第28章 - 2

凍り付いた大気中の水分が、粉塵のようにもうもうと噴き出している一帯を見つける。
顔中の毛にまとわりつく氷の粒を払い落としながら近寄ると、白い冷気の煙を噴き出しているのは地に開いた大きな穴だとわかった。
穴の傍らに、薄く透き通った氷細工のような羽が一枚落ちている。恐らく例の鳥から抜け落ちた物だろう。
この奥に奴はいるのだろうか。穴を覗き込んでみても、立ちこめる氷の粉塵に阻まれ、どれだけ深いのかはわからない。
飛べるといえど、ピジョンとムウマージだけで行かせるのも危険だ。穴のすぐ底に潜んでいるかもわからない。まずは石ころでも落としてみようと思いつく。
足元の適当な氷の塊を拾い上げ、それを落とそうとした時、穴の奥から何かの鳴き声が聞こえた。
落とす手を止め、穴に意識を集中させる。微かに聞こえる翼をはためかせるような音。徐々にそれは大きくなり、風とそれを巻き起こしている翼の躍動が、はっきり耳に伝わってくる。
「――来る。全員、穴から離れろ!」
再び甲高く透き通った鳴き声が響いた瞬間、穴から風雪の嵐が巻き起こった。吹き飛ばされそうになるのを必死に地を踏張り、マントで冷気から身を守りながら耐える。
吹雪が吹き出した時、同時に大きな影が飛び出すのがちらりと見えた。――奴はどこに行った?
頭上で悠々と羽ばたく音が聞こえる。マントの隙間から見上げると、大きな鳥の影が長い尾羽を揺らしこちらを見下ろしていた。


嵐は段々と収まり、氷雪の合間にその姿が徐々に見えてくる。
体を包んでいるのは青白い羽。おぞましささえ感じさせるほど、それは綺麗に輝いていた。
「間違いない、奴だ。あの時の――!」
ピジョンは体をぶるぶると震わせる。その表情は憎しみに満ちているが、沸き立ってくる恐怖を必死に押さえ込んでいるようにも見えた。

青白い鳥は高度をゆっくりと下げ、こちらに降りてこようとしている。
羽ばたくたびに、胸部を覆っている汚れ一つ無い新雪のように純白の羽毛が冷風にざわめき、長い尾羽は光を乱反射させて棚引く。
圧倒される荘厳で冷徹な美しさ。対面して感じる押し潰されそうな圧迫感は神々のそれとよく似ていた。
先程から第六感が警鐘を鳴らし続けている。関わるのは確実に避け、戦うなどもってのほかの相手だと告げていた。
そんな事、云われなくともわかっている。だが、しかし、こちらは復讐を遂げようとする者の付き添いとして連れてこられたのだ。逃げたくとも逃げられよう筈もない。
そして逃がすつもりもあちらには無さそうだ。菱形の水晶を三つ連ねたような鶏冠の下で、狂気を宿した緋色の瞳をぎらぎらとさせている。
青白い鳥は地から一メートル程の所で羽ばたきながら、俺に顔を向けて小さな嘴を開く。
嘴の前で白い光が収束するのが見え、咄嗟に身をその場から横にずらした瞬間、光の帯が尾先をかすった。冷たさなど超えた鋭い痛み。尾が燃えるように熱く感じる。
体を捩り見てみると、先をかすっただけだというのに、俺の尾は全体の三分の一ぐらいまでを凍り付かされていた。直撃していれば体の芯まで氷塊と化していたことだろう。


「ピジョットさん、今に敵をとります……!」
ピジョンが大きく翼を広げて空を強く叩くと、俺達の背後から風が強く吹き流れ始めた。
羽ばたきながら地を数回蹴ってピジョンはその風に乗り、天井すれすれまで一気に舞い上がる。
俺もそれに乗じて攻撃に移ろうとするが、右後ろ足が急に地に固定されたように浮かず、態勢を崩してしまった。
何事かと下半身を見ると、先程光線を受けた尾の凍結部がじわじわと広がり始めており、左後ろ足まで侵食が進もうとしている。
擦っただけでこの始末とは……まるでたちの悪い毒のようだ。放っておけばこれが全身に回るのだろうか。
嘲笑うかのように、青白い鳥はろくに動けない俺にじっくりと狙いを定めながら第二射の準備を始める。
「――ッ!ピカチュウ!」
「来るな!」
駆け寄ってこようとするミミロップ達に気付き、俺は大声で止めた。
虫けらを見下ろすようにしている緋色の目を、睨み返しながら電流をスパークさせて挑発し、注意をひたすら俺だけに引き付ける。
幸いにも、攻撃を一度かわされかけたのが余程気に入らなかったのか完全に俺に集中し、強襲しようと急降下するピジョンに奴は気付いていないのだ。
距離は後、三……二……一……――ッ!
ガキン、と堅いものがぶつかり合うような音が洞窟内に響く。
「ぐッ……!」
寸でのところで、喉を掻っ斬ろうとしていたピジョンの足爪は阻まれていた。空気中の水分が壁のように凍り、その主を守ったのだ。
白く凍てついた怒りの吐息を嘴の端から漏らしながら、氷の凶鳥はピジョンを睨み上げる。
舌打ちしながら足爪を氷から抜き、再び宙へピジョンは羽ばたき上がった。甲高く透き通った鳴き声を上げて、青白い鳥もそれを追う。


奴に痛手を負わせるチャンスを逃した今、小柄な体を活かし小刻みに旋回し、追跡を振り切ろうとピジョンが翼をしならせる。
が、あの巨体からは想像できないほど滑らかに青白い鳥は羽ばたき、まるで狩りを楽しむように少しずつ距離を少しずつ詰めていった。
ピジョンが凍てつく風に飲み込まれるのも時間の問題だろう。
援護しようにもこの距離では電撃は届かない。
まずこの忌まわしき氷を始末しなければ―――

振り向くと既にミミロップ達がこちらに向かって駆け出している。
―――どうやら皆考えていることは一緒のようだ。
「私の出番ってことね。」
最近目立った活躍が無かったからだろうか、どこかしら嬉しそうに声を弾ませている。
「そうだ、わかっているな?」
「もちろんよ、私のほっかほかの毛皮でピカチュウを包んで…」
「……………」
「じょ、冗談よ、冗談。」
と言いつつも、こちらに向かって伸ばしていた手を素早く引っ込めたところを見ると半分本気だったようだ。
まったく、状況が読めているのかいないのか―――。
肩を大きく2、3度回し、ミミロップの拳を炎が包み込んだ。
「行っくわよー!」
ガツンッ
燃え盛る拳が凍結した俺の背中を捉え、大きな衝撃が走る。
右足の踏ん張りだけでは足りず前につんのめってしまったが、同時に温かさが広がり左足に感覚が戻ってきた。
「大丈夫だった?」
「うむ、問題ない。さっさとあの怪鳥を地面に引きずりおろすぞ。」
「「おーーー!」」

―――それにしてもさっきから何か焦げ臭いのは気のせいだろうか?
何となく皆の顔が引きつっている気もするが。


「ピュイッ――!」

上空から短い叫び声が響く。反射的に見上げると、ピジョンが右翼の先を凍り付かせ、回転しながら墜落してこようとしていた。
さらなる追い撃ちをかけるつもりか、青白い鳥も急降下を始める。
「ピジョン!」
させまいと俺達が放つ攻撃も軽々とかわし、更に降下速度を上げて距離を縮めていく。
しかし、どういうつもりか青白い鳥は落ち行くピジョンを追い抜いた。そしてピジョンではなく俺に狙いを定め、白い光を収束させる。
駄目だ、これでは回避も間に合わん。直撃か――。その時、あの鳥がピジョンの攻撃を防いだ方法が脳裏をかすめる。氷の壁……壁――!
無意識に出した左手に電力を集中させると、電気が盾のように丸く展開した。
青白い鳥は慌てたように翼を広げて降下を止め、放たれた白い光線はその広がった電流の壁により分散した。ひんやりとする程度の冷気だけが体にかかる。
「ピカチュウ、それは……?」
「咄嗟の思い付きだ。とにかくこれで奴の攻撃は防げそうだ。全員、俺の後ろに隠れろ。奴が降りてきた所を一気に叩くぞ」
ミミロップ達は一斉に俺の後ろに回り、攻撃に備える。ピジョンの方は何とか翼の氷が剥がれ、地面すれすれのところで体勢を立て直していた。
しばらく様子を見ていた青白い鳥は、おもむろに大きく一鳴きした後、再び降下を始める。
「さあ、何度でも撃ってくるがいい!何度でも防いでやる」
奴は自分の前に尖った氷塊を形成しながら氷を身に纏い、自らを礫――最早そんな次元ではない、巨大な氷の馬上槍のようにしてこちらへと突っ込んでくる。あれではこの壁でも防ぎようがない。
「に、逃げろ!」
「え?」
「……さすがにあれは無理だ。見ろ」
「ええーっ?」
半ば絶叫に近い声を上げながらミミロップ達は散開し逃げ出す。俺も落下してくるであろう地点から離れようと必死に走った。
なんという無茶苦茶な奴だ――!


とある辺境の島…

「―――本当に此処なのですか?」
キョロキョロとあたりを見回すユクシー。
その疑いの瞳が少し前を行くアグノムの背中にチクチクとささる。

「しっつこいな~!パルキアが言ってたんだから間違いn…イタッ!」
ゴツンと何か固い物をぶつけた音、鼻を打ったのかその場にうずくまるアグノム。
と、同時に辺りの景色がユラユラと波打った。
その見えない何かにそっとユクシーが手を置き、意識を集中する―――

不意にその波は渦へと変わり、アグノムが鼻をさすりながら顔をあげた時には既に直径1mほどの穴が、まるでそこだけ空間を切り取ったようにポッカリと浮かんでいた。

「どうやら此処の様ですね、疑ってすいませんでした。」
「へへ~ん、じゃあ後でモモンの実一個ね!」
ユクシーの返事を待たずにアグノムが我先にとその穴へ飛びこむ―――


「へぇ~、牢獄って聞いたからもっと暗い感じかと思ってたけど…」
そこには見渡す限り白い空間が広がっていた。
目に入る色といえば白い空に浮かぶ大きな三日月の黄色と―――
「あそこに誰かいますね。」
ユクシーが指差した先の色鮮やかな点だけであった。

「やっほー、君がクレセリア?」
突然の来訪者、しかもやけに軽い口調に不意を突かれたようだ。
驚きの表情を浮かべていたが、すぐに気を取り直し
「はい……あなた達は?ここに入って来れたところを見ると、ただのポケモンでは無いようですが…」
「オイラはアグノム。で、こっちはユクシー。よろしくっ!」
「そうでしたか、あなた達のことはパルキアから聞いています。―――それで、わざわざここにいらっしゃった用件は?」


巨大な氷の槍は洞窟を大きく揺るがし、厚く凍り付いた床を穿つ。激突の衝撃により槍は砕け、その破片は榴弾のように飛散し、俺達を襲った。
直撃させる必要など無い、奴はこれを計算していたというのか。
重傷までには至らないが皆そこかしこに傷を負い、距離が離れていたため難を逃れたピジョンと、マントにより多少は威力を軽減できた俺以外は戦える状態では無さそうだ。

爆心地に残る鳥の形をした氷塊が、小さな音を立てながらゆっくりと表面に細かいひびを入れていく。
ミミロップ達に、急いで安全な所まで退避するように言い、俺は充電しながら今にも動きだしそうな氷塊目がけ駆け出した。
奴が執拗に狙っているのは俺だ、引き付けてミミロップ達が逃げるまでの時間を稼がなければならない。
ひびは全体に広がり、脱皮するように青白い鳥が氷の殻を破って飛び出した。牽制に俺が放った電撃を氷の壁で易々と防ぎ、空へと舞い上がる。
滑空しこちらに向かってくる奴に、すれ違いざまに直接攻撃を叩き込んでやろうと、跳躍し尾を振り上げた。だが、青白い鳥はあらぬ方向に飛び、尾は虚しく空をきる。
反撃を予期しすぐさま電磁の壁を張るが、青白い鳥は俺の横を抜けそのまま飛びさっていく。その向かう先には、アブソルに助けられながら逃げようとしているミミロップの姿があった。

――あの時、無防備になっていたピジョンを無視してまで俺を執拗に狙ったと思っていた光線……俺のすぐ後ろにはミミロップがいた。
もっと早く気付くべきだった、標的はあの時から俺ではない。奴の狙いはミミロップだ!
既に奴はミミロップとアブソルのすぐ後ろにまで迫っている。風をきる音に二匹は振り返り、迫り来る青白い鳥を茫然と見上げた。
全てを凍てつかせる無情な白い光が、奴に集うのが見える。


俺の電撃、ピジョンの突撃、どちらも既に一手遅い。電力の補填、距離が届かない……!
青白い鳥の怪光が遂に放たれようとした時、腕輪が急に燃え上がるように熱くなって感じ――。
「ギュアアァァァ――ッ!」
次の瞬間、青白い鳥の体を業火が包んでいた。金切り声を上げて青白い鳥は逃れるようにミミロップ達から離れ、身を炎に焼かれながら地をのたうち回る。
ミミロップは拳に炎を灯しながら、何が起こったかわからないと云う風にぽかんとしていた。アブソルもどこかぼんやりと立ち尽くしている。
「え?ええ?私はまだ何も……」
一瞬、間をおいた後、ロゼリアが歓声を上げる。
「す、すごいです!今の炎はミミロップさんですよね?」
「う、うーん……?」
……何が起こったのかはわからないが、今は奴へのとどめが先だ。
体の炎が消え、青白い鳥は白い煙を上げながら起き上がった。その姿は見る影もなく、焼けて溶けかけている。しかし、それも再生を始めようとしているのだ。
「畳み掛けるぞ、ピジョン」
「ああ……!」
青白い鳥は翼の回復をほとんど終え、今にも飛び立とうとしていた。何とも凄まじい生命力だ。
だが、もう遅い。間合いも充電も十分ッ――!
頭部を狙ったピジョンの翼による一撃が、青白い鳥の再生しかけていた額の鶏冠を砕く。青白い鳥は大きく仰け反り、形成しようとしていた氷の壁はばらばらと崩れ落ちる。
その隙を逃さず、右の拳に体中の電気を込めながら俺は奴の懐に潜り込んだ。
そして大きく右拳を振りかぶり、白い胸部を思いきり打ち抜く。稲妻が奴の体を走り、雷鳴と共に電流の束が体内を焼き貫いて飛び出した。
断末魔の叫びのように突風が青白い鳥を中心に吹き荒れ始め、巻き上げられた雪や氷が俺達の視界を遮る。
風が収まると青白い鳥の姿は既に無く、透明な羽が一枚、その場に残っているだけだった。


「仕留めた……のか?」
「……わからん。だが、手応えはあった。生きていたとしても当分は再起不能であろう」
ふぅ、と息を静かに吐き出し、ピジョンは荒れる息を整えた。
少し遅れて、ミミロップ達が勝利に沸き立つ。
「少なくとも一矢を報いれた……か。勝ったんだな、俺は過去に――」
歓声上がる中、ピジョンは立ち尽くし顔を片翼で覆い込んだ。その声はどこかくぐもっている。
本来であれば、ここはしばらくそっとしておくところなのであろうが――ここは少し冷えるどころのレベルではない。うかうかとしていれば氷像の一つと化してしまう。
俺は声をかけようとするが、その前にピジョンは自分の顔をさっと拭い払った。飛んだ少量の水滴が宙で凍りきらきらと消える。
「ありがとう、あなた達の協力に深く感謝する」
俺の方を振り向き、ピジョンは深々と頭を下げた。顔を上げるとその表情は、ずっと背負わせられていた重荷を下すことがやっと許された、と穏やかに語っている。
「……うむ。それではここを出るとするか」
「ああ。だが少し待ってくれ。その前に――」
何か思い立ったのかピジョンは振り向く。その先を見ると、戦利品とばかりにムウマージが青白い鳥の残した透明な羽を拾い上げ、自分の袋にしまい込もうとしていた。
「……先を超されていたか。すまないがその羽、俺に譲ってくれないか?空っぽの仲間達の下へ、それだけでも供えたいんだ」
そう声をかけられ、ムウマージは悩み始める。しばらく考えた後、快く――とはお世辞にも言えないが――了承し、ふよふよと近寄ってきた。
「すまないな、ありが――いつッ!」
透明の羽を渡すと同時に、ムウマージはピジョンの羽を一枚引っ込抜いた。そして即座に抜いた羽をしまい込み、けらけら笑いながらムウマージは逃げさる。
「とーかこうかんだよ~。ちょっとつりあわないけど、おまけ~!」
タダとはいかないか、とピジョンは苦笑いを浮かべ呟いた。
さあ、早くこんな冷えきった洞窟とはおさらばと行こう。

――それにしても、あの時の炎……あれは一体なんだったのだろうか。
今は腕輪には何も変化はない。気のせいだったのだろうか?
燃えるように熱くなったと感じたのも、そしてあの時、アブソルの口からちらりと小さな炎が漏れたような気がしたのも――。

- 71 -
スポンサーリンク
スポンサーリンク