第36章 - 3

元々、幽霊が出るといわくつきの館ではあったが、最近になって館からの騒音や、館から飛び出していく沢山のヤミカラス達を見たなどの不可解な情報が相次ぎ、ハクタイシティのジムリーダーであるナタネが派遣されたという次第だ。
ここで会ったのも何かの縁だとナタネに協力を頼まれ、ヒカリは快く承諾した。
外見からして不気味な洋館へ行くことに抵抗はあったものの、ジムリーダーを務める程の手練のトレーナーであるナタネと一緒であれば大丈夫だろうと踏んだのだ。

しかし、実際はこの体たらく。ヒカリは困った人を放っては置けない自分の質を恨んだ。
確かにナタネは凄腕のトレーナーに間違いない。ただ、洋館を探索するにあたって彼女は大きな弱点を抱えていたのだ。それは――。
二人の横で今度は草むらが、がさりと音を立てて揺れる。
「いやー! お化けー!?」
――大のお化け嫌い。

「ケムッソですってば……ほら。大丈夫だから行きましょ、ね」
初めは多少の恐れがあったヒカリも、自分がしっかりしなければという責任感がいつのまにか恐怖に打ち勝ち、ほとんど怖くは無くなっていた。


「こんなので本当にうまくいくんですかい?」
食堂の机にシーヤの実を盛り付けるエンペルトに、ドンカラスは疑った目を向けた。
「たぶんね。それよりそれ、ちゃんと持っててくれよ」
エンペルトに指示され、不服げにドンカラスは足元の投網を拾い上げる。
「よし、後は少しの間、物陰に隠れていよう。先客がいないことを一応しっかり確認してからね」

二羽は食堂のキッチンに身を隠し、注意深く机と入り口の方を見張った。
数分後、大きな影がのっそりと入り口をくぐり、食堂に姿を現す。
それはヤミカラスが言っていた通りの姿をした、皮マスクとぼろぼろの小汚い衣服を纏った怪人だった。
化け物を信じていなかったドンカラスも、思わず息を呑んでその姿を見つめる。
体重を感じさせないまるで滑るような動きで怪人はシーヤの実が置かれた机へと近寄っていく。
実の一つへと怪人がそっと手を伸ばした瞬間、「今だ!」とエンペルトはドンカラスに声をかける。
二羽により素早く網が投げ掛けられ、逃げる暇もなく怪人は網に捕われた。

「こいつめ!散々、あっしの館を荒らしてくれやがって!」
「ドン、ちょっと待って!」
エンペルトが止めるのを押し退け、ドンカラスは藻掻く怪人に飛び掛かり押さえ込みにかかる。が、飛び乗った途端に怪人は綿の抜かれたぬいぐるみのように潰れてしまった。
ドンカラスが呆気にとられている内に、網の間から濃い紫色をした布のようなものが擦り抜け、こっそりと逃げていこうとするのをエンペルトは見逃さなかった。
「やれやれ。マージ、お腹すいてるんだろ?イタズラは休んで、食べていきなよ」
ぴくり、と紫色の布はエンペルトの言葉に反応を見せ、動きを止める。
「ちぇ、ばれちゃってたか~」
諦めたように呟いて布は宙でぐるりとまとまり、一瞬の内にムウマージへと姿を変えた。
「へ……犯人はマージさん?」
素っ頓狂な調子でドンカラスは声を漏らした。


「――まったく、マージさんだからあまり強くは怒らねえが、今後はこういうイタズラは無しで頼みやすぜ」
「はいは~い」
美味しそうに木の実を頬張るムウマージを見ながら、ドンカラスは苛立ちを極力抑えて言う。
行き場を無くしたこの怒りをどこでどう晴らそうか頭を巡らせ、苛々とした様子で食堂を出ていった。

「後、電化製品へのイタズラもだめだよ。危ないし、みんな困ってるから」
「それはマージだけじゃできないイタズラだよ~」
「ん、どういことだい?」
「え~っとね~……あたらしいおともだち」
エンペルトは首を捻る。洋館で起きた異変は、すべてムウマージの仕業だとエンペルトは思い込んでいたのだ。
――まだばらばらに行動をとるのは不味い!
瞬時に判断し、エンペルトはドンカラスを呼び止めに向かった。

「んぎゃあーッ!?」
食堂のすぐ外からドンカラスの叫び声と、屋内にもかかわらず強い風が食堂に吹き込んできた。
「遅かったポチャ……」
息をきらせた様子でドンカラスが食堂へと駆け込んでくる。
「畜生、暴れ扇風機だ!あれを止めやがりなせえ!」
その頭は、帽子型の羽毛のてっぺんだけが刈りとられ、河童のようになっていた。
「きゃはは、へんなあたま~」
それを見てムウマージはけらけらと笑い、エンペルトも思わず吹き出しそうになるのを口を押さえて堪える。
二匹の様子を怪訝に思ったドンカラスは、恐る恐る自分の頭を触ってみた。
そしてその意味に気付き、先程より大きな叫び声が洋館を揺るがした。


「さあて、どう料理してやりやしょうかねぇ」
古ぼけた扇風機を足で乱暴に掴み、ドンカラスは勝ち誇ったように見下ろしながら言い放つ。
はたから見れば気が触れて物に当たっているようにしか見えないが、ドンカラスの頭は怒りに満ちてはいてもまだ正常だった。
爪で絞めあげられ、扇風機のモーターが唸る。
スイッチが入っていないどころか、電源コードが繋がれてさえいないというのにだ。
見るとモーターには不思議な文様が描かれた白い札が張り付けられている。
それは『清めの札』と呼ばれる、ポケモン達――特にゴーストポケモン――が嫌う札だった。
「てめぇらがこれを嫌いなのはよぉく知ってるからなぁ。一時期ゴースト共を住まわせてやっていた時に、この辛気臭え紙っぺらにびびってるのを見たんでぇ」
扇風機を踏み付けたまま、ドンカラスはまだ数枚ある札をちらつかせて見せる。
「んで、あのデブゴーストはあっしらを追い出して、またここに住み着くことを狙ってやがるんだろうな。おめぇはその尖兵ってわけだ?本隊はいつ来やがる?規模は?」
「そんなの知らねーやい!あのデブには置いてけぼり食らって頭きてんだ。もうあんなのとは何の関係もねーや!」
悔しげに唸るだけだったモーターが、今度は確かに声と聞き取れる音を発してみせた。
扇風機はただの扇風機ではなく、ゴーストポケモンがとり憑いているのだ。
その名はロトム。電化製品に入り込み自在に操る特殊な能力で、洋館の電化製品を暴走させた犯人である。

ドンカラスが食堂へと逃げ込んできた後、すぐにそれを追って来たロトムであったが、ドンカラスとエンペルトの二羽がかりで捕らえられてしまった。
逃げだそうにも中々隙はなく、そして既に捕まっている様子の共犯者であるムウマージを見捨てる事も心情的にできず、そうこうしている内に、どこからかドンカラスが持ってきた清めの札を張られてしまい、完全に逃げ道を断たれたのだ。


「……あんまりマージのおともだちをいじめないで」
しょげた様子でムウマージは呟く。ドンカラスはすぐさまムウマージを睨み付け、頭に巻いたスカーフを取って、平たくなってしまった帽子のてっぺんを見せ付けた。
「いじめてんじゃあねぇ、お仕置きしてんだ!あっしの自慢の頭をハスボーみてぇにしてくれた名美容師にな。くそっ、また生え揃うのにどのくれぇかかることやら……。特にマニューラには絶対知られちゃならねぇ。あの糞ネコに見られたが最後、死ぬまで……いや、末代まで語り継いで笑い種にしやがるにちげえねぇぜ」
足元から微かに漏れる笑い声に気付き、ドンカラスは叩き付けるように札を更に一枚、扇風機に張りつける。
「笑っていられる立場じゃあねぇだろ」
「うわあああ、む、むず痒さが増して体中がちくちくしてきた!もう謝るから勘弁してくれよ!本当にゲンガーのデブとは関係ないんだ!今回のイタズラは自分で考えたことさ」
「マージがやったこともか?」
「ああ、オイラがマージさんにやらせたんだよ!」
はっとした顔をしてムウマージはロトムを見る。そしてムウマージはドンカラスに何かを言おうとしたが、扇風機の首がそれを思い止まらせるように僅かに横に揺れた。
ロトムはムウマージに恩義を感じていた。忘れさられ置き去りにされたことに気付かず、狭いテレビの中で仲間を待ち続けていた。
しかし、いくら待っても仲間達は現れず、それどころか洋館には見知らぬポケモン達がどんどんやってきて住み着いていく。
出るに出られない軟禁状態に陥ってしまい、不安に押し潰されてしまいそうな所で、ムウマージが現れて外へ連れ出してくれたのだ。
今回のイタズラをはじめに思いついたのはムウマージだったが、ロトムはそれを庇っていた。
――ほんとうだったらマージももっとおこられなきゃいけないのに。あとでロトムにあやまらなきゃ……。
その時、玄関から扉がゆっくり開かれる音と、どこかおどおどした声が響いてくる。
「ご、ごめんくださーい!誰か居ますかー?」
年若い人間の少女の声だった。


ドンカラス達は示し合わせたかのように息を潜め、ドンカラスが玄関の方をこっそりと覗き込んだ。
そこには確かに人間の少女二人の姿があった。二人とも腰のホルダーに幾つかのモンスターボールが取り付けられており、少女達がポケモントレーナーであるということが容易に知れる。
ドンカラスは戦慄した。それは怒り狂うケンタロスの群れよりも、下手をすれば更に質が悪いかもしれない外敵の訪れだった。

ドンカラスが住み着いてから今まで、洋館に人間の侵入を許した事はほとんど無かった。
捨てられた薄汚い不気味な洋館に用がある者などいないし、極稀に物好きな人間がやってこようとしても、大抵は洋館までたどり着く前にヤミカラス達が威嚇して追い払ってしまう。
ゲンガー達がまだ住んでいた頃に一度入り込まれたが、ゴースト達の手厚いもてなしに怯えてすぐに逃げ帰っていった。
あまり平和的ではないが、一応は双方に血の流れない方法で洋館の平穏は守られてきた。
もしも一線を越えて人間に大怪我をさせたりしてしまえば洋館は危険視され、瞬く間に他の人間達が押し寄せてきて潰されてしまうであろうことをポケモン達は知っている。
今、洋館にはヤミカラス達もゲンガー達もいない上、相手はポケモントレーナーだ。
幾ら少女とはいえ決して侮れない存在が、それも二人。自分とエンペルトだけでどう追い払えばいいのか――。
「なー、手伝ってやってもいいぞ」
ドンカラスの心を見透かしたように、ロトムは潜めた声で言う。
「オイラだってゴースト、驚かせるプロだ。現にカラス共も逃げてっただろー」
疑った目を向けるドンカラスにロトムはそう言葉を続けた。
「……本当だな?」
「信じろよー。四の五の言っていられる場合じゃないだろ」
完全に信用することはできなかったが、今のドンカラスはわらにも縋り、猫の手でも借りたい思いだった。
扇風機に貼られた札をドンカラスが剥がすと、モーターから球根のような形をした橙色の小さなゴーストが飛び出す。
「ふー、助かった。さー、あの人間共をどうやって恐がらせてやろっかなー、ぷぷ」


洋館の目前まで辿り着いた時、さしものヒカリもその恐ろしげな外観に思わず息をのんだ。
朽ちかけた外壁はまるで魚の鱗のように爛れ、ぼんやりと光を反射する曇った窓ガラスが濁った大きな目みたいに見えた。
不用意に近づけば、あのささくれだったドアが大口を開けて、自分達をぺろりと飲み込んでしまうんじゃあないか――そんな嫌な想像をしてしまう。
だがヒカリは背にのしかかる頼りない重さを思い出す。
数分程前に洋館の方から響いてきた大きな鳴き声に驚いてナタネはますます竦み上がり、もはやヒカリの背に半ば負ぶさるような形となっていた。
ここで自分まで恐がってしまったらだめだ。ヒカリは嫌な想像を振り払い、心を奮い立たせた。

「ナタネさん、着きましたよ。くっついたままだと、もしもの時にポケモンを出しにくいからもう少し離れましょ」
「う……つ、着いちゃった?じゃなかった、やっと着いたのね!周りには何もいないよね?例えば……お化けとか」
「大丈夫ですよ」
「そ!あ、いや、ただちょっと聞いてみただけだからね。お化けが怖いとかじゃないわ」
「はいはい、わかってます」
ナタネはヒカリの背から顔を上げ、数歩離れる。
「さー!さっそく洋館の調査を開……開始……」
胸を張って元気よく宣言するつもりだったナタネだが、間近で見る洋館の姿が目に入った途端に笑顔が引きつり、言葉は尻すぼみになってしまう。
「……じゃあ、わたしが先頭で行きますね」
ヒカリは気付かない振りをするのが優しさだと思い、そっと先んじてドアノブに手をかけた。
慎重に力を込めて押すと、ドアは軋みながらゆっくりと開いていく。
玄関をくぐるとそこは二階への吹き抜けがある広いエントランスホールとなっていた。
薄暗い内部は確かに所々が痛んで汚れているが、何年も誰も住んでいない廃墟の割りには、思っていたほどひどい状態では無いとヒカリは感じた。
「ご、ごめんくださーい!誰か居ますかー?」
もしかしたらまだ誰かがこっそり住んでいるのかもしれない。そう考え、ヒカリは念のため呼び掛けてみることにした。
しかし、洋館は不気味に静まり返るばかりで返事はない。
諦めかけたその時、微かな物音が正面奥の部屋から聞こえた。


「そこに誰か居るの……?」
正面奥の部屋に向かってヒカリは声をかけてみる。
すると、返事の代わりとばかりに再び小さな物音が立ったのをヒカリの耳が捉えた。
何かが隠れているんだろうか。それが人間であれば、廃墟に勝手に住み着いてはいけないと注意しなければならない。
ポケモンだったならば、おとなしい子ならそっとしておいてあげればいい。
危害を加えてくるような凶暴な奴や、本当に噂どおりの化け物や幽霊だった場合は――もしもの時を考え、ヒカリは予め自分のポケモンを護衛に出しておくことにした。
腰のホルダーからモンスターボールを一つ取り外すと、彼女はそれを軽く放り投げる。
宙でボールは開き、その中から光と共に飛び出したのは、エンペルトを一回り小さくしたようなポケモンだった。
「危なくなったら守ってね、ポッタイシ」
ポッタイシと呼ばれたそのポケモンは、ヒカリの呼び掛けに一鳴きして応えた。
横でナタネも同じようにしてポケモンを繰り出す。藍色の丸い体をしていて、両手と頭の上にボンボンのように白い綿毛を生やした、ワタッコというポケモンだ。
とりあえずは物音がした奥の部屋を調べてみようと、ヒカリ達は向かった。
部屋の入り口脇に置かれた見知らぬモンスターをかたどった石像が、何だか睨んでいるようで今にも動きだしそうな気がしてきて、少し怯えながらその横を通り抜けた。


そこは人が住んでいた頃は食堂として使われていた部屋のようだった。
中央には大きくて長いテーブルが鎮座し、幾つもの椅子がそれに沿って並んでいる。
テーブルの上に敷かれた、元々は純白であったろう黄ばんだテーブルクロスには、何の物ともわからない沢山の染みが不気味な模様を描いていた。
その染みの一つに、付いたばかりのような真新しいものがあった。
そしてそのすぐ下に木の実の食いカスが散らばっていることに気付き、ヒカリはハンカチ越しに恐る恐る欠片の一つを拾い上げてみる。
皮の色と独特の渋い匂いから、それはシーヤの実ではないかとナタネは推測した。
これはつい先程までここで誰かがここでシーヤの実を食べていたということになる。
何かがこの洋館に潜んでいる。それは確信へと変わった。
ミシリ――その時、かすかに部屋の天井が軋むような音を立て、ヒカリ達は息をのんで見上げる。
そこには何も居ないはずなのに、コンッ、コンッと今度は今度は天井を直にノックするような音が続けて鳴りはじめる。
ラップ音はその後も激しさを増して部屋中を駆け巡り、ヒカリ達は恐怖のあまり目を瞑り、耳を塞いでしゃがみこむ。
その隙に、いくつかの影が食堂を抜け出していったことにヒカリ達は気付くべきだった。


館と自分の頭を散々にされた欝憤は、あの人間共をこっぴどく驚かすことで晴らしてやろうとドンカラスは思い立つ。
それにはまずは色々と仕掛けの準備をしなければと、ロトムと一緒になって作戦を練り始めた。
悪巧みするドンカラス達の横で、エンペルトはどんな人間がやって来たのか興味を持ち、玄関の方を覗き見る。
先程の人間の声がどこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。
一人は薄着に短い緑色のマントを羽織った、短髪の見知らぬ少女だった。
そしてもう一人の白いニット帽を被った赤いコートの少女を見た時、エンペルトは思わず声を漏らす。
「ヒカリ……ちゃん?」
エンペルトはその顔に確かに見覚えがあった。
まだナナカマド博士の研究所にいた頃、たまに手伝いに来ていた子だ。それなら、連れているポケモンは恐らく――。
「何やってやがんでえ。見つかるだろうが」
ドンカラスは入り口を覗き込んだまま固まっているエンペルトに気付き、慌てて奥に引っ張り込んだ。
「あ……ああ、ごめん」
「緊急時なんだからしっかりしてくだせえよ」
いつもと何か違った様子のエンペルトを怪訝に思いながらも、ドンカラスはロトムとの話し合いに戻る。
何を仕掛けるにもとりあえずは食堂から抜け出さなければならなかった。
気配を感付かれたのか、人間達はポッタイシとワタッコを繰り出してこちらへ向かってきている。
食堂の出入口は一つしかなく、部屋の小さな窓はドンカラスとエンペルトが通るには狭すぎた。
「オイラとマージさんで奴らの隙を作るから、その間にあんたらはここから抜け出しな」
「わかった。バレねえようにうまくやりやがりなせえよ」
ロトムにその場を任せ、ドンカラスはエンペルトと食堂の調理場に身を潜めた。
ロトムとムウマージは空気に溶け込むように姿を消して人間達を待ち構える。

すぐに人間達は食堂に姿を現し、回りを窺い始めた。ドンカラスにも若干の緊張が走る。
ふと横を見ると、エンペルトがどこか複雑な表情をして人間達の方、特に赤いコートの少女が連れたポッタイシを見つめていることに気が付く。

- 90 -
スポンサーリンク
スポンサーリンク