第36章 - 4

「なんだ、一目惚れでもしやしたか?真面目な面しておめえさんも隅に置けねえな」
「ち、違うポチャ。なあ、ドン。ヒカ――いや、あの人間達のポケモン、何とかうまく連れ出せないかな?戦力を少しでも奪うのは僕達の危険も減るし、うまく説得できれば主人達に帰ってもらえるよう仕向けられるかもしれない」
エンペルトの話にはどこか他意があるようにも感じたが、ドンカラスは提案に乗ることにした。
「そうだな。うまく隙ができたらやってみやしょ」
間も無くして、ロトムは体の電気を少しスパークさせて合図を出す。
透明になったままムウマージと共に壁と天井を叩き、燭台や皿を投げ飛ばし、部屋中を暴れ回りだした。
人間達はそれにひどく怯えた様子で頭を抱えてしゃがみ込む。
「行きやすぜ!」
絶好のチャンスとみてドンカラスとエンペルトは調理場から飛び出して駆け出す。
ポッタイシとワタッコに気付かれるも、主人に知らされる前に二匹の口を塞ぎ、そのまま食堂からさらいだした。
ドンカラスとエンペルトは二階の一室へと二匹を連れ込んだ。
「無礼な!私を何と心得る!離せッ!」
エンペルトに後ろから羽交い絞めにされながら、ポッタイシはがなりたてて暴れる。
ワタッコはドンカラスに抱えられたまま、怯えて震えていた。
「危害は加えねえよ、お嬢さん方。おとなしくあっしらの話を聞いてくれりゃあな。なあ、エンペルト」
「うん、だから安心してほしいポチャ」
エンペルトの声を聞いた途端、ポッタイシは動きをピタリと止めた。
「!お前はまさか……!」
ポッタイシを離し、エンペルトは決まりが悪そうに口を開く。
「……久しぶりポチャ」


エンペルトの姿を見て、ポッタイシの顔に驚きと喜びが入り混じった表情がうっすらと浮かぶ。
だがすぐに我に返ったようにエンペルトをきっと睨み付け、その頬をしたたかに羽で打った。
「……効いたポチャ」
「こんな所で何をしている!勝手にいなくなって……どれだけ私が、どれだけ皆が心配して探し回ったと思っているのだ!」
痛そうに頬をさするエンペルトに、さらに胸倉を掴む勢いでポッタイシは詰め寄る。
「まあま、その辺で。気の強えお嬢さんだ。あっしの所のエンペルトとどういう関係で?」
状況を飲み込めずしばらく黙って見ていたドンカラスだったが、ここで仲裁に入り二羽を引き離す。
「おい、このおっさんはなんだ」
ポッタイシは欝陶しげにドンカラスの羽を払い除けて言い放った。
「お、おっさん……?」
その言葉にドンカラスはぴしりと凍り付く。何気ない一言であったが、それは年相応以上に老けて見られることを気にしているドンカラスにとって禁句の一つだった。
「ごめん、ドン。それは僕から話すよ」

「ほーぉ、研究所で飼われてたポッチャマの群れの幼なじみねぇ」
ポッタイシをじろりと不機嫌そうに見やってドンカラスは言う。
「なあ、くだらない事はやめて、私とヒカリとともにナナカマド殿の研究所へ帰ろう。皆、きっと暖かく迎えてくれる。もうトレーナーに貰われていく時期は逃してしまったかもしれないが、また群れに戻ればいい。群れの頭の固い連中は何か言ってくるかもしれないが、昔みたいに私が説得する。こんな賊まがいの輩共にいつまでも世話になる必要はないだろう」
「悪いけど僕は帰れないポチャ」


「なぜ?お前の三本角の立派さは惚れ惚れする程だ。行く行くは群れで長にだってなれるかもしれない。何か弱みでも握られているのか?」
ポッチャマ族には、くちばしから伸びる三本の角が最も立派な者が群れを率いるという習性がある。
ポッタイシの言う通りエンペルトの角は見事なもので、これからのさらなる成長を踏まえれば王たる風格が確かにあった。
しかし、エンペルトはそっと首を横に振る。
「そうじゃないポチャ。僕は自分の意思でここに残りたいんだ。群れに戻るのも一つの幸せかもしれない。けど、それは極狭い範囲のものポチャ。ボス――ピカチュウは僕に広い世界の夢を見させてくれたポチャ。僕は狭い幸せより、広い世界を選ぶ」
エンペルトは真っすぐに目を向け、ポッタイシに告げる。
「……ふん。馬鹿だな、お前は」
ポッタイシは素っ気なくそう言い、そっぽを向いてみせる。そして目の辺りを分からないようにそっと拭った。
「ごめん」
「何を謝っている。お前が決めたことだ。私に謝る必要なんてないだろう馬鹿め。分かった。お前達に一時的に協力する。ワタッコ殿もそれでいいかな?」
部屋の隅でワタッコは静かに頷く。
「ありがとう。で、具体的に何をすればいい?ヒカリ達に怪我をさせるようなことなら許さないからな」


食堂を騒がせていた怪音は急にぴたりと止み、ヒカリとナタネはゆっくりと顔を上げた。
嵐が通り過ぎた後のように室内は静まり返っているが、床に散らばっている割れた皿や倒れた燭台が先程の怪奇な現象が確かなものであったと物語っている。
本当に幽霊なんだろうか。ヒカリの脳裏に不安がよぎる。
でも掃除したり、木の実を食べたりする幽霊なんて聞いたことがない。
ふと、ヒカリは自分の横にポッタイシがいない事に気付く。ナタネのワタッコも姿が見えない。
二人はボールを確認するが、二匹が戻った形跡はなかった。
まさかさらわれてしまったのだろうか。心細さと心配にかられ、二人は自分のポケモンの名を呼ぶ。
するとすぐに返事代わりの鳴き声とともにぺたぺたと足音を立て、ポッタイシとワタッコは少し慌てた様子で食堂へと駆け付けて来た。
二人はホッと胸を撫で下ろす。
「もう、何をしてたの?」
ヒカリの呼び掛けに、ポッタイシは申し訳なさそうに「くわ」と一鳴きした。音に驚いて部屋の外に逃げていたのかな。
そんなに臆病な子でも無いはずなんだけれど。ヒカリは不思議に思ったが、何が有ったのか詳しく聞く手段も無いし、二匹とも無事に戻ってきたのだからあまり深くは気にしないことにした。
かくして再び調査を開始しようとする二人を、ポッタイシとワタッコが呼び止める。
二匹は身振り手振りを使い、何かを訴えようとしていた。どうやら『自分達が先を行く』と言いたいようだった。
勝手にいなくなった事へのお詫びのつもりなのだろうか。何だかほほえましくなってヒカリとナタネはクス、と笑った。
「わかったわかった。先頭は任せるわ、お二人さん。今度はしっかりあたし達を守ってよー?」
そう微笑みかけるナタネに二匹は力強く頷いた。二匹は並んで食堂を出で、二階へ続く階段の方へ歩いていく。
何の疑いも無くついてくる主人達にポッタイシとワタッコは心の中で密かに謝った。


二匹の後に続いてヒカリとナタネは階段を上っていく。
一段一段を踏み締める度に古い木の板はぎいぎいと嫌な音で軋んだ。
エントランスホールの二階部分はコの字型になっていて、ヒカリ達が上って来た側と一階への吹き抜けを挟んだ向かい側に部屋と階段が左右対称に一つずつ、そして中央奥にもう一つ入り口がある。
まずは順当に手近な部屋から探ってみようとしていたその時、急にポッタイシが何かに驚いたような鳴き声を上げ、歩みを止めた。
「どうしたの?」
ヒカリに尋ねられ、ポッタイシは怯えた様子で吹き抜けを挟んだ向こう側の部屋を指し示す。
ポッタイシの素振りはどこか大げさで芝居掛かったものであったが、その違和感に気付かれることはなかった。
それ以上に異様なものが指し示された先には佇んでいたのだ。
それは人間の老人の姿をしていた。だが生気は感じられず、存在がおぼろげで体が半透明に見えるような気さえした。
きっと洋館内が薄暗いせいでそんな風に見えてしまっているんだろう。
ヒカリは必死に自分にそう言い聞かせ老人に声をかけてみようと試みるが、喉が凍り付いたように言う事を聞かない。本能があの老人と関わる事を拒んでいるようだった。
やがて老人は彼女達の存在などまったく気付いていないかのように無視して階段を音も無く下りると、そのまま一階の食堂へと入っていってしまった。
ぞくりとするような冷たい空気と沈黙がヒカリ達を包んだ。
「今のお爺さん……人間ですよね?」
恐る恐るヒカリは言う。
「あ、当たり前でしょ! そうじゃなかったら何だって言うのよ」
強がるナタネだがその顔は少し血の気が引いていた。

「……何とかうまい具合に恐がらせたようだけど、あんなの予定にあったかな?」
主人達に悟られないように声を潜めてポッタイシはワタッコに話し掛ける。
「アドリブかなあ。化けたのはマージさんかロトムさんかわからないけれど、さすがゴーストポケモンさんですねー」
特に疑問に思う様子は無く、朗らかにワタッコは答えた。
「ううーん……」
――ドンカラスの話では、最初に仕掛けてくるのはそこの部屋に入ってからのはずだけど。
ポッタイシは妙に思いながらも、ヒカリ達の誘導を続けるほかなかった。


ヒカリとナタネは老人を追って食堂へと向かった。先程の老人は浮浪者だろうか。
だがそれにしては身なりが整っていたように思った。いくら食堂の中を探してみても老人の姿は見つからなかった。
窓は大人一人がくぐることができる大きさでは無いし、出入口は一つしかない。
確かに食堂に入っていくのを見たはずなのに。何だかますます背筋の辺りが薄ら寒くなってきて、二人は思わず身震いをする。
食堂を出た時、二階に人影がちらついた気がした。老人はうまく自分達の隙をついて既に食堂から抜け出していたのだろうか。
老人にそんな機敏な動きができるのかは少し疑問だったが、幽霊だなんて考えたくはなかった。
再びポケモン達に先導させ、ヒカリ達は二階に向かう。

その後も行く先々でまるで誘い込まれるようにヒカリ達を奇怪な出来事が次々と襲った。
まず最初に訪れた部屋では生きたように動く不気味で凶悪な顔をした人形だった。
凶器を振り上げ襲い掛かってくる人形から命からがら逃げおおせた先の部屋では、触れてもいない洗濯機が勝手に動きだして大量に水をぶちまける。
それに堪らず部屋を飛び出せば、待ち構えていたホッケーマスクの大男に追われ、逃げ込んだ別の部屋では今度は扇風機が強風を巻き起こした。
右手に鉄の爪をはめた怪人、火を吹く電子レンジ、叫び声を上げているようなマスクと黒いローブを被った死神――。手を変え品を変え、様々な怪物と現象がヒカリ達を休む暇も無く襲う。
怪物達はどれも映画か何かで見たような、それもよく見てみれば作り物とわかるようなどこか安っぽい作りの物ばかりであったが、洋館の雰囲気と恐怖に飲まれ判断力が鈍ったヒカリ達には見破ることはできず、半ばパニック状態になりながら逃げ惑うしかなかった。

「クハハ、ビビリ過ぎて奴らそろそろぶっ倒れるんじゃあねえですかい?」
廊下を逃げていく少女達の背を見送りながら、全身に包帯を巻いたミイラ鳥が死神に話し掛ける。
「ちょっと悪乗りが過ぎた気もするが。もう十分に恐がらせたんじゃあないか?」
「そうだな。ハロウィンパーティもフィナーレといきやすか。締めはロトムの奴に任せやしょ」


もう何度目かもわからない怪物の追跡により、また別の一室にヒカリ達は追い込まれる。
休まる暇も無く襲撃を受け続け、ヒカリとナタネは肉体的にも精神的にも疲れ果てていた。
この部屋では今度はどの家具が襲い掛かってくるのだろうか。怯えた様子で身構えながら室内を見渡す。
部屋の奥には大きなテレビが置かれ、傍にビデオデッキが備え付けられている。
他は床にむき出しのビデオとそのケースで散らかっているばかりだ。
特に危険そうな物も何物かが潜んでいられるような場所も見当たらない。
ヒカリは部屋の扉を閉めて急いで鍵を掛けた。少しこの部屋に立て籠もって休もう。
そして落ち着いてみんなが無事に帰れる方法を考えよう。
そんなふうに考えていた矢先、突然消えていたはずのテレビの電源が点き、ざーざーと砂嵐を映し始めた。
ヒカリとナタネは思わず息だけの悲鳴を上げる。たんなる誤作動ではないであろうということは今まで散々に電化製品に襲われた事で分かり切っていた。
だけど明確な攻撃方法のある扇風機や洗濯機と違い、たかがテレビに何ができるというのだろうか。
二人は注意深くテレビを見張る。二、三度、映像がぶれて怪しく光り、テレビ画面自体が一瞬揺れ動いたように錯覚した。
否、それは錯覚などではなく確かに画面は石の投げ込まれた水面のごとく揺れ動いていた。
揺れはどんどんと強くなって波紋の盛り上がりが大きくなっていき、徐々に顔のような形を成していった。
『タチサレ……タチサレ……』
無機質な砂嵐の音の裏で、微かだが確かにスピーカーからそう声が響いた。
揺れは激しさを増すことを止めず、今度は手のような形が画面に浮かぶ顔の横に形成されていく。
画面の顔と手がもがく度に、ビニールを裏側から押しているかのように画面は伸びていった。
画面の奥から今にも何かが這い出してこようとしている。


ヒカリ達は悲鳴を上げる事もできずふらりと腰を抜かす。
その拍子にヒカリのショルダーバッグが開き、ごとりと固い音を立てて何かが床に落ちて開いた。
電子手帳のようなそれは、ヒカリのポケモン図鑑。
出会ったポケモンに向けるだけで自動でデータをスキャンして記録していくハイテク品だ。
だが、こんな得体の知れない幽霊が相手の状況では何の役にも立たない代物――のはずだった。
今にも憑かれて呪い殺されるかもしれないような危機的状況にありながら、大切なポケモン図鑑を無くして博士達に迷惑をかけるわけにはいかないという一心で、ヒカリはポケモン図鑑を拾い上げる。ふと目に入った図鑑の画面にはいつの間にか見たことのないポケモンの姿が記録されていた。
ヒカリは一日の記憶に頭を巡らせる。今日、ポケモン図鑑を取り出して使ったのはナタネさんに会う前に森でアゲハントに一回、そして洋館へ来る途中でヤミカラスとケムッソを確認した時、そして今この瞬間だけ。
ロトム――こんなポケモンは洋館に来るまで記録されていなかった。
捕まえて詳しい分析にかけるまではタイプはわからないけれど、見た感じで受ける印象は電気、エスパー、またはゴースト。
ゴーストやエスパーポケモンなら、幽霊みたいなイタズラだってできるかもしれない!
ヒカリはショルダーバッグに手を突っ込み、捕獲用のモンスターボールを探り出す。
自分の直感に一か八か賭けてみることにした。


ヒカリの手から投げ放たれたモンスターボールは、テレビにぶつかる直前に宙で開き、閃光を放つ。
這い出そうとしていた幽霊は思わぬ反撃にひどく慌てた様子でテレビに引っ込んで逃れようとしたが、ボールの光にさながら掃除機に吸われる布切れのごとく引き寄せられしまう。
やがて数秒も経たない内に画面から橙色の小さな影が飛び出て、ボールの中に光となって吸いこまれた。
と同時に幽霊の姿は霧が散るように消え去る。
モンスターボールはポケモンにしか反応しない。やはり今回の一件はこのポケモンの仕業だったんだ、とヒカリは確信を得る。
ヒカリ達はまだ気を緩めずに床に転がる閉じたボールを見張った。
中で必死に抵抗しているのかまだボールはゆらゆらと揺れ動いている。
揺れが一回目。完全にロックが掛かるまで、ポケモンが抜け出してくることは大いにありうる。
二回目。ロックされるまで後少しだが、まだまだ油断はできない。
そして三回目――。

扉に鍵を掛けられてしまい中の様子を窺う事ができずにいたドンカラスだったが、ようやくエンペルトが倉庫から鍵を取って戻ってくる。
「おお、ご苦労さん」
「マージを呼んで扉をすり抜けて内側から開けさせた方が早かったんじゃあないか?」
「もしもまだ人間がめげやがらなかった時の最後の追撃役として待機させているから、持ち場を離れさせるわけにゃいきやせんよ」
ドンカラスは鍵を受け取ると器用に觜で鍵穴へと差し込んで錠を開け、音を立てぬようそっと覗ける程度の隙間を作る。
そして見えた光景は、今まさにロトムがモンスターボールに吸い込まれた瞬間だった。


苦々しい顔でドンカラスは舌打ちする。後から覗き込んだエンペルトも深刻な表情を見せた。
ロトムの入ったボールが床で揺れる。それでも二匹は決して部屋に飛び込んでロトムを助けにいこうとはしなかった。
正体がポケモンだと気付かれてしまった以上、もう人間達は仮装に怯む事はないだろう。
ポッタイシとワタッコの協力もこれ以上は望めない。
狭い室内にトレーナーが二人もいる中から、ロトムのボールを掠め取ることは不可能に近い。
ボールがロックされ、トレーナー登録をされてしまう前にロトムが抜け出して逃げ延びてくることを祈るしかなかった。
しかし、揺れが三回目に差し掛かった時、無情にもボールはカチリと音を立てて動きを止める。
そしてすぐに人間の一人が駆け寄り、それを拾い上げた。
ドンカラスは諦めたように扉を静かに閉めると、帽子の鍔を下げ小さくため息を吐いた。

「へー、ロトムっていうんだ。まさかこんな小さいポケモンが今回の犯人だったなんてねー」
玄関へ向かう途中、ポケモン図鑑を見せてもらいながらナタネは感心半分、呆れ半分に呟いた。
「この子、どうしましょう。事件解決の証拠に必要ですか?」
ロトムの入ったボールを手にヒカリは尋ねた。
「ううん、いいわ。調査に付き合ってくれたお礼として取っといて。捕まえたのはヒカリちゃんだしね。さあ、早くこんな陰気臭い洋館からは出ましょ!」
「はい!」
扉を開け放ち、二人とそのポケモン達は夕焼けが木々の間から滲むハクタイの森を帰っていく。
その背をドンカラス達は洋館の窓からひっそりと見送った。
ロトム一匹の犠牲だけで洋館が救われるようならそれも止む無いと、ドンカラスが苦渋の決断を出したのだ。
「しょうがねえんだ。諦めておくんなせえ」
後ろでぐすぐすと恨めしく泣くムウマージにドンカラスは言い聞かせる。
「ヒカリちゃんならロトムに対してぞんざいな扱いはしないと思う。だから辛いとは思うけど……ね」
エンペルトもそう諭すが、ムウマージは泣きながら二階の奥へと飛んでいってしまった。


「どうしようもねえな、こりゃ」
ばつが悪そうにドンカラスは頭をばさばさと羽でかく。
「しばらく一匹にしておいてあげるしかないよ」
そう言って、エンペルトは窓の外に目を戻す。その視線の先にはポッタイシ。
ちょうど彼女も洋館を名残惜しそうに振り返ったところだった。
――さよならポチャ。そっとエンペルトは心の中で呟いた。
「追いたきゃ追ってもいいんだぜ、エンペルト?」
エンペルトの様子に気付き、ドンカラスはにやにやとしながら言い放つ。
「冗談じゃあない。そんなことしても、強烈なビンタが飛んでくるだけだよ」
「クハハ、違えねえ。ま、ようやく面倒臭えことが解決したんだ。今日はゆっくりと飲みましょうや。たまにゃお前の愚痴を聞きながらでもいいぜ」
ぽんぽんとドンカラスはエンペルトの背を叩く。
「そうだねえ。いつも聞かされてばかりでうんざりしていた所だからちょうどいいかもな」
「お手柔らかに頼みやすぜ。さあて、まずは食堂から有りったけの酒をとってきやしょ」
食堂に入る際、ドンカラス達は半透明の体をした老人とすれ違う。
立ち直ったムウマージがまたイタズラをしているのだろうとさして気にも止めず、酒とツマミを抱えながら階段を上って二階の部屋に向かう途中、今度はまた半透明の幼女と廊下ですれ違った。
ムウマージの立ち直りの早さに苦笑しつつドンカラスが部屋の扉を開けると、部屋の隅には肩を揺らして嗚咽しているムウマージの姿があった。とても元気にイタズラをできるような状態ではない。
ドンカラスとエンペルトは顔を見合わせる。じゃあ、先ほど見た老人と幼女はまさか本物――。
「クハ、クハハ……。なあ、エンペルト。たまにゃあ外に飲みに行くのもいいんじゃあねえかな。トバリのエレキブルんとこ辺りに泊まり掛けで三日程。終わる頃にはさっき見たものは全部忘れて解決、解決」
「……ああ、そうだね。そうしようか、あははは」
振り絞ったような乾いた声で二匹は笑いあった。

霊の力の大部分は怨念や後悔、執念など言わば強い気持ちの力だ。
悲しみから立ち直った時、ムウマージの力は増している……かもしれない。

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