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第34章_1

水面が遠ざかり、暗い水底へと沈んでゆく。耳には、ごうごうと重苦しく不快な水の音だけが響いていた。
嘲笑うコピーの顔が闇に浮かぶ。いくら振り払おうとしても、脳裏に焼き付いたそれは離れなかった。
あのまま戦っていたとしても、俺はミュウツーはおろか、己のコピーすら倒すことはできなかっただろう。
今はもはや、レッド達の無事を祈ることしかできない。口に歯が深く食い込み、水流に撫でられるたびにしみた。
その時、突如として暗闇を閃光が照らす。直後、衝撃波が水中を駆け抜けた。
岩同士がぶつかるような鈍く濁った音が立て続けに響き始め、びりびりとした震動が伝わる。
ラプラスが泳ぐ速度を早めたのを感じ、アブソルを支える手と、しがみ付く手により強く力を込めた。
強い流れに全身を包まれ、まともに目を開ける事すらままならない。握力に限界が訪れ、投げ出される事を覚悟した時、目蓋の裏に小さく淡い光が映る。光はどんどん強まり、視界全体を覆った。
――その一瞬、笑顔で別れの手を振るレッドを光の中に見たような気がした――。
大きな水音と共に顔が水面を割るのを感じ、反射的に息を継ぐ。今にも尽きかけそうな力を振り絞ってラプラスの背をはい上がり、切れぎれの息で喉から声をひねり出す。
「無事――か、お前達」
呼び掛けに、幾つかの声が弱々しく答えた。あの場から逃がされた者は、何とか全員、外へと流れ着けたようだ。
ここは、ハナダシティの西方、四番道路辺りを流れる川だろうか。前方にお月見山の麓が見える。
とにかく、今は陸へ。アブソルの容態が芳しくない。ラプラスを川岸に急がせた。
岸へ泳ぎ始めると、大きな影が飛び立ち、こちらへと向かってくるのが見えた。
そして、俺達の頭上まで来ると、旋回を始める。威嚇するラプラスをなだめ、俺は灰色の影を見上げた。
「良かった、皆さんも無事でしたか」
プテラの背から顔を覗かせて俺達の姿を確認すると、ロゼリアは安堵の息をついた。


岸へと着くと、急いでアブソルを陸に上げ、少しでも暖を取らせるために俺はマントを脱いでかけてやった。
あの大水でロゼリアは外へと押し流された後、溺れかけているところを運良くプテラに発見され、事無きを得たそうだ。
その後の顛末を、アブソルの様子を見させながらロゼリアに話して聞かせた。
「そうですか……」
そう一言だけ呟くとロゼリアは顔を俯かせて押し黙り、無言のまま看病を続けた。
押し潰されそうな沈黙が、俺達を包み込む。皆、一様に無念の表情を浮かべ、口を開くものはいない。
川の方から沈黙を破る大きな水音が立つ。戻ってくるラプラスの姿が見え、僅かな希望を胸に俺は駆け寄っていった。
しかし、その背に望む姿は無かった。ラプラスは力なく首を横に振る。
「入り口は崩れてきた岩で完全に塞れていました。内部の様子を窺い知ることもできません」
ラプラスの言葉に落胆し、俺はその場にふらふらと座り込んだ。
俺はまた大事なものを失ってしまったのだろうか。

―――

崩れ落ちた岩の下から、土埃や蒸気とは明らかに異なる、紫色の霧が吹き出す。
「ったく、冗談じゃねえ!」
不気味な霧は苛立たしげな声を上げると、徐々に密集していき、ゲンガーの姿となった。
「あんなのに関わってたら怨念と未練が幾つあっても足りねえっての。あっという間に成仏しちまうぜ」
同じように続々と岩の下からゲンガーの子分達が抜け出し、苛立つ親分の周りに集った。
「どーするんすか、この後」
「もう知るかよ。さっさと、こんな所からはオサラバして、あんな奴らと関わらないで済むような場所へ高飛びだ」
そう言ってずかずかと足で地を踏み鳴らすかのように低空を浮遊していくゲンガーの後ろを、へーい、と気だるく返事をし、ゴースト達はついていった。
と、その時、女がすすり泣くような声が、不気味に響く。ゲンガーは面倒臭そうに懐の辺りを探る。
「こんな時に誰だ」
そして禍々しい気を放つ石ころを取り出すと、顔の横にあてた。
「失恋の末に自殺した女の恨み声っすか。渋い着メロっすねオヤビン」
「ケケッ、だろ? ――はーい、もしもし、俺、ゲンちゃん。お話したけりゃロストタワーにお供えを振込……ゲゲェーッ!」


石を媒介にした交信が始まると、ゲンガーは紫色の顔を青くして叫び声を上げた。
「何でお前がこの周波数知ってんだ! もう、こりごりだ。お前の頼みなんて聞かねえし、そっちにも戻らねえ、あばよ!」
交信を切ろうとした瞬間、石から無数の黒い影が延び、先っぽの赤く鋭い刺をゲンガーに突き付けた。
「いつの間にこんなもん仕込みやがって……! わかった、わかりました!」
答えを聞くと影の触手は石の中へとゆっくり引っ込んでいき、ゲンガーは深く息を吐いた。
「ど、どうしたんで?」
「見てりゃ大体わかんだろ、ギラティナの野郎の新しい命令だ!ネズミが連れてた白いガキを連れてこいだとよ!」

―――

「駄目です、衰弱していくばかりで、熱が下がりません」
ロゼリアも手を尽くしたが、アブソルの容態は回復せず、衰弱していくばかりだった。
アブソルにもうほとんど意識は無く、苦しそうに弱々しい呼吸をするだけだ。
「我々の力では、もはやどうしようもないのかも知れません……」
「一つ手は有るぜ」
不意に背後から声が上がる。振り向いた先には、ゲンガーとその取り巻き達の姿があった。


ニタニタとした嫌味な笑い顔で、ゲンガーは俺達を見渡す。
一つ手がある、確かに奴は言った。だが、信用できる筈もない。
何の目的があってわざわざシンオウから俺達の前に姿を現したのかはわからないが、今まで見てきた奴らの行ないと性格からして、ろくでもない理由だとは簡単に想像できる。
次にあの大きく裂けた口が開かれた途端、たちまち悪質な冗談が飛び出し、飛び切り不快な気分にさせられるに違いなかった。
当然、今はそのようなものが許容できる心の状態ではない。その瞬間、ありったけの電撃をたたき込んでやろう。
電気をスパークさせながら、俺はゲンガーを睨み上げる。
「言ってみろ。最期の言葉が三流の冗談でいいのなら」
一瞬の間を置いた後、ゲンガー達は顔を見合わせて吹き出すように笑い出した。
奴の足元近くを狙って思い切り電撃を放つ。短く悲鳴を上げ、ゲンガーは大げさに跳ね飛んだ。
ゴースト達はぎょっとした表情を浮かべ、笑うのを止める。
「あたた……わかった、わかった。待てって、今回ばかりは俺様も冗談言ってる余裕はねえのよ」
ふう、と腹の辺りを痛そうにさすりながら一つ息を吐いて、ゲンガーは話しだす。その間、無言で俺は睨み続けた。
「そう怖い顔すんなっての。最後まで聞け。何だか知らないが、俺達の元締めがその白いガキに用があるんだとよ。見たところそのガキが弱ってるのは肉体的なもんが原因じゃねえなあ。魂、霊的なもんだ。お前らなんかじゃ治すのは無理。人間に診せてもどうしようもねえよ。だが、俺達の元締めはそういうもんの専門家だ。そのガキはくれぐれも死ぬ前に連れてくるよう仰せ付かってる。何とかしてくれるつもりなんだろうぜ。」
真剣な様子で、自らが命の危機に瀕しているかのような焦りさえ見せてゲンガーは訴えかけてくる。
嘘や冗談を言っているようには見えない。
アブソルの今にも途切れそうな吐息が聞こえる。アブソルまで失うわけにはいかない――。

「すぐに会わせられるのか?」
俺の言葉に、ゲンガーは心底助かったというような表情を見せる。
「おうよ。特別なルートでシンオウまで、ちょちょいのちょいちょいちょいよ、ケケケッ」


「さぁ皆さん、入り口はこちらですよ・・・ヒヒヒ」
サマヨールの横には人間の大人がスッポリと落ちてしまいそうな穴が口をあけている。
近づくと吸い込まれてしまいそうだ・・・中は真っ暗で何も見えない。
「これが特別なルートというやつか?」
「えぇ、ここを通ればギラティナ様のもとまでは目と鼻の先です。」

「流石におれっちにその穴はは小さすぎらぁ。」
プテラは翼をたたみ、体を細めてみるがどう見ても入れそうに無い。
「では、ペルシアンに俺たちのことを伝えてくれないか?場所はポッポに聞けばわかるはずだ。」
「・・・よござんしょ。しかしこんなもの、おれっちの時代には無かったなぁ。」
よっぽど中が気になるのか、もう一度だけその穴を覗き、さびしげに飛び立っていった。

「私はここに残ります。まだ見落としていることがあるかもしれないので。」
「そうか・・・頼んだ。」
ラプラスの目を見ていると罪悪感を感じずにはいられず、それしか言えなかった。

「さぁて、出発する前にいくつか注意事項を聞いてもらうぜ。」
こっちの気持ちを知ってか知らずか、相変わらずの調子でゲンガーが話し始める。
「さっさと話せ。時間が無いのはお前もわかっているはずだ。」
「そう急かすなって、あっちで面倒起こされちゃたまんねぇからな。」
ゲンガーが口の中から古く黄ばんだ紙を取り出した。
そしてそこに書かれた無数の黒い点の中のひとつを指差す。
「そこの穴はここに繋がってる。で、目的地はこれだ。いくらお前たちでも迷うことはねぇだろ。」
―――確かにゲンガーの指差す二つの点はくっつきそうなほど近い。
周りに他の紛らわしい点も無く出口を間違えることは無いだろう。


「問題はこのルートは生てる奴向けに作られてねぇ、生身のお前らにはちょっとばかしキツイ空間だってことだ。とりあえず何にも触らず、出来るだけ息もするな。運が悪けりゃコロリと逝っちまうぞ。まぁ、俺たちと同窓になりたいなら話は別だがな。ケケッ」
こいつのニヤついた顔を見ていると俺たちを怖がらせようと嘘をついているように思えてくる。
が、わざわざ確かめるために命を賭ける気にはならない。

「アブソルは私が運びましょう。ヒヒ、一番安全ですからね。」
「うむ、では・・・行くぞ!」
ゲンガーを先頭に俺たちは暗い闇の中に飛び込んだ。


生暖かい漆黒が全身を包み、皮膚の上で粘つきながら脈打つ。
それはまるで大きな蛇か何かにゆっくりと飲み込まれていっているかのようだった。
奇妙な懐かしさと安らぎに支配され、滲んで消えかけようとしていた意識に、急に強烈なイメージが流れ込んでくる。
迫る刃、鋭い牙の並んだ大きく開かれた口、身を包む業火。幾つもの、様々な死の直前のような映像が脳内にフラッシュバックする。

――死にたくない、俺はまだ死ねない!
声にならない絶叫を上げると共に闇から体が解放され、枯れ枝の山に背から落ちたのを感じた。
先程のイメージに吐き気を覚えながら、ゆっくりと目を開けると、骨と化したポケモンの頭が鼻先にまで迫って俺の顔を覗き込んでいた。
心臓が跳ね上がり、再び大声を上げそうになる俺を見て、頭蓋骨はカタカタと笑うように顎を鳴らす。

「びっくりした?」
聞き覚えのある、気の抜けた声。頭蓋骨を脱ぎ捨て、ムウマージが顔を現した。
怒る気力も無く、俺は安堵と呆れの深いため息を吐いた。
「生きたまま成仏しかけた気分はどうだい?」
笑い混じりのゲンガーの声が聞こえる。
「荒療治だが、深い生への執着が無いと、ここではやっていけねえ。そいつがいて良かったな」
にこり、とムウマージは無言で微笑む。

「そんなことより、さっさとそこから降りてきな。急いでんだからよ。そんなにその悪趣味なベッドが気にいったってんなら、後で幾らでもロストタワーから掘り起こしてきてやるっての」
何を言っているのかと、上体を起こして下を見る。そして、その意味を理解した。俺が落ちたのは、枯れ枝の山などでは無い。
半ば転げ落ちるようにして、俺は骨の山を駆け降りた。

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