第35章 - 2

―――本が乱雑に積まれた部屋で一人、ロゼリアは溜め息をつく。
その手に持った本の内容がつまらないわけでも、あてがわれた部屋に不満があるわけではない。
一見、狭くも見えるがロゼリアの小さな体格からすれば広さとしては申し分ないし、むしろ本の山に囲まれる事は人間の文字をあまりに難しすぎるものでなければ理解でき、文化や習慣に少なからず興味があるロゼリアにとって至福の状態であったろう。それが普通の心持ちの時であったなら。
ミミロップが洋館を出ていってから数日、ずっともやもやした気分でロゼリアは過ごしていた。
食事をしている時も、エンペルトに文字を教えている時も、ドンカラスやビッパに映画やアニメの鑑賞会に無理矢理付き合わされている間も、頭にはずっとハナダでの敗北やキュウコンの言葉が巡っている。
このままのんべんだらりとしていていいのか。負けたままで、馬鹿にされたままでいいのか。
――いいはずがない!
ロゼリアの心が奮い立つ。本を勢い良く閉じ、強い意志を胸にロゼリアはドンカラスの部屋へと向かった。

「それで、得物を使った戦い方を習いたい、と?」
片眉を吊り上げてドンカラスはロゼリアを見やった。はい、と力強くロゼリアは頷く。
ドンカラスはロゼリアの頭の先からつま先まで眺めて首を傾げた。
どこからどう見ても、自分が少し力を入れれば簡単に折れてしまいそうなほどにロゼリアの手足は貧弱に見える。
とてもそのような戦い方に向いているようには思えなかった。
「言っちゃあ悪いが向き不向きってのがポケモンにもありやすぜ。そもそもおめえさんにゃ刃にできそうな鋭い爪も翼も、ヒレだって無いんじゃあねえですか?」
ドンカラスの言葉に、ロゼリアは花の中から毒のトゲを伸ばしてみせた。
「自覚はしています。ですが、向いてないからといって逃げたくない。自分自身に負けたくないんです」
混じり気の無い真剣な眼差しをロゼリアはドンカラスに向ける。しばらくの間、睨み合いのような状態が続いたが、ついにはドンカラスは根負けした。


「……本気のようで。わかりやした。といっても、教えられるような奴がいたっけなあ。あっしも少しゃ心得はあるんだが空戦専門でして。ザングールだかザンネックだったか、そいつは最近とんと見かけねえしな」
ふーむ、と唸りながらドンカラスは思考を巡らす。一瞬、何か思いついたかのような素振りを見せたが、すぐに浮かんだ考えを否定するようにドンカラスは首を軽く横に振るう。ロゼリアはそれを見逃しはしなかった。
「いるんですね、思い当たる方が」
「いやいや、違うんでさあ。あー、今、思いついた奴ぁちょいと問題があるっていうか、問題の塊っていうか……。もうちょっと考えさせてくだせえ。頭をうんと捻ればもっとマシな奴が思いつくかも――」
ドンカラスがそう言い掛けた時、玄関の方からドアを乱暴に蹴り付ける大きな音が響き、部屋がみしりと揺れる。
「最悪のタイミングで当人が来やがった……」
苦々しくドンカラスは呟いた。

「はあ?こいつにオレの戦い方教えろって?」
素っ頓狂な声を上げるマニューラに、ドンカラスは静かに頷く。
マニューラはちらりとロゼリアを見て小さく吹き出すように笑った。
「何の冗談だよ。モヤシがそのまま歩いてるような奴にできるわけねーだろ。大体、オレがンなメンドクセーことタダで引き受けると思うのか?」
「おめえもそんな体格のいいがっしりした体付きじゃねえだろうが。その細っこい体で何倍も大きくて力の強い獲物を狩る技と方法……おめえもちっちぇえ頃に少しは親父さんから習ってんだろ。一子相伝の暗殺拳じゃあるめえし、ケチケチせずに教えてやりやがれってんだ。そうだな、今貯まってるおめえのツケを清算してやる。それで手をうちな」
湧き起こる苛立ちを堪え、ドンカラスは交渉を始める。
「ツケの清算に加えてオレン十二のオボン八、だ」
「てめえ、どれだけウチでタダ飯食いやがったと……!オレン九、オボン五、これ以上は出せねえな」
「オレン十、オボン六。同盟をあちこちで結びやがったせいで狩れる対象が減ってこっちも飯が足りねえんだよ」
負けじとマニューラも食い下がる。今にも怒りが爆発しそうな顔でドンカラスはぎりぎりとくちばしを噛み鳴らす。
その脇でおろおろとしながらロゼリアは二匹のやり取りを見守った。


「――ああ、クソッタレ!持っていきやがれ糞ネコがぁ!その代わりくれぐれも大怪我させんじゃねえぞ!」
「ヒャハ!いいぜ、せいぜい死なねー程度にかわいがってやる!」
木の実とロゼリアを袋に詰め、マニューラは帰っていく。
そのパンパンの袋を背負った後ろ姿を腹立たしく見送った後、ドンカラスは玄関を閉めた。
部屋へと戻ろうとした時、洋館を気ままに漂うムウマージの姿がドンカラスの目に入る。
「おめえさんはお二方みてえに何かどこかに行きたい、強くなりたい、とか無いんですかい?」
ドンカラスの言葉にムウマージはただ首を傾げる。聞いてもわからないか、とドンカラスは決まりが悪そうに自分の頭をばさばさと掻いた。
「んー、まあいいや。何かビデオでも見ますかい?ここの娯楽はそれくらいしかねえもんで」
「スプラッターえいががいい~!」
「どうせならもっと気分が晴れ晴れとするものにしてくれやしませんかね……」


長い間、袋の中で木の実と共に乱暴に揺さ振られた後、目的地に着いたのかようやく揺れが収り、ロゼリアは安堵する。
しかし、それも束の間、急に体の向きが逆さまになり、ゆさゆさと振り落とされて背中をしたたかに地面に打ち付けた。
背をさすりながら起き上がろうとするロゼリアに、更に追討ちするかのごとく木の実が雪崩のように降り注いで覆い被さる。
「出て来いテメーら!これが今日の戦利品だ」
マニューラがそう叫ぶと幾つもの声と足音が集まってくるのを、ロゼリアは木の実の山に埋まりながら感じた。
「あら、しみったれの鳥公にしちゃ随分と気前がよかったわね。どんな手を使ったわけ?」
その中の雌のものらしき声がマニューラに尋ねる。
「へっ、交渉の腕だよ、腕。メンドクセー条件が付いちまったけどな。しめてオレン十日分にオボン六日分。一度に持ちきれなかったから、誰かまたあのボロ屋敷に取りに行きな。ボンクラが渋ーい顔して歓迎してくれるだろうぜ。ま、そりゃさておき、とりあえず今あるのを分けて持ってけ。喧嘩すんじゃねーぞ」
周りの声が尚一層騒がしくなり、ロゼリアの身にのしかかる重量はどんどんと軽くなっていった。
やっと自力で抜け出せそうだと思った矢先、不意に首根っ子の辺りを尖った爪に捕まれ、ロゼリアは引っ張り出される。
木の実の山から外へ出た瞬間、ヒヤリとした空気がロゼリアの全身を包み込む。そこはキッサキのニューラ達の巣穴。


ロゼリアを掴み上げたニューラ――赤い方の耳の長さからして雄だろう――は怪訝な顔をしてロゼリアを見つめている。
「こ、こんにちは……」
どうしていいのかもわからず、とりあえずロゼリアは手に吊り下げられながらも挨拶を試みた。
「おい、マニューラ。見るからに不味そうだがこれも食えんのか?」
そうニューラにロゼリアを突き付けられ、マニューラは今やっとその存在を思い出したかのような顔をする。
「おーおー、そうだった。そいつの面倒見んのが条件ってやつなのさ。人質みてーなもんだから食うなよな。腹壊すぜ。つーか前にも確かここに来たの見ただろーが。あのネズミちゃんと一緒によ」
「へーぇ。覚えてねえっつの」
興味を無くしたのかニューラはロゼリアを放り投げ、木の実を抱えて自分の住みかへと帰っていく。
マニューラはうまく宙でロゼリアをキャッチし、傍らへと置いた。
「ほとんど全員居るようだし丁度いいや。オメーの事を他のニューラ共にも言っとかないとな。オレが見てないところで知らずに料理されちまわねーようによ、ヒャハハ。――テメーら、注目!」
号令をかけると、一斉にニューラ達はマニューラの方へ目を向けた。天井に吊されているレアコイルもじっと見下ろす。
「いいか、このおチビちゃんの顔をよーく覚えとけ。こいつは今日からしばらくウチで面倒見ることになっちまった大事な大事なお客サマだ。腹が減りに減って、まかり間違って美味そうに見えたとしても、獲って食うんじゃねーぜ。……オメーからも何か言いな」
ほれ、と背中を押され、ロゼリアは前に進み出る。ぎらぎらと光るニューラ達の鋭い目に内心びくつきながら、ロゼリアは口を開いた。
「どうも、皆さん。今日からお世話になるロゼリアと申します。どうかお手柔かに――」
「挨拶はもういいから何かやって見せろよ」
壁を伝う螺旋状通路の階上に居るニューラの一匹が発した突飛すぎる申し出に、真意を測りかねてロゼリアは首をひねった。
「マニューラがわざわざつれてきたヤツだ。芸の一つや二つ絶対あるっつーの。なあ?」
呼応して他のニューラ達も囃し立て始める。困り果てたロゼリアは助け船を求めてマニューラの顔を見やった。


「いいんじゃねーの?ビシッと決めて顔覚えてもらいなよ。見ててやっから」
縋ったワラにも突き放され、ロゼリアは途方に暮れる。その間もニューラ達は早くやれと急き立てた。
「……わかりました」
ひとしきり悩んだ後、ロゼリアは心を決める。ニューラ達は途端に静まり返り、その様子を見守った。
ロゼリアは小さな葉っぱを一枚取出すと口元へとそっと当て、息を吹き込んだ。優しい旋律が紡がれ、洞窟内を流れる。
しかし、肝心のニューラ達の反応は悪く、最初は黙って聞いていたが徐々に退屈そうな顔になっていき、遂には野次を飛ばし始める。天井のレアコイルまでブーイングらしき電子音を鳴らした。
退くにも退けず頑張ってロゼリアも続けたが、見兼ねたマニューラは礫まで飛んでこない内にとロゼリアを退かした。
「その程度じゃなまっちょろいんだよ。オレ達相手にやるならもっとはめ外しな。オメーら、久しぶりにアレやんぞ!」
待ってましたとばかりにニューラ達は歓声を上げる。数匹のニューラが無数に開いた巣穴の一つに入り、中からガラクタを持ち出してくる。所々が錆付いた壊れかけのギター二本と、ヤカンや鍋を組み合わせたようなドラムらしき物体だ。
その内、ギターの一本を投げ渡されマニューラはそれを受け取った。
「レアコイル、カモン!」「ビビビ!」
鎖を外して勢い良くレアコイルが降りてくると、マニューラはギターから伸びる線をレアコイルに差し込む。
爪で弦を引っ掻き始めるとと金切り声のごとき凶悪な音が響き、レアコイルがそれを更に増幅させてロゼリアの耳をつんざいた。
続いて一匹のニューラが棒切れでヤカンと鍋のドラムを乱暴に叩き始め、更にもう一匹は地味ながら狂暴な低音を掻き鳴らしてロゼリアの耳を着実に攻めていく。
正に不協和音の集大成。たまらず地面に突っ伏し耳を塞ぐロゼリアをよそに、ニューラ達は熱狂し騒ぎだす。
「万雷の拍手をおくれ世の中のボケどもーってか!ヒャッハァーッ!」
こんな所で果たして自分はうまくやっていけるのだろうか――ロゼリアの心は初日から深い不安に苛まれた。


―――繰り返される残虐な行いの数々。吹き出す血潮に弾ける目玉。
そんな映画のワンシーンを、まるでバラエティ番組を見ているかのようにけらけら笑いながら、お菓子をつまみつつムウマージは見入っている。
その横で、ドンカラスは食べ物に手を付ける気にならず半ばげっそりとして、画面とムウマージの半々を末恐ろしく感じながら眺めていた。
最近太り気味のドンには良いダイエットだ、と一緒に見ているエンペルトは皮肉めいて言う。
「ねーねー。がめんのおくになにかいるよ~?」
何度目かわからないムウマージの言葉に、ドンカラスは深くため息を吐く。
「あっしゃもう驚き疲れやしたよ……。今度は何だ。ホッケーマスクの怪人か?それとも鋭い爪したオッサンですかい?」
「こんどはそうじゃなくってさ~。じっさいのテレビのなか~?」
「分けの分からねえ怖い事言わねえでくだせえよ……」
「む~!」
真剣に相手をしてくれないドンカラスにムウマージはむくれたが、すぐにまた画面で盆踊りしている死霊達に夢中になり、テレビ自体に感じた違和感は忘れてしまった。

- 87 -
スポンサーリンク
スポンサーリンク