい力じゃあタフな俺達に攻撃が通用しないと知って、怯え竦んでしまったのかな」
それは今までの卑屈めいた丁寧な物言いからは一変した、高圧的で他を小馬鹿にしたものだった。
ミミロップの心の中に、あの憎たらしい輝きがちらつく。冷静さは少しずつ欠け、ヒビが入り始めていた。
「なめないでよね。タネはとっくに割れてんの。あんたら、ゴーストなんでしょ。なーにがタフよ。ロゼリアちゃん並に貧弱な体しちゃってさ」
飛び出したい衝動を堪え、代わりにミミロップはそう言い返す。
返ってきた手応えに、闇に光る目がより一層卑しくぎらつく。大きく裂けた口元が弧を描いた。
「ほほう。では、何故それに気付いていながら、かかってこれないのかな。……分かったぞ。気付いたところで、幽体への対抗策が何も無いんだろう」
何気ない言葉のつもりが、対抗する手段が無いことを悟られてしまった。つい動揺し、ミミロップは言葉を詰まらせる。
「図星か。自分にだって何かできると勇んで付いて来たんだろう。だが、結局足手纏いだったな!」
そう言い放ち、ヤミラミは嘲笑した。
――足手纏い……!
ミミロップの心の中に再び、今度ははっきりと白銀の尾が騒めいた。
ぴしり、と音を立て、何かに大きなヒビが入った気がした。


とうとう我慢の限界を超えたのか、拳に力を込めてミミロップはヤミラミへ向かっていく。
修業の中で、新たに身に付けた水の波動。まだ遠くの敵に放てる程には力を練れないが、直接触れて流し込めばゴーストにも多少のダメージを与えられるはずだと、ミミロップは思い立った。

だが、いくら躍起になって拳を振り下ろしても、ヤミラミ達にはかすりもしない。
今まで、闇に溶けるヤミラミ達の姿をミミロップがうまく捉えられていたのは、ヤミラミが攻撃前に発する目の輝きと、波導をじっくり読んで察知できたおかげだった。
攻める側となった今、そのどちらも期待できない。熟練し切ったとは言い難いミミロップの波導の読みでは、どうしても読みが一手遅れ、夜目が利くヤミラミ達には良いようにかわされてしまっていた。

ヤミラミは、もっと怒らせようと、更に執拗にミミロップを嘲る。
まだ寸での所で持ちこたえ、ミミロップは怒りの一線を超えてはいない。
もう負ける要素は無いとも思ったが、ヤミラミは慎重に慎重を重ね、完全に我を忘れさせ、体力を消耗させてから仕留めることにした。

目論みどおりにミミロップはヤミラミ達に振り回され、徐々に徐々にばて始めて攻撃の速度が落ちていく。
『勝った!』ヤミラミは勝利を目前にし、心に余裕ができたと同時に、ふと、とある話を思い出す。
まだそれほど昔ではない頃に急に現れ、あっという間に勢力を拡大し、今やシンオウ中のポケモン達を完全に牛耳ってしまいそうな組織の話を。
組織のボスはピカチュウ族で、その主な側近は、ロゼリア族、ムウマージ族、そして、ミミロップ族だと聞いている。
これは、もしかしたら最後の駄目押しのネタに使えるかもしれない。ヤミラミはほくそ笑んだ。

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