スポンサーリンク

第37章_1

身の丈の二倍はありそうな岩の前に構え、ルカリオは呼吸を整える。
ミミロップとチャーレムは静かにそれを見守っていた。
ゆるやかに流れるような小さく素早い動きでルカリオは両の掌を突き出し、岩へと叩きつける。
瞬間、軽く突き飛ばしただけのように見えた動作からは似付かわしくない重々しい打撃音が響く。
岩はあっという間に表面を網目状のヒビに覆われ、後は小突かれただけで簡単に崩れてしまった。
同じように岩を砕いてみせろとルカリオはミミロップに促す。
ミミロップは快く返事をして、同じくらいの大きさをした岩の前へ進み出た。
厳しい肉体と精神の鍛練を続け、もはや大岩を砕くくらいならば造作ない――とまではいかないものの、やろうと思えば何とかできる自信はあった。
拳を握り締め、深く目を閉じてミミロップは集中力をじっくりと高めていく。
そして限界近くまで達した集中を爆発させるように、拳に力を込めて大きく振りかぶり、裂帛の気合いと共に岩を殴り付けた。
たちまち岩には鉄球が衝突したような亀裂が入り、砕けた。
岩を殴った方の手に痛そうにフーフーと息を吹き掛けた後、ミミロップは誇らしげにルカリオの顔を見る。


しかし、ルカリオは落胆したように鼻でため息をついた。
「ちゃんと砕いてみせましたけれど、何かお気に召しませんか?」
当然、褒められるものだと思っていたミミロップはムッとして言う。
「“同じように”砕いてみせろ、と言ったはずだ」
そう言うとルカリオは自分の砕いた岩を見せる。
拳の当たった部分から大きく雑に砕けたミミロップの岩とは違い、ルカリオの岩はまるで内部で爆発でも起きたかのように中心辺りまでより細かく砕かれていた。
「お前の拳の威力は認めよう。しかし、ただ岩を砕くだけならばサイホーンにもできる。それも更に巨大な岩石であろうと容易くな。だが奴の単調で鈍重な突進は実戦ではそうそう当たるまい。
お前が今みせた拳もそうだ。誰がお前が集中している間の隙を見逃し、それも大振りで見切りやすい拳をむざむざ食らってくれようか」
ルカリオの言い分に返す言葉もなく、ミミロップは黙り込む。
「無駄に込めた力は気の流れを殺す。最小の動き、且つ素早く、体の中で練った勁力を衝撃として相手に打ち込む。これが出来ねば波導の奥義の習得など不可能だ。お前のやってきた拳に炎を纏わせる拳などは初歩の初歩と知れ」
「うう……」


悔しさにミミロップは思わず小さくうなる。
「すみません、ちょっと休憩をお願いします」
感情を押し隠した調子で出し抜けにそう告げると、
ミミロップはひょいと岩場を飛び降りて湧き水のある方へと駆けていってしまった。
何を言わずルカリオは黙ってその背を見送る。
「よいのか?」
と尋ねるチャーレムに、
「ああ、構わんよ。私も少々、大人げなかったやもしれん」
そうルカリオは答えた。そしてそっと口元に苦笑を浮かべる。
「私とて波導の奥義を極められてなどいないというのにな」
独り言のようにルカリオは呟く。
「愚弟子が戻るまで少し話でもしようか。先代に比べ、我が波導の力はまだずっと弱い。何が欠けているのかは未熟故、未だ見いだせん。自惚れるわけではないが、私は共に先代の下で学んだ兄弟弟子達の中でも最も才があった」
じっとチャーレムはルカリオの話に耳を傾け、聞き役に撤していた。
ルカリオは何気なく足元の小石を右の手で拾い上げる。
そして右手から青白いオーラがほとばしった瞬間、小石は凍てつき氷の粒となった。
「炎や電気に比べ冷気は発現が難しいといわれていた。ゴーストや氷の体でもなければ誰しもが持つ熱は最も思い描くのは容易い。
電気ポケモンで無くとも、電気は微弱ながら大抵の生物の体内に流れている。だが、冷気を生み出すというのは中々に想像しにくいものだ。
その冷気を兄弟の中で誰よりも早く、それも氷ポケモンではないというのに一番初めに冷気をやってのけたのだから自他共に私の才能は認められていたよ。
その私が習得に難儀し、正直に言えば今でもあまり得意ではないものがある。それは――」


ルカリオの右手が赤いオーラを纏う。しかしそれは燃えきれなかった炭火のようにルカリオの黒い手の中に消えてしまった。
「最も容易いはずの炎。確かにイメージは簡単に出来る。十分に熱のエネルギーも体内に生み出せているはずだ……。チャーレム殿、少し火をいただけないだろうか? 我が身に向かって炎のパンチを繰り出してほしい」
チャーレムは怪訝に思った。最初にミミロップとルカリオの二匹が手合せした時、ルカリオは巧みにブレイズキックを繰り出していたはず。それに、自分が炎のパンチを繰り出してどうなるというのか。
「相分かった。ルカリオ殿の手並みならば心配は無用であろうが、万が一のために急所は外そう」
真意を確かめるため、チャーレムは構えるルカリオに燃える拳を振り下ろす。
火球のごとき拳が叩きつけられようとした刹那、ルカリオは素早く見切ってチャーレムの懐へ潜り込み、そのまま掌底を腹部へ押し当てた。
掌底を受けた途端、チャーレムは自分の気を吸われて取られたような感覚に襲われる。
直後の大きな音で我に返った時には、すぐ脇の岩がルカリオの燃え上がる脚に熱されて赤々と鈍く輝いていた。
じりじりとした熱気の中でチャーレムの背をヒヤリとしたものが伝う。
「先取り――のちょっとした応用だ。火種となるものさえあれば何とか気の発火は出来る。だが自力では無理だ」
言いながらルカリオは足を下ろし、熱を振り払った。チャーレムも額に浮き出た汗を無言で拭う。
「一体、私に何が欠けているというのか――。しかし、さすがチャーレム殿の炎のパンチだ。我が愚弟子のものとは桁違いの力を引き出せた。流派は違えど、いや、違うからこそ素直に敬意を表する。」
「光栄だ」
「今は愚弟子の面倒に付きっきりだが、暇を見付けまた手合せ願いたいものだ。奴は本当に手間が掛かる。だが、愚……ミミロップの力は評価しているつもりだ。
我が教えの下で奴は私が最も苦手としている炎を発現させてみせた。奴は何か私に足りないものを持っているようだ。正直な所、その点に関してだけは嫉みに近いものすら感じている。だから奴には余計に厳しく当たってしまうのかもしれん。未熟だ、私は」


高ぶる感情を振り切るようにミミロップは水場へと走った。
弱音は存分に吐きながらも、芯の方は折れることなくルカリオの教えに食い下がってきたミミロップだったが、少しずつ蓄積された心身の疲れ、特に精神の疲れによって小さな軋みが生じていたのだった。
澄んだ冷たい水を両手ですくい上げると、熱を冷ますように顔をばしゃばしゃと洗う。水を滴らせながら、ふう、とミミロップは一息をついた。
そして、昔にルカリオの下から逃げ出した際も修業がこれくらいの段階だったかなとぼんやりと思い出す。
直情型の彼女にとって、教えのように心を清流のように澄まし静めさせているというのは、ひどくやり辛いものであった。
沸き起こる感情を無理矢理押し殺している内に、自分自身というものも少しずつ削れていっているような気がしてきて嫌だった。
昔の自分はそれに耐え切れずに逃げ出してしまったが、今の自分はどうだろうか。進化し、ミミロルだった時とは違う顔を水面に写し、悶々と思いに耽る。
――この姿になったのはピカチュウ達と初めてキッサキに行った時だっけ。
ほとんど勝手に洋館を出て来ちゃったけれど、みんなどうしているかなあ。そしてピカチュウは……。


修業の妨げにならぬよう、なるべく仲間達のことは思い出さないようにしていたが、一度考えてしまうと寂しさが溢れ返ってくる。
もう帰ってしまおうか。心細さが最高潮に達し、顔から伝い落ちた一滴の水が水面に波紋を作る。
日の光を反射し、波紋は幾つもの銀色の輪となって揺らめいた。じっとその様子を眺めていると、ミミロップには一瞬それがざわめく九本の銀色の尾になって見えた。
『所詮、足手纏いの限界などその程度』
脳裏に涼しげな目で嘲笑う顔が浮かぶ。
ミミロップは波紋を掻き消すように水面に両手を突っ込み、水をすくい上げてもう一度ばしゃばしゃと顔を洗い流した。
――きっとみんなも、あんな酷いこと言われたまま何もしないで過ごしているわけがない。
ルカリオの所へ戻ろう。ミミロップは奮い立つ。修業に邪魔な感情は胸の奥へと強引に押し込んだ。
戻る前に濡れた毛並みを乾かさないと。そう思い立ち、ミミロップは炎を灯そうといつものように手に気を集中させる。
しかし一向に炎は点かなかった。ミミロップは首を傾げる。
手が濡れているのがいけないんだろうかとも思ったが、今まで多少手が濡れていても意識するまでもなく問題なく使えていたし、そんなことはまずありえない。
念のため一応、と手の水気を払ってからミミロップは何度も挑戦してみる。それでもやはり炎は出せなかった。
「なんで……?」
愕然とし、思わず声が漏れた。当たり前にできていたことが突然できなくなってしまっていた。


休憩から戻ってからというもの、ミミロップはより真剣に修業に取り組むようになっていた。
弱音も吐かず、手を抜く事もなく、課せられた鍛練を黙々とこなしていく。
突然の態度の変化をルカリオは妙に思いながらも、それを深く追究することはしなかった。
絶え間ない努力の甲斐もあり、数週間の内にミミロップは目覚ましい進歩を遂げていた。
体の動きや技の切れは、並の格闘ポケモンと遜色ない程に成長し、相手の放つ気を奪って逆に利用する術等も身につけた。
しかし、いくら努力しても炎はいまだ取り戻せないままだった。この事をミミロップはルカリオにも打ち明けていない。
初歩の初歩が出来なくなったなどと言えば、とうとう呆れ果てられて破門を宣告されるのではないかと恐れていた。

ある日の昼下がり、ルカリオ達のもとに二匹の見知らぬポケモンが訪れる。
「ルカリオ様でいらっしゃいますか?」
小柄で細身の宇宙人のような姿をしたそのポケモンの一匹が、指導に励むルカリオに恐る恐る声をかけた。
「いかにもそうだ。お前達は?」
指導を中断し、ルカリオは二匹の方へと歩み寄る。
「ああ、失礼いたしました。私達はヤミラミ。鋼鉄島の地下で、屑鉱石や宝石の粕を食みながらひっそりとそれは質素に暮らしております」
濃紫色をした顔にどこか卑屈な笑顔を浮かべ、ポケモンはそう名乗った。


「それで、地下に住むお前達がこんな山頂付近にまで何用かな?」
「はい。ルカリオ様の武勇は我らが潜む暗い地下深くにまで轟いております。そんな高名なあなた様に折り入ってお願いしたいことがあって参りました。邪魔な、乱暴な地下のぬしを討っていただきたいのです」
岩や鋼の表皮をもつ一部のポケモンにとって土や石、鉱石は自分の体を作るために必要な栄養となる。
一見、鋼や岩の体には見えないヤミラミ達も、宝石のような両目と胸の結晶を保たせるために石が必要なのだと言う。
鉱石は貴重な栄養源だが上質なものは数が少なく、草木のように簡単には生えてこないため、それを巡る争いは絶えない。
離島である鋼鉄島に住むポケモン達は争いで共倒れしてしまわぬよう、昔から続く暗黙の了解でもって鉱石を分け合って暮らしていた。
しかし、最近になって突如として、ぬしであるハガネールの態度が豹変したのだとヤミラミは話す。
皆の分の鉱石まで貪り食い、ヤミラミ達にまるで暴君のように振る舞っているというのだ。

「どうかお願いします。仲間達は飢えております」
大きな頭を地に擦り付け、ヤミラミ達は切願した。
「理不尽な暴力に苦しむ者達を救うのも我が務めだ。行こう。どうか頭を上げてくれ」
「おお……ありがとうございます!」
ルカリオの返答にヤミラミ達は飛び上がりそうなほど喜ぶ。
ミミロップとチャーレムに話そうと背を向けたルカリオの影で、ヤミラミ達はそっと顔を見合わせる。
口から覗く鋭い歯と、宝石の目が卑しくぎらついた。


元は鉱山であった鋼鉄島の洞窟は、廃坑となった今でも修業に訪れるポケモントレーナーのために開放されている。
そのため、坑道内は事故が起こらないよう整備され、所々に控えめながら明かりが灯されていた。
ヤミラミ達は人目を避け、打ち捨てられてから人の手が入っていない脇道へとルカリオとチャーレムを案内した。
内部は暗く、地面も荒れているため人間が来る事はまずない。
輝く目で暗闇を照らしながら進むヤミラミの後に続いて歩いている途中、一行は何匹かの現住ポケモンと出くわす。
イシツブテや、イワークなどその種類は様々であったが、一行を見ると皆一様に顔をひそめ、遠巻きにひそひそと話したり、逃げるように避けていった。

「あまり歓迎されていないようだな」
誰にと言うわけでもなくルカリオは呟いた。
「ここの連中は外の者には閉鎖的なんですよ。最近は、ぬしの件でより一層、排他的になりまして」
ヤミラミの言葉に納得しきれなかったように、ふうん、とルカリオは小さく鼻を鳴らした。
そして不意にちらりと後ろを見やった後、また黙々とヤミラミについていく。

その四匹を十メートル程後方からこっそりとつけるポケモンの姿があった。
お前では足手纏いになるとルカリオに言われ、外で待つように言い付けられていたはずのミミロップだ。
暗い坑道の先にぼんやりと見えるヤミラミの目の光と、一行の足音と、拙いながらも波導を頼りに、時には地面の出っ張りにつまづきそうになりながらもミミロップは一行を追っていく。
『足手纏い』―――
今のミミロップにとって、最も被りたくない、返上したい汚名だった。


「ぬしはこの先です」
壁に掘られた巨大な穴を指し、ヤミラミは言う。
岩に何か特殊な鉱石が含まれているのか、穴の内壁は所々がうっすらと発光していた。
奥に行くほど含まれている量がより多いらしく、先の方は一段と明るくなっている。
「あの輝きは?」
光を放つ箇所から強い波導を感じ、ルカリオは尋ねる。
「光の石と呼ばれる不思議な力を持つ石によるもので、害はありません。むしろ、食べるととても美味しい」
ヤミラミの一匹は鋭い爪で光る壁の一部を削り採ると、まるで飴玉を齧るようにばりばりと食べてみせた。
お一つどうです、と差し出された一塊をルカリオは結構だと断る。
ヤミラミは残念そうな素振りを見せ、自ら石をたいらげた。
「深くに有るものほど純度が高く良質です。ぬしは奥で最上の鉱脈を独り占めしているんですよ。ひどい話でしょう」

純度の高い石に近づいていくにつれ、他が発する波動を読み取るルカリオの鋭い感覚は強い反応に包まれ、強烈な匂いが漂うと別の匂いを嗅ぎ分けるのが困難なように、あるいは眩しい光の中では周囲が見づらくなるように、生物を探知し判別する力を鈍らせた。

最奥部は、ほぼ全体が純粋な光の石の結晶で覆われていた。
その中央に、白く美しい石の輝きに包まれた空間には似付かわしくない、くすんだ銀色をした大きな鉄の塊が山のように積まれている。
それを見るやいなや、ヤミラミ達はルカリオとチャーレムの背後に逃げ隠れた。
「あれが、そうです。私達は後ろの方にいますので、後はよろしくお願いします」
ぎちぎちと擦れ合いながら、ひとりでに鉄の塊達が列をなして動く。
ただの鉄塊の山に見えたそれは、とぐろを巻いた鉄の蛇だった。
鉄の蛇はシャベルのようにしゃくれた頑強そうな顎を開き、地鳴りのような豪快なあくびを一つして、ゆっくりととぐろを解いた。

スポンサーリンク


TOP