第23章 - 3

四角い部屋の中央で、部屋の角から伸びる八本の長い鎖に四足の白い獣が捕われている。
その白い獣の体は全体的に白い毛並みに覆われているが、顔面と額の縦長に丸い模様と湾曲した幅広の剣のような尾は黒く染まっていた。
右の側頭部からは黒く鋭い鎌状の角が伸び、左は白い毛が髪の毛のように伸びていて左の側頭部を守っている。
白い獣は不様に転び情けなく立ち上がった俺を、赤い瞳で見つめながらくすくす笑っていた。
腕輪が白い獣に大きく反応を示し強く輝く。
この獣が神の――アルセウスの転生した姿――。
俺は白い獣にゆっくり歩み寄る。
「……ようやくまた会えたな――アルセウス」
「え?君と会うのは初めてのはずだけど。それにアル――セウス?って……何?」
きょとんとした顔で白い獣は話す。ふざけてとぼけている風には見えない。
おかしい。腕輪の反応、この厳重な封印、この獣だと思うのだが。

「お前はアルセウスでは無いのか?」
「うーん、よくわからないや。生まれてからボクは一度もここから出たことはないし、話し相手として創ったクレセリアにも主としか呼ばれなかったし……」
「つ…創った?」
「うん、ここに一緒に閉じ込められていた温かい光を集めて念じたんだ。黒い嫌な奴にクレセリアはもうどこかに連れていかれて、ボクはこの通り鎖に繋がれて何もできなくなっちゃったけど」
あどけない子供のような口調からは威厳は感じられない。


「でもおかしいな――」
白い獣が俺の顔をまじまじと見つめる。

「君の顔、どこか懐かしいんだ。何だろね、この気持ち」
―――!
今の言葉で確信した。間違いない、この白い獣はアルセウスだ。
記憶を失っても俺のことをうっすらと覚えているのか――。

「……さあな。さあ、早くここから抜け出すぞ」
「どうやって?それにどうしてボクを逃がそうとしてくれるの?」
「クレセリアにお前の救出を頼まれている」
白い獣に繋がれた鎖を腕輪を着けた方の腕で掴み力を込めると、鎖はいとも簡単に千切れて崩れ落ちた。

「君は、一体……?」
信じられないといった感じで白い獣は俺を見ている。

「言い忘れていたな。俺の名はピカチュウ、お前の――友だ」


「と……も――?」
白い獣は、何か大切な物を無くして探している子供のような不安で悲しげ表情を浮かべる。
「今はそれでいい。深く考えるな」
無くした記憶はそう簡単に見つかりはしない。だから今はそれでいい。
俺もそうだ。
刃物でざくりと切り取られたように思い出せない幼少期の記憶――残るは誰かの背中の温もりだけ。今はそれだけでいい。

黙々と手足の鎖を外している間、白い獣はずっと俺の顔を黙って眺めていた。
純真無垢な赤い視線を穴が開きそうなほど浴びせられている。
俺は何となく気恥ずかしくなり少し顔をそらしながら作業を続けた。
「これで最後だ」
白い獣の胴体に繋がれている最後の一本を引き千切り、握り砕いた。
砕けた鎖は黒い燃えカスのようになり、細かくなりながら空気に溶けて消えていく。
これでようやく視線から解放される。陸から水の中に戻された魚みたいな気分だ。
枷が無くなり体の自由が利くようになった白い獣は、こりを取るようにぶるぶると体を振るわせる。
そして気持ち良さそうに唸りながら背中を伸ばした。

「ふう、ありがとう――ピカチュウ……さんって付けたほうがいいの?」
「いらん。俺達は友、だろう?」
「……うん!ああ、嬉しいなあ。ボクの初めての友達!」
白い獣は嬉しそうに微笑み、俺に飛び付いてきた。抱き込まれ白い獣の首まわりのもふもふした毛並みに俺は顔がうずまる。
「ぷはあっ!ク、クレセリアは違ったのか?」
毛玉地獄から何とか抜け出し、俺がそう問うと、白い獣は少し顔を曇らせる。
「うん……そのような恐れ多いことはできません、と断られたんだ。私は主様の部下であり、主様であるボクとは身分も格も違いすぎるんだって……。おかしいよね?」
身分が違う――か。
そんなものがどうした。反逆し、戦いを挑むなんて“恐れ多いこと”を俺はやってのけたのだ。
友になるくらいどうという事はない。


「ふん、それがどうした。俺はそのようなこと、気にはしない」
「うん、ありがとう、ピカチュウ」
白い獣の曇りが晴れる。
だが、全てを知った時、この幼い獣は耐えられるのだろうか。
ありとあらゆるものの頂点という立場、自分が引き起こした事。逃げたくてもけして逃げられない神としての業。
あまりにも酷ではないか。これが自らに科した罰だとでもいうのか――アルセウス。
俺はお前の友として何ができる。この幼き獣に何をしてやればいい。

「どうしたの?」
黙っていた俺の顔を白い獣が心配そうに覗き込む。
――今はまずここからこいつを無事に出させてやるのが先か。
「いや、何でもない。さあ、早く行くぞ。飛び付く元気があるんだ、歩けるな?あー、えーと――」
「もしかしてボクの呼び方に困ってるの?そうだなぁ……クレセリアが言うにはボクの姿は“アブソル”っていうポケモンなんだって!でも真の姿は違うんだって。よくわからないけど」
「うむ……では行くぞ、アブソル」

神ではなく普通のポケモンとして生きてみたい――
最期に述べたお前の望みを一時だけでもかなえてやれるだろうか。

さて、この部屋にもう用はない、とりあえず上へ戻ってみるとしよう。
そう通り抜けられる壁へ振り向くと、壁は無く上へと続く階段が直接見える。こちらからではあの壁は見えないようだ。
――つまり、この部屋へ入ってきた時の俺は、アブソルから見れば突然その場で振り向き、背中から突っ込むというわけのわからない行動をしていたというわけか。
アブソルがくすくす笑いだす。
「部屋に入ってきた時のピカチュウ、面白かった」
「……忘れろ」


じわり――。
俺達が階段へ向かおうとすると部屋の雰囲気が突如として変わった。どろどろとまとわりつき、ひどく苦い物を噛み潰したような嫌悪感湧くこの邪悪な気配は――。

「――!あいつが来た――!」
姿勢を低く構え、アブソルは階段を唸りながら睨む。
ゆっくりと階段から奴が、ダークライが降りてくる。体を支えていられるのか疑わしい細い二本足を生やし、足跡をたてずに一歩一歩階段を踏みしめながら。
最後の段を降り終え、奴が部屋へと入ってくると階段は最初からそこに無かったかのように壁へと変わった。
「黙って逃がすと思ったか……?散々体を掻き回してくれたな、この薄汚い鼠めッ!」
普段の薄笑いは浮かべてはいない。顔は怒りに歪み、体からは黒い煙が立ち上っている。

「随分と後が無さそうだなダークライ。いつもの余裕はどこに置いてきた?」
「後が無い――だと?つけあがるな、たかが体に紛れ込んだ雑菌風情が!追い詰められたのは貴様らだ。鼠一匹と凋落した神に何ができる!」
足を収納し、ダークライが浮かび上がる。
「消えるのは――消えるのは貴様らの方だ鼠ィッ!俺は消されない、消されてたまるか!」

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