第34章 - 2

「ピカチュウ大丈夫?なんか顔色悪いけど。」
手で口を塞ぎ、わずかに聞こえるほどの小さな声でミミロップが心配そうに俺に声をかける。
―――どうやら気を失っていたのは俺だけのようだ。
「ああ、問題ない。いったい俺の身に何があ………」
「おーっと、さっきの話を忘れたのか?おしゃべりはそこまでだ。それを知りたきゃしっかりと俺に付いてくることだな。ケケッ」
そういうや否や、ゲンガーは飛び跳ねるように彼方に見える一点の白い光に向かってへ走り出した。
あそこが出口だと思って間違いないだろう。
「はやくいこ~」
俺は無言で頷き、ゲンガー達の後を追って走り出した。

数百メートル進んだところで、自分の体の異変を無視できなくなった。
体が重い―――出来るだけ息をしないようにしているせいもあるだろうが、それだけではない。
後ろに続くミミロップ、ロゼリアにも俺と同じ症状が出ているようだ。
一方、先頭を行くゲンガー、ムウマージ、一番後ろを行くサマヨールとゴースト達は特に変化はない。
むしろ、いつもより生き生きしているように見える。こいつらには似合わない表現だが。
「さぁーて、そろそろ答えを知りたくてウズウズしてきただろ?」
ゲンガーが軽快にステップを踏みながら、こちらに振り向いた。
が、速度はまったく落ちない。そのまま後ろ向きに走り続けている。
「たぶんお前の疑問の答えは全部一瞬で出るぜ。上を見てみな。」


ゲンガーの指差す方向を見ると、真っ黒い空と宙に浮かぶ瓦礫の間に何かが見えた。
緋色の体に、6本の黒い翼、そして頭から黄金色の外殻が胴体まで伸び、顔と胸部を覆っている。
俺の記憶とは大分ズレがあるが………その姿にはギラティナを彷彿させる多くの共通点があった。
「―――わかったか?アイツがこの空間の元締めだ。まぁ、普段ここにはアイツしかいねぇから当然っちゃ当然だな。もし、子供が自分だけの部屋をもらったらどうすると思う?お気に入りの人形を置いたり、ポスターを貼ったり、できるだけ居心地がいい部屋を作ろうとするだろ?アイツの場合も同じ、ここは同族以外お断りのギラティナちゃんのお部屋なのさ。」
なるほど、これで俺たちの体調の変化の理由がはっきりした。だが………
「ならば、なぜあそこにいるギラティナはこっちに来ない。アイツがアブソルを連れて来るようお前に言ったんじゃないのか?」
我慢できず、俺はその疑問を口に出した。
「そう事態は単純じゃねぇのさ。確かにアイツはギラティナだが俺たちの元締めとは別物だ。ま、これ以上のことは直接本人にでも聞いてくれ。」
話は終わりだというように、ゲンガーは再びクルリと向きを変え足を速めた。


見たこともないようなとても背の高い不気味な植物の森を抜けると、前方に渦巻く闇が見えた。
先を行くゲンガーがそれを指差し、あれが出口だと告げる。
ようやくこの不条理な空間から出ることができる。普通では考えられないような出来事がここでは起きた。
先程までは確かにそこに存在していた岩や植物が俺達が近づくと跡形もなく消え去り、逆に何もなかったはずの場所に突然、音もなくそれらの物が現れて道を塞いだりもした。
壁に飛び付けばたちまちそこが歩くべき地となり、今まで歩いていた足場が壁となった。ばらばらの向きで浮かぶ島々。逆向きに流れる滝。
もはや自分の居る場所が上なのか下なのかもわからない。いや、初めから上も下も無いのかもしれない。
時間の流れ、そして空間の在り方が俺達の世界の常識とは全く異なっている。まさに掟破りの世界。
出口の目の前まで来ると、すぐに後に続くように言い残し、ゴースト達は一足先に飛び込んでいった。
取り込まれかけたことを思い出して少し足が竦んだが、ためらっている暇は無い。
意を決し、渦の中心を目がけて地を踏み切った。再び生暖かい闇が全身を包み込む。
死の安らぎに支配されぬよう、意識をしっかりと持つように努めた――。

気が付くと、俺達は深い霧の立ちこめる石造りの部屋に立っていた。
じめじめとして黴臭く、そこは古い墓の中を思わせた。
「よくぞ戻った。命輝く者には難儀な道であったろう」
部屋の中央に聳える台座の上から、重々しい荘厳な声が響く。見上げると、人間の背丈の数倍はありそうな影が、赤く輝く二つの目で俺達を見下ろしていた。
「話をするには少々この状態ではしづらかろうな」
その言葉で一瞬で霧が晴れていき、巨大な影が正体を現す。それは先程までの影と比べると随分と小さい、白銀の毛並みをした狐のようなポケモンだった。
狐はゆっくりと立ち上がり、おごそかに台座から降りてくる。一段一段を踏みしめるたびに、九つある尾が揺らめいて妖艶に輝いた。
目の前に座ると、狐は俺に目を向ける。その赤い瞳に向き合っただけで自分のすべてが見透かされた気分になり、体中の血が凍り付いたかのように動かなくなった。
「さて、何から話すべきか。だが、その前に――」


狐は俺の後ろの者達を見渡して、再び俺に目を戻した。意図を理解し、俺はミミロップ達に下がるように言う。
続けて狐が、ゲンガー達に、ミミロップ達を適当な空いている部屋に通すよう命じた。
文句を喚き散らして動こうとしないゴースト達を、狐は欝陶しげに見つめて尾の一本をざわつかせてみせる。
途端にゴースト達は竦み上がり、ミミロップ達を連れてすごすごと出ていった。
「ようやく落ち着いて話せる」
ただならぬ気配と、伝わってくる底知れない力に、この狐が神族――ギラティナの化身であることはすぐにわかった。
「アブソルは?」
一拍の間を置いた後、ギラティナは口を開く。
「結論から言えば、治療は可能だ」
ギラティナの答えに俺は胸をなでおろす。だが、まだ言葉には続きがあった。
「ただし、条件がある」
怪訝に思い俺はその条件を聞き返す。
「白金の宝玉が必要なのだ。それが無くば我が力を自在に行使することは無理だ。衰弱は止められても完治させることはできないということだ。ここへ来る途中、我が神体は見たか?」
道中で見た龍の姿を思い出し、俺は頷いた。
「あの世界と、普段お前達が生きるべき世界は表裏一体。どちらかの世界に何らかの欠損が生じれば、すぐに片方の世界が傷を埋めて均整を保っている。均整が崩れれば互いの崩壊を招くのだ。ここは二つ世界の狭間。私は傾きを計り、時に正す言わば天秤のような役割をしている。多少の自己修復能力はあるため私が直接手を下すことは極稀ではあったが、今は状況が変わっている。お前が見たものは私の神体に間違いはない。私自身――魂とでも言おうか――が離れた後も、自律し、半機械的に世界の管理を行なっている。主神無き不安定な情勢の中、何とか繕ってはいたが遂に大きなほころびが生じたのだ。本来ならば転生の時ではない幾つかの魂が隙間から漏れ出し、お前達の世界に生まれ落ちた。我が神体は怒りに狂い、もはや私だけが持つ力では抑えが効かぬ。魂の無い神体は理性無き獣と同じ。その内に漏れだした魂を求めてお前達の世界へと抜け出し、大きな騒動を巻き起こすことだろう」
あまりに不吉な話に顔が引きつり、俺は言葉を失った。


「しかし、止める手立てはある。アルセウスが私を蘇らせた時、力を三つに分けた。魂、神体、宝玉。すべてが揃わねば、個々として大きな力はあれど、絶対的な力を行使することはできんのだ。そこで、お前にはこの内の一つ、白金の宝玉の封印を解き、我が下に持ってきてもらいたいのだ。私はこの場を離れることはできんし、奔放なゴーストどもを当てにはできんのでな。白金の宝玉が戻ればすぐに神体を制御して、ほころびを修復し、世界は再び安定しよう」
世界の命運が再び俺にかけられるというのか――半ば嫌気が差したが、いずれ征服する世界を崩壊させるわけにはいかない。そして、アブソルを助けなければ。仕方なく俺は首を縦に振る。
それを見てギラティナは満足気に極うっすらと微笑んだ。
「よろしい。だが、これはお前単独でやってもらう。宝玉が封印された地に送り込むのは今の力では一匹が精一杯なのでな」


単独行動か――。
久しく無かった事態に若干の戸惑いを感じる。
「どうした?よもや、徒党を組んで馴れ合わねば何もできないなどと言うのではあるまいな」
見透かされたかのようなギラティナの言葉に、俺の心は強く反発した。
「まさか。そんなはずがあるまい。俺だけで十分だ」
調子を強めてギラティナに反論する。
あいつらなどいなくても一匹でやってみせる。プライドがくだらない戸惑いを跳ね退けた。
「それでいい。孤独の中で本当の力は養われるのだ。命輝く者も、命失った者も――。さて、すぐにでも発ってもらう。準備はよいか」

急かすようにギラティナは言う。だが、やはりミミロップ達の事が気掛かりではあった。
「出発する前に、部下に話をしておきたいのだが」
「あまり猶予はない。お前の事は私の方から伝えておこう」
それならいいと、俺は引き下がる。無理に押し通すような事でもないだろう。
ギラティナから延びる不釣り合いなほど大きな影の上に乗るよう促され、それに従った。

「では、始めよう。先に言っておくが、もしも送った先でお前の身に危険が迫ったとしても、援護は期待するな。私にできる事は、魂を通じてお前を言葉で導く事と、お前が宝玉を手にした時、ここへ還す事だけ。だが、その前にお前に授けるものがある。受け取れ」
俺の足元で影が伸び上がり、俺の背丈程の十字架のような形で宙に固定される。少しずつ表面の影が血のように流れ落ちていくにつれ、それは実体と化していった。


「すべてのものに魂は宿る。草木、時には物にさえ。それは、かつて数多のポケモンを葬った狩人の剣に宿っていた魂だ。狩人は自分の行いを悔い改め、その証として剣を折って捧げた。だが、持ち主も身も失った今もなお、剣の怨念は消えず、新たな獲物を求めている」

碌でもない話を聞いて我に返り、無意識に柄に伸ばそうとしていた手に気付いて、止める。
「待て、そんな厄介そうなものが何の役に立つ。そもそも俺は剣など扱えんぞ。人間でもあるまいし不可能だ」
「物を敵に投げ付けるくらいの知能はお前にもあるだろう。使い方を誤らない限り危害を受ける事はない。もしも、あちらで強大な障害に出くわした時、その剣を呼び出し、思い切り投げ付けろ。殺すことはできなくとも、しばらくの間は動きを止めることくらいはできるだろう。使えるのは一度きり。賢く使え」
半信半疑ながら、そして強大な障害という嫌な言葉を聞きながらも、俺は恐る恐る剣の柄を掴んだ。
すると、たちまち剣は再び影となり俺の腕輪へと吸い込まれる。
ギラティナはそれを見届けると、すべての尾を地に突きたてた。
そして、体の奥底を震え上がらせるような咆哮が上がったと思った瞬間、影が大きな顎となって俺を飲み込んだ。

「さあ、行け。決して失敗は許されない。お前が正しい選択をできると期待しているぞ――」

カントー編 第2部 はここで完結です。次のページからは『シンオウ編 第2部』となります。

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