第29章 - 2

まだ日も昇らぬ内に、俺とロゼリア、そしてピジョンは洞窟を発った。
当然のごとく町中はひっそりと静まり返り、人一人通ってはいない。何ら苦労すること無く、俺達は町の南西に位置するポケモン研究所の前にたどり着くことができた。

正面の自動の機械仕掛けであろうガラスの扉はしっかりと閉じられている。
ガラス越しに見える内部は薄暗く、出口へ走るような格好をしている簡略化された人間の絵が描かれた四角い電灯だけが、淡く光っていた。
周りを探っても、窓から裏口まで至る所がしっかりと施錠され、やはり潜り込めそうな隙間は無い。
幸いなことに、まだ中に人間のいる気配は無かった。残業している研究員がいたら少々厄介な事になっていたが、そんな奇特な輩は一人もいないようだ。
随分とまあ、やる気のある研究所で助かった。
さて、計画通りにいくといいが。

ピジョンに手を貸してもらい、俺達は屋上に潜んで人間を待ち構えた。
日が昇り辺りが少しづつ明るくなり始めた頃、研究所へ近づく人影を見つける。
白衣を着ているわけではないが、一目見て明らかに研究員といった風貌の痩せた男だ。
俺が目で合図を出すと、ロゼリアは小さく頷いた。
男は研究所の裏口に回り込むと、ポケットをごそごそと探り鍵の束を取り出す。
そしてその一つを鍵穴に差し込んで回し、ドアを開けた瞬間、その頭上に花粉が降り注いだ。
男はそれを吸い込み、くしゃみの勢いで前のめりになったかと思うと、そのまま昏倒してしまった。
屋上から俺達は素早く降り立ち、倒れた男を研究所の中に三匹がかりで引きずり込んだ。
ドアを閉め、起こさぬよう男をそっと適当な壁に寄り掛からせ、ポケットから鍵の束を盗みとる。
さあ、潜入開始だ――。


「では、俺は屋上で見張りをしている。何かあればすぐに鳴いて知らせよう。うまくやれよ。」
「うむ」
器用に鍵をくわえて裏口ドアに錠を掛けると、ピジョンは一足先に傍の窓の内鍵を外し開け外に出た。
手筈通り俺は窓を閉め直し、再び内鍵を掛ける。これでもうしばらくは誰も入って来れんはず。
しかし、それもあの男が目覚めるまでの間だけだ。いつ目覚めるかわからん、手早くやらねば。

裏口から先はすぐ右へ直角に折れて続いていた。
角を抜けた先、真直ぐに伸びる廊下には、小さな窓と扉が廊下を挟んで対面するように一定の間隔で五組並んでいる。
廊下の先は広まっており、外からも見えた受け付けのようなものが見えた。
ここからは確認できないが、すぐ脇にはガラス戸の正面玄関があることだろう。
扉は全部で五つ、すべての部屋を見て回るのは時間的に少々厳しい。
鍵が有っても、俺とロゼリアの背丈では開けるに相当難儀するだろうということは容易に想像できた。
だが、何の手掛かりも無い以上、片端から手当たり次第に開けていくしか術は無い。
まずは定石であろう一番手前の扉からだ。

「待ってください、そこは物置のようです」
一番手前のドアの前で俺が立ち止まろうとした時、ロゼリアから声がかかる。
何故分かるのか疑問に感じながら振り向くと、ロゼリアはドアの上方を指し示した。
「あのプレートにそう書いてありますよ」
俺には読めんが、確かにドアの上に貼りつけてある小さな板には人間の文字で何やら書いてあるようだ。
「でかした。人間の文字が理解できたとは、思わぬ助けだ」
「え?それもあって僕を連れてきたんじゃあ無いんですか……?」
まさか忘れていたとは言えまい。
「……計算の内だ」
「怪しいなあ」
疑いの眼差しを、さっさと行くぞと強引に突っぱね、俺は次の扉へと向かった。


「ここは、えーと――実験室とありますね。例の装置があるのはここじゃないでしょうか」
物置の隣は所長室であった。それらを経て、俺達はようやくそれらしき扉の前へとたどり着く。
「ああ。では手伝え。開けようにも鍵穴に手が届かん」
俺とロゼリアの二匹分で丁度良く届きそうな位置に鍵穴はあった。
ロゼリアの力では恐らく俺の体重は支えきれん、それに頭に生えている刺が危険だ。
――ということで、仕方なく俺が台となりロゼリアを支える羽目になった。
それにしても、立場上部下である者に踏まれるのは予想以上に何とも屈辱的で堪え難い状況だ。
このような事になるのならば、多少危険は増えようがもう一匹誰かを連れてくるべきであった。
「開きました」
後悔の念に駆られているうちに、頭上からカチリという音と声が降り掛かる。
「じゃあ、下りま――うわっ!」
扉が開きかけたと同時に、腹いせに俺はロゼリアを振り落とすように下ろしてやった。いい気味である。

実験室内にはパソコンと呼ばれる機械が備え付けられた机や、分厚い本が詰まった背の高い本棚が幾つも配置され、奥にはわけの分からない大きな機械が数台置かれている。
「化石の復活を行う部屋は、どうやらここで間違いなさそうですね」
そして機械達から伸びるコードを一身に集める円柱状のカプセルが部屋の奥隅にあった。
カプセルの手前の机によじ登ってみると、木枠に入れられた石ころが並んでいた。
渦巻き貝や甲羅が彫刻されたような造形からして、これは実験用の化石に違いない。
ここに琥珀を紛れ込ませておけば後は人間共の出番だ。俺達はどこかに身を潜め、頃合いを見計らって奪い去ればいい。
「勿論、順序よく最後尾に並ぶつもりはありませんよね?」
「当然だ。結局は全て奪ってやるにしても、幾多の苦難を乗り越えてわざわざ持ってきた琥珀だ。何が蘇るのか他の化石よりも先に見たいものではないか」
「わかってらっしゃる」
他の化石を押しのけ、琥珀を列の先頭に置いた。そして最も若い実施日時が書かれた紙を琥珀へと張り替える。
後はどこに身を隠すか――何気なく見上げた天井に通風口を見つけた。
位置的に本棚に上がれば格子を外して潜り込めそうだ。
廊下の方から何者かの足音が響いてくる。急がなければ。


扉を開け入ってきたのは侵入の際に眠らせたあの男だった。男はびくびくと隅々を見回して室内を探っている。
荒らされた形跡も侵入者の影も確認できなかったのか、しばらくして男はほっと胸を撫で下ろすようにため息を吐いた。
実際に侵入者は上に二匹居るのだが、まさかこんな狭い通風口内に忍び込める者が来るとは、見た目からしてうだつが上がらなそうなあの男でなくとも思うまい。
俺が予め下に落としておいた鍵の束に気付き、男はそれを拾い上げた。何故ここに落ちてるのかと首を傾げながらもそれ以上詮索しようとはせず、昨日飲み過ぎたかなー、などと呟きながら男は部屋を出ていった。
他の場所の解錠に向かったのだろう。
あの間抜けぶりならば、鍵の束から二本程減っている事にもきっとすぐには気付きはしない。
気付いても自分がどこかで落としたと勝手に思い込む事だろう。

平和ぼけというのは実に恐ろしいものだ。
これでは十歳位のポケモントレーナーを志す人間の子供に家に不法侵入された挙げ句、机に何気なく置いていた物を勝手に持っていかれたとしても文句は言えない。

少し待てば他の研究員もその内にやってきて実験が開始される筈だ。焦る必要はない、こちらは裏口と窓の鍵を確保している。
いつでもどちらからも臨機応変に逃げ出せるのだ。
それに切り札もある。

程なくして研究員達が集まり、実験は開始された。
格子の隙間から俺達は事の運びをじっと見守った。のだが――。


「予想を遥かに超えて時間がかかりそうですね……。下手をすればまだ半日、いや、一日はかかるかも……」
「……うむ」
実験が始まってからもう数時間は経った筈だ。だが、今だにカプセル内の琥珀は元の楕円形を留めている。
白く眩しい光がじわじわじわじわと琥珀の表面を覆おうとしてはいるのだが、今の今まで待ってようやく全体の五分の一まで包んだ程度というのが現状だ。
「どうします? さすがにここで夜を明かすのはちょっと……。外で待つピジョンさんも一日中僕達が出てこなかったら、何かあったのかと気が気じゃないでしょうし」
確かにこの狭く少し黴臭い通風口の中で、これから更に一日近く缶詰になっているなど耐えられない。
ピジョンがミミロップ達を呼びに行き全員で誤認救助に来られては大騒ぎになってしまう。
どうするべきかと思案していた時、研究所内にチャイムの音が響き渡った。
その音を聞き、研究員達は途端に気が抜けたように気だるく背を伸ばしてみたり、欠伸をしたりしながら散り散りに実験室を出ていく。
「……昼休みというところですかね」
「一旦退くならば今が好機か」
「僕達も休憩と行きましょうか。そういえば朝から何も食べてないんですよね」
「うむ」

――この時、俺は気付くべきだった。
町外れの廃墟と化した屋敷で着々と脅威は育っていた。次々と積み上がる書物。
自らの出生、クローン、人間、ポケモン――様々な事を学び、知るたびにそれは歪んでいった。
すぐにでも止めるべきだったのだ――。


実験室の窓から無事脱し、俺は口笛でピジョンへと合図を出す。
直ぐ様、羽音を立ててピジョンは屋上から舞い降りてきた。
「無事だったか! 少し出てくるのが遅いもんで心配していたが。それで、どうなった?」
「ああ――」

「ふうむ、なるほどな」
俺達は研究所の屋上へと上がり、ピジョンに状況を伝えた。
どうにも落ち着かん。物事をいつまでも待たされるのは性分ではない。
だが、今は待つより他はない。俺達に手が出せる事はこれ以上無いのだ。
消化不良の感と苛立ちを覚えていると、ピジョンが何か思いついたように両手もとい両羽を打った。
「そうだ、どうせ今日はもう何もできることが無いのならば温泉で長旅の疲れをとるなんてどうだろうか。
あれは中々にいいものだぞ」
名案が浮かんだのかと期待してしまいそうになった矢先に飛び出たのは、予想の的を大きく外した実に下らない提案であった。
普段ならば即刻すっぱりと切り捨てる案であるがするべきことが無いのも事実。
「……温泉だと?」
「ああ。火山あるところに温泉あり、だ。ピジョットさん達が生きていた頃に行ったことがある。人間が登れないようなところに丁度沸いていてな。ポケモンだけの秘湯というやつだ」
そこでグレン島に生息するポケモンにも会えるかもしれん。火山があるこの島には炎の力を持つポケモンが必ずいるはず。
我が配下には炎の力を行使できる者が少ない。うまく取り込めば戦力の大幅な増強に繋がることだろう。
「いいだろう。案内するがいい」
「よし、では早速洞窟に待つ奴らも呼びに行こう」
それに昨日芯まで冷やされた体を芯まで暖めるのもいいかもしれない。
自らの体調を常に万全に整えるのもまた覇道を歩む者には重要なことだ。

――そのようにでも思わないとやっていられなかった。


ピジョンの案内で辿り着いたのは町から大分外れた、火山寄りにある高い崖の上であった。
突き出た岩が丁度屋根のように覆い被さり、これなら下からも上空からも一見しただけではわからない。
確かに人間には見つかるまい。だが、それと同時に鳥でもなければこんな所には来れん。
炎ポケモンが居るかもしれないという俺の期待の一つは、脆くも崩れ去ったということだ。
飛べる炎ポケモンなど伝説上の鳥や、野性では極々珍しいリザードンぐらいであったはず。
虫のごとく壁や天井に爪を食い込ませはい回る不気味な炎ポケモンなど、見たことも聞いたことも無い。

火山に近付き始めた辺りからも仄かに漂っていたが、この少し濁った温泉が上げている湯気からはより強くそれを感じる。
耐えきれない程では無いが、その匂いは温泉というものを生まれて初めて直に見て体験する俺が近づくのを十分に躊躇させた。
「何なのだ、この匂いは?」
「硫黄と言うらしい。別にお湯が腐っているわけじゃあない、安心して入っていいぞ。いらないのなら、一番風呂は俺がいただこう」
そう言うとピジョンはお湯目がけ駆け出し、ザブンと音を立て飛び込んだ。顔に跳ねたお湯を羽で払うと、いかにも極楽といった風に顔を緩ませ息を吐いた。
むう……。何故かはわからんが、一番に入るのを取られたら損をした気分にさせられた。
こうしてはいられない。今は二番手に甘んじてやる。が、それ以下になることは己が許さん。
湯に駆け出そうとマントを脱ぎ捨てると、不意にロゼリアと目が合った。

――この目、俺と同じく狙っている。飢えた者の目だ。
「ここは俺に譲るべきだとは思わないか、ロゼリア?」
「思いませんねえ。勝負は男の世界。上下関係なんて紙屑以下の価値しか有りませんよ」

権力による圧力は効かない。こうなれば実力で奪い取ってやるしかあるまい。
何があろうと冷静につとめるようにしている俺でさえも熱くさせる何かが、あれにはある。
そして、進化してから一段と小賢しくなってきているこいつに、威厳と実力差というものを見せ付けてやる。
帝王はこのピカチュウだッ!依然変わりなくッ!


早撃ちによる決闘のような緊張した空気がロゼリアとの間に流れる中、最初に行動を起こしたのは俺だった。
電光石火の速さでロゼリアの目の前に回り込み、その眼前で両手のひらを合わせ打ち電気をスパークさせる。
うまく怯んだのを確認し俺は素早く方向転換し、湯に駆け出した。
「ひ、卑怯ですよッ!」
「ふん、何とでも言うがいい。最終的に勝てばよかろ――」
言葉の途中で右足に何かが絡まり、姿勢を崩して俺は盛大に体を地に打ち付けた。
右足を見ると草が鎖のようにいつの間にか結ばれていた。草一本生えていないこの場所でこのような偶然は起こりえない。犯人は分かり切っている。
「卑怯な!」
「その言葉、そのままお返ししますッ!」
草を解き起き上がった時点で、スタートでの差は無くなっている。
ぶつかるように競り合い、湯に飛び込もうと足を踏み切ったのはほぼ同時――。

湯に全身が沈み込んでしまい、俺は手足を必死にかいて浮上し、息を整えながら岩の湯槽の縁に掴まった。
横で同じようにしてロゼリアが上がってくる。

「俺の勝ちだ。所詮貴様などその程度にすぎん」
「いえ、僕の勝ちです。支配者の座は僕に譲った方がいいんじゃないですか?」
俺達が言い争う中、後ろから何かが水中から飛び出すような音がした。争いを中断し、二匹で振り向く。

「せんすい、にじゅうびょうー」
「すごいなあ、ボクは十秒もお湯の中に顔をつけてられないや」
俺はロゼリアと顔を見合わせる。既に二番手どころか三、四番手だった。
何が起こったのかはよくわかる。くだらない小競り合いをしている内に入られていた。それだけだ。

もう二度とくだらないことで熱くはなるまい……。
そう心の中で誓い、疲れ果てた俺とロゼリアはぶくぶくと湯に沈んでいった。


クリスマスの夜、シンオウ地方
降り積もる雪の中―――ダークライは混乱の中にいた。

何故、俺はこんな所にいるのか。
何故、こんな趣味の悪い真っ赤な服を着ているのか―――

茫然と立ち尽くしているうちに、少しずつ意識がはっきりしてくる。
必死に頭の中を整理し、記憶の糸を手繰り寄せる。

力を奪われ、俺は負のエネルギーの無いあの忌々しき空間の中で長い間耐えていた。
ろくに動くこともできず、ただただ変わらない真っ白な地平線を眺めていた。
そんな時―――奴らがやって来た。
今思えば、神の手先である奴ら警戒を怠るべきではなかった。
しかし、長期間の幽閉が俺の判断を鈍らせたのだ。

『やあ』
『…なんだ貴様は』
『オイラはアグノム。こっちはユクシー。パルキアに言われて君に会いに来たんだ。』
『……………』
『まぁ、そんな怖い顔しないで。君を自由にしに来たんだからさ。』
『―――!?』
『といっても、まず今までの罪を償わなければいけないんだけどね。でも今君は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。』
『詳しく聞かせてもらおうか―――』


『―――つまり、今日中に108匹のポケモンにクリスマスプレゼントとやらを配れと?』
『そういうこと。ただし、必ず手渡しすること。他のポケモンを傷つけないこと。どう?やってみる?』
『…いいだろう』

―――ここで記憶が途切れている。
途中、ポカン!と大きな音がしたようなしなかったような。

そうこうしているうちに一時間も時を無駄にしてしまった。
早くこの巨大な袋を空にしなくては。
右腕に力を集中し、グイと袋を持ち上げるように右腕を上げる。
が、ビクともしない。まだ力が回復していないのか?仕方ないので肩でしょうことにした。

さて、まず何所に向かおうか

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