第36章 - 2

―――身を包む冷たい空気に震えながら、ロゼリアは洞窟の一室の隅に縮こまっていた。
スボミーであった時と比べて寒さに多少は強くなったとはいえ、キッサキの外気よりは幾らかましだという程度のニューラ達の巣窟で寝起きをするには辛いものがある。
強情を張らず、もう少し後先を考えればよかった。ふつふつと後悔の念がロゼリアの心に浮かぶ。
体の芯まで凍えきりそうになっていた時、どさりと部屋の入り口の方で何か重い物を雑に落とす音が響く。
ロゼリアが見上げてみると、一匹の雄ニューラがしかめ面をして立っていた。
巣穴に来た時ロゼリアに一番ちょっかいを出してきたニューラだ。
用件を尋ねる前に、ニューラは引き摺ってきた袋をぶつけるようにニューラはロゼリアに渡す。
「お荷物の荷物だってよ。木の実取りに行ったらついでに持たされて余計重かったっつーの。あの糞カラスめ」
やっとの思いで袋の下から這い出し、ロゼリアは袋を確認した。
中身は数冊の本とヤチェの実、そしてまだスボミーだった時にキッサキに行く際、使っていたカプセル温室が入っている。少し小さいが、まだ何とか使うことができそうだ。
ドンカラスの気遣いにロゼリアは深く感激するばかりだった。
部屋を出ていこうとするニューラに礼を言おうとロゼリアは顔を上げると、ニューラが小脇に輝く石を抱えていることに気付く。それは前にロゼリアがミミロップから貰った石にとてもよく似ていた。
「それ、僕のものじゃあないですか……?」
恐る恐るロゼリアは尋ねる。
「あん?これはそこらで拾ったんだっつーの。欲しけりゃ力付くで取ってみやがれ」
ニューラは爪を長く伸ばして振り返り、声を荒げて凄む。その態度であれは自分の物だった石だとロゼリアは確信した。
しかし、ニューラの鋭い目付きと爪に体は竦み、動くことも言い返す事すらもできない。
そんなロゼリアの様子を見てニューラは小馬鹿にするように鼻を鳴らし、悠々と部屋を後にする。
一匹になると、ロゼリアはふらふらと隅に寄り掛かり、しゃがみこんだ。
堪えようと幾ら口を噛み締めても、自分の腑甲斐なさ、悔しさに頬を伝うものが止まらなかった。


それから数時間が経った後、ロゼリアの様子を見にマニューラが部屋を訪れた。
入り口の脇の岩をコンコンとノックし、返事もない内にマニューラは普段どおりの陽気さで中へと入る。
「よぉー、元気にしてるか?」
「はい……大丈夫です」
返事も弱く、うつむいたままでいるロゼリアを訝り、マニューラは近寄って顔を覗き込む。
「どーした?ホームシックにはまだ早いぜ、ヒャハハ」
ロゼリアは慌てて顔を拭う。そして、勇気を振り絞って、マニューラに話すことにした。
「――あの野郎、新入りいびりなんてダッセーことやってやがんのか」
経緯を聞き、マニューラは苛立たしげに低く唸る。
「うちの馬鹿が悪かったな。オメーの石は取り返してきてやる。ただこういうのは問題があってなー……」
何かを言い掛けたがそれを止め、マニューラは誤魔化すように自分の後ろ頭を軽く掻く。
「何ですか?」
「んー、オレが取り返してキツく言ってやっても、オメーがなめられたまんまなのは変わんねー。またオレが見てねぇ所で同じような事をされちまうんじゃねーかってな」
確かに馬鹿にされたままでは、マニューラの言う通りまた同じ事が繰り返されるだろう。
――自分は強くなるためにここに来たのだ。あんな下っぱのニューラに負けていてはとても強くなんてなれない。
「……わかりました、自分の手で石は必ず取り返してみせます」
ロゼリアは真っ向から戦う決意をする。自らの手で石を取り返し、あのニューラを見返してやるのだ、と。
「本気か?……へー、頑張りなよ。ま、今日の所はゆっくり休むといいぜ、じゃーな」
そっけない素振りでマニューラは部屋を出ていく。だが、心の内ではロゼリアに感心を覚えていた。

少しは根性がある。適当にあしらってその内に帰すつもりだったが、少しくらいなら真面目に見てやってもいいかもな。


―――羽でグラスを器用に摘み、くちばしの端からちびちびとドンカラスはどこからかくすねた安ワインを流し入れる。
だが自室で一羽、それも心配の種だけが肴では酒も不味く感じられ、あまり進みはしなかった。
ここ最近、洋館で立て続けに起こる様々な現象が部下達から知らされ、ドンカラスの頭を悩ませている。
その一つが、洋館に住む者達の大勢が寝るたびにうなされる悪夢。それだけならまだしも、決まって全員が同じ内容の悪夢を見ており、更には悪夢で見た怪物を現実の洋館でも見たなどという話さえ飛び交っている。
そして、暴走する電化製品。洋館に元から有るものは人間が置き去りにしたまま長年ろくな手入れもされておらず、他もゴミ捨て場から拾ってきたものが大半のためいつ壊れたとしても不思議ではないのだが、その壊れ方が明らかに普通ではなかった。
電子レンジを使おうとすれば突然炎を吹き出して料理ごと温められ、冷蔵庫は開けた途端に部屋中を凍り付かせるのだと言う。

今日何度目かもわからないノックが部屋に響く。うんざりした顔でドンカラスはため息をもらした。
「ったく、鍵をかける暇もありゃしねえ。開いてるってんだ! 今度は何でえ?」
ソファに座ったまま怒鳴りつけると、ゆっくりと扉は開かれた。
扉が開かれた先に立っていたのは、全身に葉っぱが毛の代わりに張り付いた雪男のような物体だった。
部屋へと入り込むと、ぺた、ぺた、と水掻きのような湿った足音を立てながら、腕を前に突き出し藻掻くようにしてふらふらとドンカラスに近寄ってくる。
その見慣れぬ不気味な風貌に、ドンカラスは息をのみ身構えた。化け物を見たという部下達の話が脳裏をよぎる。
「やいやい、何者でえ!それ以上近付いたらぶっ飛ばしてやらあ!」
「ち、ちょっと待って。僕だポチャ。この葉っぱを取ってほしい」
聞き覚えのある声で葉っぱの怪物は話す。葉っぱのせいでくぐもってはいるが、それは間違いなくエンペルトだった。
「おめえか……驚かせやがって」


「――ふー、助かったポ……ゴホン、よ」
剥がし終えた葉っぱの上に座り込み、エンペルトは安堵の息をついた。

「何やってんでえおめえは。ミノムッチにでもなりたかったんですかい」
「そんなわけないだろ。物置で芝刈り機に襲われたんだ。捜し物をしていて邪魔だったからどかそうとしたら、いきなり芝刈り機が動きだしてすごい勢いで葉っぱを吹き付けられてこのざまだよ」
「今度は芝刈り機だってえ?」
「……ドン、やっぱり最近の洋館は変だ。ヤミカラス達の言う通り何かが住み着いたのかもしれない」

初めは部下達から聞いていた話も半信半疑だったドンカラスも、こんな冗談を言うとは思えないエンペルトまで被害にあったことで信じざるをえなかった。
「ううむ……ちょいと調べてみやすかね」


早速、洋館内の調査に取り掛かろうとドンカラスはヤミカラス達を呼び付ける。
しかし、いくら待っても、何度ドンカラスが呼ぼうとも、一向にヤミカラス達は集まらない。
結局、ドンカラスの目の前に揃ったのはたったの二羽だけだった。
「……他の奴らはどうしたんでぇ」
「その、怪異が収まるまで――あー、じゃなくて、暖かくなるまでしばらく別の地方に渡る、と」
ドンカラスに睨まれ、縮こまりながらヤミカラスの片方が答える。
「逃げやがったな、あの野郎共……」
「じゃあ、俺達もここらで失礼をば」
わなわなと怒りに震えるドンカラスを横目にヤミカラスはそそくさと逃げていく。
だが、即座に二羽とも首根っ子を掴まれ、捕まえられてしまった。

「あっしらは渡り鳥じゃなくて留鳥だ。面倒な渡りをする必要はねぇよなあ、んん?それにワルはくだらない超常現象なんて信じねぇし、恐れねぇ。そうだろう、おい?」
意地悪く笑いドンカラスはヤミカラスを睨め付ける。二羽はただ乾いた笑みを浮かべるしかなかった。

「さぁさ、お供も増えたことだし、行きやすぜ。エンペルト」
「でも、正体のわからないものを相手にどうするんだ?」
「この世にただ不可思議なものなんてありゃしねえ。必ず種はあるし元凶はいるもんでさあ。それを虱潰しに捜し出してとっちめりゃあっという間に解決だ」
廊下を進みながら、ドンカラスは話し続ける。
「こんな悪質な嫌がらせをする奴で考えられるのは、一番に浮かぶのはマニューラでぇ。奴なら忍者みてぇな身のこなしで消えるように物陰に潜めるし、手先が器用で小ずるい細工も大の得意だ」
部屋の一つの前に辿り着くとドンカラスは立ち止まり、勢い良く扉を開ける。
そこはエンペルトが芝刈り機に襲われたという倉庫だ。
四羽がかりで部屋中を探してみても既にそれらしきものは無く、めぼしいものは見つかりはしなかった。

「何も居ないな。芝刈り機も見つからない。ドン、犯人はマニューラとは違うんじゃあないかな。芝刈り機は結構大きくて重そうだったし、すぐにここから運びだして隠すのはいくらマニューラでも難しいと思う。それに今はロゼリアの面倒を見てるんだろう?」


「うむむ、かもしれねぇな。――そういや、おめえ、芝刈り機に襲われた時はここに何を探しに来てたんでぇ」
「新しいビデオがないか探しに来てたんだ。マージさんが退屈そうにしていたからさ」
「ん?そうだ、マージさんは今どこで何してる?」
「そういえばここの所見かけないね」
それを聞き、ドンカラスの顔が見る見る青ざめていく。
「不味いぞ。洋館はこんな状態で、しかもマージさんまで行方知らずなんてボスが帰ってきたら何を言われるか……一刻も早く見つけねえと!」
その時、部屋の外でドスン、と大きな物音が響く。ドンカラス達は身動きを止め、口を閉ざした。
「……おい、おめぇちょっと様子見て来い」
数時間にも感じるような数分の不気味な程の静寂の後、ドンカラスはヤミカラスの一羽に命じる。
当然、ヤミカラスは嫌がったが、無言の圧力を受けてしぶしぶ様子を見に部屋を出ていった。
直後、悲鳴とそれを掻き消すように大量の水を吹き出すような音が廊下から響く。
聞き付けたドンカラス達が一斉に部屋を飛び出すと、廊下は天井までびしょ濡れになっており、ヤミカラスは壁ぎわでぐったりとして倒れていた。
駆け寄ってみるとヤミカラスにまだ息はあり、うわごとのように“洗濯機が”と繰り返し呟いている。
「ちぃっ、のびちまってるな。洗濯機がどうしたってんでぇ」
「ドン様……あ、あれ……」
ヤミカラスのもう一羽が廊下の向こう側を羽で指し示し、顔面蒼白でガクガクと震えだす。


ドンカラスとエンペルトは指された方を見てみるが、その先には既に何も居ない。
「何だ?誰もいないじゃねぇですかい」
「嘘なんかじゃない、確かにいたんだ!夢でも見た、皮のマスクを被って刃物を持った怪人だ!俺もうこんな館嫌だ!一足先にさいなら、ドン様、どうかご無事でー!」
ドンカラスの脇を擦り抜け、止める暇もなくあっという間にヤミカラスは逃げていってしまった。
「あ、おい!……クソッタレ」

そんなやり取りを面白可笑しく覗き見る二つの影があった。
片方は濃い紫色の影で、もう片方は橙色をした小さな影だ。
「きゃはは、こわがってるこわがってる~!さすがだね~、きみのちから~」
「いやいや、あんたの悪夢と変装もなかなかのもんだよ。ホントあんたには感謝してもしきれないや。うぷぷ、あの前々からいけすかなかったカラスが困ってる姿……歌でも歌いたいような実にスガスガしい気分!」

ドンカラス達の知らないところで更なる危機が洋館へと迫る。
人間の少女二人組が、恐る恐ると言った様子で洋館へとやって来ようとしていた。
「そんな後ろに隠れないでくださいよ、ナタネさん」
「あ、あたしはヒカリちゃんの背後を守ってあげてるの!別に隠れてるってわけじゃないわ」
「もう……」


「腰抜けのヤミカラス共め、帰ってきたらタダじゃおかねえ」
苛々とした様子でドンカラスは壁を蹴りつけ舌を打つ。
その横でエンペルトは何か心に引っ掛かるものを感じ、頭をめぐらせていた。
「なあ、ドン。さっき、ヤミカラスは皮のマスクを被った怪人がどうとか言っていたよな?」
「それがどうかしたってのか? そんなもん出任せの逃げ出す口実に決まってまさあ」
「そんな怪物を何か他でも見たような気がするんだ。夢の中でじゃあない。
他のヤミカラス達が見たという怪物の話も、よくよく思い出せばそうだ」
「おいおい、おめえさんまで何言ってやがんでえ。
洋館でまともに動けるのはもうあっしらだけなんだ。もっとしっかりしてくだせえよ、ったく」
「だけど――」
「まだ近くに廊下中をずぶ濡れにしやがったド阿呆がいるはずだ。早くこてんぱんにのしてやらねえと気がすみませんや」
エンペルトの話をろくに聞く態度も見せず、ドンカラスはさっさと先に行ってしまう。
腑に落ちない思いをしながらも、エンペルトはその後に続いていった。

次に二羽が調べに向かったのは、ビデオを見るのに使っていたテレビが置かれている部屋だ。
大量のビデオとそのパッケージが散らかっている以外には特に何も無く、灰色の砂嵐を映すテレビがむなしくザーザーと音を立てていた。


「やっぱりマージはいないね」
部屋を見渡してエンペルトは言う。そして何となく足元に転がるパッケージの一つを拾い上げ、表紙を眺めた。
その瞬間、エンペルトは抱いていた疑問が解けたかのような短い声を上げる。
ドンカラスの怪訝そうな顔に気付き、エンペルトはパッケージをドンカラスに手渡した。
「それを見てくれ」
表紙には、不気味な皮マスクを被った男が血みどろのナイフを持っている姿が描かれている。
「ヤミカラス達が見たと言っていた怪物はみんな、僕達がマージと一緒にここで見たホラー映画に出てくる奴らに似ているんだよ」
「ビデオから化けもんが抜け出てきたとでも言いたいんですかい? くっだらねえ」
「そこまでは言っていない。だけど、ヤミカラス達はビデオを見てはいないはずなのに、話に出る怪物の姿はここにあるホラー映画のどれかと必ず共通点がある。そんな偶然があるだろうか?――ドン、次に怪物が出てきたらちょっと僕に考えがある。その前に食料庫に行こう。怪物はきっとシーヤの実が好きなはずさ」


薄暗い森に聳える洋館へと向かう二人の少女の頭上を、不意に黒い影が羽音を立てて過ぎ去った。
「きゃあ!」
少女の一人が大げさな悲鳴を上げ、その場に頭を抱えて蹲る。その姿をもう一人は呆れたように見つめた。

「大丈夫、ただのヤミカラスですよ。ナタネさん」
ナタネと呼ばれた少女は恐る恐る顔を上げ辺りを確認すると、取り繕うように威勢よく立ち上がった。
「わかってる、わかってる。今のは、ただちょっと転びそうになっただけだから平気よ!さーさー、あたしはヒカリちゃんの背中を守ってるから安心して進んでー」
そう言うとナタネは、もう一人の少女――ヒカリの背中へ回り込んで洋館の方に体を向けさせた。
心の中でため息をつき、ヒカリは再び歩き始める。そして、その背にナタネは背後霊のようにしがみ付いて付いて行く。
ずっとこのような調子で、二人は進んでいた。

発端は、ハクタイの森に生息するポケモンの調査に訪れたヒカリが、何やら困った様子で森の奥を眺めているナタネの姿を偶然見つけたことだった。
ヒカリが事情を尋ねてみると、彼女はハクタイシティの住人の要請で、森に建つ捨てられた洋館の探索に訪れたのだと語った。

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